セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

徳川家康の二面性?、山王神道がミワとカモを祀る理由。

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『日光東照宮・陽明門』(栃木県日光市山内)



2021、12、12

前記事より、なぜ徳川家康は田心姫命を祀る『日光』へ遷座させられたのか?。下野国寒川七郷に祀られる田心姫同様に、多少強引だがカモサワヒメ≒田心姫命であれば説明がつくわけだ(苦笑)。そして『日光二荒山神社』に見え隠れするカモとミワ、今回はこのあたりを考察してみたい。

~目次~

 

宗像三女と祓戸四柱と伊豆権現、田村麿による富士延暦噴火鎮魂の大水神レイライン現る。 - セキホツ熊の謎を追え! 

日光田心姫信仰と富士朝信仰、富士山鎮火の朝廷と空海の思惑とは。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈レイラインの美学⑮〉最澄と空海と和気清麻呂、八幡神を巡る偉人たちのレイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

〜徳川家康の崇敬した神〜。

・大国主命(三河国=遠久見祖神)

・カモサワヒメ(賀茂明神・葵神)

・オオヤマクイ(秦氏氏神・太田道灌崇敬神)

※クニトコタチや瀬織津姫、日枝信仰ほか…。

 

〜カモサワヒメとは〜

寒川毘女=三嶋神=別雷命≒田心姫命???

※オオヤマツミ妃

※イワナガヒメとコノハナサクヤヒメ母

※コトシロヌシとタカテルヒメ娘

※別雷命とはカモサワヒメの諡。

 

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天台宗と山王神道と徳川家康。

そもそも天台宗と日吉大社の拠点、比叡山とはなにか?。結論から言えば、ホツマツタヱによると富士山の『見立て』。それを開山して拠点としているのが天台宗や山王神道なわけで、富士朝信仰を根源としていてもおかしくはない。現に調べれば調べるほど、富士朝との繋がりが浮き彫りとなる。

天台宗最澄は、804年延暦噴火による富士朝鎮魂活動をしており、富士山早池峰山レイライン上にも関与していたと見る。その弟子である第3代天台座主円仁がレイライン上平泉『中尊寺』を開基しており、なんと彼は下野国小野寺領『三毳山』に生まれていた。前記事でも紹介したこの三毳山は、藤原秀郷と平将門とが対陣した場所、別名『安蘇山(あそさん)』という。宮下文書における『阿祖』=『阿蘇』とは、高天原高千穂峰同様に富士山そのものを意味している。

そしてその天台宗継承者が、富士朝と深い繋がりをもつ三浦氏末裔蘆名氏・天海であった。Wikipediaによると、彼は前述の円仁が開基した無量寿寺北院こと喜多院(別当川越日枝神社)にて住持。1607年(慶長12年)に比叡山探題執行となり、西国天皇勢力との交渉担当と比叡山再興を任される。当初、家康崩御に際しては神号を明神として、『吉田神道』で祭祀すべきと考えられていた。これに対し天海は、権現として山王一実神道での祭祀を主張。結局的には『東照宮大権現』とされ日光へ遷座している。

 

◯『日吉大社』(滋賀県大津市坂本)

〜御祭神~

  • 西本宮・大己貴神(大物主ともいわれる)
  • 東本宮・大山咋神(山末之大主神)

 

※日枝(ひえ)の山=比叡山。崇神天皇7年、日枝山頂から現在地山麓へ遷座している。宮下文書における神武東征の折、タケミカヅチ東国勢力が出雲白木人マガツヒ軍を撃破した日栄山のこと。後世では、天台宗最澄の生誕地でもある。

788年(延暦7年)最澄が比叡山上に延暦寺原型を建立、日吉社を地主守護神として祀る。794年平安京遷都の折には、京の鬼門『鬼門除け・災難除け』の位置づけた。



ミワとカモのコンビネーションは阿祖山太神宮の見立て?。

オオクニヌシとオオヤマクイ…、この日吉大社のコンビネーションは何を意味するのか?。まさにミワとカモである。

 

〜富士朝阿祖山太神宮宮司(初代)〜

  • 大国主命(守護司長)
  • 正哉山祇(副司長)オオヤマツミのこと。

 

〜日枝二柱並祀〜

  • オオクニヌシまたは大物主
  • オオヤマクイ

 

まずオオクニヌシ。

前記事でも述べているが、宮下文書から推測するに、大物主・大国魂・大国主命は混同されている。神代における大和国の統治は大物主とスクナビコナ(大国御魂命)の管轄地であった。

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そこに神武東征に参戦すべくオオクニヌシ56代孫・豊徳知貴命が遠久見国佐野郡(現在の小国神社付近)から馳せ参じる。彼らは大和国建国後、大和国三輪の里に居着き、諸税収納役となり大きな権力をもつようになる。これが三輪氏族の始まり。

同時に大和国祖神である大物主とスクナビコナには敬意を払い、鎮魂祭祀していたのだとみる。これがいつの日か、三輪の地で混同されてしまったようだ。10代崇神天皇の御代、富士朝麻呂山からアマテラスを強制遷座させ、大和国の天災人災か続くと、笠縫に祀られていたアマテラスを始め、大和国祖神の鎮魂祭を全国的規模で催した。これが宮下文書三輪本現代訳記載p187『大國魂神祭』ではないだろうかと。

 

オオヤマツミ。

宮下文書研究者・鈴木貞一氏によると、オオヤマクイとオオヤマツミは同神という。何度もいうが比叡山は富士山の見立てであり、富士山の統括神を意味している。経緯を考えれば辻褄があう。

  • オオヤマツミ
  • オオヤマクイ

※大山津見の津見(ツミ)=君(キミ)

※大山咋神の咋(クイ)=貴(クイ)

どちらも富士朝秦氏の縁が深く、比叡山麓日吉大社と山城国賀茂別雷神社と山城国松尾大社は『火雷弓矢』の伝承となるレイライン上にある。権力者たちはこのレイラインの真意を消そうとしていた節があり、オオヤマツミはオオヤマクイと呼ばれ、別雷命は男神イメージとされた。これらは秦氏が自主的な防衛策で、氏神である御祭神を隠匿したのではないだろうかと…。その結局、京都同地域に神社単位で個別な伝承が様々残された。

またそのレイライン上に祀られる『北野天満宮』の菅原道真公も、火雷信仰と称される。宮下文書には『寒川の畔の菅原』という地名があったようで、つまり菅原道真公による『火雷天神』信仰というのは富士朝クニサツチ夫妻・火神オオヤマツミ・別雷命カモサワヒメら寒川神の代役なのではないか?と考えている。その他、地域によりスクナビコナも天神と呼ばれていた節があり。

 

このように日吉大社のニ柱並祀というのは、富士朝の中枢『阿祖山太神宮』大宮司を見立てているのではないだろうか?と…。そして前記事にて仮定したように、田心姫命=カモサワヒメであれば、結局『日光二荒山神社』というのは、間接的にオオクニヌシとオオヤマツミ妃のコンビネーション…、ミワとカモのコンビネーションへと変換されているわけだ。この二荒山信仰や荒神というのも富士朝色が強そうだ…。

 

結局、徳川家康がなんでミワとカモを祀るかと言えば、プライベート的に理にかなっているからだろう。

  • オオクニヌシ=遠州三河国の祖
  • カモサワヒメ=氏族の氏神

では、そもそもこれを無理やりカップリング改竄したのは誰か?、…ホツマツタヱ編集者オオタタネコだったのではないかと。つまりオオタタネコと同じ遺伝子を徳川家康が継いでいれば、さらに辻褄があってくるのだ!(後述)。

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富士山早池峰山レイライン上にある『東照宮奥宮・宝塔』。



徳川家康賀茂氏末裔説?。

そこで鍵となるのが、オオタタネコだ。

10代崇神天皇から12代景行天皇時代成立の、ホツマツタヱにおけるミワとカモは同族にされてしまった。スサノオの子孫として大物主や事代主という役職を継承していった権力者家系であった。宮下文書系譜では考えられないメチャクチャな系譜だ。そしてそのミワとカモの子孫であるオオタタネコ(大田田根子命)は、二代目ホツマツタヱ編集者となる。

徳川家康出自については諸説あるが、賀茂氏族・大鴨積命の末裔で、松平家の発祥地である三河国加茂郡松平郷というのが、山城国賀茂神社の神領地であったという説がある。一般的には大鴨積命を大部主命の兄弟とするが、『肥前国風土記』によると、大鴨積命の子・大野宿禰(神大野宿祢)は景行朝の人物とし、実際にはオオタタネコの兄弟ではないかとも言われる。母親も乙名久志媛命ではなく、賀茂県主遠祖・鴨部美良姫の可能性がありそうだ。また南朝や井伊氏など、秦氏の影響が見え隠れする地域なので、当然富士朝色が強かったのではないかと。

つまりオオタタネコは、宮下文書におけるオオクニヌシ子孫遠州三輪氏族に、とても近い賀茂氏族だったのではないだろうかと…。

※但し、徳川家康はあくまで清和源氏・新田氏末裔を自称しているので注意。

※別記事でも述べているが、宮下文書には賀茂氏は登場せず。個人的に思うに、富士朝っぽい人々のことを賀茂氏と仮称・総称していたのではないかと見ている…。

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この国を支えている?、山王システム。

徳川家康は隠れてカモサワヒメを崇敬していた?。

前述のように、徳川家康と天台宗天海は太田道灌が崇敬したオオヤマクイ信仰を背景に、太田道灌の江戸城を継承している経緯がある。wikipediaでは、家康側室・英勝院は道灌子孫の太田康資の娘。1478年太田道灌公が江戸城鎮護として前述の喜多院別当『川越山王社』から勧請した。このオオヤマクイ、実は前述の天台宗円仁が勧請したものを、室町期・太田道灌が平将門(津久戸明神)とともに江戸城鎮守として継承していたことになる。もし仮に、太田道灌が宮下文書版富士朝『太田氏』であれば、殆ど辻褄が合うではないか!。

◯『日枝神社』(埼玉県川越市小仙波町)

〜御祭神〜

・大山咋神

※前述の第3代天台座主円仁が、喜多院鎮守として創建。

※道灌は宮下文書に登場せず、しかし高確率で応神天皇根鳥皇子子孫で、富士朝氏族『太田氏』と思われる。



しかし一方で、富士朝高天原に残された宮下家にとっては、史上最も過酷に虐げられていた時代でもあった。1668年(寛文8年)67代宮下甚太夫宗忠は、領主秋元摂津守喬知の虐政に対立し斬首される。これにより宮下家宗家は滅亡の危機に瀕したが、65代宗義の家系により再興が果たされる。奇しくもこの年11月、富士朝と南朝に縁が深いハズの井伊氏・井伊直澄が大老に就任しており、なぜ江戸幕府が宮下家を保護しなかったのか疑問で仕方がない。徳川家康に見えてくる二面性、これはなぜなのだろうか…。

『落穂集』によると、徳川家康に『百姓は生かさず殺さず』という名言がある。人間は人間の上に立つために嘘をつく、世界共通の権力構造の根本であった。虚構世界で真実に生きることの難しさから、真相は『宮下家屋敷の屋根裏』に隠されてきた。以降大正時代まで宮下家中では『開けたら目が潰れる』と脅されつつ保管されてきた。裏を返せば、宮下家が江戸幕府を信用していなかった証明である。

 

武蔵総社大國魂神社の『くらやみ祭』も同様だ。家康は、富士朝とウガヤ朝歴代神皇を瀬織津姫に鎮魂させつつ、『真相を見てはならない』とそれを隠すように命じた。一般庶民たちが真相に触れ、ある意味覚醒してしまうことを恐れていたのかもしれない。

このように家康の言動には常にこの二面性があった。オオヤマクイを祭りつつ富士山を鎮魂させる。富士信仰者たちが作り出した処世術?、これが西国天皇勢力の『嘘』と共生してゆく、新時代の富士朝スタイルだったのか?。

 

ならば、日光の田心姫命とて同じ理由ではないだろうかと…。江戸期には皮肉なことに…もはや世間からカモサワヒメを知る者はいなくなっていた。

1404年(応永11年)太神宮司宇津越中守義利を将とした南朝・富士朝連合軍は、足利幕府目代千葉兼胤により敗北、これが事実上の富士朝高天原陥落となる。以降人々の脳裏から富士朝とカモサワヒメの名前は忘れらた。その代替のごとく、吉田兼倶による『吉田神道』が台頭している。

つまり江戸期には、ほんのごく僅か、天台宗や富士朝知識人や徳川家特権階級だけが『神』を独占できる好都合な時代になっていたわけだ…。権力者とその家族さえ神に救われれば良い…、権力者と被権力者の溝は益々深まっていくだけであった。

 

吉田神道と宮下氏族吉田氏(2代宮下源太夫明政5王子子孫)の関係は不明だが、関係ありそうな気もする…。戦国時代には一時衰退していたが、1665年(寛文5年)江戸幕府制定の諸社禰宜神主法度により神道本所として復興されている。調査中。

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東照宮『神輿舎』、かつての権力者・源頼朝と豊臣秀吉が祀られている。

近況報告

実は…夏ころ、伊豆にいる母が病気でぶっ倒れて、入院していました。いやホント衰弱しきって正直駄目かと諦めていたのですが…。まあ、なんとか持ち直して退院できまして…。

見舞いに行きたくても、病院側はコロ◯騒動を理由に一切面会謝絶していました。とくに東京からの面会者は厳しかったようですね。コロ◯を恐れてか、父も私を拒んでいました、東京モンは伊豆に来るなと怒られまして(苦笑)。じゃあ、オレは一体どうすればいいんだ?と…。ま、結果的に不安を打ち消し、誤魔化すかのごとく、このブログに専念出来たわけです…。

それが良かったのか悪かったのか…、結局フラフラ神社巡りを繰り返して、下野国を巡ったりしてました。そこで偶然、母方の小野寺氏の存在にたどり着き、氏神村檜神社や小野寺山大慈寺を回って来ました。この小野寺氏が仕えた葛西氏と佐竹氏は、どうやら宮下氏族かと…。また別記事にて紹介したいと思います。

ともかく、こんなに勉強したのは受験以来すかね〜

(´(ェ)`)。



高齢の両親は、以前から伊豆の医療体制に不安を感じていまして、引っ越しを決めていた最中でした。書類上ではもう引っ越しているハズなんですが、コロ◯が終息するのを見計らっていたようです…。まあいろいろあって、待っていたらキリがないので…そろそろ関東某所へ移住するそうです(笑)。

べつに各地神社では、母親が助かりますようにとはお祈りしませんでした…、だけどまあ、小野寺氏?御先祖様のおかげなのか、伊豆の神様のおかげでしょうか…。前記事を書き上げた直後に、伊豆の両親から引っ越しの準備をしたいから手伝ってくれとの連絡がきました…。

伊豆は大好きな場所なので、今後も神社巡りをしていきたいです…。

(´(ェ)`)



※年末年始は仕事もプライベートも忙しくなり、ブログも休みがちになります。

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