セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか?

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富士王朝とウガヤ王朝は夏至レイラインで結ばれる。


2019,2,18

神武東征の真実。

神武東征(紀元前660年ころ?)の理由とは。
ホツマツタヱによると、ナガスネヒコが秘伝の代嗣文を写本してしまい批判される。さらに彼の悪政が諸国の怒りを買い、神武が成敗する。

一方、ウエツフミと宮下文書はかなり類似点がある。
宮下文書によると、51代ウガヤフキアエズ・弥真都男(ヤマトオ)尊の時代、ウガヤ朝は大和(奈良県)へ東征した。きっかけは、朝鮮勢力『禍津亘理彦』が皇族子孫『真佐勝彦命』を奉じ反徒させ、戦争を起こそうとした。禍津亘理彦らは中国地方(出雲勢力?)を本拠地とし、裏で新羅軍を手引きしようとしていた。
東征最大の目的は、禍津亘理命に操られている長髄彦(ナガスネヒコ)討伐。宮下文書曰く『実はナガスネヒコは白木(新羅)人』、その新羅勢力にウガヤ皇太子『五瀬命』が殺された。驚いた皇族関係者が各国から集結、その意志を継いだのが五瀬王・弟『神日本磐余彦火火出見天皇』、すなわち後の神武天皇である。この本島大乱より始まる『暗黒の世』十七年間、神武は大和国周辺、紀伊半島広範囲に亘り、多角的に渡来系勢力と交戦。神武天皇側陣営が『速玉之緒』『速玉山田(天日方奇日方命)』=藤原物部氏系統。『甘美眞遅命(ウマシマジ)』=蘇我大伴氏系統である。
大和国を舞台とした神武東征と同時並行し、東国軍団(タケミカヅチとフツヌシの子孫・蘇我大伴系統)が中国地方『禍津亘理彦』を、日栄山(比叡山?)にて撃破した。そのフツノ剣とヤタガラスの教えが富士王朝より届き、神武皇軍を大いに奮起させた。ヤタガラスの導きというのは諸説あるが、富士朝を暗示しているようだ。そして、石上神宮『フツノミタマ』と春日鹿伝説の由来ではなかろうか?。現代では信じ難いが、富士朝では兄タケミナカ・弟タタケミカヅチらが鹿を移動手段にしていたという。

~ニニギの御宇・左臣フトダマ蘇我大伴系統『武勇命』四子~
・長子『雅武王命』   北中国守護司頭長
・二子『タケミナカタ』 北中国守護司頭長
・三子『タケミカヅチ』 東国一帯守護司頭長
・四子『フツヌシ』   東国一帯守護司頭長
※みんな仲良し蘇我兄弟であったw

最終的には、蘇我大伴系統ウマシマジが『某計をもって』敵陣を欺き陣中に潜入、ナガスネヒコを自決に追い込んだ。ウエツフミではきっかけは食料難としつつもナガスネヒコと新羅の背後関係を指摘している。ウエツフミのウガヤ~神武天皇に関する記述量は多い。しかし富士王朝を完全に無視し、九州が日本の中心だとする展開はむしろ『記紀』に近い。
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※因みに一般的には物部氏祖神ニギハヤヒの子神とされるのが宮下文書には登場しない。宮下文書ではウマシマジは蘇我大伴氏系統である。蘇我・大伴・藤原・物部世に伝わる家系図は間違いだらけだ、絶望的に改竄されている。詳細は下リンクより。
<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!
<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

敵から身内へ、渡来系に対する転換期

そもそもウガヤフキアエズ朝の役割は、九州における国外大陸監視であり、主敵は海外であったわけだ。ウガヤ24代に外寇がおこり暴風により敵軍が壊滅、ウガヤ36代には三年三か月戦い撃退。しかしウガヤ51代に亘り、漂着民はすっかり本土へ入り込んでしまっていた。故に都を、当時の日本の中心『大和国・橿原宮』据え、国内における渡来系勢力を見張る時代へとシフトした。
しかし結局は時代の流れだろう、渡来系は着実に侵食して政権に介入、無視はできない存在となる。災害の頻発した欠史八代後10代崇神天皇~12代景行天皇のホツマツタヱ成立時代、もはや渡来系出雲と迎合するしか選択肢がなかった。これが後世に神話化された、出雲『国譲り』伝承ではないかとみる。
逆に15代応神天皇や神巧皇后は保守回帰し、渡来系勢力との関係を是正しようと『三韓征伐』に動いた。それがゆえに、彼は富士朝・阿祖山太神宮関係社・福地八幡宮に今も祀られている。15代応神天皇御子・大山守皇子は弟・16代仁徳天皇と対立。富士朝阿祖山太神宮宮司家・宮下家に婿入りし、『宮下文書』を継承する運びとなる。

※因みに宮下文書には『国譲り』の記載はない。前述した東国軍団(タケミカヅチとフツヌシの子孫・蘇我氏系統)が中国地方『禍津亘理彦』を日栄山にて撃破し、その敗者がのちの出雲族となるとみる。つまり当時の中国地方は戦犯監視体制が敷かれていた『罪人の地』とみる。そもそもスサノオ由来の『出雲谷の里』という土地は、悪雲が吹き出す方角とされ、阿祖北の山陰(おそらく信州戸隠?)にあったとされる。罪人スサノオを更生させ、そのスサノオに監督させた警察機構や罪人収容所の意味である。おそらく中国地方は、このスサノオ出雲機構の出張所だったのではないだろうか?。本ブログでは便宜上区別するため、中国地方を『渡来系出雲』とか『中国地方出雲』と呼称する。
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この国は建国以来、外国人と戦っていた。

なるほど、この国の上層部が必死に隠したがる黒歴史がみえてきた。この国はほぼ建国以来ずっと外国人と戦ってきたのだ。ニニギの時代から、何度も何度も、外国人が日本人に襲いかかってきたのである。こんなものを歴史教科書に載せたら『外国人を悪くいうな』『日本は常に加害者でなくてはならない』という自虐教育的原則が崩れる。当時もこういった歴史の観点から、聖徳太子の十七条憲法第一条『和を以て貴しと為す』考えに至ったのかもしれない。島国の知恵ともいえるが…。
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※因みに欠史八代(2~9代天皇)は儀典に従い、富士山(高天原)で『諱即位式』をしている。一般的に歴史的証明が困難といわれる時代だが、富士朝の影響力は残っていたようだ。むしろ富士朝影響下にあったからこそ、欠史にされたとも取れる。その後、大和勢力に無視された始めた富士朝とウガヤ朝が、怒りの決起。12代景行天皇の皇子・ヤマトタケルの『東夷征討』『熊襲討伐』にて鎮圧される。
※因みに10代祟神天皇のタイミングで、アマテラスは大和笠縫邑に観請させられている。近くには纏向遺跡があり卑弥呼と関係性が注目される。日本書紀では、神武天皇即位後、大和国鳥見山に『皇祖天神(みおやのあまつかみ)』を祀ったとあり、おそらくアマテラス。しかしすぐさま11代垂仁天皇の代、各地元伊勢でたらい回しにした挙句、アマテラスを『伊瀬の山田』(伊勢市宇治山田?)の僻地に追いやった。宮下文書にて当時を探ると『出雲国の罪因五○○人、徒党して諸国に乱入した。三年にして、悉く逮捕して、手足初め首を斬って死刑に処した』とある。やはり背景には、渡来系出雲からの様々なプレッシャーがあったようだ。『伊瀬』の土地自体はもともと聖地であり、スクナビコナ妃『武彌雄毘女命』や51代ウガヤフキアエズ・弥真都男(ヤマトオ)尊の陵墓があり、富士山高千穂峰レイラインの側でもある。アマテラスは特段ゾンザイに扱われた訳でもなく、これが聖地・伊勢神宮の誕生となる。
※因みにここで言うところの渡来人とは広義の意。個人的に、卑弥呼は与那国島方面から来たとも思え、それが大陸系の出雲勢力と結びついたのかと妄想している。

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※地図はクラフトマップ使用。
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