セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編

 

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<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!


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2019,4,19 

蘇我氏と大伴氏とは

前記事にて、欠史八代における藤原物部系統家系図を公開した。今回は蘇我大伴系統である。

蘇我とは祖家(そが)の事。政治を司る左臣で、アマテラスの代に左臣に任命されたフトダマ(天太玉命)の家系。一般的に蘇我氏は、蘇我入鹿ら三代で滅ぼされた渡来系新興勢力と言われるが、宮下文書では藤原氏と双璧をなす日本最古級の臣家である。藤原氏系統と蘇我氏系統は天皇家に対して常に右左『対』の臣関係、皇家に対して自ら『遺伝子』となって貢献してきたわけだ。

祖家の概念はホツマツタヱでは登場せず、宮下文書では『乙巳の変』での政変が記録されておらず、いまいちこの二大勢力変遷が辿れない。ただ絶大な権力を持った故に、藤原氏や物部氏ら有力者に危険視されていたのは想像できる。

欠史八代の理由の一つは、中臣(藤原)氏がこの蘇我氏の正統性を隠す為ではないかと。両家『対』関係であるゆえに、藤原氏自らの歴史までも修正しなくてはならなかったのだ。即ち、二大勢力が活躍したウガヤ王朝~欠史八代の歴史を、右臣左臣同時に消去しなくては辻褄が合わなくなったのだろう。

前記事にて説明したが、欠史八代の天皇は蘇我、藤原氏系統の臣家近親婚でほぼ固められている。かつて神武勢力を苦しめたのが富士朝先住民と渡来系との融合であり、同じ轍を踏まないように教訓とされていたのか?。神武東征以後は渡来系はおろか、部外者が入る余地が無いほどの保守政権であったとみる。

ではなぜ、この保守政権の歴史が消される必要があったのか?。渡来系勢力(出雲など)の権力が緩やかに拡大していった。彼らにとっては渡来系が弾圧されていた歴史が目障りだ、そして歴史そのものが改竄されたとみるのが自然であろう。 

※宮下文書において藤原氏系統も蘇我氏系統も『中臣』を名乗るため、当ブログでは『中臣』は極力使用しない。

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※上の系図の最後に『皇兄・倭武彦命』とあるが不詳。普通に考えれば天皇家の人物であるが、そうすると蘇我氏系統が大正国政大夫(左臣)から外されたとみるべきか?。

 

欠史八代までの大和天皇勢力は、即位の度に富士朝高天原を参拝し、神々にお伺いを立て歩調を合わせてきたのだ。雲行きが怪しくなるのは10代崇神天皇の代、経費時間のかかる富士朝参拝を廃し、富士朝御祖神を宮中祭祀に切り替えて効率を優先した。すると奇しくも天災が続き、大和の人々は富士朝の神々に畏怖の念を持ちはじめたのであろう。今度は逆に宮中からアマテラスを追放し、丹波周辺などに点在する『元伊勢』にたらい回しすることになる。こんなことを繰り返せば、富士朝側の反感は必至となろう。東西衝突は必然のように起きた。

12代景行天皇の代、高天原(富士王朝)・阿祖山太神宮の副官宮司長・阿祖彦王は神都復旧のため謀反を企てる。景行天皇は皇子・小碓尊を征夷大将軍に拝し、吉備彦(藤原系統)と大伴武日(蘇我系統)を副将とし高天原平定した。これが宮下文書における『東夷征討』、一般的に知られる『日本武尊東征』である。こうして12代景行天皇以降、天皇家はおろか、藤原物部系統も蘇我大伴系統も記録が途絶える。

宮下文書が面白いのは、欠史八代以降の記録の方が欠史されている点か…。

 

日本書紀においては蘇我系統『渟名底仲媛命』の父が鴨王にされている。鴨王とは賀茂氏三輪氏の祖で、4代懿徳天皇の外祖父。うーん...また鴨王である(笑)。前記事でもか述べたが、鴨王は蘇我氏系統にも藤原氏系統にもいつも割り込んでくる。藤原氏系統も被害者で、天日方奇日方命=鴨王とされている。結局いつも賀茂氏と三輪氏先祖の付会に繋がるのだ。

鴨王はコトシロヌシの子孫を自称しているが...そもそもコトシロヌシの子孫は『外寇親征の役』にて天香護山命以外ほぼ壊滅している。怪しいのは三輪氏族に天香護山命の同名別人が登場している点だ(調査中)。賀茂氏や三輪氏に実体はあったのだろうか…。

さらに面白いことに、このように賀茂氏が登場してくるのは、大和天皇勢力が富士朝と疎遠化していく過程であり、彼らは藤原氏・蘇我氏・地祇勢力の歴史的穴埋めに必要な付会氏族の様にもみえてくるのだ。

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※一般的に蘇我氏は武内宿彌の子孫とも云われているが、宮下文書での武内宿彌の出自が辿れない。

※因みに、可美眞手命=ウマシマジ。ウマシマジとは『神武東征』を語るほとんどの文献に登場しているキーパーソンである。一般的には物部氏の子孫とされているが、宮下文書では蘇我氏系統。ウマシマジ由来と思われる『石上神宮』で、後世に物部氏が祭祀に関与した為すり替えられたとみる。

 

蘇我氏と和邇氏・小野氏との関係

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 和邇氏と小野氏のスタートは5代孝昭天皇、外祖父が蘇我系統『蘇我政吏』。

5代孝昭天皇の后、世襲足媛命はウマシマジの玄孫。その第一皇子が天足彦国押人命=和邇氏祖先。小野氏がタケミカヅチやフツヌシを祀るのもおかしくはない。

タケミナカタとタケミカヅチとフツヌシは蘇我氏系統・武勇命の子。神武東征と同時並行して、タケミカヅチとフツヌシの子孫ら東国軍団が新羅勢力・禍津亘理命を日栄山にて撃破した。

春日大社では蘇我系統の春日神『タケミカヅチ』と『フツヌシ』を藤原勢力が祀る逆転現象となる。右臣軍人出身の藤原氏からしてみれば、天皇家のため共闘した『軍神』たちを無碍にできなかったのかもしれない。大和国春日の地はもともと蘇我氏の土地だったのだろう。

ホツマツタヱ14文においては、カスガマロがアマテルの勅により『アメノコヤネ』の名を賜る。つまり、既に12代景行天皇の時代に藤原系統が春日神子孫を自称していることがわかる。そういえばホツマツタヱにおいて藤原系統や蘇我(祖家)系統の概念が無視されているのが気になる。この時代にも吉備武彦(藤原系統)や大伴武日(蘇我系統)らが有力者として活躍していたはずだが?。

乙巳の変(645年)で蘇我氏が滅んだあと、藤原氏が祖神として受け入れ、春日の地に祀り直したのであろう。Wikipediaによると春日大社創建は蘇我氏が滅んだ後の768年とされる

一方で、タケミナカタはニニギの代に『北中国守護司頭長』を務めていた。即ち中国地方においても蘇我氏系統の支配は続いていたのだ。これがタケミナカタが出雲神話に登場する由来ではないかと。 和邇氏も蘇我孫蘇我政吏の娘『世襲足媛命』の子孫。因幡の白兎伝承で『ワニ』を和邇氏に准えているのなら、渡来系出雲族は蘇我系統に虐げられてきた時代を神話にしたのではないか?。後日これらの事実を組み合わせて創作されたのが、出雲『国譲り』神話ではないかと...。

 

※因みに春日神『比売大神』とは誰か?。ホツマツタエに比定されているのがタケミカヅチの『(ヒトリ)ヒメ』である。宮下文書に『比売大神』に比定されるのはタケミカヅチの娘『2代目加茂沢毘女』か?。初代加茂澤毘女の息子・加茂澤比古の息子の妃である。2代富士王朝オオヤマツミの配偶者となる。もしくはアメノコヤネ妃・天母岬毘女の可能性もある。

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宮下文書において、タケミナカタ・タケミカヅチ・フツヌシは兄弟である。

 

藤原氏系統と蘇我氏系統。近親婚を繰り返した彼ら、当然の事ながら遺伝子的には限りなく似た存在であったはず。いつしかそれが殺し合い、騙し合い。奪い合い…。本義を忘れて覇権争いに興じたと見るべきか。

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