セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

凶変がある時は鳴動して里人に告げる謎山。幻しの甲府盆地『底大湖』と国玉大明神『御室山』の繋がり。

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御室山のある山塊。月見山と大蔵寺経山は離れている。

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御室山(月見山)を遥拝する玉諸神社。



2020,2,1

 

<レイラインの美学⑪>日本の東西を繋ぐ『日出日沈レイライン』。江戸幕府の理由、そもそも武蔵国は都になるための約束の地だった!?。 - セキホツ熊の謎を追え!

大国魂神の秘密。スクナビコナとオオクニヌシを並祀する本当の意味/健磐龍命悲しき英雄。 - セキホツ熊の謎を追え!

前記事で全国の国魂神系神社には、オオクニヌシとスクナビコナの両神の気配がすると述べた。

また前記事で紹介した日出日沈レイライン。山梨県甲府市『玉諸神社拝殿跡』『酒折宮旧跡古天神』と東京都府中市『大国魂神社』が同景行時代・同レイライン上にあると述べた。

 ~日出日沈レイライン(山梨県内のみ)~

・軍刀利神社(上野原市)413mズレ

・白山建岡神社(山梨市)

・甲斐奈神社(守ノ宮)340mズレ

・山梨岡神社(笛吹市)

・御室山古墳

・天狗神社(山神宮社奥宮)

・鏡山

・酒折宮旧跡

・玉諸神社拝殿跡

・甲斐奈神社(甲府市)258mズレ

・甲府城196mズレ

・北岳(日本二位の高さ)1,57kmズレ

※多少ズレあり、googleマップ御室山古墳と武蔵大国魂神社を軸にレイライン作成。

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 レイライン上には二つの国魂神を祀る神社がある。一つは甲斐三宮玉諸神社拝殿跡、もう一つが武蔵総社大国魂神社。どちらもヤマトタケル東征前後に関係している古社で、後世江戸時代の徳川家康により保護された。三宮玉諸神社の原型は、御室山(月見山)にて景行年間以前からあったとみる。

今回はこの山梨県甲府市国玉町『玉諸神社』とその周辺を探ってみた。すると甲斐地域を越えた、大きな『仕掛け』が見えてきた。

 

国魂神、御室山山頂から『底大湖』湖跡へ遷された?。 

御室山の由来は…神が籠る山という意味。あるいは神奈備山(神が鎮座している山の意味)とか。また物部神社が御室山にあったことから、物部氏に所縁がある大神神社奥宮『三輪山(御諸岳)』に準えるとの説もあり。

そもそも三宮玉諸神社は御室山山頂にあった…というが、この御室山、山域がかなり不明瞭で、どうやら山頂説は二つ以上ある。

 ・御室山古墳から大蔵経寺山頂(山梨県笛吹市)に行くまでの経路に御室山山頂が存在している説。

・酒折宮北(山梨県甲府市)の月見山付近に存在しているという説。

 

この二か所は同じ山塊だが、横根積石塚古墳群を挟んで2.7キロほど距離がある。過去『御室山』と称される山に、社殿を持っていたとされる神社を列挙すると、山梨岡神社や物部神社や玉諸神社が出てくる。しかし現在はすべての社殿が下ろされ、山麓に点在するようになった

正直これ…、『サカオリ』が複数ある以上に厄介な問題である。御室山も複数あると考えるべきか?、それとも私自身が混同しているだけなのか(笑)。

個人的に大蔵寺経山側は、山神宮天狗神社や山梨岡神社らオオヤマツミ系統ではないかと考えている。即ち、三宮玉諸神社とは若干異なる信仰で、御室山鎌倉レイラインを根幹にしている信仰だ。

<レイラインの美学⑬>鎌倉幕府と御室山の繋がりにみる御霊大神。三浦半島は富士朝のお膝元であった。 - セキホツ熊の謎を追え!

今回は御室山=月見山と定義してお話する。

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玉諸拝殿跡(甲府市善光寺)。背後に月見山を拝する。

月見山信仰の名残りとして現存しているのが、山梨県甲府市善光寺『玉諸神社拝殿跡』である。酒折宮の北西300mにあり、かつては御室山(月見山)を麓から遥拝出きるようになっていた。玉諸神社拝殿跡にある甲府市教育委員会由緒によると、背後山頂付近(月見山)に現在も石祠があり、現在は麓周辺の柴宮神社(山梨県甲府市善光寺)の摂社として合祀されているという。

三宮現在地にある社殿も、北背面にかつて祀られていた御室山を背負う。つまり三宮参拝者は、自動的に御室山(月見山)を拝む形となる。

うーん…玉諸神社の本懐は単なる山岳信仰なのであろうか?。

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甲斐三宮・玉諸神社。本殿背後に月見山を拝する。

◯甲斐三宮・玉諸神社(山梨県甲府市国玉町)

~御祭神~

国魂大神命(大己貴命と解釈されている)

 ※因みに、この国魂神=国内諸神を指しているという説もある。即ち、国造神は国ごとにより違うという説だ。

※因みに、塩山竹森にある『玉諸神社』とは式内社論社の関係にある。甲府市国玉『玉諸』では国魂神、塩山竹森『玉諸』では岩石信仰としてタマノオヤを祀る。一見無関係に見えるが、共通点は『玉』或いは『魂』…。

 

景行年間、ヤマトタケルが洪水対策として、国玉の地に玉を埋めて、その上に杉を植え『国玉大神』を祀る。これが現在の三宮玉諸神社(甲府市国玉町)となる。

洪水はおそらく、甲斐国にて消失した湖『底大湖』に関係していると思われる。

宮下文書によると、かつて甲府盆地は底大湖という巨大盆地湖であった。兄・火照須命(海幸彦命)と弟・火遠理命(山幸彦)が釣り具をめぐり、兄弟喧嘩した伝説の舞台である。

甲斐国誌や、佐久神社(笛吹市)、穴切大神社(甲府市)、穂見神社(韮崎市)などにも『湖水伝説』が残っている。穴切大神社(甲府市)の伝承によると、和銅年間(708~715)に、甲斐国司が湖平地化事業を開始。国造りの神オオクニヌシに祈願し、盆地南部の鰍沢口(富士川町)を開削、水を富士川へ逃がし、盆地一帯を開拓するに至る。やはり国造神スクナビコナとオオクニヌシを治水に祀るっている様だ。

 

 ただ宮下文書では、景行年間以前から底大湖事業は始まっていた。

『奈良田彦は神都復旧の議に参加したが、二十年間苦心して底大湖を掘り下げ、減水させた功に依り、その罪を免じ、今やまた、国造に任じ、その湖辺より塩を製したことにより、諱を塩見宿禰と改められた。』

景行年間、奈良田彦は、大和天皇に反抗するの富士朝勢力であったが、底大湖を掘り下げた功績により天皇から甲斐国造に任命された。これが甲斐国造の家祖『塩海宿禰』に比定されると思われる。

 

 甲府盆地は盆地の特性上、大雨時に水門が開けず。しかも甲府周辺は、川が幾重と複雑に交わり、洪水を簡単に生み出す。戦国時代の武将・武田信玄も家督を継いでまず着手したのが、この治水事業。堤防を足で踏み固めるという地味地道な作業を、コノハナサクヤの神輿を担いで華やかに行ったという。

戦国時代の武田氏滅亡の『甲州征伐』折、織田方の兵火により社殿は焼失する。その後、徳川幕府により朱印61石が安堵された。

…しかしだ、何で御室山信仰であった国玉大神を治水に利用したのか?。山岳信仰じゃないのか?。前述とおり玉諸神社の本懐はやはり御室山(月見山)であろう、それがいつのまにか底大湖鎮魂の神とされているのだ?。



酒折古天神『スクナビコナ』の気配。天神の本当の意味。

前記事どおり。全国各地の国魂神を祀る神社の多くは、オオクニヌシとスクナビコナの並祀が見られる。そして不思議なことに、この三宮玉諸神社周辺でも、大国魂神社同様にスクナビコナの気配があちこちで感じられるのだ。しかもヤマトタケルがスクナビコナこと『古天神』をかなり意識しているようにも思える。

例えば…。

・酒折北側、月見山酒折宮旧跡に『古天神社』がある。

・三宮玉諸神社東側、200m東に『大橋五條天神社』が祀られている。

・坂折天神社(山梨県笛吹市御坂町)がある。御祭神『日本武尊命』

 

酒折宮社伝によるとヤマトタケルがこの地を去るときに、『吾行末ここに御霊を留め鎮まり坐すべし』と語り、塩海足尼に倭姫命より授かった火打嚢を祀らせたという。…彼はここを陵墓に見据えていたということか?。当初の場所が、現在の月見山酒折宮旧跡である。

 

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三宮玉諸神社は、景行年間にこの月見山から追い出された形になる。周辺には『大橋五條天神社』がある。こちら創建も御祭神も不明。現場は濁川と十郎川のY字合流ポイントであり、どうみても治水のために祀られている。ここで注目すべきは、水神ではなく天神が祀られている点か?。

以上の点から、地方公共事業として国造神オオクニヌシやスクナビコナを祀るのだと推測する。地元の人々から見れば、洪水を鎮めることこそが長年の悲願であったからだ。しかし、そのわりには御室山(月見山)山岳信仰を意識しすぎている気がする。

 そして、天神社はたくさんあるのに、なぜ『五條(ごじょう)』を冠するのだろうか?。疑問が残る。

ここで天神社をいくつか紹介する。

 

◯五條天神社(東京都台東区上野公園)

~御祭神~

大己貴命

少彦名命

 

~合祀~

菅原道真公

 

なんと、当社も景行年間ヤマトタケル東征に関係して創建されている。上野周辺に細かく遷座をくりかえし、江戸時代、寛永18年(1641年)に、天海と公海が『天神なのだから、菅原道真公の像がなければ…』と半ば強引に菅原道真公を合祀するに至る。

 

〇布多天神社(東京都調布市調布ヶ丘)

~御祭神~

少彦名神

菅原道真公

 

創建は11代垂仁天皇の代ともいわれる古社。前記事にも書いたが、『天神』と称しスクナビコナを祀っていた。つまり、菅原道真が存在する遥か昔からの『天神さま』。12代景行時代、スクナビコナ=天神と認識されていたことが伺える。文明年間に多摩川氾濫、日出日沈レイライン近くに遷座、この時に菅原道真を相殿しはじめる。

 

◯坂折天神社(山梨県笛吹市御坂町)

~御祭神~

日本武尊

 

前記事にて紹介した、甲州市塩山『船宮神社』『玉諸神社奥宮』から笛吹市一宮町『一宮浅間神社』へのレイラインを形成する。ここでも天神跡にヤマトタケルが祀られているのが興味深いところ。

もともと天神社と言われていたが、現在の御祭神はヤマトタケルのみ一柱。彼が東征の折立ち寄ったのが由縁で、行宮『酒折宮』の比定社説あり。

因みに宮下文書では。富士吉田市付近に『坂下宮』はあったとされる。ヤマトタケルの痕跡が広範囲すぎて、あちらこちらで誤解を呼んでいるのではないかと推測する。

<神社めぐり>玉諸神社奥宮、明治初年に消えた2m水晶御神体の行方?、鉄道王の雨宮敬次郎飛躍の奇跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 本来の『天神』の意味とは、皇室や古代の有力豪族の祖先とされる神々。

地祇の対義語。  天神地祇と対にして使われることがある。

前記事で何度も紹介しているが。宮下文書から推測するに、そもそもスクナビコナ・コトシロヌシ兄弟は『天神』『天津神』として祀られていた。しかし三輪氏のホツマツタヱが、出雲スサノオの地祇系統に強引に組み込んでしまったのだ。そこでスクナビコナをカミムスビ(天神)の息子として、地祇神コトシロヌシとは区別を着けた。

またコトシロヌシを祀る氏族にも変遷があり、天神系賀茂氏を誤魔化す如く、地祇系賀茂氏が登場している(笑)。賀茂氏の扱いに困り果てた苦渋の策だろう。

天神として、菅原道真公を祀り始めることも、ある種の誤魔化しの歴史。延長8年(930年)の清涼殿落雷事件後、道真の怨霊は雷神と結びつけられ、菅原道真鎮魂の信仰へと変貌していく。

天神=祟り神。 

前記事でも書いたが、ホツマツタヱによるウガヤ朝欠史のために、古天神スクナビコナに対しても『恐れ』のようなものを感じていたと思う。ウガヤ朝創建の最大の貢献者は、スクナビコナとオオクニヌシ両神の孫に当たる、健磐龍命なのだ。12代景行天皇はそのウガヤ朝を欠史にしようとした訳だ。

神代より、スクナビコナを祀る滋賀県近江八幡市『沙沙貴神社』。景行天皇は志賀高穴穂宮への遷都の際、社殿を造営しなおした。奇しくも東征から帰還していたヤマトタケルはこの近江入りを目指していたようにも見える。しかし帰路、伊吹山にて足を負傷させ、伊勢路へ入る。これは伊勢の倭姫命に会いに行く途中立ったのか?。あるいはアプローチを変えて大和入りしようとしたのか。実のところは解らぬが。伊吹山の足の怪我が悪化して、命を落とすことになる。

緊急続報!氷川神スサノオの転生であった『日本武尊』、目指したのはあの重心点だった!。津島越え伊勢路に死す『墓場までのレイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

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答えは聖地『金峰山』にあるゴジョウ岩…?。

三宮玉諸神社と月見山をレイラインで結ぶと、山梨長野県境・金峰山に到達する。そして金峰山から13kmも離れている昇仙峡付近に、里宮こと金櫻神社がある。

奥秩父山塊・金峰山には『五丈岩』がある。10代崇神天皇の御宇、悪疫退散のため創建。後世、役小角が奈良県吉野『金峰山』から蔵王権現を勧請。かつては甲府盆地の河川のみならず、甲斐国荒川・富士川や信濃国千曲川・信濃川や武蔵国多摩川の水源と考えられてきたようだ。多摩川真名井伝承のさらなる水源伝承だ(地図上確認してみたが、富士川と千曲川には繋がっているが、惜しいところで多摩川とは繋がって無い)。

◯金櫻神社(山梨県甲府市御岳町)

~御祭神~

スクナビコナ

オオクニヌシ

・スサノオ

・ヤマトタケル

・クシイナダヒメ

里宮『金櫻神社』は景行天皇40年ヤマトタケル創建、東征帰路に参詣、甲斐国造・塩海宿禰に社殿造営を命じる。当社御神宝は、周辺で発掘された水晶『火の玉』『水の玉』。昭和30年大火により焼失している。この辺のところは甲州市タマノオヤを祀る塩山玉諸神社を彷彿とさせる。

スクナビコナとオオクニヌシの金峰山信仰であるが、三峯神社や武蔵御嶽神社同様に眷属信仰や蔵王権現など共通点もある。明治時代前までは蔵王権現社と呼ばれていた。甲府盆地内には分霊なのか、金櫻神社が複数存在するので注意。

※因みに日月神示によると『火』と『水』で『カミ』と読む。神の重要構成要因となる。 

…しかし金櫻神社奥宮・金峰山『五丈岩』。なんか聞いたことがある…あれ?五丈?五條?『ごじょう』?。あああああああ!!(笑)。

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つまりこれ。金峰山から発する、日本列島横断『水源のレイライン』なのだ。

前述した穴切大神社(甲府市)の伝承によると、甲府盆地湖の水を富士川方面太平洋側へ逃したという。金峰山を上流として甲斐荒川→富士川→太平洋へと河川の流れを作り、滞りなくすことは、甲府盆地の水害減少を意味する。もちろんレイラインに沿って河川があるわけではないが、富士川の流れを活性化し、確立させようとしている。

同時に。金峰山は逆方向日本海までの、信濃川・千曲川の水源でもあるのだ。

即ち、東股沢・西股沢→金峰山川→千曲川→信濃川→日本海。一つのレイラインで、同水源、逆方向の治水までをカバーしている。まあ…厳密にいうと神社を繋いでいるわけではないので、レイラインとは言えないのだが。あくまで上流から河川河口の方角を示しているようだ。

去年の2019年秋、千曲川水害が記憶に新しいが、信州長野盆地~新潟平野も水害多発地帯である。同レイラインは、信濃川バイパスである大河津分水路・分岐点を通ることにも注目。

また前述どおり仮に、10代崇神時代の人々が金峰山=多摩川上流と考えているのならば、玉諸神社と多摩川流域・大國魂神社との繋がりも目論んだかもしれない。つまり国魂神を祀る武蔵総社・大國魂神社と甲斐三宮・玉諸神社の共通項が見えてくる。

 

今回はもう一本レイラインを確認した。 

どうやら三宮玉諸神社は、二本のレイラインのクロスポイントになっているようだ。富士山→三宮玉諸神社→酒折宮→玉諸拝殿跡→甲斐善光寺→昇仙峡→金櫻神社→善光寺(信州)→妙高山がほぼ同列上にある点を注目。ヤマトタケルの狙いはおそらくコレなんじゃないか?↓。金峰山と金櫻神社が13㎞離れている理由もわかる。

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そして、これら二つのレイラインに絡んでくるのが、何故か出雲神なのだ。これはかつて信州善光寺付近にあった信州出雲を意識しているのではないかと。

・御穂神社(静岡市清水区)に祀られているミホツヒメは、信州出雲の神である。静岡県『三保の松原』は、なぜ出雲神ミホツヒメが祀られているのか正直疑問であったが…。なるほど…。

・金櫻神社(山梨県甲府市御岳町)にはミホツヒメの親神である、スサノオとクシイナダヒメが祀られている。なるほどなるほど…。

・前述した玉諸拝殿跡近くの柴宮神社(山梨県甲府市善光寺)の御祭神は、クシイナダヒメ・アシナヅチ・テナヅチ。

・前述の穴切大神社(甲府市)の主祭神は、オオナムチ・スクナビコナ・スサノオ。

信濃と甲斐、二つの善光寺と信州出雲、これはどういう関係にあるのだろうか?。信州出雲を考察するうえで、大きなカギとなりそうだ。何度も言うが、宮下文書によると古代出雲の場所は、阿祖北(信州か飛騨)にあったとされる。詳細は下リンクにて↓。

宮下文書によるオリジナル出雲『天獄』は何処に存在していたのだろうか? - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにやら巨大拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

崇神天皇時代、一体何があったのか。

崇神時代、金峰山奥宮が創建された。この時代、アマテラスを大和国に遷し、富士ウガヤ両朝を段階的に欠史改竄しようとしていた。こうして改竄史ホツマツタヱの作成に取り掛かる。すると、何の因果か災いが頻発することになる。

即ち、彼らはウガヤ朝立役者スクナビコナとオオクニヌシ両孫『健磐龍命』を恐れていた節がある。天災が続発すると、天神『祟り神』ことスクナビコナを各地に祀らせたのだ。理由は、富士ウガヤ両朝の欠史鎮魂のためもあろうかと…。

宮下文書曰く

『爾来、天下大いに餓え、疫病が流行し、盗賊が蜂起し海内恟々となった。そこで天皇神威を恐れ、徳を修め、庶民を賑はし、群神を祭らせた。そこで先ず、皇女豊鍬入媛命、同じく渟名城入媛命に勅命して、笠縫の里に祭られている天照大御神の神前に於いて大国魂神祭を行わせ、且つ吉備彦命に勅命して、その後更に天下に詔りして、列聖の遺例に従い、毎年五月五日、高天原太神宮の大祭には奉幣使を遣わして参拝させることを宣布された。』

 

残念ながら、宮下文書に金峰山や水害に関する記載はない。

因みにスクナビコナ諡は『大国御魂命』である。更に、上記の五月五日は武蔵府中・大国魂神社『くらやみ祭(例祭)』の日である。やはり玉諸神社と大國魂神社、親子のような関係が見えてくるのだ。武蔵総社・大国魂神社のスクナビコナについては下リンク↓にて。

大国魂神の秘密。スクナビコナとオオクニヌシを並祀する本当の意味/健磐龍命悲しき英雄。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

 最後に三宮玉諸神社由緒より、面白い伝承を紹介する。

 

『地域に凶変がある時は、この御室山が鳴動して里人に告げる伝説がある。』

 

相変わらず謎の御室山。あれこれいろんなアプローチで調べてみたが、結局正体まではわからなかった…。

ただスクナビコナが、かつては大きな信仰であったことはご理解いただけたと思う。単に地域限定の山岳信仰や治水の神ではなく、まさに国家を支えるダイナミックな、『国造神』『国家事業神』だったのである。

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net