セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<春日神>藤原氏が蘇我氏春日神を祀る逆転現象②。 見えてきた欠史八代の最大の理由。

 

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タケミナカタとタケミカヅチとフツヌシは蘇我系統の兄弟である。

2019,4,7 

和邇氏・小野氏は蘇我氏系統と強い繋がりがあった。

前回は、春日神タケミカヅチとフツヌシら蘇我系統子孫が武蔵国を治めていたと述べた。

そしてその影響は、武蔵一宮小野神社などにも残っているようだ。

宮下文書には蘇我系統『春日神』の子孫が、武蔵国にとって重要な立場であったと思われる記述がある。3代安寧天皇の時代(安寧13年=BC536年)、国賊の残党が『奥』の国々に乱入し国造が殺されたとある。この時に東国軍将として安房武正命、香取太良太命、鹿島武雄命、貫前政男命の四将を東征させたという。

武蔵一宮・小野神社(下写真↓)創建は、この騒動の直後の安寧18年(BC531年)。つまりこの東国制圧は武蔵国にもインパクトを与えた大事件であり、瀬織津姫を夏至レイライン上に祀っている武蔵一宮『小野神社』創建に繋がった可能性あり。

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なぜ小野氏由来の小野神社が、春日神と関係あるの?とツっ込まれそうだが…いやいや大いに関係がある。

蘇我氏=祖家。蘇我系統は藤原系統とともに『中臣』と呼ばれ、常に政権中枢的家系であり、『欠史八代』時代には、藤原氏系統とともに絶大な権力を誇っていた。例えば、神武東征に貢献し、物部氏祖と思われているウマシマジも…なんと実は蘇我氏系統。

小野神社創建時代の3代安寧天皇、皇后『渟名底仲媛命』父は蘇我氏系統『彦湯支命』でウマシマジ息子。5代孝昭天皇の后『世襲足媛命』はウマシマジの玄孫。その第一皇子が天足彦国押人命=和邇氏祖、つまり和邇氏は皇家、蘇我氏外祖父のスタート。和邇氏は小野氏祖。

小野神社創建時代には、和邇氏も小野氏も存在していないが、春日神タケミカヅチやフツヌシを祀るのはおかしくない。宮下文書的には、そもそも武蔵一宮・小野神社とは蘇我・春日臣スタートの神社といっても過言ではないだろう。

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可美眞手命(ウマシマジ)=表春機男玉命(=表春桟男?)=中臣春建命=中臣蘇我春建命、これらすべて同一人物であり、『春』に因む名前を持つ。春日の地はもともと飛鳥の豪族蘇我氏や和邇氏にも強く関係しており、奈良県天理市『石上神宮』の布都御魂剣は、物部氏祖・宇摩志麻遅(ウマシマジ)が祀ったと思われているが蘇我系統である。

表春(ウワハル)はもしかして、信州の戸隠神社や阿智神社に祀られているウワハル命のことか?。表春の『春』も『春日』神と同じ由来かもしれない、すると武蔵国・小野神社に祀られている、弟神シタハルも同族の蘇我系統の可能性が出てきたなあ…。今でも武蔵一宮・小野神社境内社に天足彦国押人命とタケミカヅチが祀られており、蘇我大伴系統の影響を大いに感じることはできる…。

東京都日野市高幡にある若宮愛宕神社境内『小野稲荷大明神』の由緒書には、小野氏族を春日民族とつたえている。春日の豪族和邇氏子孫=小野氏と考えれば何ら問題ない表記だが、長らくこの小野氏=『春日民族』の意味が何故か妙に気にかかっていたのだ。最近、この由緒書の正確さにめちゃくちゃ驚いている(笑)。

なるほど…武蔵の地で春日民族が大いに栄えており、それは鎌倉時代武蔵七党にも引き継がれていた。小野氏族がなぜ、この武蔵国で、昔から夏至レイラインに拘ってきたのかも見えてきた気がする。

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またホツマツタヱにおいて、『サガム(相模)のオノ』と呼ばれる同系統の神社にも、神奈川県厚木市小野『小野神社』(下写真↓)にもシタハルと境内社に『春日神』が祀られている。 もともと同地域を支配していた愛甲氏本家が武蔵七党『横山氏』であり、彼らは小野氏子孫を自称している。また小野神社近く『小町緑地』には、小野篁・娘とされる小野小町の埋葬地(自称)がある。

ここも古代より蘇我色の強い地域であったのだろう。

〇小野神社(神奈川県厚木市小野)

~御祭神~

・日本武尊

・下春命

~境内社~

春日神社

阿羅波婆枳(アラハバキ)神社ほか

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神武東征時代、タケミカヅチやフツヌシ子孫らは、中国地方を拠点にしていた新羅勢力・禍津亘理彦命を日栄山(比叡山?)にて撃破した。それは、苦戦の続く神武軍を鼓舞する大活躍ぶりであった。後世、蘇我を討ち滅ぼした藤原氏も、祖先が共闘した軍神二柱を排除出来なかったのだろう。栄光ある春日神二柱を、鎮魂の意味合いも込めて藤原氏祖として迎い入れ、春日の地で祀り直した。その上で、蘇我を徹底排除した新しい日本史を作り直したのではないか?。

※因みに宮下文書では蘇我氏系統も藤原氏系統もどちらも『中臣』、本ブログでは誤解を招くため、なるべく『中臣』姓は使用しない。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 複雑すぎて消された神・フツヌシ

前記事にて紹介した、東京都杉並区にある『井草八幡宮』を改めて紹介する。

〇井草八幡宮(東京都杉並区善福寺)

~御祭神~

・八幡大神/応神天皇

~境内社~

・三宮社(春日神

・祓戸神社(祓戸神)

・富士塚(コノハナサクヤ)

 

前述した夏至レイライン(富士山~高千穂峰)上にある。縄文時代より当地では祭祀場跡の痕跡があり、創建時期は不詳だが平安末期には存在して、もともとの主祭神は春日神だったという。

源頼朝が奥州藤原氏征伐の際、春日神を摂社に移して、源氏の氏神・八幡神を祀りなおした。後世には、室町時代に太田道灌が戦勝祈願に、江戸時代には徳川家光が社殿を造営している。現在、その春日神は境内の摂社『三宮神社』として祀られている。なお隣の摂社『祓戸神社』は瀬織津姫と思われ、奇しくもこの夏至レイライン上には、富士塚コノハナサクヤや瀬織津姫も多く祀られている。

 

因みにWikipedia『八幡神』によると、八幡神とは八幡三神の総称、応神天皇・比売大神・神宮皇后の三神ともいわれる。つまりこの神社には比売大神が祀られているのか?いないのか?、私にとって大問題なのだが、…なんとも微妙な表記がされている。

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所。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

藤原・蘇我・和邇が春日神で繋がる…。

 藤原氏が蘇我氏を滅亡させ、1221年承久の乱でその藤原氏が衰退し、春日神を追いやった源頼朝も衰退した。もう武蔵国で、武蔵古代神フツヌシを祀る理由を知る者は…いなくなってしまった。

皮肉としか言いようがない。

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井草八幡宮境内・三宮神社。春日神はいまは祓戸神社の隣に祀られている。

 


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