

その石巻復興のシンボルとなった『鹿島御児神社』の大鳥居
2025,7,27
今回、宮城県の塩釜・松島・石巻を寺社めぐりしてきました。
当初石巻には行く予定はなかったのですが…。なにせ仙台周辺のホテルが高騰しておりまして、格安ホテルを探しているうちに仙石線を東へ東へ。気づいたら石巻にたどり着きました(苦笑)。地図上は近く見えるかもしれませんが、実際は電車で50kmくらい離れております。
当初気付きませんでしたが、この塩釜〜石巻は延喜式内社論社が非常に多い。宮下文書における田村麿末裔伊達氏や、宮下氏族葛西氏が所領してきた重要聖地だったのです。
この地になぜ祖家系の神々が祀られているのか?、なぜサルタヒコ信仰が多いのか?もわかってきました。結局葛西氏族に呼ばれていたのかな?と思っております…。
(´(ェ)`)
〜熊オッサンが石巻市内で参拝した社〜
- 鳥屋神社・羽黒山神社(式内社)
- 鹿島御児神社(式内社)
- 大島神社(式内社)
- 拝幣志神社・箱崎八幡神社(式内社)
- 一皇子宮
- 栄存神社
- 零羊崎神社(式内社・牧山)
- 伊去波夜和氣命神社(式内社)
- 朝日山計仙麻神社(式内社)
ここに2011年3月東日本大震災にて大津波が甚大な被害をだした。
当ブログでは、今までにもさまざまな偶然に着目し続けてきたわけで、目的は神社巡りですが、日本人として震災の傷跡も見ておきたかったわけです…。今回ここに来れたのも何かの御縁、石巻被災地の慰霊参拝をさせていただきました。
m(_ _)m
~目次~


境内から旧北上川を望む。
日和山、津波から住民を見守った神々。
日和山とは旧北上川河口西岸、石巻平野部にある56mの丘陵で、江戸時代には商船出航に合わせて天候を観察していたという。松尾芭蕉も訪れ桜の名所としても知られる。
2011年3月11日の東日本大震災では、眼下の市街地に津波が押し寄せて、多くの市民が高台を目指して避難してきたという。結果的に、この日和山丘陵にあった『鳥屋神社・羽黒山神社』『鹿島御児神社』の損害は平地より少なかった。
◯『鳥屋神社・羽黒山神社』(宮城県石巻市羽黒町)
〜鳥屋神社〜
- 猿田彦神
- 船御魂神
〜羽黒山神社〜
- 倉稲魂神
- 大物忌神
延喜式牡鹿郡十座の一社。
367年(仁徳天皇55年)伊勢神宮内宮末社の猿田彦大神を祀れとの勅願があり、東奥伊寺之水門鳥屋岬まで官軍がやってきたという。因みに松島・石巻にはサルタヒコ系の式内社が結構ある。
1186年(文治2年)藤原秀衡が羽州羽黒山を勧請し、その後も仙台藩主伊達氏に崇敬された。
当ブログでは坂上田村麿=サルタヒコ子孫としてきたわけだが、三輪本現代訳によると武内宿彌の孫が婿養子になっていたようだ。つまり坂上田村麿はサルタヒコ女系子孫であり、その末裔が仙台藩伊達氏となる。徳川家康が伊達政宗を早々に評価した『百万石のお墨付き』の内情は、ここにありそうなのだ。
作田毘古命(猿田彦命)の末裔は代々太神宮の供物司長の職を継承してきた。しかし七十一世孫田作彦命で跡継ぎが途絶えてしまい、長女・春子姫に武内宿彌孫・羽田彌根雄命が婿養子入りした。以降は供物司長の職を羽田氏が継承することになる。この系統がのちに、伴・坂上・信夫・田村・伊達となる。
一方の羽田氏祖・武内宿彌は9代開化皇別、母はサルタヒコ子孫・山下影比女命。つまり田村麿や伊達氏はサルタヒコ女系子孫であり、彼らの影響が色濃く残る当地でその信仰はごく自然であったのだろう。
謝罪と訂正いたします。よく読んでおりませんでした。
ゴメンナサイm(_ _)m。
また一つ気になることも判明した。
三輪本現代訳p252によると、3代宮下記太夫仁忠は、なんと…この武内宿彌羽田氏系らしいのだ。つまり応神天皇系宮下家は2代宮下源太夫明政で終わっている可能性あり???。
詳細を知りたいところだが…、3〜21代までの項目は名前だけで、内容は省略されている(調査中)。前記事から述べている通り、平安時代末期49代宮下源太夫義仁は清和源氏三浦氏族の婿入りとなる。
◯『鹿島御児神社』
〜御祭神〜
- 武甕槌命
- 鹿島天足別命(武甕槌命御子)
※2021年(令和3年)に、震災などで劣化した古い鳥居が解体された。しかし石巻エリア全体のシンボルでもあり、市民の要望も募って急遽同年中に再建された(表紙画像)。
日和山丘陵のもう一つの延喜式内社、陸奥国百座のうちの一座。
1189年奥州合戦の恩賞として、葛西清重が胆沢・牡鹿・気仙郡など5郡を領して、日和山に石巻城を築城した。所領は天正18年(1590年)に豊臣秀吉に滅ぼされるまで堅持された。
通説葛西氏は秩父平氏庶流で、武蔵国や下総国葛西郡などにも強い影響力を持っていた。伊勢御厨の神域にあった葛西神社も、葛西氏族による香取神宮勧請とされる。また1182年(寿永元年)武蔵国府大國魂神社では、源頼朝正室政子の安産祈願の使節として葛西三郎清重が遣わされた。熊オッサンの母方推定祖先である小野寺氏は葛西家臣であったようだ。
(´(ェ)`)


※ ↑画像は東京都葛飾区東金『葛西神社』
では宮下文書版葛西氏族とは…。
何度も言って恐縮だが、応神天皇大山守皇子の第十王子益田日高彦の末裔となる。
そもそも15代応神天皇死後に、16代仁徳天皇と皇兄大山守皇子が対立して、福地川(富士川)を停戦ラインとし日本国東西は分離した。事実上東国は富士朝大山守皇子の配下となった。交戦中は相模大山に潜伏していた大山守皇子が富士朝大宮司宮下家を名乗り、その王子である益田日高彦が日高見国造となった。
平安末期に源頼朝率いる東国武士団による富士朝再興活動に、葛西氏族も参加していたと思われる。…むしろ自然な成り行きであろう。
(´(ェ)`)

復興されないまま?の名神大社。
ヤマトタケル東征の折に賊徒を当地を平定し勧請された。56代清和天皇即位してすぐ859年(貞観元年)には従四位下に列し、その後の延喜式神名帳には『零羊崎神社』とともに名神大社に列せられた。
古来は箱崎山または箱山(五松山)山頂に鎮座していた。近くに三尺五尺程度の石あり箱石・手箱石と呼ばれていたという。後世に箱崎明神と呼ばれ、箱崎山の地名と、弥生時代と古墳時代の遺構を持つ『五松山洞窟遺跡』が残る。1907年(明治40年)廃仏毀釈の折に箱崎八幡神社が合祀された。つまりオリジナルとは違う信仰が近年合祀されている。
◯『拝幣志神社・箱崎八幡神社』(宮城県石巻市八幡町)
〜拝幣志神社〜
- 高皇産靈命
〜箱崎八幡宮〜
- 応神天皇
※ただ隣山・零羊崎神社の御祭神が豊玉彦命(宮下文書版ワダツミ系となるヱビス曾孫)であり、宇佐神宮を守護してきたワダツミ系八幡信仰の影響が強かった可能性はあるかなと…。
率直にいうと、これが名神大社???と思うほどのお社だった。
本殿に庇のような接合部があり、基礎があったので、かつては拝殿があったのかな?と想像はつく。帰宅後ネットで調べてみると…やはり震災前は拝殿があったようだ。武蔵一宮小野神社を一回り小さくしたような朱色の拝殿であった。隣には石造りの蔵?または壁?があったハズだが、現在は更地になっている。旧北上川対岸の式内社大島神社に比べると、氏子たちが離散して復興が遅れているのかな?と思えてくる。
本殿の目前まで歩み寄って参拝、ひふみ祝詞を奏上する。すると…雲一つない晴天中にライスシャワーのような祓いの雨がパラパラ降った。熊オッサンには霊感がないが、ただ男系推定祖先武藤少弐氏が筥崎宮と深い御縁があり。神さまから『神はまだおるぞ!』『皆に伝えてくれ!』とのメッセージなのかな?と思っている。
なので率直に書かせていただいた。
(´(ェ)`)
※因みにwikipedia零羊崎神社によると、もともとは葛西氏の祭田があった牧山北麓の石巻市真野にあったという説がある。いまも論社がある。
1590年豊臣秀吉の小田原征伐を境にして葛西氏が衰退、祭祀継承が曖昧になってしまったようだ。牧山も、神功皇后や坂上田村麿由来の聖地としての重要度は高く、吸収されてしまった感もある。また田村麿関係の別記事で紹介するかもしれない…。

最大被災地の渡波エリア
延喜式神名帳陸奥国内の百座のうちの一座、別名を浜大明神や鹽盛明神という。武甕槌命・経津主命は、奥州一之宮の鹽竈神社の祭神であり、天照大御神と倉稲魂神(豊受大神)は伊勢神宮の内宮・外宮祭神の位置づけ。特筆すべきは、ここでは猿田彦命=塩土老翁神と解釈されているらしく、陸奥一宮鹽竈神社祭神と一致するそうだ…。
先述した零羊崎神社と同様、もともとは真野川上流域の水沼にあったとされ現在も同名式内論社がある。水沼側の御祭神が塩土老翁命であるのは興味深い。この地域で猿田彦命が崇敬されるのはサルタヒコ女系田村麿子孫伊達氏の影響もありそうだ…。
◯『伊去波夜和氣命神社』(宮城県石巻市大宮町)
〜御祭神〜
- 猿田彦命(塩土老翁命と同神と解釈される)
- 武甕槌命
- 経津主命
- 天照皇大神
- 倉稲魂命(豊受大神)
※五柱揃って伊去波夜和氣命という。
因みに、宮下文書版塩土老翁命は祖家系統・武勇命の弟。
ニニギ勅定十七軍神の一柱神であり、興玉命と味耜託彦根命の父神。タケミナカタ・タケミカヅチ・フツヌシは甥っ子にあたる。外寇親征の役の折に、ニニギがコノハナサクヤヒメ崩御を知り急ぎ富士朝帰還する際に、九州最前線防衛を塩土老翁命とその子・豊玉武毘古命に任せた。戦後論功行賞にてニニギはそのまま北九州を豊玉武毘古命に、南九州を塩土老翁命に賜る。また南島(四国)を興玉命と味耜託彦根命に賜る。
※祖家系の豊玉武毘古命は、ワダツミ系の豊玉毘古命とは別系統別神。名前が非常に似ているので注意。現在でも祭祀的混同されている地域は多いとみている…。零羊崎神社や朝日山計仙麻神社もその可能性がありそうな気もする...。

ニニギ御孫ウガヤフキアエズによってウガヤ朝が創建されると、神都高千穂峰周辺の日向国・襲国・曽於国を支える地主信仰となった。さらにウガヤ海洋文化と相まって海神信仰に発展した可能性もある。ホツマツタヱにおけるシオツチは、ホオテミ(ヒコホホデミ)をソヲのハテツミの元へ誘った謎の老人として描かれている。これは暗にウガヤフキアエズ朝創建を指しているのだろう。青島神社『鴨就宮』では塩筒大神として祀られており、これが紀の松島と鴨川松島とレイラインで結ばれる。
塩土老翁命別名が事勝国勝長狭神なのにも注目。長狭国とは房総半島安房国『鴨川』『勝浦』付近なのだ。つまりフトダマ忌部氏由来の勝占忌部となにかしら関係があるとみている。また土佐国地主神アジスキタカヒコネが、51代ウガヤ朝皇弟・高座日多命の山背国にて鴨神(別雷命同神)として語られるのもココに理由がありそうだ。
当然その背後には、忌部連らが奉祀していたマゴコロ夫妻の巨大海神信仰がありそうだ。
このあたりは別記事でまとめたい(いつになるかは不明)。
(´(ェ)`)

東日本大震災でも屈指の被災地となったのが渡波エリア。伊去波夜和氣命神社は海から数百メートルのところにあり、社務所・宮司宅・鳥居は津波の直撃を受けた。しかし社殿は小高い位置にあり鎮守の森にも囲まれていた。また松の木が瓦礫の侵入を阻止し拝殿に逃げ込んだ人々を守っていたのだという。
社殿左手に回ると石祠がずらりと並べられており、津波に流されて身寄りの無い祠を保護していた。これをみたときは流石に息を呑んで泣いた。
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おわりに
ちょっと思う所がございましてしばらく夏休みをいただきます。9月頃には復帰できるかな?と思っております…。
お楽しみにm(_ _)m
xの方はマイペースで投稿していきます。ここでは面白い画像や記事の追記・訂正もしております。よろしかったら覗いてみてください。ただ宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。
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ご了承くださいm(_ _)m
(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用