セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。

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2019,4,14

藤原物部氏家系図から判明した近親婚。

宮下文書における、藤原氏系統(右臣)と蘇我氏系統(左臣)の家系図を遡って調べてみた。今回は藤原物部系統編だ。

時代は神武東征後、ナガスネヒコや禍津亘理彦命ら新羅勢力を平定した後の話となる。中央政府は、元宮家『真佐勝彦命』に肖った外国勢力と戦っていたこともあり、渡来人との婚姻関係に慎重になっていたようだ。神武天皇は、かなり保守的な政権だったのではないだろうかと推測する。

藤原物部系統と蘇我大伴系統は、簡単に言うと歴代天皇の『右臣』と『左臣』の家系である。宮下文書では天皇家を『天ツ神』、両臣を『国ツ神』と定義している。即ち、国つ神とは本来、蘇我氏や藤原氏の事である。どちらも中枢或いは、中心的な『臣』であることから『中臣』とも呼ばれる。世間一般的には、中臣といえば藤原氏のみを指す名称であり、誤解を招くこと必至なわけだ。当ブログでは、蘇我大伴系統も藤原物部系統も、極力『中臣』姓は使わない。例えまだ藤原姓がない時代でも、『藤原物部系統』と表記する。

 

右臣とは軍部指導者。左臣とは政治部指導者。天皇家へのサポートは仕事面だけではない。天皇の皇女を妃に迎え、その娘を蘇我氏系統、藤原氏系統と交互に立后させる。両臣というのは、宛ら天皇家遺伝子を保守持続させる防御システムだ。

宮下文書を元に欠史八代の家系図を作ると驚きの結果となる。皇太子、蘇我氏系統家長、藤原氏系統家長は殆ど近親婚。皇女を受ける側の蘇我氏系統と藤原氏系統宗家は、Y染色体を持つ『宮家』にはなれない。彼らは交互に『外祖父』の関係になるが、遺伝子的には限りなく皇家近づくことになる。

欠史八代の天皇は複数側室を娶り、複数の皇子皇女を持っていた。しかし不思議なことに皇家宮家子孫からは立后されない(欠史八代に限る)。ある程度、近親婚の危険性から回避されていたのか?。いずれにせよ皇后は、蘇我氏系統か藤原氏系統の近親者のみに徹底されている。このあたりは長期計画的というのか…、西洋のハプスブルク家近親婚との相違点を感じる。

11代垂仁天皇の皇后が亡くなるくだりはWikipediaと似ている。宮下文書では垂仁皇后・狭穂媛命は『沈病』で崩御。藤原物部系統の同父・武部伊莒命の娘『日葉酢媛命』が立后される。この日葉酢媛命の皇子がのちの12代景行天皇である。有名な『倭媛命』の外祖父も藤原氏系統のようだ。私はてっきり景行天皇は渡来系だと思っていたのだが、宮下文書的には違うようだ。

宮下文書では、こんな行為が12代景行天皇あたりまで続く。残念ながら、景行天皇以降の右・左臣は記録されてない。

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家系図に出てくる『中臣』とは役職名?。

そもそも名前が制度化されていない時代の話である。曖昧なのは当然として。氏姓制度というのは5~6世紀確立した。しかし『始まり』と『確立』は違うということに留意すべきであろう。臣、連、大夫など役職を同家系が継いだ結果、便宜上の自然発生したものが氏姓。確立は646年大化改新であったかもしれないが、始まりは不明だ。

その間は役職が名前となったり、地名が名称にされたり、仕事名と諱と諡を使い分けていたようだ。当然、現場も混乱したであろう。とくに『諱』というのは存命中は、公にしない時代もあったようだ。

前述の通り、藤原氏系統も蘇我氏系統も『中臣』を名乗っていた。中臣はモノノベ(武部)と同様、時代とともに意味合いを変えた役職名だ。蘇我氏と藤原氏の覇権争いの結果、どちらかが『中臣』ブランドの使用権を独占し始めたのかもしれない。

一方で政治部・蘇我氏系統には、大伴武長男命や大伴国武命のように武人らしき人物も登場している。軍神で有名なタケミカヅチとフツヌシも、実は蘇我系統である。藤原物部氏系統以外にもモノノベは存在していたのだろうか?。

そして、物部氏と吉備氏と平群氏が、藤原氏同祖となるのは驚きだった。一般的には、吉備氏は孝霊天皇第皇子、平群氏は武内宿禰子孫といわれている。氏族といえば『枝分かれ的発生』を想像してしまいがちだが…、まさか三家が交互に繋がるとは。まさに氏姓制度以前の混乱期を示していると思う。

※因みに神武東征に登場する、忌部八重垣命も中臣を称している。これは忌部氏族なのだろうか?、思兼堅石彦命(オモイカネ?)という人物名がでてくるが出自がない。宮下文書の『神代』にはオモイカネは登場しない。

 

 

疑問は深まるばかり...必ず付きまとう賀茂氏と三輪氏。

アメノコヤネの玄孫が大物主(武知男命)である。大物主命の弟がイシコリドメである。但し、玄孫?孫?と解釈すべきか迷う。宮下文書ではアメノコヤネと同時代平行して活動している人物であり、とても玄孫とは思えない。ホツマ版アメノコヤネは長寿であったが、宮下文書では年齢不明。

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系図では神武東征に活躍した、『速玉之緒命』も藤原氏系統。一般的には熊野神として知られている。この速玉之緒命の子・速玉山田命が、天日方奇日方命である。

物部氏も藤原氏は基本的に同祖と見るべき。しかし広義モノノベを自称している氏族が乱立していた気もする。物部氏族が書いたとされている『旧事本紀』と宮下文書では家系図的に違いすぎる。因みにウマシマジは物部氏祖ではなく蘇我氏系統。

同じく大物主を祖先と自称する三輪氏族はまだまだ調査中。彼らはの祖先はオオクニヌシであるべきだが、ホツマツタヱでは家系図をかなり改竄している。

※Wikipediaによると天日方奇日方命=鴨王(賀茂氏・三輪氏の祖)なのだが…。うーん...宮下文書を読む限りにおいては賀茂氏と三輪氏関係、疑わしいとしか言いようがない。

 今まで習ってきた日本史が、ガラガラ音を立てて崩壊する…。

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↓次回②は蘇我大伴系統である。

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