セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。

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2019,4,14

藤原物部氏系統家系図から判明した近親婚。

蘇我氏系統と藤原氏系統の家系図を遡って調べてみた。今回は藤原氏系統編だ。

時代は神武東征の『暗黒の世13年10月30日』、ナガスネヒコや禍津亘理彦命ら新羅勢力平定後である。元宮家の『真佐勝彦命』に肖った外国勢力と戦っていたこともあり、天皇家は外国人との婚姻関係に慎重になったようだ。かなりの保守政権にも見える。

蘇我氏系統と藤原氏系統は歴代天皇の『右臣』と『左臣』の家系である。宮下文書では天皇家を『天ツ神』、両臣を『国ツ神』と呼んでいる。

右臣とは軍部。左臣とは政治部。天皇家へのサポートは仕事面だけではない。天皇の皇女を妃に迎え、その娘を蘇我氏系統、藤原氏系統と交互に立后させる。両臣というのはまるで天皇家遺伝子を保守持続させる防御システムだ。

宮下文書を元に欠史八代の家系図を作ると驚きの結果となる。皇太子、蘇我氏系統家長、藤原氏系統家長は殆ど近親婚。皇女を受ける蘇我氏系統と藤原氏系統はY染色体を持つ『宮家』にはなれない。『外祖父』の関係になるが、遺伝子的に限りなく近づく。

欠史八代の天皇は複数側室を娶り、複数の皇子皇女を持った。しかし不思議なことに皇家宮家からは立后されない(欠史八代に限る)。ある程度、近親婚の危険性から回避されていたのか?。いずれにせよ皇后は、蘇我氏系統か藤原氏系統の近親者のみに徹底されている。このあたりは長期計画的というのか…西洋のハプスブルク家近親婚との相違点である。

11代垂仁天皇の皇后が亡くなるくだりはWikipediaと似ている。宮下文書では垂仁皇后・狭穂媛命は『沈病』で崩御。藤原物部系統の同父・武部伊莒命の娘『日葉酢媛命』が立后される。この日葉酢媛命の皇子がのちの12代景行天皇である。有名な『倭媛命』の外祖父も藤原氏系統のようだ。私はてっきり景行天皇は渡来系だと思っていたのだが、宮下文書的には違うようだ。

こんな行為が12代景行天皇あたりまで続く。景行天皇以降の右・左臣は記録されてない。

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家系図に出てくる『中臣』とは役職名?。あるいは役職の変化?。

そもそも名前が制度化されていない時代の話である。曖昧なのは当然である。氏姓制度というのは5~6世紀確立した。しかし『始まり』と『確立』は違うということに留意すべきであろう。臣、連、大夫など役職を同家系が継いだ結果、便宜上の自然発生したものが氏族。確立は646年大化改新であったかもしれないが、始まりは不明だ。

その間は役職が名前となったり、仕事名と諱を使い分けていたようだ。当然、現場も混乱したであろう。とくに『諱』というのは存命中は隠すものらしいのだ…。

中臣とは氏族名ではない。中心的『臣』というような意味合い。或いは天皇と人の中継ぎのような意味合いと思われる。藤原氏系統も蘇我氏系統も『中臣』を名乗っていた。中臣はモノノベ(武部)と同様、時代とともに意味合いを変えた役職名だ。蘇我との覇権争いの結果、『中臣』ブランド使用権を独占し始めたのかもしれない。一方で政治部・蘇我氏系統には大伴武長男命や大伴国武命のように武人らしき名前も登場している。藤原物部氏系統以外にもモノノベはいたのだろうか?。

そして物部氏と吉備氏と平群氏が同祖だとは思わなかった(吉備氏は孝霊天皇第皇子、平群氏は武内宿禰子孫といわれている)。得てして氏族とは『枝分かれ的発生』を想像してしまいがちだ。まさか三家が交互に繋がるとは。まさに氏姓制度以前の混乱期を示していると思う。

※因みに神武東征に登場する忌部八重垣命も中臣を称している。これは忌部氏族なのだろうか?思兼堅石彦命(オモイカネ?)という人物名がでてくる。その他で宮下文書の『神代』にオモイカネは登場しない。

※因みに本ブログでは混乱を避けるため、なるべく『中臣氏』の使用を避ける。ゆえに『藤原氏系統』と呼んでいる。

 

 

疑問は深まるばかり...必ず付きまとう賀茂氏と三輪氏。

アメノコヤネの玄孫が大物主(武知男命)である。大物主命の弟がイシコリドメである。但し玄孫?孫?と解釈すべきか迷う、宮下文書ではアメノコヤネと同時代平行して活動しているのだ。とても玄孫とは思えない。

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神武東征に活躍した『速玉之緒命』も藤原氏系統。一般的には熊野神一柱として知られている。この速玉之緒命の子・速玉山田命=天日方奇日方命である。

物部氏も藤原氏は基本的に同祖と見るべき。しかし広義モノノベを自称している氏族が乱立していた気もする。物部氏族が書いたとされている『旧事本紀』と宮下文書では家系図的に違いすぎる。ウマシマジは物部氏祖ではなく蘇我氏系統。

同じく大物主を祖先と『自称』する三輪氏族との関係はまだまだ調査中。彼らはの祖先は大國主であるべきだが、家系図をかなり改竄している。

※Wikipediaによると天日方奇日方命=鴨王(賀茂氏・三輪氏の祖)なのだが…。うーん...宮下文書を読む限りにおいては賀茂氏と三輪氏関係、疑わしいとしか言いようがない(笑)。 

↓次回②は蘇我大伴系統である。

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