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2019,9,16
二本に分かれた?八幡宮来宮レイライン
イワナガヒメ=伊豆大神=比売大神イトウの検証が続く。
おそらく前記事を読まないと、頭が可笑しいと思われるであろう…(笑)。まあ簡単に説明すると、宮下文書において静岡県熱海伊豆山はタマノオヤとイワナガヒメ夫妻の本拠地であり、このタマノオヤこそが八幡神ではなかろうか?ということだ。
今回は、八幡宮来宮~伊豆山本宮のレイラインについて詳しく見ていこうと思う。
このレイラインは一本線にも見えるが、来宮神社と伊豆本宮を隔てる二本のレイラインにも見える。伊豆山神社と来宮神社の直線距離は2キロメートル、強引に一本のレイラインにできそうな距離感ではあるが…、今回は便宜上二本の線をAとBと表記し、二分割してみる。
~Aレイライン~
・八幡宮来宮神社(静岡県伊東市八幡野)誉田別命・伊波久良和気命
・引手力男神社(静岡県伊東市十足)手力男神
・火牟須比神社(静岡県伊東市鎌田)火産霊命
・多賀神社(静岡県熱海市上多賀宮脇)伊弉諾尊・伊弉册尊 式内社白波之彌奈阿和命神社
・来宮神社(静岡県熱海市西山)日本武尊・五十猛命・大己貴命
・明水神社(静岡県熱海市緑が丘)祭神不明
・みそぎの滝社(静岡県熱海市緑が丘~日金町)末廣大神?・白龍大神ほか
・岩戸山山頂と岩戸山観音(静岡県熱海市伊豆山)
~Bレイライン~
・日向神社(東京都神津島村字榎木)阿波咩命二子で物忌奈命の兄弟である日向神、日向大明神
・天上山山頂(東京都神津島村)祠がいくつかある。
・八幡宮来宮神社(静岡県伊東市八幡野)誉田別命・伊波久良和気命
・大室山浅間神社(静岡県伊東市富戸)磐長姫命
・山神社(静岡県伊東市荻)大山祇命
・産靈神社(静岡県伊東市岡)産靈神・大山祇命
・八幡神社(静岡県伊東市宇佐美字八幡)誉田別命 ※鶴岡八幡に併せて創建?
・比波預天神社(静岡県伊東市宇佐美)加理波夜須多祁比波預命・菅原道真命
・熱海城秘宝館(静岡県熱海市) ※八幡山山頂。近くに和田八幡神社あり。
・MOA美術館(静岡県熱海市桃山町)
・本宮社(静岡県熱海市伊豆山)天忍穂耳尊・𣑥幡千千姫尊・瓊瓊杵尊
・熊野神社(神奈川県足柄下箱根町)櫛御気奴命・菊理姫命・速玉命・事解命
・大室八幡神社(山梨県南都留郡道志村)伊弉諾命・伊弉冊命・誉田別命・岩石信仰
・上野国一社八幡宮(群馬県高崎市八幡町)品蛇和気命・息長足姫命・玉依姫命
源義家・頼朝崇敬社。
・十二神社巻機神社(新潟県南魚沼郡)大山祇命・天織姫命
・越後一宮・彌彦神社(新潟県西蒲原)天香護山命
・羽黒神社(新潟県新潟市西蒲区)宇賀魂命・日本武尊・大山祇命・石凝姥命
伊豆山神社と来宮神社は差別化された?
今回はAレイラインを解説する(Bレイラインは次回)。Aレイラインを一言で言えば『来宮レイライン』である。
八幡宮来宮神社(静岡県伊東市八幡野)にはその名の通り、八幡宮と来宮神社の機能がある。これは伊東市周辺神社によく見られるパターンなのだが、伊豆半島の神社を来宮ブランドで淘汰しようとしていた形跡が見え隠れするのだ。
火牟須比神社(静岡県伊東市鎌田)や杉桙別神社(静岡県賀茂郡河津町)もかつては来宮神社としての側面があり、阿治古神社(熱海市網代)のように来宮神社を合祀していながら、来宮神の祭神記載がない神社もある。
来宮信仰とは、各社・御祭神がバラバラでもあるが、基本的には『五十猛命』を中心とする信仰である。
おそらくは母体は『紀伊国』『紀の宮』で、イワナガヒメの子・ウサミと孫・クマノクスヒコに関連した熊野信仰+離島信仰であると見る。紀伊国一宮とされる『日前神宮』はタマノオヤとイシコリドメの子孫が継承しており、同じく一宮とされる『伊太祁曽神社』(和歌山県和歌山市伊太祈曽)の御祭神でもある。
宮下文書によるとニニギの時代、藤原物部系統『大物主命』の五子である五十猛命子孫代々が附島(対馬)・行島(伊岐島)・佐渡島の離島における守護司頭長に任命されている。その後、初代ウガヤ神皇の時代、子孫が伊八彦命がこれを継承しているのが確認できる。
本来は海軍であったワダツミ八子が、新潟県佐渡島『度津神社』など離島守護神として祀りだし、いつの頃か軍船の木材の神と意味合いを変えた神である。『木の国』とも呼ばれ、木材の産出国でもある紀伊国一宮は、日前神宮と竈山神社とあわせて一宮三社参りの風習がある。
ではなぜ、伊豆にて来宮信仰『五十猛命』を後付けで祀り始めたのか?。
これは私見だが、日前神宮・国懸神宮のタマノオヤとイシコリドメ、それとも紀伊国の熊野信仰『扶須美』の存在を隠蔽したかったのか。伊豆史隠蔽のために、同じ紀伊国神の五十猛命を持ち出した感もある。
宮下文書に登場するタマノオヤ・イシコリドメ・ウサミ・クマノクスヒコの結びつける各信仰は、イワナガヒメの正体を浮き彫りにしてしまう訳だ。かつてはこのタマノオヤとイワナガヒメの血筋が、ワダツミ八子海軍たちに影響を及ぼす全国大信仰へと発展していた。後世に、伊豆山~宇佐~日前~熊野という連鎖的信仰『ムスビ』を断ち切って、伊豆国内の伊豆大神本懐を、見えなくするために様々な信仰を後付け、ゴリ押したのではないかと。
これが熱海日金山・伊豆山牟須比峯(ムスビ峰)のホムスビ信仰の『ムスビ』信仰、または『結明神』ではないかとみる。
そしてワダツミ八子子孫たちが京都貴船神社『結社』にイワナガヒメが祀られている理由でもあり、イワナガヒメの別名は古計結神・『コケムスビ』=苔牟須姫・コケムスヒメという。宮下文書において貴船神社は縁結びの神ではない、神武東征の際に戦死した海軍将校の御霊を祀る社である。
※専門家の間には、英霊信仰は古神道には存在しなかったといわれているが、イクシマタルシマ、健磐龍命のように古来から戦争の英霊信仰はあったことになる。
このレイラインは結局、伊豆山を避けているのか?。あるいは伊豆半島東岸を来宮ブランドで淘汰させようとしているのか?、それとも日金山や岩戸山に照準を当て直したのか?、目的は当然不明である(笑)。
まあ結局は…、伊豆山神社本宮社の本懐イワナガヒメから、人々の目を逸らさねばならなかった状況だったのだろうと推測する…。
Aレイライン・八幡宮来宮神社~ 岩戸山まで
〇八幡宮来宮神社(静岡県伊東市八幡野)
~御祭神~
・誉田別命
・伊波久良和気命。
<摂社>火焚神社・水神社・大国主大神・若宮八幡宮・天満宮・蛭子大神・子安神社ほか
鳥居前の由緒書きによると、神護景雲3年勧請の国府八幡宮と来宮神社の側面があり、謎の神『伊波久良和気命(イワクラワケ)』と誉田別命を合祀する。元来は別殿であったが、延暦年間の再建時に一殿両扉に祀られている。外見的にはわからないが、一殿にして二社という。
イワクラワケは『海岸の堂の窟』に祀られていたのを奉還されたというが、『奉還』と書いてあるということはもともと当社の御祭神と考えてよいのか?。
もう一方の来宮信仰は、太古に瓶にのって現在地の東方、八幡野港付近の金剛根津という所に漂着し、「堂ノ穴」という岩窟に祀っていたのを八幡宮に遷祀したという。また来宮の神は大変な酒好きで、海岸に鎮座していた時に沖を通る船人に神酒の奉納を強要。困った人々が内陸部の「元屋敷」と呼ばれる現社地の一隅に遷したが、そこからも沖が見えて相変わらず神酒を乞うので、八幡宮の脇に再度遷祀した。これが来宮信仰の側面として神社に統合されたとみる。
即ち、八幡神が『誉田別命』であり、来宮神が『伊波久良和気命(イワクラワケ)』と解釈されているようだ。
伊豆国式内社『伊波久良和気命神社』に比定される。
※また伊東前市長の残したメガソーラーの開発のため、環境破壊が懸念される。この美しい神社は是非後世に残してもらいたい。この神社は日本史的にもかなり重要とみる。
〇引手力男神社(静岡県伊東市十足)
~御祭神~
・手力男神
引手力男命と境内社水神社と稲荷社が祀られている。
伊豆国式内社『引手力命神社』比定で、『引手力男命』はよくタヂカラオやテナガ(テナツチ)と混同される。当社も御祭神をタジカラオと解釈しているようだ。
宮下文書比定では、コトシロヌシの御子『天之手長男命』と推測でき、諱は『手長雄命』である。ニニギの時代の『外寇親征の役』にて壊滅したコトシロヌシファミリーの英霊であり、おそらく後世のイクシマタルシマ信仰に比定される神々の一柱とみる。引手力男は西伊豆の『大瀬神社』にも祀られている。ただ、なにぶん資料が少なすぎる為、憶測の域はでない。
宮下文書から察するに、『天之手長男命』や『五十猛命』も離島信仰の性質を持ち、 かつて八幡神の意志を継いだワダツミ系統『宇佐八子』が伝播させた。現に伊東市川奈周辺には蛭子(オオワダツミ)信仰が盛んであり、宮下文書によるとワダツミ八子らは大海(太平洋?)守護拠点を『三島』(三嶋大社?)に置いていた。おそらく三嶋大社第一摂社『若宮神社』は、ワダツミたちの伊豆における八幡信仰的な役割であり、妃大神とは伊豆大神イワナガヒメとみる。
この引手力男神社は伊豆諸島に向けられた信仰ではないだろうか?。
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〇火牟須比神社(静岡県伊東市鎌田)
~御祭神~
・火産霊命
伊豆山神社とともに、伊豆国式内社『火牟須比命神社』に比定される。個人的に論社というのは『どちらか重要』ではなく、『どちらも重要』なのではないかとみる。例えば武蔵国『出雲祝神社』と『出雲伊波比神社』は互いに論社と言われているが、揃って武蔵国一宮『小野神社(多摩市)』のレイラインを形成している。来宮・伊豆山~八幡宮来宮も同じ条件で、『中継ポイント』として重要な役割を担っているのではないだろうかとみる。
前述したが、火牟須比神社もかつては来宮神社の側面があり、現在もその名残として鳥居神額には『両社』と書かれている。つまり八幡宮来宮神社に似て、火牟須比信仰と来宮信仰を合わせて一社と見做すということであろう。現在、本殿には火産霊命のみが祀られているが、稲荷社が二つあり、奥にある稲荷社は伊東氏族の氏神としての『ウカノミタマ』であろう。
東側の林に正体不明の祠が二つ祀られているが、一体どちら様であろう?。イワナガヒメとタマノオヤか?。それともウサミとクマノクスヒコ?。いや伊東八重姫と伊東千鶴丸か…?。
この神社は、源頼朝の前妻『八重姫』と、二人の子『千鶴丸』の由緒でも有名である。もともと八重姫の父・伊東祐親は平家方であり、流罪の源頼朝を監視する役割であったのに、娘が頼朝と通じ妊娠出産してしまう。産まれた子・千鶴丸は伊東祐親の指示により、神社上流の『稚児ヶ淵』に沈め殺害、八重姫は発狂して死んだ?とも北条義時に再嫁した?ともいわれている。
伊東祐親は源頼朝を殺そうと決意、伊豆国流罪の身であった源頼朝はさらに追われて、伊豆山神社(静岡県熱海市)に逃げ込む。そこで桓武系平氏の北条政子と結ばれ、源氏再興を誓ったという。その後、頼朝が鎌倉幕府をひらくと、伊東祐親は娘婿・三浦義澄の預りで頼朝の許しを得るものの、千鶴丸を殺した自らを恥じ自殺。後々、伊東氏族内部では、この八重姫事件が禍根を残し『曽我兄弟の仇討ち』事件にも影響を与えたとみる。祐親や八重姫に負い目のある頼朝は、伊東氏族内紛のどちらの肩も持てなかった。これが伊東氏が日向に配属された理由の一端になったようだ。藤原南家の流れを汲む伊東氏は九州に下向かし、日向国~宇佐神宮周辺で大きな力を持つことになる。
奇しくも現在、伊東祐親の墓はイワナガヒメの息子ウサミの『伊東の宮』、葛見神社(静岡県伊東市馬場)の裏山にある。そもそも藤原南家・伊東氏(伊藤氏)というのはイワナガヒメ=イトウを指していた可能性もある。
…今思えば曾我物語『曾我兄弟の仇討ち』とは歴史転換の大事件であり、多かれ少なかれ西国の宇佐神宮『比売大神イトウ』にも影響があったとみる。
〇多賀神社(静岡県熱海市上多賀山)
~御祭神~
・伊弉諾尊
・伊弉册尊
イザナギ・イザナミを祀る。滋賀県犬上町・多賀大社の勧請かとおもいきや…。式内社・白浪之彌奈阿和命神社の論社でもある古社であった。
創建不詳。来宮信仰と同じく漂着した『日の御影』という木像を祀ったようだ。しかし祭神に来宮神がおらず、来宮信仰ではないのだろうか…?。その後、周辺山中にあった山王祠と合祀して、以後『日少宮(ひのわかみや)』と称したという。境内には『磐座(いわくら)』と古代祭祀遺跡がある。摂社に八幡社と日月社など多数あり。
大瀬神社(静岡県沼津市西浦江梨)も式内社『白浪之彌奈阿和命神社』の論社を主張していたらしいが、現在は引手力命神社の論社となっている。
〇来宮神社(静岡県熱海市西山)
~御祭神~
・日本武尊
・五十猛命
・大己貴命
社伝によると創建不詳(710年創建頃)。
もともと熱海は、ヒコホホデミがタマノオヤ死亡地『穴門の宮』(周防一宮・玉祖神社)を任せた宇都志日金命子孫のアズミ族・アタ族の影響が強いといわれる。古来から熱海湾にはワダツミらの軍港があったようで、鎌倉期の地震で水没したとみる。宮下文書における宇都志日金命自身は出自不明であるものの、一般的にはワダツミ系統『穂高見命』と同神とみられる。イワナガヒメの死亡地『日金山』を彷彿として、タマノオヤやウサミとは親しい仲と想像できる。
前記事にも書いたのだが、来宮信仰は『紀の宮』『木の宮』、つまりイワナガヒメの孫クマノクスヒコの熊野信仰を伊豆に凱旋させたのではないかとみる。そのうえで、ワダツミ八子らが離島・木神として信仰していた五十猛命を主祭神としており、複雑な背景事情がありそうだ。
個人的に引っかかるのは、伊豆山の伝承でもある『走湯山起縁』において、伊豆山神社の地主神ともいわれている点。即ち、伊豆山から目を背けるための信仰とみるべきか…?。
三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神社の宇佐八子と五十猛命にあった。 - セキホツ熊の謎を追え!
〇明水神社(静岡県熱海市緑が丘)
・祭神不明
来宮神社脇の糸川上流にあたり、水神を祀るが詳細不明。地元神とのこと。近所には『姫の沢公園』『みそぎの滝社』などがあり、水に関わりが深い地域ではある…。
宮下文書登場のイワナガヒメとコノハナサクヤの実母で、オオヤマツミの妃・カモサワヒメ、死後『別雷命』として三嶋大社に祀られた。神名帳考証の神名帳注釈によるとカモサワヒメ=ナキサワメ=寒川比女命、個人的にカモサワヒメは水神的要素もあるとも思っており、地理的に祀られていてもおかしくはないか…?。
〇みそぎの滝社(静岡県熱海市緑が丘~日金町)末廣大神・白龍大神ほか
源頼朝が伊豆山神社に参拝の時に、御祓をした場所。源氏再興を誓った場所。
『末廣大神』と『白滝大神』が祀られている。一般的に『末廣』といえばお稲荷さんなのだが…、稲荷社と考えてよいのだろうか?。末広がりの『八』に因むが…。
源頼朝が日金山東光寺や伊豆山詣の為、御祓をしていた折、ここでしばらく昼寝をしていたという。すると白蛇が現れる夢をみた。頼朝は『これは源氏再興の吉兆』と捉え、伊豆山にて再興祈願をすることになる。いずれにしても源頼朝をはじめ東征者は、伊豆山をかなり意識していたとみる。氏神が八幡神である清和源氏であれば、尚更かもしれない。
前述のように、イワナガヒメの死亡地が熱海『日金山』というが、このあたりには熱海市『日金町』という地名も残っている。
〇岩戸山山頂と岩戸山観音(静岡県熱海市伊豆山)
詳細は不明だが、岩戸山北麓の大光山岩殿観音堂に関係ありか?。
<神社めぐり>伊豆山神社②、子恋の森を抜けて『黄泉の国』日金山を目指す。白山権現=岩殿観音=十一面観音のナゾ。 - セキホツ熊の謎を追え!
この『岩戸』とか『天戸』という地名は日本全国に存在しており、なにも太陽神アマテラスだけを示す隠語とは思えない。因みに、宮下文書比定のオオクニヌシの本拠地と思われる遠江一宮・小國神社(静岡県周智郡森町一宮)の奥宮も、『奥磐戸神社』という。
あくまで『日月神示』を読んでいて漠然と思うのだが…、『岩戸閉め』というのは何か大きな存在を封じ込める事に対しての隠語ではないか?。宮下文書とホツマツタヱを紐解くに、少なくともスサノオとイワナガヒメは封印されていているように思えてならない。阿祖北『出雲』がかつてあったと思われる信州にも、度々見かける言葉である。
…日月神示によると、いままで5回の『岩戸閉め』が行われてきたようだ。
※次回はBレイラインを紹介。
※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net