2022,6,11
前記事でも少し触れたことなのだが…。甲斐国『神部神社』と大和国について、ここまで知識を得て、ようやくわかったことがあるのでご紹介。結論から言うと、ミワとカモのレイラインは甲斐御室山へ繋がっていた。
御室山・三輪山・葛城山レイライン上にあることは、既に前記事でなんとなく気づいていたのだが…。ああ、なるほど…これが10代崇神天皇時代、ミワとカモが強制合体させられた理由なのかもなと…。ホツマツタヱ編集者オオタタネコの歴史改竄の意図が、最近ちょっとだけ判り始めた。
(´(ェ)`)
~目次~
- 甲斐御室山(みむろやま)まとめ…。
- そもそも、なんで甲斐御室山と大和国が関係あるのか?。
- 大和国へ繋がる神部神社レイライン。
- 神部とは?、ミワとカモに関係あり。
- 大和と伊勢と尾張はもともと同国。
- 10代崇神天皇以降の思惑。
- 笛吹権三郎の笛
甲斐御室山(みむろやま)まとめ…。
ことの発端は、山梨県甲府盆地北部から始まる。
このブログではお馴染み…、山梨県笛吹市にある甲斐『御室山』こと大蔵経寺山。
諸説あるが、かつては延喜式内社3社、玉諸神社・山梨岡神社・物部神社の旧社地に比定されたが、現在はどの神社も遷座されている。10代崇神時代に、御室山手前の峰を『日光山高千穗峯』と呼んでいたそうで、周辺域には多くの古墳が点在し、山頂付近には小さい磐座?と祠が確認できるようだ。
現在伝えられている、この『御室山』の範囲が曖昧なのだろう…、基本的には大蔵経寺山山頂からの東尾根のことを指しているといわれる。ただ、『山梨岡神社』がある旧春日居町側からみた山の姿のことを指す説もある。甲府市酒折町『酒折旧跡』があった、月見山付近も山域になっていたという説もある。
さらにこの御室山山域は、数本のレイラインのクロスポイントになっている。下野国三毳山よりも山域が曖昧で広いためか、クロスポイントはかなりバラバラだが...。
〜御室山クロスポイント〜
- 由比若宮〜寒川〜山宮〜御室山
- 熱田神宮〜酒折宮〜吾妻屋〜新治
- 玉諸奥宮〜甲斐奈(甲府)〜橿原〜日前宮
- 洩矢〜諏訪本宮・前宮〜御室山〜山宮〜川匂〜安房
wikipedia山梨岡神社によると、古い信仰に起因しているといわれる。ただ御室山の語源は、大和国の御諸山(みもろやま)、つまり三輪山と同義で『神霊の籠もる山』のこと。
甲斐三宮『玉諸神社』の由緒書によると、『地域に凶変ある時は、この御室山が鳴動して里人に告げるという伝承がある』とあり、同内容が『甲斐国志』文化11年(1814年)にも記載されている。
知れば知るほど謎の山…。
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そもそも、なんで甲斐御室山と大和国が関係あるのか?。
ここで私がず~っと着目してきたのが、なんで甲府盆地に大和国『三輪山』が出てくるのか?…ということ。
周辺には12代景行年間の古社で、大物主命を祀る甲斐二宮『美和神社』、同時期創建の國魂大神命を祀る山梨県都留市大野『三輪神社』などがある。御室山西麓を桜井町といい三輪山所在地名と共通する。また笛吹川もあるので、なんとなく大和国と縁があるのだろうと予想はしていた。もし、この土地に対して大和朝廷の介入圧力があったとしたら…、それは大和朝廷と甲斐国の関係性、御室山の謎を解く大きなヒントとなるかもしれないと…。
そこで今回は、その繋がりを私なりに探ってみた。まあ、自分でもつくづく暇人だなとおもうが…、三輪山とレイラインで繋がるのかな?…とか色々試してみたわけだ(苦笑)。日前宮〜橿原神宮〜御室山〜甲州市塩山『玉諸奥宮』はレイラインで結ばれるのだが、惜しいところで、『三輪山』からはちょっとズレる。しかし、方向性はあっているなぁ…と。
さらに、地図上レイラインを試してみるうちに、甲府盆地には4つの『神部神社』があることに気付いた。しかも『神部』というネーミングは、もしや…。
これがなんと…大和国三輪山の方向へと、キレイに配列されていたのだ(笑)。
大和国へ繋がる神部神社レイライン。
このレイラインは、4つの甲斐国神部神社と葛城山水源地(奈良県御所市)を軸にして、三輪山を経由、大和国笛吹へと到達する。そもそも大和国三輪山の別名も、『御室山』とか、『三室山』ともいう。三室というのは不明ではあるが…。もしかしたら…、宮下文書版10代崇神天皇が、富士朝の小室・中室・大室の阿祖谷三十六神戸を『三室の聖廟地』と定義して天社の地と定めたことに、何か関係あるかもしれない(妄想)。但し、宮下文書三輪本現代訳には、残念ながら、これ以上の具体的詳細は記載されていない。
この4社の神部神社は、それぞれ御祭神に違いはあるものの、筑波山付近から、大和国にある三輪山・葛城山へのレイラインを構成している。これも偶然なのか…、甲斐国笛吹〜大和国葛城笛吹までの地名である『笛吹レイライン』でもある。
〜甲斐御室山・三輪葛城レイライン~
- 武田氏館(茨城県ひたちなか市武田)
- 水戸城跡(茨城県水戸市三の丸)
- 常陸三宮・吉田神社(茨城県水戸市宮内)
- 水戸東照宮(茨城県水戸市宮町)
- 筑波山北斜面
- 神部神社(山梨県甲州市)
- 神部神社(山梨県山梨市)
- 大蔵経寺山山頂付近・神の石(詳細不明)
- 甲斐三宮・玉諸神社(山梨県甲府市国玉町)
- 神部社(山梨県南アルプス市寺部)
- 神部神社(山梨県南アルプス市下宮地)
- トヨタ自動車堤工場
- トヨタ車体本社
- 三輪山(奈良県桜井市三輪)
- 大神神社(奈良県桜井市三輪)
- 畝尾都多本神社(奈良県橿原市木之本町)
- 葛城坐火雷神社(奈良県葛城市笛吹)
- 葛城天神社(奈良県御所市櫛羅)
- 葛城山水源地
- 和泉葛城山・高龗神社?(和歌山県紀の川市、役小角の修験道場)
- 九頭竜明神社(和歌山県紀の川市)
※『玉諸神社』は塩山竹森にも別社があるので注意。
※レイラインはグーグルマップ上の表記では、御室山≒大蔵経寺山山頂付近『神の石』なる地点を通る。詳細不明ながら登山愛好者たちのブログYAMAPさんによると、現地には何かしらの祠か磐座のようなものはあるようだ。
なんかある…!?(´(ェ)`)
〜甲斐国神部神社、4つとも論社〜
◯『神部神社』(甲州市塩山上萩原)
- 神直日神
- 大直日神
- 八十枉津日神
- 表津少童命
- 中津少童
- 底津少童命
- 表筒男命
- 中筒男命
- 底筒男命
※9柱総称を『祓戸ノ九神』という、当地には笛吹一宮とは別の『神部山』伝承在り。当地より東に天狗祠があり、『山宮』と呼んでいたようだ。しかも神社東側には文殊川に沿って大久保という地名もあり、笛吹市一宮地区『山宮』の状況と酷似しているのが気にかかる(大久保姓は宮下氏族の可能性もあり)。
◯『神部神社』(山梨市上神内川)
- 神淳名川耳尊(2代綏靖天皇)
- 大山咋命
- 大穴牟遲命
※山王権現を称していた。12代景行年間、甲斐国造の塩海足尼(塩見宿彌)が、近江国比叡から勧請。
◯『神部社』(南アルプス市寺部)
〜御祭神~
- 天糠戸神 (鏡作部の遠祖)
- 石凝姥命
- 誉田別尊
〜相殿〜
- 大山咋命
- 大己貴命
※詳細不明、自称論社?、鳥居には神部神社と八幡神社が併記されており、かつて鏡作部が拠点としていた。下宮地の八幡神との並祀は、宮下文書における阿祖山太神宮の、初代と二代目の大宮司の関係となる。
◯『神部神社』(南アルプス市下宮地)
大物主命
※境内由緒によると、11代垂仁時代、大和国三輪神社からの勧請して創建、三輪明神と呼ばれていた。上宮地『八幡神社』の里宮とのこと。この地が湖だった頃に船にて奉遷されたとのこと。
いつも感じていることなのだが…、同名神社がレイラインを形成している場合が間々ある。延喜式式内社・論社や同名神社などは、それぞれ役割があると考えられないのだろうか?ともおもっている…。
神部とは?、ミワとカモに関係あり。
当然気になるのがこの神部神社の『神部』。
最近の記事で紹介したばかりだが。宮下文書記載の800年延暦噴火の折、阿祖山太神宮が避難遷座された『神部山』『山宮』とは関係あるのだろうか?。現在の『一宮浅間神社』(山梨県笛吹市一宮町)境外摂社『山宮』は、神山の麓といわれるが。この神山と神部山が重複して見えるのだ。
〜前述した宮下文書記載〜
『八代郡と山梨郡の間の中山の東山に宮殿を造営して先現太神を分ち移して祀った。この山を神部山と名付けた。即ち福地山北元宮神部山浅間神社がこれである。』
※宮下文書現代訳『神皇紀』203ページ引用。
この4社のうち3社の神部神社に共通している点が、奈良県桜井市三輪『大神神社』の御祭神との相関関係だ。つまり『神部』というのは、富士朝阿祖山太神宮の奉仕者に絡んでいるようにも見える。とりわけアマテラス時代の、初代大宮司オオクニヌシと副司オオヤマツミの関係を示しているのだろう。これは山王権現・日吉大社のオオクニヌシとオオヤマクイの関係も同様、下野国一宮・日光二荒山神社のカップリング祭祀も、ミワとカモの関係もこれに準じているのではないか?と…。
広義で言えば、三輪山と葛城山の二大霊山の対極関係なのだ。しかしそれが5世記の21代雄略天皇時代には、葛城山『一言主神』信仰の権威は大きかったものの、720年『日本書紀』成立時代位には凋落してしまったようだが…。
もっと言えば、オオクニヌシと田心姫命との婚姻関係にも波及されるとみている。記紀版オオクニヌシは多くの妻を娶っている設定とされているが、その妃の宗像三神・田心姫命の正体は、コトシロヌシの娘であり、オオヤマツミ妃、伊豆三嶋神で寒川神のカモサワヒメではないかと考えている…(妄想)。
〜宮下文書における阿祖山太神宮奉仕者~
◯初代
- オオクニヌシ(守護司長、高天原総司令神)。。。ミワ
- オオヤマツミ(副司長、全国の山の統括神)。。。カモ
◯二代目
- タマノオヤ(守護司長、安曇族祖八幡神?)
- アメノコヤネ(副司長、右臣藤原物部系統祖)
- フトダマ(副司長、左臣蘇我大伴系統祖)
〜日吉大社(比叡山=富士山の見立て)〜
- オオナムチ(大物主命と同神とされている)
- オオヤマクイ(オオヤマツミと同神説あり)
〜三輪と賀茂〜
- オオクニヌシ(三輪氏祖オオナムチ)
- コトシロヌシ(カモサワヒメ父)
- カモサワヒメ(別雷命)
- タマヨリヒメ(51代までのウガヤ朝51皇后)
- 賀茂建角身命(宮下文書記載なし)
〜日光二荒山神社〜
- オオクニヌシ(夫)
- 田心姫命(妻)
- アジスキタカヒコネ(子?、蘇我系統)
〜静岡浅間神社境内『神部神社』~
- オオナムチ(オオクニヌシ)
〜宮下文書神部山比定?・山宮神社〜
- オオヤマツミ
- ニニギ
今までも何度か紹介してきたのだが…。このミワとカモが強制的合体されたゆえに、全国的に残っているオオクニヌシ系とオオヤマツミ系のカップリング祭祀を、是非とも意識していただきたい。そして、ミワ氏でもありカモ氏でもあるオオタタネコ子孫が、『神部氏』というのだ。
但し、記紀版オオクニヌシ系譜で熟考していると、当然メチャクチャになるので注意。まずは記紀系譜を忘れて、宮下文書系譜を覚えることをお忘れなく(笑)。
徳川家康の二面性?、山王神道がミワとカモを祀る理由。 - セキホツ熊の謎を追え!
大和と伊勢と尾張はもともと同国。
これも前記事のおさらいとなるのだが…、大和国の歴史を分解すると。
大国主命・大物主命・大国御魂命(スクナビコナの諡)は、一般的にオオクニヌシとして同一視されることが多い。これには以下のようなカラクリがある。
〜大和国三神の同一視?~
- 大物主命
- 大国主命
- 大国御魂命(スクナビコナの諡)
ニニギ外寇親征の役以降、戦役の論功行賞により全17軍神を全国に配置した。尾張〜伊勢〜大和国の広大な範囲は、大物主命とスクナビコナの領地であった。とくに尾治田(後の尾張のこと)は本島中心に位置づけられ、富士朝軍の総司令部であった。
藤原物部系統の祖・大物主命(武知男命)は総軍司令頭長であり、尾張から東西南北の海々に至るまでの武士軍事を司る家系『武部(もののべ)』であった。その軍議に参与していたのがスクナビコナ(少名毘古那命)で、やはりこの尾張から、南西国における海々の総司令頭長の家となった。因みに、スクナビコナ弟のコトシロヌシは東北国海々までの総司令頭長となる。
現在もその痕跡はのこされており、尾張一宮『真清田神社』は、もともとは大物主命の拠点。その後ウガヤフキアエズ朝時代になると、ウガヤフキアエズ弟の天別天之火明命の拠点となり、子孫らが尾張勢力となった。現在、真清田神社本殿裏に存在する、本宮荒魂が祀られている三明神社は、もしかしたら…大物主命と関係があるのかもしれない(妄想)。
『尾張大國霊神社』(愛知県稲沢市国府宮)はスクナビコナの拠点、また現在伊勢外宮にある『度会大国玉比賣神社』(三重県伊勢市岡本町)はスクナビコナ妃の陵墓であった。
〜大物主命とスクナビコナの痕跡~
- 尾治田田原の里・真清田の宮(大物主命)
- 尾治田中島の里・国府の宮(スクナビコナ)
- 伊勢度会原・武彌雄毘女(スクナビコナ妃・大国御魂毘女)
ウガヤフキアエズ朝末期。
神武東征の折に、初代神武天皇が全国各地へ援軍要請をし、代々遠久見(遠州一宮小国神社付近)国造であったオオクニヌシ57代孫・豊徳知貴命がいち早く参陣して大活躍。豊徳知貴命は人望も厚く、その後神武朝の諸税の収納の役職を司り、『三輪家』を称する大豪族となる。こうして大和国にオオクニヌシ信仰が芽生え、台頭してゆくことになる。
◯『大神(おおみわ)神社』(奈良県桜井市三輪)
〜御祭神~
- 大物主大神(大己貴神和魂とされる)
※水神と雷神の性格を併せ持つ、蛇神。
〜配祀神〜
- 大己貴神
- 少彦名神
※自称日本最初の神社、三輪山を御神体とする。
ただ、ホツマツタヱ・記紀の見解で政治的にみれば、神武東征まえに、大和国が大物主命とスクナビコナの影響力にあったこと自体が都合が悪いわけだ。かと言って、大和国祖・開拓神を無きものにはできず。故に10代崇神時代以降の改竄された国史においては、これら三神を同一視する流れもあったと思われる。現在の大神神社の御祭神は、この三神に配慮しつつ、大和国を平定しようという思惑が見え隠れしている。
10代崇神天皇以降の思惑。
10代崇神天皇は、天皇家が続けてきた富士朝参拝の慣習を簡略化するために、色々工作してきた人物。アマテラスを富士高天原『麻呂山』から纏向へ強制遷座させ、三品の大御宝レプリカを製作させた。
その結果、飢餓・疫病・天災が続いたために、逆に富士朝神への畏敬の念が強まり、優柔不断な決断をせざる得なくなった。簡単にいえば、誤魔化したいけど誤魔化せない…。どこか富士朝神に配慮しつつ、妥協せざる得ない改革をした人物。
その後11代垂仁時代の倭姫命により伊勢神宮が創建され、12打景行天皇の時代の乱世となる。天津神と国津神が強制的に分離され、右左両臣近親婚制度が廃止され、ミワとカモなどの有力豪族が強制合体させられた。さらに富士朝史に詳しい富士朝客人勢力秦氏らを利用して、実験的な祭祀させていた時代でもあった。
結局、有力豪族らを束ねるためには、これらの神系すらも統合・同一視せねばならない状況だったのだろう。天皇自らの御祖霊でもある神々を、誤魔化しつつ、いかに崇敬できるかを試行錯誤していた。
前述のように、伊勢国はスクナビコナ妃を祀る聖地であり、尾張国大和国と同国であった。その後神武天皇東征に伴い、伊瀬山田の合野山に神武天皇の父・51代ウガヤフキアエズの弥真都男王(やまとお)尊を埋葬していた。この人物がヤマト国の語源と思われる。
故に、大和朝廷が『伊勢神宮』を創建した折、最大限配慮しなければならなかったのが、伊勢国と大和国の祖神でもあるスクナビコナ(大国御魂命)夫妻というわけだ。宮下文書曰く、10代崇神天皇時代に、高天原太神宮の例大祭5月5日にあわせて、笠縫の天照大御神の御神前にて『大国魂神祭』を挙行した。これが全国にある大國魂系統の祭祀の始まりであり、延喜式大和坐大国魂神社三座の大和国最古級『大和神社』や、三輪山『大神神社』に少なからず影響していると思われる。武蔵国府大國魂神社の5月5日『くらやみ祭』も、その影響の一例なのかもしれない。
そして三輪山を神体山とする『大神神社』は、これら尾張〜伊勢〜大和に跨がる富士朝重要神三柱を、富士山の方角に祀り、鎮魂させる目的もあったのではないだろうか?と…。
※少なくともオオクニヌシは、中国地方出雲と直接的な繋がりはないので注意。ただし、オオクニヌシは太神宮初代大宮司であり、全国的に罪人を罰していた信州出雲スサノオのお目付け役、尚且ヱビス(アマテラスの兄)とともに全国を巡り職業指導をしていた神なので、当然全国規模で祀られている。
次回へ続く…。
次回はレイライン上葛城山までをご紹介。大和国になんで尾張氏族が、火雷天神や賀茂神信仰、オオヤマツミ信仰をしているのか?。このあたりを分析してみたい。通説尾張氏は火明命の子孫で、大和国葛城郡高尾張邑から発祥した古豪とされる。葛城山笛吹地区は、尾張同族が富士朝やカモ祭祀をしていた不思議な土地。尾張国造として尾張へ渡り熱田大宮司職を世襲した...とあるが、…通説の全く逆である。
(´(ェ)`)
笛吹権三郎の笛
最後に山梨県笛吹市『笛吹川』の伝承を振り返ってみよう。
京より甲斐へ逃れた父を尋ねて、母子がやってきた。しかし既に父は死んでおり、その後母子はこの村人となって生活していた。ある日川の増水で少年の母親が行方不明となり、母親の大好きな笛を奏でながら毎日毎日捜索していた。しかし、最後は少年も深みにはまり溺死、笛の音だけが残ったという…。いつしか笛吹川と呼ばれるようになった。
この少年の名が笛吹権三郎。探していた父親は、96代後醍醐天皇の忠臣だった藤原北家流・日野資朝朝臣の義弟・日野河内守道義とも伝えられている。時代的には室町時代、大和国笛吹連とは関係なさそうだが…。もしかしたら宮下文書に記載されているように…、富士朝と関係が深い南朝方の氏族が、富士朝を頼って甲斐へ逃れていたのかもしれない。
便宜上、前記事と説明箇所が重複気味になります。既読者の方々にはもどかしい所も多いかもしれませんが、このへんはおさらいだと思ってください。宮下文書を知らない方が、初めてこの記事を読んだら意味不明で錯乱して卒倒するに違いない...(苦笑)。細かい説明が普通のブログ以上に必要となるのでしょうね...、当ブログは、歴史初心者のかたにも広く読んでいただけたらと願っております。
よろしくお願いいたしますm(__)m。
※地図はクラフトマップ使用。