2019,8,18
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
<神社めぐり>伊豆山神社①、封印された古代女神信仰イワナガヒメと伊豆山神社のナゾをおえ! - セキホツ熊の謎を追え!
※前記事の続き。
ポイント⑧白山神社遥拝所
前記事の続き。本殿東側を資料館方面に回り込むと『白山神社遥拝所』がある。
白山神社自体はここから20~30分登山した所にあるのだが、登山しない場合の仮拝所となる。由緒書きと地図はここにあり、白山神社周辺には何もないので目を通しておくとよい。
由緒書には御祭神『伊豆大神奇魂・菊理媛命』とあり、これは伊豆大神奇魂+菊理媛命なのか?、伊豆大神奇魂=菊理媛命なのか?どちらにも取れそうである。
遥拝所にて『失礼します』と声をかけ、右側手の脇の山道を登り始める。
一応整備された自然公園ではあるが、修験道に利用された山道なので、それなりにキツいところもある。最低限スニーカーと長袖を装備すべし。
伊豆山神社本殿から子恋の森公園までは、おおまかに二つ山道ルートある。どちらも基本的に一本道で、道標もあるので迷うことはまずない。近年の伊豆山神社は、東京方面からの熱海観光の景気がV字回復した影響なのか?、それとも御祭神変更の効果なのか?、設備面もかなり改善された。三年前私が来たときは道標はボロボロで、山道は崩れ…、正直見ていて辛いものがあったが…。…それが今はどうだろう、拝殿前は全面玉砂利がビッチリ敷かれ、空池には鯉が群れを成して泳いでいる。まあいろんな意味で感心させられているが、今回の熱海景気回復がどこまで続くのやら(苦笑)。
白山神社までの道のりには『行場跡』がある。もともとかなり気付きにくい処にあり、子供の頃の秘密基地(アジト)みたいな場所だったのだが…。今は道標が建てられて、誰でも気づけるようになった。行場跡は修験道の僧侶が山籠りの際の拠点にしていたと思われ、大きな磐座の下にある。現在の祠は、実際祀られているのかは不明だが、これも岩石崇拝のひとつであろう。
ポイント⑨白山神社
そこから山道をいくと突如、鳥居が出てくる。もともとは丸太の素朴な鳥居であったのだが、最近行ったら、深紅のピカピカの鳥居に変更されていて驚いた。眼前の巨大磐座に圧倒されるが、磐座の中腹に赤いお社を見つけることができる。これが摂社『白山神社』である。
白山神社の御祭神は『伊豆大神奇魂・菊理媛命』。
宮下文書によると、御祭神は次の二通りの解釈ができる。
・キクリヒメ(菊里毘女尊)とは諱・阿田都毘女尊、実はコノハナサクヤのこと。
・白山比女尊とはクニトコタチ一女・イザナミのことである。
ホツマツタヱにおいてキクリヒメは、イザナギの姉で、女仙人のような存在である。キクリヒメという存在は、おそらくは瀬織津姫や宗像三女のように、ホツマツタヱ成立前後に登場した女神なのではないかと推測。
そして白山比売やキクリヒメは、天台宗などが瀬織津姫を封じ込めるときによく利用した女神とも云われ、本地垂迹は『十一面観音菩薩』。ゆえにキクリヒメ=瀬織津姫=十一面観音菩薩と主張する人もいる。
西国天皇勢力がつくった富士山なしの神道体系、比叡山から淡路島と祓戸鳴門の流れ。 - セキホツ熊の謎を追え!
例えば、向津姫(瀬織津姫)を祀る廣田神社の境外末社『六甲山神社』、ここにはキクリヒメが祀られており、この瀬織津姫との関係が問われているのだ。六甲山は別名『向津峯』ともいわれ、ホツマツタヱでも瀬織津姫の埋葬地であり、近くにある『六甲比咩神社』が存在する。この状況からキクリヒメ=瀬織津姫という説が生まれたようだ。
前記事にも述べたが、この伊豆山にも六甲山にも役小角が関与していたり、瀬織津姫が祀られていてもなんら不思議ではない状況がある。この地に祀られていたとすれば、この白山神社かな?とは思う…。
~各地の伊豆神社御祭神~
・岩手県遠野市上郷町『伊豆神社』・御祭神『瀬織津姫』
・長野県下伊那郡阿南町『伊豆神社』・御祭神『天津彦根火瓊瓊杵尊(ニニギ)』
・岐阜県岐阜市切通『伊豆神社』・御祭神『石長比売(イワナガヒメ)』
白山神社には、もうひとつ疑問点がある。この白山神社の背後に押し迫った磐座があるのだが、その上に小祠があり『白山大権現』と書いてある。…ん?白山神社の上に白山権現祠がある?
どうやら、これも『神仏習合』の形跡らしい。
伊豆山神社~本宮社の山中には私が確認しただけでも三つの磐座の祠がある。
・白山大権現
・行場跡
・山の神祠(別ルート・下写真)
ポイント⑩日精・月精と子恋の森
子恋(ここい)の森とは。『古々比の杜』『古々井の杜』、拾遺歌集や枕草子などに登場するホトトギスの名所で有名な杜でも、西国の歌人でも知られていた聖地だ。また伊豆山に逃げ込んできた源頼朝と北条政子とのロマンスの場ともいわれ、二人は伊豆山の御神木の葉をお守りにしていたという。
そして前述したが、ここには日精・月精を祀る結明神本社がある。
『走湯山縁起』によると、初木姫により日金山の大杉から日精・月精が発見?され、日精月精の子孫『伊豆権現氏人之祖』の聖域とみられる。
また、この杜は伊豆国内『火牟須比命神社』や『小河泉水神社』等の式内論社、鎮座地としても名が挙がる。つい最近まで伊豆山の御祭神が、ホムスビであったことを考えれば十分ありうることだ。面白いのは、伊豆山本宮~宇佐大元レイライン上(下地図↓)にある『小河泉水神社』(静岡県駿東郡清水町)の御祭神『熊野夫須美』、前記事にも書いたが熊野神クマノミフスミは『ウサミ』と『クマノミクスヒコ(記紀ではクマノクスヒ)』の掛け合わせた存在と私は感じている。やはり伊豆山にも、タマノオヤ子孫による熊野信仰の痕跡がみられるわけだ。
※因みに宮下文書においてはイワナガヒメの子がウサミ、孫がクマノクスヒコである。
※式内論社が『火牟須比命神社』。静岡県伊東市鎌田に現存するのが『火牟須比神社』。ややこしいので注意。
※下地図は伊豆山神社・宇佐神宮レイライン。伊豆山神社も宇佐神宮も、空海による宗教干渉を受けている。Googleマップ線引き機能で伊豆山『本宮社』と宇佐神宮奥宮『大元神社』を結ぶと、論社『小河泉水神社』(静岡県駿東郡清水町)も線上にある。
話が多少ズレるが、ここで秋田県大仙市『伊豆山神社』も紹介しておきたい。
〇伊豆山神社(秋田県大仙市花館伊豆山)
~御祭神~
・コトシロヌシ
・ナキサワメ
・タカミムスビ
・アマテラス
・トヨウケヒメ
・イザナギ
・イザナミ
・アメノミクマリ
・クニノミクマリ
・オオモノヌシ
・ホムスビ
・菅原道真
この神社は坂上田村麻呂が東征の折、東国鎮護の祈願をした。歴代東征者らは伊豆山神社でも必勝祈願するわけだが、田村麻呂は熱海市『来宮神社』には痕跡を残しているものの『伊豆山神社』はスルー…かと思いきや、秋田でしっかりと伊豆山神に祈願していたようなのだ。秋田伊豆山には『姫神公園』があり、やはりココにもヒメ信仰の気配を感じる。
伊豆山(大仙市)の御祭神はコトシロヌシとナキサワメ他、『神名帳考証』におけるナキサワメは、宮下文書版コトシロヌシの娘カモサワヒメと同神、三嶋神の御正体と思われる。オオヤマツミ妃(寒川毘女)でもあり、イワナガヒメとコノハナサクヤの実母に当たる。一見、三嶋神親子を祀る神社と思いきや、雄物川を挟んで『八幡神社(大仙市)』がある。伊豆山近くの神宮寺岳山頂にある奥宮、『嶽六所神社』には興玉命と磐戸命が…。
やはり秋田県大仙市伊豆山も、八幡信仰の気配がするわけだ。
ポイント⑪本宮社
子恋の森公園を抜けると、周辺に住宅街というか別荘地が迫ってくる、伊豆山神社里宮から約一時間いよいよ『本宮社』である。
前記事どおり、伊豆山神社は遷座を繰り返している。
①日金山付近→②七尾原の牟須比峯付近(現本宮社)→③現在地
本宮社は豊臣秀吉の小田原攻めの際に僧兵も一山残らず消失、江戸時代後期にも野火で焼失している。前述どおり伊豆山における伊豆大神の祭祀上、もっとも重要なポイントがこの『本宮社』ではないかと睨んでいる。本宮社を起点にして宇佐神宮大元神社~橿原神宮~と、『大室山』と伊東市八幡野の『八幡宮来宮神社』へと、2本のレイラインが引けるのだ。現在この本宮社の御祭神はアメノオシホミミ・タクハタチヂヒメ・ニニギ。
ただタマノオヤとイワナガヒメの形跡は何処にもない。
本宮社から住宅街の方に100メートルほど歩くと、大室山を一望できる絶景ポイントがある。参拝時は必ず寄る場所なのだが、まさかこれがレイラインとなっていたとは。
…面白いのは、このレイラインは北上すると富士山高千穂峰レイラインと山梨県神奈川県境『大室山』付近でクロスする。北麓には山梨県南都留郡道志村『大室八幡神社』があるのだ。最終的にレイラインは、『天香山命』を祀る新潟県西蒲原『彌彦神社』へ到達する。『天香山命』とは、宮下文書比定で伊豆国三嶋神コトシロヌシ次男の『天香護山命』である。
詳細は別記事『レイラインの美学』(下リンク↓)にて後述させていただく。
<レイラインの美学⑧>八幡宮来宮神社から伊豆山本宮社と来宮神社へ、八幡・熊野・来宮・離島信仰、混合二本のレイライン①Aライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
ポイント⑫岩戸山 黄泉の国の境界線、誰もいない日金山奇縁
ここからは宮下文書の記述内容を確かめるべく、イワナガヒメを祀ったとされる日金山へ向かう。日金山の経由地の岩戸山には『岩戸山観音』がある。
経路を説明すると。
実際、わたしが岩戸山に登頂したのは、去年2018年7月。今後も廃路区間が出てくる可能性があるので注意。かつては本宮社から岩戸山へ、ダイレクトなハイキングコースも存在していたようなのだが、土砂崩れなどで一部廃路もあると聞いた。ネットをくまなく見まわしたが、なにぶん情報が少なく、アスファルトの道を大回りして行く。
まずはGoogleマップで、熱海市泉『伊藤忠健康保険組合熱海伊豆山荘』を目指して欲しい。伊藤忠保養所施設の南側舗装された道路を歩くと、途中バリケードの箇所がある。googleストリートビューにも写っているが車の進入は一切できない、自転車やセローのようなバイクなら容易く入れる。そのバリケードを越えて舗装された道を1キロくらい歩くと、岩戸山へ続くハイキングコースがある。ここからは山道へ変わる。
ぶっちゃけここのハイキングコースは風景も見えず単調、時たま見せる太平洋の風景にはこころ安らぐ。10年くらい前まで行楽客の往来もあったようだが、熱海の景気悪化で整備も滞り、ハイキングコースの通行止めも増えたとみる…。
やっとの思いで岩戸山山頂手前へ、この辺から岩戸山観音への分岐があるはずだが…道は(`Д´≡`Д´)??何処だ。一応ネットで下調べをして心の準備はできていたのだが、実物を見て愕然とした、草陰に隠れたウォータースライダーかダストシュートのような断崖絶壁を下るようなのだ。『姫様お戯れを、これは道ではありませんよハハハ』と…、しばらくコロコロ落下していくと僅か拓けた空間が。おっさん四つん這いになって地べたに転がる。
やっとのことで岩戸山観音へ到着。
ココはいくらなんでも酷すぎる、こんなところに誰がお祈りにくるのだろうか?…まるで岩戸に封印されているみたいじゃないか?。お堂は崖の岩肌をくり貫いて、観音開きを設置した仕様で、扉は施錠されてないので誰でも簡単に開帳できる。ただ扉を開けた瞬間、奥の方で小動物がゴソゴソ蠢いている音がする。
ここで金色の15センチくらいの観音像にお祈りを、『古の神と人々の思いが時代を越えてゆけますように』と…、しかし苦労の割には詳細がわからなかった。地元の人々が太平洋戦争の戦火から守るために山中に疎開させた可能性もあるし、何かを封じ込めるために移動された可能性もある。そしてこれも岩石崇拝のひとつ。
地元住民の極めてプライベートな信仰を、このブログに書いて良いのだろうか?と悩んだが、人々が『宮下文書』と伊豆大神『イワナガヒメ』を考えるきっかけになればとアップした。
帰路『岩殿観音』の手書き由緒を見つけた。気になりスマホ地図を調べてみると、静岡県熱海市泉、岩戸山北北東1,8キロの所に『大光山岩殿観音堂』がある。これは里院的な存在なのだろうか?、あまり情報がない。
岩殿観音でググると、『坂東三十三箇所』が出てくる。鎌倉時代中期に関東各地の有力寺院を推挙したものだ。そのうち曹洞宗海雲山岩殿寺『岩殿観音』(神奈川県逗子市)と真言宗智山派巌殿山正法寺『巌殿観音』(東松山市大字岩殿)が目についた。どちらも本尊は十一面観音菩薩である。正法寺『巌殿観音』は8世紀に沙門逸海が十一面観音像を刻み開山。鎌倉初期に源頼朝の命で復興されたという。
斯様な次第で、前記事にて私は『岩戸山観音』と『岩殿観音』を混同していた。岩戸山山頂付近にあるのが『岩戸山観音』。岩戸山北麓にあるのが『岩殿観音』である。
…これ以上はわからないが、調べてみると十一面観音というのは本地垂迹としては割とよくあるパターンのようだ。
このまま十国峠までハイキングコースを行くつもりだったのだが、オッサンは体力的にも限界だし、このままのペースじゃ日が暮れてしまう。伊豆山に置いてきた愛車も心配だし、引き返してバイクで十国峠までいくことにした…(ゴメンナサイ)。
ポイント⑬日金山東光寺
入り口に由緒書がある。
『走湯山縁起』によると15代応神天皇二年に相模国唐浜の海上に直径三尺の円鏡が出現、松葉仙人がまず高麗山?に祀り伊豆山に移し祀ったという…。この走湯山縁起の伊豆開山の三仙人のくだりは実に神秘的、まあ伊豆山の歴史は改竄の繰り返しであることだけは理解できた。即ち、ここが伊豆山の元宮で、836年に本宮を経由して現在の伊豆山神社へと遷座される。平安後期に源頼朝が日金地蔵尊に源氏再興祈願し、本尊の延命地蔵菩薩像を建立させた。
因みに、ここは日本昔ばなし1213話『日金山奇縁』の舞台。死別して再会したい人に出会える場所、つまりは黄泉の国であり、あの世とこの世のジャンクションである。由緒書曰く『死者の霊の集まる山』といわれ、伊豆周辺で亡くなった霊魂はみな、この日金山に集結するという伝承があり、中世には伊豆・駿河・三河・相模からも信仰者が絶えなかったという。
岩戸山~東光寺~十国峠。休日の昼下がり蝉がジリジリ鳴っても、寺の境内人っこ一人いない…。まるで『隠り世』の赴き。夢の中をさ迷って死者を尋ね歩くかのようで、これはこれで神秘体験ができ、恐々楽しんでいる自分がいた。
宮下文書によると、かつてタマノオヤとイワナガヒメがこの地に棲んだ。子供ウサミは大原の『伊東の宮』に住む(おそらく静岡県伊東市馬場・葛見神社)
~宮下文書・三輪本現代訳曰く~
『…天太眞祖命(玉祖命)は天之忍穂耳の第二の皇子である。伊豆国を賜わり、大山祇命の一女の岩長毘女を娶って、伊東熱海原の日金の宮に住んだ。岩長毘女命は病んでなくなった。伊豆山に葬った。後にこれを伊豆大神として祀った。これより伊豆山峠を日金峠という。御子の宇佐見命は、上の大原に住み留まった。この宮を伊東の宮という。』
ここからタマノオヤとウサミは、イワナガヒメを埋葬し西征へと旅立つ。それが八幡神の正体とみる。そしてタマノオヤが西征先『穴門の宮(山口県防府市・玉祖神社)』で死去した際に、宇都志日金命に守らせたとある。この宇都志日金(おそらく宇都志日金折)は安曇族の祖とも言われ、安曇族は熱海とも縁が深い。彼が『日金』を称している点も気になる。
小野氏はイワナガヒメ末裔?。夏至レイライン多摩にて『タマ』を見守ってきた玉神八幡氏族の本懐とは。 - セキホツ熊の謎を追え!
今、両親が20年以上伊豆に住んでいるので解るのだが、伊豆半島の人々はホント温和で拘りがない。山幸と海幸に隔絶された、小さい村社会の集合体である。どうせ流刑地の田舎国だし、外界から何を言われようが気にしないという気質なのだ(苦笑)。それゆえに三輪氏がカモサワヒメを隠蔽し伊豆独特の神道体系を作りあげて、その改竄史が現代まで続いても無頓着なのだろう。しかし、伊豆を愛するがこそ、本当はスゴイ聖地なのを地元の人には知って欲しい。
奇しくも、伊豆各地イワナガヒメ伝承だけは、なぜか現代まで奇跡的に残された。もし仮に伊豆大神=イワナガヒメといっても誰も驚かない、それほどイワナガヒメは伊豆では、当たり前のように珍重?されてきた女神なのだ。
まあイワナガヒメが、八幡神の妃であり、比売大神イトウとして宇佐神宮に祀られていたと知ったら…みんな驚かないわけはないが…(笑)。
東光寺の近くに十国峠がある。富士山の裏側以外は、全方位見渡せる奇跡の絶景ポイント。この地が聖域と見なされているのが、一目瞭然である。太古の昔にも、タマノオヤとイワナガヒメたちは見ていたのだろうか?。ハイキングの疲れが一気に吹き飛んだ。
ロープウェイの駅にも四~五組の客がいるだけ。夕方4時頃、西日のなかロープウェイの機械音だけがゴウンゴウンこだまし、待合室には誰もいない。客がいないのを喜ぶのは不謹慎かもしれないが、ボッチのオッサンがこの絶景を独り占め、誰も来ない黄泉の国もまた格別だった。
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※地図はクラフトマップ使用。