セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

伊豆国三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神『五十猛命』とワダツミの木にあった。

 

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 2019,9,7

伊豆の複雑な神話体系を紐解く。

前記事続き。

宮下文書を紐解き、伊豆国をザックリ説明すると…。伊豆国は三嶋信仰と八幡信仰の聖地。現・静岡県三島市周辺にはコトシロヌシ娘・カモサワヒメの陵墓があり、伊豆山『日金山』にイワナガヒメの陵墓があった。

そこに宇佐八幡信仰、熊野信仰、イクシマタルシマ信仰、イソタケル信仰、ホムスビ信仰などが凱旋的に到来したものの、結果としてオリジナルの信仰を隠蔽・埋没させてきた。

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三嶋信仰・宇佐八幡信仰・熊野信仰・来宮信仰・イクシマタルシマ信仰。信仰のジャンクション伊豆国

ただ私を悩ませるのが伊豆特有の信仰、『伊古奈比咩命』や『物忌奈命』に代表される、三嶋神家族の存在である。これらは鎌倉時代後期に成立した、『三宅記』ベースの伝承である。

伊古奈比咩神社(白浜神社)社伝由緒書には、三嶋神は南方の海外から来たとある。その後伊豆諸島に三嶋神を広め、その御子が『見目』『若宮』『剣』という。そして彼らは富士山の神から伊豆の地を与えられ、伊豆半島南部の静岡県下田市白浜に宮『伊古奈比咩神社』を築く。その宮が静岡県伊豆の国市『廣瀬神社』を経て、静岡県三島市『三嶋大社』に北遷してきたというのだ。

 

『伊古奈比咩神社』→『廣瀬神社』→『三嶋大社』

 

この記述は宮下文書にはない、まったくパラレルワールド的神話体系である。宮下文書には初めから三嶋大社は三島にあったのに、宮下文書を知らない研究家の間では、伊豆に漂流してきた渡来系統勢力があるのではないか?とさも真剣に議論されている。渡来系統=三嶋神、宮下文書の記述とまったく逆であり、私的には戸惑うばかりなのだ。

というか不思議なのは、なんで歴史家は宮下文書をスルーするのだろう…?(泣)。

宮下文書的には、これはどう比定されるのだろうか?。海外から来た勢力とは…、富士高天原先住民クニトコタチやクニサツチの事か?、はたまた宮下文書を漢字化した『徐福の船団』を指しているのか?。

つまるところ、伊豆を統治していたのは渡来系なのか?、先住民なのか?。

 

しかし、先に述べた鎌倉時代後期に成立、『三宅記』もどうも怪しいのだ…。鎌倉時代は鎌倉仏教による神仏習合の背景のもと、中期からは北条得宗家によるライバル排除隠蔽の時代。宮下文書後半でも、この時代、富士朝宮下家に婿入りした『三浦氏』や関東史の多くの改竄点が見受けられるのだ。

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そもそも三宅島は、『宮下(みやけ)島』と呼称されていたという。富士朝宮下家47代・宮下源太夫明廣の弟に深巣二郎清国がおり、鎮西八郎為朝『源為朝』に従う。源為朝が伊豆八丈島に配流されると、同行し河野氏と児島氏の祖となり、その長男が宮下島の長となった。

つまり伊豆諸島の歴史自体が、既に改竄されている可能性があるのだ。

 まあ私自身は、伊豆への渡来系進出を否定しない。徐福のように大船団で蓬莱山を目指してきた可能性もあるし、小規模な渡来系は漂流してきたであろう。伊豆半島の地形や海流を考えれば、渡来系がないことの方が確率的に少ないとみる。

しかし今回に限っては、三嶋神海外勢力=『富士朝先住民』勢力という観点から、概ね説明できそうだ。


宇佐八子拠点の一つは、なんと『三島』であった。

初代ウガヤフキアエズの御宇。九州北西部の豊野の里、宇佐の宮大本営(のちに祖古都八ッ幡の宮)は豊玉男命の管轄であった。簡単に言えば、タマノオヤ西征の意志を継いだ、富士朝先住民の継承勢力であり、アマテラスの兄・オオワダツミ(エビス)子孫である。

豊玉男命には八子いて、タマノオヤの妃イワナガヒメを『比売大神イトウ』として祀っていた。イワナガヒメ自体はタマノオヤ西征前に熱海伊豆山『日金山』にて早死、伊豆大神として祀られている。よって、彼女は存命中に九州には縁がない。このワダツミ八子子孫は、初代ウガヤフキアエズ~10代崇神天皇時代までの間に『諸々の州国の要衝の地』に全国配備され、各地に痕跡を残した。現在でいうところの海軍?、或いは海上保安庁か?。

 

彼らは真っ当に治安活動をしていたのであろうが、当時小勢力であった渡来系からみれば、ハッキリ言って疎ましい存在。まるでヤマタノオロチのように付き纏って、渡来人をイジメてくるわけだ。ヤマタ=ヤワタである。

そして後世の12代景行天皇の御宇に、この中国地方渡来系勢力が拡大し、富士朝先住民たちと立場逆転。西国天皇勢力に対して『国譲り』を要求し、ワダツミを批判し歴史を改竄する立場にまで代わるのだ。

こうしてワダツミたちは日本全国に痕跡を残しつつも、謎の喪失を遂げる…。

 

~豊玉男命の八子(息子のみ娘は含まず)~

・宇佐豊武命 総元帥大本営 (宇佐の宮)

・佐津真命 (佐津真)

・日野前佐武命 (長崎)

・大阿佐彦命 (阿波)

・那珂三井男命 (初古崎)

・玉縣彦命 (対馬)

・石田明男命 (伊岐=壱岐 )

・羽茂猛命 (佐渡島

 

上記の豊玉男命6・7・8子が、対馬や壱岐島や佐渡の離島管理をしていく。彼らは大海の軍事面を任されており、その統括拠点はなんと伊豆国三島であった。 

~宮下文書曰く~

『第六、第七、第八の御子は三つ子であり三島に渡り大海を守っている事により渡住三家とよばれた』。

記載がこの一文だけなので憶測になるが、『大海』とはおそらく太平洋や日本海のこと。駐在していたのは壱岐島・対馬・佐渡島らしいが、太平洋上の伊豆諸島管理のために三島にも度々来ていたと思われる。そもそも三島は、神武天皇御宇に本格的に軍事拠点化され、

宮下文書曰く『伊須野(居津)の加茂に副本営本陣を設いた。これを木見佐和の宮という』とある。

『伊須』とは伊豆周辺の古名、『加茂』とは富士王朝由来の意味不明の言葉。加茂山は月夜見尊と月桜田毘女命の陵墓、『宇宙湖』現在の山中湖に縮小分割されたようだ。その後『加茂』は、三島周辺や伊豆広域に地名として広範囲に残る。よって京都の有名な賀茂別雷神社は本来、富士王朝伊豆国由来と見る。

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肝心な『木見佐和の宮』の比定が解らない…、三島周辺か?木の神・来宮か?。

ともかく、こうして彼らの宇佐イワナガヒメ信仰を、母親の国伊豆国に凱旋させたことになる。それが三嶋大社第一摂社『若宮神社』、つまり伊豆国総社・三嶋大社摂社の『妃大神』とはイワナガヒメであると推測できる。

同時に、彼らワダツミ子孫は太平洋『伊豆諸島』に、三嶋信仰を伝播していく媒体になる。カモサワヒメ父、コトシロヌシと親族イクシマタルシマが祀られ時期も、この時代と想像。

それは三宅記伊豆国伝承に符合する、まさに先住民の『海から来た者たち』であった。

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では、何故ワダツミが『五十猛命』を祀るのか。

宮下文書では、ワダツミと五十猛命に直接的な関係はない。外寇親征の役後、壱岐島・対馬・佐渡島などの離島守護者が、大物主の5子『五十猛命』であった。

宮下文書曰く、初代ウガヤフキアエズの時代

『伊八彦命に父五十猛命の後を継いで附島(後、津久島)、行島(伊岐島)、佐渡島の守護司頭長の職』。

五十猛命は新潟県佐渡市『度津神社』の御祭神でもあり、つまり『離島管理者の祖』としての側面がみられる。したがって、後述する来宮信仰に五十猛命を関連付けたきっかけも、ワダツミ宇佐八子ではないかと。

f:id:sekihotu:20190404222141p:plain※宮下文書によると大物主と弟・石凝姥命は藤原・物部系統である。 

混同注意!後世の神武時代に宇佐八子(豊玉彦命)の7子・石田明男51世孫に同名別神『天手長男命』が登場している。伊岐(壱岐)島本営から副本営副本陣を設けて元帥に就任している。コトシロヌシの御子『天手長男命』となにかしら混同された恐れもある。  

 混同注意!!後述するが宇佐八子・8子羽茂猛命50世孫も同名『五十猛命』という。来宮神社の御祭神は同名別神どちらか不明で、これも混同された可能性あり。

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『木』と『海』を離島マインドが繋いだ。ワダツミの木。 

ここで来宮神社を説明しておく。

 

〇『来宮神社』(静岡県熱海市)

~御祭神~

・日本武尊

・五十猛命

・大己貴命

境内社:来宮稲荷社・来宮弁財天・三峯神社・阿豆佐和気神社(大クスの木)

社格:別表神社。創建:和銅3年(710年)

 

走湯山縁起では、北東2キロ先にある『伊豆山神社』の地主神としている。かつては『木の宮』『木宮明神』『来宮大明神』ともいわれ、漁師が夢のお告げにより『五十猛命』を木の神として祀る。嘉永年間に大網事件という漁業権争いがあり、その訴訟費用のために大楠を切られるところであったが白髪の老人?が鋸を二つに破壊し消えたという。

また坂上田村麻呂東征時の必勝祈願は、静岡県熱海市の『伊豆山神社』ではなく『来宮神社』にて取り行うも、秋田県大仙市伊豆山神社を崇敬している。

明治維新後、式内社『阿豆佐和気神社』に比定されていたが、『来宮神社』に復称している。

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熱海の人気スポット『来宮神社』、阿豆佐和気神社の大楠。

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切られる寸前で白髪の御爺さんに阻止された。左側の幹は切られた模様。

 

 来宮神社の一番の謎は、五十猛命であろう。何故、『海の神』『木の神』が五十猛命なのだろうか?。

日本書紀曰く。五十猛命はスサノオの息子で、木の国(紀伊国)に降りたった。スサノオは高天原から持ち出した木の種を五十猛命に託し、日本中に蒔くように命じる。五十猛命は九州から関西へ、最後は紀伊国に降り立ち種を蒔き青山にした。現在は和歌山県和歌山市の紀伊国一宮『伊太祁曽神社』の御祭神であり、今も林業の神として祀られている。また木が造船業・漁業に使われる性質上、漁師からも『海神』『大漁の神』としても崇拝される。木材を大量に消費する『海軍』にも言えることであり、ワダツミ海軍が五十猛命を崇拝してもおかしくはない。

※因みに、古事記では大屋比古命に比定されている。

 宮下文書で紀伊国は、『木野国』とか『木日国』と表記されている。文字どおり紀伊半島は木の産出国とみられていた。

『(宇佐見は)木立の大山を久眞野(熊野)山と名づけ、その麓に宮を造営して住んだ。これを久眞野の宮という』。

ただし宮下文書では五十猛命が何故、紀伊国一宮に祀られているか見えてこない。あくまで私見だが、ワダツミ系統は海軍船の木材を『木の国』に求めたのではないか?。そして離島信仰『五十猛命』を持ち込んみ、紀伊国神として祀り始め、いつのころからか五十猛命は『離島』から『木』の象徴と見做されていった。

長野県安曇野のワダツミ伝承も同様である。信州安曇野から穂高岳や乗鞍岳を越えた岐阜県高山市丹生川周辺には、『伊太祁曽神社』が5社ほど集中している。何故、信州や飛騨の山奥に、海神ワダツミ系統の痕跡があるのだろうか?。ワダツミ隊は来るべき戦争に備え、木材を全国山々からかき集めていたのだ。

宇都志日金折命子孫といわれるアタ族も、紀伊国と伊豆国熱海に関係していて、ワダツミ系のルーツの一つと考えられている。宇都志日金折命子孫は、伊豆大神イワナガヒメの眠る熱海の『日金山』を信仰していたのかもしれない。

多少私の妄想が入るが…伊豆国と紀伊国、接点が多くあるのは理解していただけると思う。

また伊東市周辺の『熊野神社』複数社に、五十猛命が祀られている現象がある(伊東市竹の台や伊東市宇佐美字峯)。これらもワダツミ子孫の関与していそうで、私が伊豆国限定で来宮信仰≒熊野信仰≒離島信仰と考える理由である。

また宮下文書におけるクマノクスヒコはイワナガヒメの孫であり、ウサミの子供に当たる。即ち宇佐信仰・熊野信仰・伊豆山信仰・三嶋信仰は、親子のような連鎖的信仰で、即ちこれらが伊豆山『ホムスビ』『ムスビ』信仰と呼ばれる由縁とみる。

このように来宮信仰とは。母体は『紀の宮』で、イワナガヒメ・ウサミ・クマノクスヒコと三嶋神に関連した、宇佐八幡信仰+熊野信仰+離島信仰が複雑に結びついたと見る。 

さらに前述したが五十猛命は、壱岐島・対馬・佐渡島の離島守護司頭長であり、離島信仰。前記事で述べたが、壱岐島と対馬といえば、天之手長男命をはじめとした離島信仰。来宮信仰はこのコトシロヌシ家族の離島精神、イクシマタルシマ信仰を内包しているとみる。 これらの離島信仰を伊豆国に持ち込んだのが、ワダツミ八子子孫ということになる。

祖国のために死んだ神『生島・足島』と『事代主』の関係。天皇守護の宮内八神殿とは何なのか? - セキホツ熊の謎を追え!

 

また彼らワダツミが伊豆国に拘る理由としては、祖先であるエビス=オオワダツミも伊豆国(淡島)出身だからと思われる。後世に伊豆国三嶋神コトシロヌシとエビスが、混同された理由もこれだと思われる。彼らの痕跡は安曇、安曇野、熱海、梓などの地名に残され、来宮神社もかつて『阿豆佐和気神社』と称していた。

 

ワダツミ系統の衰退は、だいたい10代崇神~12代景行天皇の頃ではないか?。 

この時期、伊豆国三嶋大社でもワダツミ系統に代わり、三輪氏族が支配を強めた。ホツマツタヱに登場する『事代主』というのは、『大物主』の補佐的世襲役職名。代々三輪氏族が継承していたことにされてしまう。

・宮下文書に事代主こと、コモリやミゾクイやツミハは登場しない。

・ホツマツタヱにはカモサワヒメは登場しない。

こうして三嶋大社=コトシロヌシのイメージが定着され、スサノオ・大国主・事代主・大物主・五十猛…、先住民の神々が続々と三輪氏系統に編入されてしまう。

そもそもスサノオや大国主らは、中国地方出雲と直接的に関係がない。

 

 

ヤマトタケルは熱海に来ていたのか?。

最後に。来宮神社御祭神でもある、ヤマトタケルについて触れる。

宮下文書においてのヤマトタケル東征ルートは、現在の山梨県河口湖→山中湖付近加古坂峠→足柄山→相模湾に出て、東北へ東征した。しかし静岡県御殿場市『二岡神社』経由で、箱根から熱海近辺へやって来た可能性はある。

 

『来宮神社』は景行年間後の創建なので、存在していない。来宮神社社伝によると、ヤマトタケル東征時に箱根から熱海に立ち寄り、当地に立ち寄り住民を労り、産業を奨励した功績と武勲を称えた為祀られたという。このとき熱海に由緒を残していたとみる。

一方、『伊豆山神社』には歴代東征者が必勝祈願にくるのだが、ヤマトタケルの痕跡は見られない。伊豆山『結明神本社』は景行年間を創建としているので、この時期に参拝していてもおかしくはないのだが…。

 

 足柄山登山口である、静岡県御殿場市『二岡神社』はこの時代に創建されたとされる。社伝ではヤマトタケルが東征の際、この地に濃霧が発生した。そのため地主神に祈ったところ雷が落ち、霧が晴れた。こうして二岡にニニギを祀り、四岡に大雷神を祀った。

ヤマトタケル東征時は二岡から七岡に分散していた神々を、平将門が二岡神社に合祀したという。

ん…また、なぜ将門が出てくるのか?。本当に謎の人物である(笑)。

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~静岡県御殿場市『二岡神社』~

創建:景行年間

社格:数社を合祀?

主祭神:木花之開耶姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・天忍穂耳尊

合祀:火産靈尊大雷命・保食命・伊弉諾尊

 

ニニギ・コノハナサクヤ・オシホミミを祀る、ホムスビ・ウケモチ・イザナギ・アマテラス・大雷命。なにか現代の『伊豆山神社』を彷彿とさせる御祭神ラインナップである。

大雷命も『別雷命(カモサワヒメ)』や伊豆山・雷電神社を彷彿とさせる。

 ホツマツタヱでは別雷命=ニニギとされている。三嶋に近いこの地では別雷命カモサワヒメを封印し、ニニギにすり替えたカラクリが眠っていそうな予感がするのだ(妄想)。

とても意味深な神社。

付近には、ヤマトタケルと対峙される『九頭竜神社』がある。こちらも気になるところ。

 

伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議①。 - セキホツ熊の謎を追え!

伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議②。 - セキホツ熊の謎を追え!

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