セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<神社めぐり>玉諸神社奥宮、明治初年に消えた2m水晶御神体の行方?、鉄道王の雨宮敬次郎飛躍の奇跡。

 

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個人的に、山梨ではいつも雨降り。

2019,12,8

タマノオヤ神社と、ちょっと不思議なお話。

神武東征後に玉はどこへ消えたのか?。橿原神宮は三種神器に護られた八幡神クロスポイントだった???。 - セキホツ熊の謎を追え!

今回は、前記事で触れた『玉諸神社』(塩山竹森)と瀬織津姫が祀られている『船宮神社』をご紹介する。
のんびりハイキング気分で歩くのもいいかなぁと、山梨県内のJR塩山駅から玉諸神社そして船宮神社まで歩いてみた。これが仇となるわけだが、そもそも私が神社巡りをしていると高確率で雨になる。
なんか、雨乞いしてると思われてないか…(泣)。

 

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〇玉諸神社(山梨県甲州市塩山竹森)

~御祭神~

・天羽明玉命

※他に天明玉命・玉屋命・豊球玉屋命?(どちらも玉祖命に比定される)

※水晶玉信仰で、江戸時代まで『玉室明神』・『玉宮明神』と称していた。

 

実は、去年くらいに玉諸神社の前をバイクで通っていたのだ。ココから県道207号『座禅草のみち』を北に2キロいくと瀬織津姫『船宮神社』があり、その道中であった。初見、小学校の校舎背後にある趣から何か気になるものはあった。ただこの頃は未だタマノオヤという神様の存在を知らず、雨が降りそうなこともあり後ろ髪引かれつつもスルーしてしまう。その後どういう訳だか、この神社がずっーーーーーーと気になっていた。

最近、宮下文書でタマノオヤの存在の大きさを知り、まさかあの神社の御祭神のことだったのか???と愕然し、更に後悔を深めることになった次第だ。

 

~タマノオヤ比定神~

 ・天明玉命

・天羽明玉命

・天豊玉命

・玉屋命

・天櫛明玉命

・羽明玉

・ 太真祖命

古事記においては、アマテラスの岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(八坂瓊五百箇御続玉)を作った神で、天孫降臨のニニギに従った五伴緒神(アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、タマノオヤ)。玉造氏ないし、玉を造る集団が祖神として祀る傾向にあった。全国的にタマノオヤは様々な改名を続け希少な御祭神となっていくが、個人的にはオリジナル八幡神と考えている。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

 宮下文書においては『天太眞祖命(アメノタマオヤ)』、天孫ニニギの実弟。タクハタチヂヒメが産んだ八王子(五男三女)の天孫一柱。コノハナサクヤの実姉イワナガヒメを妃とし、イシコリドメを伴い西征。阿祖山太神宮の守護司長(二代目)に就任する。

 

~宮下文書のタマノオヤとは~

ヒコホホデミの時代、高天原七廟を取りまとめ『元宮阿祖山太神宮』と称する。

太真祖命・元宮阿祖山太神宮守護司長(タマを司る?)

天児屋根命・元宮阿祖山太神宮副司長(剣を司る?)

天太玉命・元宮阿祖山太神宮副司長(鏡を司る?)

※初代守護司長はオオクニヌシ・副司長オオヤマツミ

 

宮下文書研究家・鈴木貞一氏曰く、タマノオヤの『太真(タマ)』とは『真実・誠実』という意味。玉依姫(諱・多摩夜里毘女)も同様、依りとは『寄り、重く見る』、即ち玉依姫とは『真実を重んず』という意味。多摩夜里毘女から転じて、おそらく東京西部『多摩』という古名も同義とみる。

御祭神としては山口県防府市『玉祖神社』や、和歌山市にある『日前神宮・国懸神宮』が全国的に有名。私が参拝した神社は相模三宮『比々多神社』があり、この神社は出雲大神宮(京都)~津島~富士山のレイライン上にある。 

 

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神社御前に玉宮小学校があり、かつての社名『玉宮明神』から『玉宮』が学校名になっている。まるで校舎背後の高台から子供たちを見守っているかのような構図だが、実はこの小学校自体かつては神社敷地であったらしい。小学校南端に一ノ鳥居と小さな祠があり。そう考えると、延喜式論社の甲府市国玉町『甲斐三宮・国諸神社』より巨大になり、昔はさぞかし大きな境内であったであろう。しかしなんで聖域を分断しているのか…。

鳥居をくぐり階段を上っていくと、本殿は2つの摂社に挟まれていた。まず向かって右側の摂社、おそらく普段は扉が閉ざされているのだろうが、観音開きの片方だけ解放されていた。失礼しますとペコリ一礼して覗かせて頂くと『正八幡大◯』と書いてある御札あり、おそらく正八幡大神こと15代応神天皇とみる。八幡神の摂社自体はなにも珍しくもないのだが、タマノオヤと並んだ八幡神は何か意味深なものを感じる。因みに滋賀県長浜市『石作神社・玉作神社』にもアメノホアカリ・タマノオヤ・八幡神が祀られている。

変わって本殿左側の摂社は固く閉ざされて不明、一体どなただったのであろうか?。

f:id:sekihotu:20191207171954j:plain ~境内『由緒書き』より~

 創建不詳、清和源氏・新羅三郎義光(武田氏祖)が社殿を造営して、その後何度か作り替えられた。御神体は2m水晶で、竹森山(水晶山)今の奥宮付近?の地中から生えるよう突き出ていた。また古来から石英の採掘地として拓かれており、周辺には玉造り集団が住んでいた。彼らの中にタマノオヤやイシコリドメの子孫がいた可能性がある。明治初年に水晶は、何者かにより盗難された。

この竹森山(水晶山)に、現在でも奥宮は残されているらしい。

 

奥宮があるのか…。

スマホ版Googleマップで確認するとそんなに遠くないようだが、ただ道らしきものが確認できない。玉諸神社を参拝してから急に曇天に変わった、傘も雨具もないし…。

だけど、このまま帰ったらまた絶対後悔するだろうなぁと…。

 フェンス越し、隠された奥宮

勇敢なのか、暇人なのかわからないが…、とにかく奥宮まで足を運ぶことにした。しかし、奥宮のあるという竹森山は登山口がわからない。正解にいうと、山を囲うように獣避けネットが張り巡らされていて入れない。私のスマホのGPS電波が受信できず、現在位置マーカーが常に私の2キロ~5キロ位南をUFOの如くフラフラ浮いている。うわー判断ミスだ、思い付きで来るべき場所ではない(以降、自己責任で)。

獣避けネットには数ヶ所、フェンス扉が設置されているようだが、各所でチェーン錠で施錠されている。そのため一つ一つ戸当たりして進入できるか確認せねばならない。そもそも奥宮は私有地のようで、参拝者とはいえ入っていいのだろうか?。

ようやく施錠されていないフェンス扉を見つけた。一応『立ち入り禁止』と書かれていないのを確認。『開けたらその都度、閉めて下さい』とかいてある。獣避けが本来の目的のようで、閉めればOKのようだ。私はあくまで参拝目的だし…しかし入るのも勇気がいる。だって、熊に間違えられたらどうしよう地元の猟師さんに射殺されてしまう。しかし開放はマナー違反、郷に入りては郷に従えか…。

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 此処からは方向感覚だけが頼り、のっけから熊とかイノシシとかが『いらっしゃい』と出迎えに来そうなので、恐る恐る入っていく。すぐに林道らしき道を見つけた。大人数が神輿を担いで入れそうな、緩やかな勾配。そして林のなかに突如として石垣跡が見えてきた(上写真)、これって旧玉諸神社鎮座地なのだろうか?。フェンス扉から二~三百メートル東へ向かうと玉諸神社奥宮があった。

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拝殿は昭和39年9月再建、裏にある本殿は昭和62年3月改築、バックにしっかりした氏子組織があるようだが代表者として『雨宮さん』が石碑に彫られている(上写真)。しかし一般人を寄せ付けないこんな山中に何故こんな立派な社殿を置くのか?、異様さすら感じる。竹森山(水晶山)の石英盗掘を避けているのか?、それともほかに隠さねばならなかった理由があるのだろうか?。

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率直に、タマノオヤ主祭神一柱を祀ることが珍しいとは感じた…。

前記事でも述べたが、日前神宮~橿原神宮~玉諸奥宮はレイラインで繋がる。線上には甲府市内に愛宕山(甲斐奈山)がありイワナガヒメを相殿する。もともとは甲斐奈山に鎮座していたが、いまは甲斐奈山『元宮』(山梨県甲府市愛宕町)を残している。

 

・『橿原神宮』(カシハラ)

・『日前神宮』(アビカシハラ=阿備柏原)

 

ココから拝めば、妃のイワナガヒメ様にも聞こえるかもしれないのだ(妄想爆発)。ともかく参拝をした。

 

『タマノオヤ様とイワナガヒメ様が、再び結ばれますように』

『古の神を頼った多くの人々の思いが、時を越えて行けますように』

『日本人が再び神さまに出会えますように』

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参拝を終えて、竹森山を下山した。強風と共に、麓の甲府盆地全体がみるみるドス黒い曇天に、もう今にも降り出しそうだ。な…なんか俺、悪いことをしたのだろうか…?。

さてどうしよう、予定ではこのまま北2キロ先の瀬織津姫の『船宮神社』にいく予定だったが、だいぶ時間が押してしまった。雨が降ってきそうな県道207号を北上すると、臨済宗・鹿羅山高森院というお寺に『雨宮家供養塔』(下写真)が見えた。雨宮さんというのは、先ほど奥宮改築碑に刻まれていた家系…、やはりこの地方の有力者なんだな。

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…明治明治時代の甲州財閥、『天下の雨敬』『投機界の魔王』『鉄道王』の異名を持つ、雨宮敬次郎。

なぜJR中央本線は甲府盆地内、甲州街道を北に大きく逸れ『塩山』へと迂回するのか…考えた事あるだろうか?(笑)。実はこの地元事業家・雨宮敬次郎の功績が大きい、地元に鉄道を誘致する、いわゆる我田引水ならぬ『我田引』である。塩山駅周辺に煉瓦供給基地を作り、甲武鉄道(のち国鉄・JR)の線形を強引に変更させ、急こう配の旧勝沼駅では線路をスイッチバックまでさせている執念だ。百姓出身にして成人までに一財産築いたというが、全国的にも事業家投資家として有名で第一回藍綬褒章受章している。そのほかWikipediaに逸話がシコタマ出ている。

当然、汚職とも無縁な世界ではなかったようで、戦後の財閥解体で規模が縮小、ロッキード事件や平成不況等で影響力は低下していく。

しかし、雨宮敬次郎と玉諸神社との関係が見えてこない…。あれほど立派な奥宮を誠心誠意に奉納した一族であるならば、先祖がタマノオヤやイシコリドメ子孫の玉作集団だった可能性もあるのではないだろうか?。

 この時、ふと思ってしまったのだが…。

…ど素人が、思い付きでこんなこと書くのもアレなんだが。

まあ、書いてみる。

雨宮敬次郎は弘化3年(1846年)生まれ。百姓にして『成人までに一財産築いた』そうだ。一方の玉諸神社奥宮の御神体水晶が明治初年(1868年)に盗まれた。因みに明治初年というのは敬次郎が、おおよそ成人の22歳の頃…。あ…。

…この百姓出身の金持ちの紳士、御神体のこと何か知っているんじゃないのか?(棒)。


因みに…、瀬織津姫は真っ白い長身のお婆さんだと思っている、なんとなく…

塩山駅から片道北東6キロ、玉諸神社から2キロ。地図上では近く見えても、よくよく考えたら全部坂じゃねえか…。実際、前回バイクでの景色と印象がかなり違うもので、こんなところだっけと不安がよぎる。…記憶では、メイン通り県道207号からギリギリ通れる細い脇道を右折すると小橋があるのだが、しかしその右折ポイントがわからない。もしかしてもう通り過ぎてないかと…。つか、もう探す気力もない。

googleマップの現在位置マーカーは常にあり得ない所を示しており、私の2キロ南方から西方へとフラフラ漂っている…『ご主人様(゜Д゜≡゜Д゜)?何処ですかー』。仕方ないので、航空写真モードに切り換え景色を頼りに歩いた。雨は降りそうで降らなかった。

いやもう…いろいろな意味で限界かなと。

意を決して帰ろうと、JR塩山駅までの距離をスマホを確認しようとした。マップ画面をみた…その瞬間、なぜだかマーカーがスーーーーーーーーっと私のいるであろう地点に追い付いてきた(笑)。しかも立っている県道の位置が、船宮神社への脇道分岐点だと気づいた。

もしかして神様、こちらを待っているのか?…と思った。

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 〇船宮神社(山梨県甲州市塩山平沢)

~御祭神~

瀬織津姫命

 

この神社の情報は殆どない。瀬織津姫一柱を祀る神社、創建不詳江戸後期にはあったようだが、単純に『船の宮』古名が『船大明神』なので、八幡神を守っていた宇佐ワダツミ系統の神社だったのかなとも想像できる。長野県安曇野のようにワダツミの地には、何故か瀬織津姫が祀られている。また境内祠が複数あるが廃れている。拝殿が舞台を兼ねている、甲府盆地~相模湖ではよくあるタイプの神社。

小野氏はイワナガヒメ末裔?。夏至レイライン多摩にて『タマ』を見守ってきた玉神八幡氏族の本懐とは。 - セキホツ熊の謎を追え!

前回来たときはもっと荒れていた記憶がある、小倉山ハイキングコースにもなっていて、ハイカーが残していったゴミが散乱しているのだ。拾って帰りたかったのだがバイクで積みきれず、ペットボトルだけを持ち帰った記憶があり。今回はゴミ袋を用意してゴミ収集が目的の一つだったのだが、玉諸奥宮探索でその時間もなくなり、せめて参拝だけでもと思ったのだが…

今回まるでゴミがない、それどころか高級神霊特有のピリピリ張り詰めた雰囲気すら感じる。こんな神々しい神社だったっけ?と不思議におもいながら、周囲を散策。最後は神社の一番奥にある御神木にご挨拶、気付けば周囲は暗くなり、御神木にスマホのAutoフラッシュを焚いてしまった。周辺に街灯はなく、そろそろ引き返さなければ本当に真っ暗闇になる。ヤバイなと…。

帰り、神社入り口でペコリとご挨拶。…とこの時初めて気づいたのだが。…なんだか知らないが、入り口にこじんまりと少量のゴミが纏められていた。

…え?俺に?…持っていけってことスか?。

 

一体誰がゴミを纏めたのか?ゴミを整然と纏めた人がいる。誰にでも記憶にあるだろうが幼少の頃に母親が洗濯物を畳んでくれて、纏めたような。空き缶、ペットボトル、吸殻、ビニール袋は、綺麗に折り畳まれていた。そもそも少量のゴミにこんな手間かける人物なら、自力で持って帰るだろう…。釈然としないながらも明らかに汚れたゴミだし、放置したらまた後悔するし、持参したゴミ袋に入れてリュックに押し込み帰路につくことにした。

 

まあ神威を借りてブログを正当化するつもりはないが、神様というのは誠心誠意向き合えさえすれば人格や思考はともかく、それなりに応援してくれるのかな…と思っている。それでも人間を甘やかしたくないから、ギリギリのところまで見ているのだろう。そしてたまに『見てるぞ、しっかりやれ』のサインを出してくる…。

こうして…考えすぎで顔面蒼白の汚い熊みたいなオッサンが、汗だくになりながら、フラフラ里に下りてきたという。

…あれ?これってもしかして雨宮さん?。

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塩山に鉄道を誘致した『鉄道王』、雨宮敬次郎の正体 。

駅への帰路、なんと氏子『雨宮さん』の正体が判明した。甲州市で砕石事業を営んでらっしゃるようだ。なるほど、やはり石材の神様として玉諸神社タマノオヤを信仰しているのか。

そして自宅に帰り地図を確認すると、船宮神社・玉諸神社・甲斐一宮神社のレイライン上に、この石材会社が存在していることが判明した。ともかく御守護はしっかり受けている家系なんだなと感心した(笑)。

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結局、JR中央線『塩山駅』まで雨も日没もなんとか間に合った。いや、一瞬ポツポツきたが不思議とそれ以上は降らなかった。…雨の宮…、雨宮か。

もし仮に…。誰かが御〇体…を売ってあの中央線を作ったなら….。果たしてそれは地元民にとっていい事なのだろうか?。おそらく私が地元民だったら、沈黙してしまうであろう。そしてもし私が古代神だったら、信仰をなくし利便性を追求する子孫たちの姿に泣いてしまうであろう(妄想)。

 

 そういえば日月神示第3帖富士の巻(83帖)にも、いまは『玉』がないと書いてあったなあ…。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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