2020,7,23
今回はフォッサマグナと安曇野地方にある『仁科神明宮』のお話。
フォッサマグナとは。
まずフォッサマグナをごく簡単に説明すれば。
日本列島が形成される過程で、古い地層の上に、新しい地層が乗っかり富士山などの火山が登場した。フォッサマグナの西境が糸静線(糸魚川~静岡)と、東境は諸説あるが、柏崎~小出~千葉付近(説によっては千葉県銚子市)ではないかと言われている。そこに富士山や八ヶ岳、浅間山、飯綱山、妙高山、黒姫山、箱根周辺など火山が形成され、さらに中央構造線が横断している。伊豆半島はかつては孤島で、太平洋側からフィリピン海プレートに運ばれ北上して列島に合流した。
このように本州中心部はプレート・断層・導線が絡み合う故に、大惨事が連動して起こりかねない。1707年南海トラフ『宝永地震』の49日後、富士山宝永噴火が発生しており、新しい地層の上にある富士山が噴火すれば、フォッサマグナ全体を揺るがすことにもなる。
そのなかでも『関東山地』は、新しい地層の中に島状に残る古い地層で、北は中央構造線、東は八王子構造線、南は丹沢山系、西は八ヶ岳付近を境目としている。古来から聖地として崇められ、とくに現在の三峯や秩父地方は、かつて武蔵国内でも『知知夫国』として独自の信仰下にあった。
<レイラインの美学⑨>三峯神イザナギ・イザナミは岩長毘女代理人?。神津島伊豆山レイライン②Bライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
ヤマトタケル東征帰途の折、関東山地を執拗に周回して祀っていたのは、この古い島状の地層『秩父島』を重視していたからであろう。彼らは、東国視察している割には、人里離れた山間部を回りすぎており、金峰山・那賀都・雁坂峠・三峯・與瀬・軍刀利・武蔵御岳山・出雲伊波比…と、まるで古い地層を縫って、さらに楔を打つかのような巡礼が辿れる。実際彼らは、武蔵御岳山にて雲霧のため遭難までしており、白狼に導かれる有様。下地図では作成上シンプルに経路表示をしているが、実際はもっと関東広域を複雑に回っており、複数部隊が同時展開していた可能性もあろう。
果たして、これが無意識にやっていたことなのか?、日本人はすでに古来から、フォッサマグナの存在を、祭祀的に、霊的に感知していたのではないか?。
因みに。これは東征者伝承によくある事だが、必勝祈願と戦勝御礼、戦前と戦後ではかなり意味合いも変わるのだが、よく混同される。宮下文書とホツマツタヱにおいては相模国から房総半島に攻めていくので、関東山地巡礼は戦後だと解釈している。
国宝『仁科神明宮』とは。
◯国宝・仁科神明宮(長野県大町大字社字宮本)
~御祭神~
・天照皇太神
~境内社~
・子安社 (木花咲耶姫命)
・九頭竜社 (地主命九頭竜神)
・下諏訪社 (事代主命)
・上諏訪社 (建南方富命)
・下加茂社 (加茂武角身命)
・上加茂社 (加茂別雷命)
・稲荷社 (宇賀魂命)
・伊豆社 (彦火火出見命)
・八幡社 (誉田別命)
・簀社 (穂高見命=宇都志日金折命)
・武山社 (大地主神=仁品王臣下?)
・熊野社 (伊耶那美命)
・白山社 (菊理姫命)
・鹿島社 (たけみかずちのみこと)※ひらがな表記
・春日社 (天児屋根命)
・三島社 (大山祇命)
・北野社 (野見宿弥命・菅原道真公)
・都波岐社 (猿田彦命)
・疱瘡社 (須佐男命)
・難湖社 (金山彦命)
創建は、崇神~景行年間と推定、崇神天皇末の太子、仁品王が当地『安曇平』を開墾、仁科氏による伊勢内宮からの勧請で創建された。創祀以来の一座。皇大神宮御領『仁科御厨』であった。
その後の仁科氏の動向は不明、諸説あり。平安時代末から桓武平氏繁盛流仁科氏、あるいは阿部氏または安曇氏が流入した可能性が指摘されている。
その仁科氏が武田氏に滅亡され、1582年(天正10年)の織田氏による甲州征伐にて、武田氏も滅亡。小笠原貞慶が安曇郡を安堵され、松本藩として明治維新まで続き、どんな時代にも最優先に、祭祀が保たれてきたようだ。仁科神明宮HPによると、神明造の建築物としては国内唯一の国宝。また20年に一度の式年遷宮毎に、使用されてきた造営棟札はすべて保存され、600年以上も奉仕記録されてきたことは、全国に例がないとのこと。この棟札33枚中27枚が国の重要文化財に指定されている。
境内社には、本殿を囲むように境内社が並ぶ。注目すべきは『簀社』、安曇野市内にある『穂高神社』の穂高見命=宇都志日金命を祀る。命はワダツミの祖とか、玉依姫の弟とか諸説あるが、宮下文書では出自が記載されていなかった。
宮下文書研究家・鈴木貞一氏は、タマノオヤとイワナガヒメの息子、ウサミの兄弟という見解をしており、私もイワナガヒメの埋葬地『日金山』の存在を考えると完全に同意。宮下文書によるとタマノオヤには三子いるが、一子不明であった。タマノオヤの死後、その子ウサミが立ち去ると穴門の宮を彼は任されており、やはりウサミと近い間柄で現・静岡県熱海市日金山で産まれたのであろう。
ここで、八幡=タマノオヤ説と、瀬織津姫富士朝女神代理説を思い出していただきたい。安曇野に広く祀られている梓水大神・瀬織津姫にはワダツミが祀る八幡神タマノオヤの妃、宇佐比売大神、伊豆大神イワナガヒメの影が重なって見えてくるわけだ。イワナガヒメは穂高見命の母神とみる。
アタミ=アタ族=ワダツミ。
アズミ=ワダツミ。オオワダ=ワダツミ。
※梓水大神に由来するといわれる梓水神社は、ちょうど戸隠~伊勢レイライン上にもあるのでイワナガヒメに加えて、伊勢への導き手としてアマテラスの要素も内包されている『瀬織津姫』なのかもしれない。
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!
主要レイライン交差点に浮上する『仁科神明宮』。
私が仁科神明宮をはじめて知ったのは、地図上であった。
伊豆山神社(静岡県熱海市)には、地脈で箱根と結ばれているという伝承がある。そこで、初島~伊豆山~本宮~岩戸山~箱根の先に何があるのだろう?と純粋におもったのだ。
また大室山~三嶋大社~富士山、その先には何があるのだろう?とおもった。
その時レイライン上に共通したのが、国宝こと仁科神明宮だった…。失礼ながら、それまでは名前すら知らなかった…。
さらに、『大甕神社』(茨城県日立市大甕町)が『静神社』(茨城県那珂市静)に封じ込まれているという情報を得た。では、静神社の先には何があるのかな?と見てみると、日月神示で有名な『榛名山蛇ヶ岳』(群馬県榛名湖町)の先に仁科神明宮があった。
その都度、『またか?』とおもった。
さらに
①仁科神明宮~大甕神社
②仁科神明宮~息栖神社
③仁科神明宮~穴守稲荷
④仁科神明宮~江島神社
⑤仁科神明宮~五所神社
⑥仁科神明宮~大室山
⑦仁科神明宮~伊古奈比め神社
⑧戸隠神社~仁科神明宮~伊勢神宮・内宮
⑨仁科神明宮~愛宕山~高千穂峰
という9本の主要レイラインが、一点クロスしているのがみえてきた…。以降は、便宜上これら複数レイライン群を『仁科レイライン』と呼ぶ。
~『仁科レイライン』詳細~
①仁科神明宮~榛名山蛇ヶ岳~三夜沢赤城神社~静神社~大甕神社
②仁科神明宮~中之嶽神社~貫前神社~鷲宮神社~金村別雷神社~側高神社~息栖神社~蚕霊神社
③仁科神明宮~三峯神社~青い神社奥宮~大国魂神社~伊豆美神社~穴守稲荷
④仁科神明宮~雨降山~大嶽山那賀都神社~小野神社(厚木市)~寒川神社~江島神社
⑤仁科神明宮~八ヶ岳・檜峰神社~酒折宮~神座山・檜峯神社~北口本宮浅間~東口本宮浅間~二岡神社・九頭竜神社~箱根九頭竜本宮~箱根元宮~五所神社or伊豆山神社
⑥仁科神明宮~玉幡・八王子大神若宮八幡神社~富士山~三嶋大社~大室山
⑦仁科神明宮~先宮神社・高尾山穂見神社(諏訪)~甲斐駒ヶ岳神社・横手駒ヶ嶽神社~高尾穂見神社~白糸の滝~富知六所浅間神社~大瀬神社~伊古奈比め神社
⑧戸隠神社~本州重心点・瀬戸川神社~仁科神明宮~竈神社~梓水神社~伊勢神宮・内宮
⑨仁科神明宮~竹生島南~位山~飛騨一宮・水無神社~北穂高岳~愛宕山~六甲山北~速川神社・速開都比売神社(大字寒川)~高千穂峰
※以上、おおまかに数えただけなので、探せばもっと見つかるかもしれない。他に数本の『隠れ』レイラインが存在すると思われる。
〇仁科神明宮~大宮熱田神社~阿智神社前宮~伊豆神社~槻神社~竜ヶ岩洞・奥山神社~浜名湖・辨天神社
〇白根明神~皆神山~仁科神明宮~刀那神社(上戸口)~長岡神社(越前町)~比沼麻奈為神社(京丹後)~壱岐一宮・天手長男神社
を一応挙げておく。
しかしまあ、これはただ事ではないなと…。
だけども、何を意味しているのかが見えてこない。なぜ信州安曇平にレイラインを集約させる必要性があるのか?。わからない以上はブログに書きようがないわけで…、私のなかで今日までネタごと封印してきた。
しかし最近、安曇野地方の地震のニュースと、火山とフォッサマグナ糸静線を勉強していくにあたり、まさにこの『仁科神明宮』の名前を思い出さざる得ない状況にあった…。
・2020年4月22日あたりより長野県中部にて地震が頻発している。
・2020年6月中日新聞によると、信州大学調査グループが仁科神明宮のある安曇野(松本盆地)にて断層帯を解明し、松本盆地東縁断層が枝分かれをして中規模地震の可能性を指摘している。
これってもしかして…と、安曇野周辺地図とフォッサマグナとヤマトタケルの東征の地図を重ねてみると…。この複数レイラインと交差点のもつ意味合いがわかってきた。私のなかで、文字通り点と線が繋がり始めたのだ…。
ズバリ仁科神明宮は、フォッサマグナ鎮魂社ではないかと。三峯神社や鹿島神宮や香取神宮はそれを補佐する役割もあるのではないかと。
じゃあ、誰がなんのために…?、と訊かれるとわからない(笑)。
敢えて言うと、全体的にはやはりヤマトタケル東征の影が見え隠れする。仁科神明宮周辺には竈神信仰が点在し、戸隠神社など各神社の御祭神構成から考えると、やはり崇神~景行年間のホツマツタヱ神話体系に基づく配祀布陣にみえる。ともかく桓武平氏繁盛流仁科氏や小笠原氏より遥か以前の時代とみているが…。
以上、あとは調査続行中。分かり記事にしたい。
仁科神明宮と東国三社をつなぐ、『ときわ』と『ときわ』の虚舟。
2018年5月、茨城県千葉県境の東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)と蚕霊神社を参拝した直後、突然わけもなく安曇野へ行きたい衝動に駆られた。うまく言えないが、仁科神明宮が俺を呼んでいると…。
これって…タケミカヅチさまのお陰かな…?、とおもうことがある(妄想)。あとで訪れた仁科神明宮にも『鹿島社』があったので…。
それからネットで、ちょくちょく安曇野を調べるようになり、『信濃常盤』という地名があることを知った。
常磐とは、『常に変わらぬ岩のように、永久不変であること』という意味。奇しくも、常盤国とか磐城国(福島県東部)という地名は、フォッサマグナ域外の古地盤にあたる。仁科神明宮はフォッサマグナ西端、鹿島神宮は東端に位置し、タケミカヅチが鯰を踏み潰し『地震を御す神』として親しまれている。
鹿島神宮が古地盤、香取神宮が新地盤、二社は利根川と霞ケ浦を挟み『要石』が有している。ファッサマグナ鎮魂には、タケミカヅチとフツヌシの祭祀が関係していることを感じる。
…そして常盤と常盤はレイラインで繋がっている。
Wikipedia虚舟によると、江戸時代享和3年(1803年)、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に『虚舟』が現れた。現在の神栖市波崎舎利浜。虚舟(うつろぶね)とは簡単に言えば鉄製の大きなお椀型・未確認物体で、中から『異国』のお姫様が出てきたという情報が瓦版で流れた。
因みに付近にある、『蚕霊神社』(茨城県神栖市日川)には天竺からきた霖夷国霖光の一女・金色姫が漂流してきたという伝承があり、これが江戸時代に『虚舟』の元ネタとされたという説がある。
宮下文書における『天竺』の定義とは、どうやらインド古名ではなく、タカミムスビ・クニトコタチ・クニサツチら神代の神々が、もともと住んでいた大陸地域を指す言葉のようだ。こうなると神仏習合の影響で『天竺』の意味合いが変えられた可能性もあり、すなわち三宅記『伊豆神=天竺渡来説』も意味合いも変わってくる。
…まあ話が逸れたが、小笠原氏は『信濃常盤』と『常盤』国にまたぐレイラインに何かしら関与があったのかもしれないなあと…(妄想)。
フォッサマグナを解くカギは、九頭竜神とヤマタノオロチ龍蛇信仰?。
その三ヶ月後 2018年8月、仁科神明宮を参拝。
もうすぐ20年来の式年遷宮前とかで、境内あちらこちらにバリケードが目立つのだが…。境内見渡すと、思わず立ちすくんでしまった( 。゚Д゚。)。
ええ…、何故ここに九頭竜さまが?。
仁科神明宮には『地元命』を祀る九頭竜社がある。おそらく『地元』というのは、同じ信州の戸隠神社を指しているのだろう。
実は、この仁科神明宮と伊勢内宮を結ぶと、本州の重心点(長野県上水内郡小川村)をとおり『戸隠神社』に繋がるのも面白い。これはオリジナル出雲特定の重大なヒントになるであろう。
宮下文書によるオリジナル出雲『天獄』は何処に存在していたのだろうか? - セキホツ熊の謎を追え!
戸隠神社(長野県長野市戸隠)は宮下文書神代において、スサノオの活動拠点オリジナル出雲があったと推測される比定地で、佐治芳彦氏著書『謎の宮下文書』においても、出雲=戸隠山と述べている。これが原書に書かれているかは不明であるが、氏は加茂喜三氏と共に宮下家原書を直接取材している人物である。
戸隠奥社には、ホツマツタヱにおけるスサノオと瀬織津姫の両神の天敵となった『九頭竜神』が祀られる。そして、その北東の新潟県上越市南本町には明治17年、なぜか出雲大社教から認可され出雲大社から龍蛇神?を勧請した『出雲神社』があり、城下町高田にも『出雲』古名は残されているという。出雲崎や小出雲など、もともと新潟県には出雲名が地名に残されている地域だ。
この辺、明治政府が廃仏毀釈の名目で、『戸隠山顕光寺』を襲撃したことが頭をよぎる。やはり信州出雲が最後の止めを刺されたのは、ごく近年。しかも長州…、いまの政治体制そのものである。
しかし…、龍蛇神ってなんだ?。
因みに、渡来系出雲(中国地方)では龍蛇は出雲大社の神使とされ、海に蛇が漂流してくると龍蛇神として祀る習慣がある。
ホツマツタヱにおいて、中国地方サホコ・チタル邦の政治に関与していく、九頭竜神とヤマタノオロチの姿とダブってくる。因みに、ホツマ版イワナガヒメは強引にヤマタノオロチ転生にされ、出雲の悪神にされてしまっている。
なるほど、だから伊豆山仁科レイラインでは、伊豆山イワナガヒメを封じるごとく、レイライン上の箱根や御殿場二岡にも九頭竜神を祀るのか…!?。これが伊豆山の力を弱めているのかもしれない(妄想)。最近じゃ、スピリチュアルブームで九頭竜神が取り上げられ話題となり、箱根神社境内にも九頭竜神が祀られ、瀬織津姫の『祓戸社』が神輿のディスプレイで隠されるという珍現象まで起きているのだ…。
…なんか、政治的背景まで見えてきたぞ(笑)。
ここまでの感想は…。
やはり直感的にみて、この九頭竜神とイワナガヒメこそが仁科神明宮を解く鍵ではないかと見ている。もっと言えば、このフォッサマグナ自体が、ホツマツタヱにおける出雲神、九頭竜神やヤマタノオロチ龍蛇神に准えているのではと…。そしてオリジナル出雲は龍蛇神の呪縛がかけられているのではないかと…。
※地図はクラフトマップ使用。