セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

宗像三女と祓戸四柱と伊豆権現、田村麿による富士延暦噴火鎮魂の大水神レイライン現る。

 

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寒川郷思川、田心姫命の『田』+『心』で『思川』という説あり。

2021,10,10

本ブログは宮下文書をベースに考察しているので、一般とはかなり違います。ご注意を…。

前記事のおさらいをすると。

宮下文書によると、800年に富士山延暦噴火あり。806年(大同元年)前後、富士朝供物司長家系である坂上田村麿が、50代桓武天皇の命を受け富士朝入麓し、富士朝避難活動と復旧工事を始める。この頃、ちょうど下野国府や寒川郷『野木神社』にて、延暦噴火鎮火のための水神祭祀、あるいは東北神鎮魂をしていた形跡がある。そして下野国寒川周辺で祀られている田心姫命が鍵ではないだろうか...?、と睨んでいる。

今回は前記事『寒川七郷』の補足記事のつもりで、昨日upするつもりだったが、土壇場になって寒川郷圏外の事も色々わかり大幅に書き直した。

~目次~

 

富士朝+応神合体計画、待望の菟道稚郎子皇子をなき者にしたのは仁徳天皇と武内宿禰だった??。 - セキホツ熊の謎を追え!

幻しの宇治天皇『菟道稚郎子』と坂上田村麿による祭祀、そして瀬織津姫登場!?。 - セキホツ熊の謎を追え!

賀茂『七瀬祓い』と寒川『七郷めぐり』の類似性、やはり隠されていたのは別雷神カモサワヒメ? - セキホツ熊の謎を追え!

 

田心姫命を寒川郷で祀る理由。

まず、この寒川郷で田心姫命が祀られたキッカケを探ってみると、二つの論社が浮上した。

〜延喜式寒川郡二座(並小)〜

  • 胸形神社(栃木県小山市寒川)
  • 網戸神社(栃木県小山市網戸)

 

◯『網戸神社』(栃木県小山市網戸)

〜御祭神〜

・田心姫命

〜配祀〜

・大山祇命(資料による?)

・天児屋根命

〜境内社〜

・皇宮神社(庚申塚であった)

・奥瀬神社(折本地区)

・八坂神社(本宿地区)

・熊野神社(高場地区)

・北向天満宮

・浅間神社

ほか

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栃木県小山市網戸『網戸神社』

※網戸神社、創建不詳。

806年(大同元年)再建。前記事にて田村麿が野木宮を遷座させたのが延暦年間、時期的にちょうど符合する…。

939年(天慶2年)、藤原秀郷が平将門追討のために戦勝祈願。戦勝の砌と、金百貫文を奉納。

1180年(治承4年)8月の源頼朝挙兵の際に、小山政光と朝政は大番役として上京中であった。その期間中、房総半島へ逃亡していた源頼朝を訪ね、このあとの『野木宮合戦』に何かしら支援的密約を結んだと云われている。寒河尼の実子・結城朝光引き合わせで臣従し、頼朝が烏帽子親となって元服している。さらには源頼朝御落胤説があり、通字『朝』は頼朝由来との説もあり。個人的には…、武藤資頼の『頼』も気になるところ(苦笑)。

1187年(文治3年)、源頼朝は、寒河尼を下野国寒川郡と網戸郷の女地頭に任命。

1440年(永享12年)結城合戦で敗戦。網戸城は廃城となる。村重は奥州へ逃れ、会津葦名氏(三浦氏族蘆名氏・天海の出自)の家臣となっている。生井または生江と改姓したという。もともと小山氏は藤原秀郷流『太田氏族』であり、非常に富士朝色が強かった地域とみる。

 

◯『胸形神社』(栃木県小山市寒川)

〜御祭神〜

・田心姫命

〜配祀〜

・市杵島命

・多岐津比売命(または湍津姫命=はやつひめ)

 

※延喜式神名帳・下野国寒川郡『胸形神社』の論社。崇神時代に牟奈加多神社(九州の宗像大社)からの勧請であり、寒川郡総社とされる。中世には衰退していたようで詳細は不明。現在、栃木県小山市の巴波川堤防に存在するが、思川沿いの網戸神社同様に論社を主張している。

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栃木県小山市寒川『胸形神社』

しかし…なぜ『寒川』の地に、寒川神ではなく田心姫命を祀るのだろうか…?。ここで思い出していただきたいのが、宮下文書カモサワヒメ=寒川毘女=三嶋神=別雷命。富士朝色の強い寒川郷は、寒川神カモサワヒメの土地に、田心姫命が間借りしているようにもみえるのだ。

実は...。思川や上流黒川や鬼怒川上流には、二荒山神社別宮『瀧尾神社』を拠点とする神社群があり、グーグルマップ検索した限りで日光周辺15社ヒットした。全部確認とれないが、おおよそ日光女峰山を御神体とする女峰権現として、広範囲に田心姫命を祀っていたのだ。

〜徳川家康の崇敬神〜

  • オオクニヌシ(遠久見≒三河国の祖神)
  • オオヤマクイ(江戸城鎮護・秦氏氏神)
  • カモサワヒメ(『葵(あふひ)』≒阿夫利神)
  • クニトコタチ、瀬織津姫ほか

まあ、失礼な言い方かもしれないが…。家康には寒川神カモサワヒメのほうが相応しいんじゃないだろうかと(苦笑)。



レイラインで繋がった、二荒山の因果関係。

ここで、以前紹介した富士山と日光東照宮のレイラインを再考してみよう。ヒントは日光という土地柄と新田氏族徳川家康。三浦氏族蘆名氏・天台宗天海が富士朝信仰に影響を受けた人物であれば、必ずそのカラクリを残すハズだ。

この地域に祀られる田心姫命の意味もわかるのではないだろうかと...。

〜家康東照宮レイライン〜

  • 早池峰山(伊豆権現と三女神伝承あり)
  • 中尊寺金色堂(天台宗。清和天皇から額を賜る)
  • 不動滝・蔵王不動尊(坂上刈田麿旧領地)
  • 猪苗代(三浦氏族猪苗代氏と田茂沢おんばさま?)
  • 日光東照宮奥宮宝塔(墓所)
  • 日光二荒山神社(田心姫命)
  • 賀茂神社(桐生市広沢。崇神時代)
  • 生品神社(新田義貞挙兵地)
  • 世良田東照宮(新田氏族徳川家康)
  • 新倉山浅間神社(807年朝廷勅使による富士鎮火祭あり)
  • 富士山
  • 久能山東照宮(旧墓所)

 

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※グーグルマップで、早池峰山頂奥宮と久能山東照宮本殿を基軸とすると、富士山頂から少しズレるが東照宮奥宮宝塔にドンピシャで重なる。

徳川家祖新田氏・富士朝・南朝の壮大なる因縁。井伊氏はその仲介人?。 - セキホツ熊の謎を追え!

二荒山神社というのは大きく2つあるので注意、それぞれ関連性は薄いとされるが…同地域の同名社なので、全く意識してないとは考え難い。ニ荒=『にこう』こと、日光の語源とする説もある。興味深いのが、この2つの二荒山神社には鴨神が共通しているところ。

◯『宇都宮二荒山(ふたらやま)神社』(栃木県宇都宮市)

〜御祭神〜

・豊城入彦命 

〜相殿〜

・大物主命 

事代主命 (鴨神)

 

◯『日光二荒山(ふたらさん)神社』(栃木県日光市山内)

〜御祭神(家族)〜

・男体山こと二荒山 大己貴命

・女峯山 田心姫命

・太郎山 味耜高彦根命(鴨神)

 

※因みにホツマツタヱの系図では、オオナムチとタケコ(奥津島姫=田心姫命)は、クシヒコ(大国主命)を産む。

※記紀系図におけるアジスキタカヒコネは、大国主神と多紀理毘売命(別名・田心姫命)の御子。農業神、雷神と、不動産業の神とされる。おそらくは別雷命カモサワヒメを男神イメージにするための付会あり。

※宮下文書系図では、アジスキタカヒコネは蘇我大伴系統の塩土老翁命三子で、南島(四国)統治の祖神、土佐一宮『土佐神社』の影響で鴨神と混同されているとみる。

 

『日光二荒山神社』は東照宮のすぐ西隣に位置し、820年空海(弘法大師)により創建。境内『影向石』由緒によると、奥の大岩にて女神降臨を願うと美しい女神が顕現したとのこと。空海は熱海伊豆山でも修行しており、延暦噴火後807年に阿祖谷へ入麓し富士朝鎮魂活動をしている。となると思川姫命信仰は、崇神時代も否定はしないが、延暦噴火と深い繋がり深いかなと…。

結局のところ、田心姫命=カモサワヒメであれば、おおよそ繋がるわけだな…と。

 

蔵王権現と刈田嶺神社の水分神。

蔵王山=刈田嶺と呼ばれ『不動滝』がある。役小角がこの地に吉野山から天之水分、国之水分を勧請したのが『刈田嶺神社』。後世に、空海の法孫実眼上人が中興したとのこと。前記事のとおり宮下文書によると、771年(宝亀2年)富士朝供物司長家系・坂上刈田麿が陸奥国34郡を賜り、征夷大将軍として苅田郡苅田に居住している。つまり既に、坂上家の影響下であったのだ。

坂上田村麿が本州重心点へ行った本当の理由、富士噴火鎮魂『富士山重心点レイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

当社は、不動滝から5キロほど西上流の分水嶺ポイントにある。天之水分や国之水分というのは分水嶺に祀られることが多く、系譜的には速開都姫の御子にあたる。神仏習合『蔵王権現』は大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊など男神イメージが強いが、刈田嶺神社里宮wikipediaでは、天之水分+国之水分=蔵王権現と記載している。

刈田嶺神社山宮wikipediaによると、貞観大噴火(864〜866年)の5年後の869年(貞観11年)に、東北太平洋沿岸にて貞観津波が発生。このとき超階で従四位下が授与されており、歴史地理学者の吉田東伍は、朝廷が『火山の驚異に起因したる神祗』『山神の憤怒』と解釈していたと述べている。新田氏族であり伊達氏に仕えた需学者の佐久間洞巖は、当時何かしらの記載漏れの理由があったと指摘している。おそらく朝廷が伏せねばならない事情があり、富士貞観噴火鎮魂と東北神鎮魂との延長線上にある天災と位置付けていたのではないだろうか。

※因みに長野県塩尻市大字旧塩尻にある『善知鳥峠』は分水嶺ポイントとして知られる。ホツマツタヱ版善知鳥(うとう)信仰は、後述する宇佐宗像三女神イトウと深い繋がり有、イトウが訛りウトウとなったという。

 

早池峰山は鎮火祭の巨大な水神結界?。

レイラインの北端には、岩手県宮古市内『早池峰山』がある。このブログでは過去何度も紹介している巨大な瀬織津姫フィールドだ。柳田国男著『遠野物語』では、女神が三姉妹を連れて『伊豆権現』(現 遠野市上郷町来内の伊豆神社)にやって来た。よい夢を見た順に美しい山を授けると云われ、末っ子三女が一番の美しい早池峰山を獲得した。

奇しくもこの806年に草創したのが、早池峰権現を御神体とした『早池峰神社』(岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛)。早池峰山山頂に奥宮1社、東西南北に4社、大迫城址近くに1社ある。大まかに『瀬織津姫』を御祭神とし、やはり延暦噴火に関係あるのではないかと...。

f:id:sekihotu:20211009172825p:plain※地図雑すぎ。。。注意。

坂上田村麿は、『鈴鹿御前』こと立烏帽子神女に守護され東征を果たし、御神霊を『姫神山』(岩手県盛岡市玉山大平)に祀ったという。諸説あるが鈴鹿御前は『瀬織津姫』ともいわれている。後世、姫神山の夫『岩手山』が『早池峰山』に惚れてしまい、三角関係となる。まあ…姫神山と早池峰山、どちらも瀬織津姫を祀っているように見えるのだが…?、領主や氏子同士の対立を暗示しているのか?。

残念ながら、早池峰山と田村麿の関係は見つからなかった。ただ前述のとおり、771年以降の陸奥国34郡は既に坂上苅田麿の領地であり、早池峰神社の806年創建というのは偶然とも思えず、彼の鎮魂活動の影響は高確率であったとみている。

こうしてみると…、なぜ田村麿が富士朝水神『瀬織津姫』を崇敬し、守護を受けたのか見えてくる。宮下文書版田村麿は、延暦〜大同年間にアテルイ討伐などしていなかった。噴火避難活動の一環として、各地で富士朝鎮火祭を催していたのであり、それには強力な水神祭祀が必要であった。彼、もしくは彼の代理人が瀬織津姫とともに、日本列島を北上して富士山鎮火祭をし続けたのではないかと。

さらに、この平安期の田村麿システムを流用しているのが、家康ということになる。このレイラインというのは富士鎮魂のための巨大な『火』『水』の仕組みとなる。やはり徳川家康も天海も、富士朝信仰を意識していたようだ...。

さらに、さらに。

...この火水の仕組み、富士朝ウガヤ朝レイライン上の武蔵総社大国魂神社周辺での小野大神三社祭祀にも、関係があるのではないだろうか?。つまり、富士朝+ウガヤ朝『御神霊』を水神・瀬織津姫が誘い欠史鎮魂させる、武蔵国大國魂神社の大きな役割の一つなのかもしれない。

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<神社めぐり>大國魂神社①最強サクナダリ神社に、瀬織津姫が祀られている可能性。 - セキホツ熊の謎を追え!

夏至の日到来、『多摩』の歴史と富士山高千穂峰『夏至』レイラインまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

伊豆権現と三女神の正体?

では、この伊豆権現と早池峰三女神は誰なのだろうか?。

まあ正直、随分前から薄々気づいてはいたのだが…、いろいろ反発もあるだろうし、恐れ多くて口に出す自信はなかった(苦笑)。どちらも多くの信者がおられるわけだし、人の信仰の邪魔はしたくないのだが…。

熊オッサンの直感的には、祓戸四柱と宗像三女神がそっくりに見えて仕方がない…。ネットで散見する、瀬織津姫≒湍津姫命という説も在り得ると思っている…。宗像三女神は地域により名称がかなり変わる神でもあり、もちろん全てとは言えないし、あくまで妄想レベルだが。

 

〜三女神〜

  • 湍津姫命≒瀬織津姫?≒月桜田姫?
  • 田心姫命≒速開都姫?≒カモサワヒメ?
  • 市杵島姫≒速佐須良姫?≒イワナガヒメ?

〜ホツマツタヱ三女神〜

  • 瀬織津姫=鏡を司る
  • 速開都姫=剣を司る
  • 速佐須良姫=宗像三女イトウを産む。

宗像三女神と祓戸四柱は宮下文書に登場せず、全国的にはホツマツタヱが初見か?。ホツマ版・速佐須良姫はイワナガヒメに転生。宇佐比売大神は宗像三女イトウ神と呼ばれ、宮下文書版ウサミの本拠点『伊東の宮』(伊豆半島伊東市・葛見神社)を彷彿とさせる。鎌倉時代以降、伊豆半島伊東氏が宇佐神宮に関係している。またwikipedia厳島神社よると、厳島神社は『伊都岐島神社』とも称された。宮島は空海とも縁があり、何処か『伊豆』を彷彿とさせる。胸形(ムナカタ)とは、ハートの気づきや玉(御魂)のことかかもしれない。

※宮下文書版イワナガヒメは、2代目阿祖山太神宮守護司長・タマノオヤの妃。

 

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そもそもホツマ版三女神の成立時点では、鏡・剣・玉をモチーフとしていた可能性あり。後世の権力者からみれば、三種神器の使い方は一般人には知られたくない。しかし例祭を怠るわけにもいかず、穢れを落す『祓い』の神として祀り続けたとみている。名目上は、祓戸四柱・速佐須良姫御子とされる宗像三女神が継承しているのではないだろうかと...。

当初、宗像三女神も渡来系・帰化人の新しい女神と思っていたのだが...、これだけ保守的な東国に馴染んでおり、やはり富士朝ベースの存在とみる。少なくとも富士朝由来の火神水神雷神というのは精霊信仰とも言い難く、あくまで実在していた可能性がある御祖霊信仰なのだ。おそらくは宗像大社も『外寇親征の役』に関係する御祖神なのであろう、ニニギ時代~ウガヤ時代は外国人襲来に備えてきたことをお忘れなく(秦氏は除く)。

  • 月桜田毘女  富士朝加茂山に埋葬される。
  • カモサワヒメ 伊豆国三嶋大社に埋葬される。
  • イワナガヒメ 熱海伊豆山神社に埋葬される。

やはり、キーワードは『伊豆』。

宗像三女神≒祓戸四柱三女神≒伊豆権現(早池峰三女神)であれば、いろいろ辻褄があってくる…。『伊豆権現』というのは、瀬織津姫や伊豆大神イワナガヒメ単身を指すのではなくて、上記三女神三柱揃ってのことなのかな?とも思い始めている。

ま、証明するのは難しいだろうな…(´(ェ)`)。

今のところは体感的なお話である。分かり次第記事にしたい。



間々田八幡宮とじゃがまいた八龍神。

寒川七郷めぐりの最後に参拝したのが『間々田八幡宮』。

藤原秀郷と源頼朝の意外な接点ともなる神社で、源頼朝は秀郷の将門討伐にあやかり、奥州討伐の祭に参拝したとされる。このあとは頼朝は『宇都宮二荒山神社』を参拝している。藤原秀郷は『延喜式』寒川ニ座のうち『安房神社』でも、平将門討伐の祈願をしている。

※因みに、安房神社の御祭神は15代応神天皇御子・菟道稚郎子命。




◯間々田八幡宮

〜御祭神〜

・誉田別命

・息長帯姫命

〜摂社末社〜

・厳島神社 

・八龍神社

・淡島神社

・愛宕神社

・稲荷神社

・雷電神社

※奈良時代中期(天平年間)の創建。

※5月5日じゃがまいた祭り(蛇祭り)、2019年重要無形民俗文化財に指定。

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栃木県小山市間々田『間々田八幡宮』

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間々田八幡宮境内『八龍神社』

特筆すべきは、境内『八龍神社』。

神社HP参照。明治時代『間々田村郷土史』によれば、もともと元八幡馬場の南百間(約181メートル)の畑の中程にあって、『その創建はなはだ古くして…』と記載があるそうだ。

この八龍神こそが『じゃがまいた祭り』の御祭神、祭りは2019年重要無形民俗文化財に指定されている。明治以降鎮座地から境内合祀社に祀られていたものを、平成12年に境内西へ独立分祀。意味合いとしては、『蛇が参った』『蛇がまいた』『蛇が(蜷局を)まいた』と諸説ある通り、もともとは龍というより蛇祭だ。

 

一般的に八幡発祥地といわれる宇佐八幡宮にも、八蛇伝承がある。宇佐宮託宣集によると、菱形池畔に『一身八頭(の大蛇)』が現れたという伝承あり。

個人的には、ホツマツタヱ的なヤマタノオロチを彷彿させる。速佐須良姫ハヤコがヤマタノオロチに変化して、スサノオに退治されたあとイワナガヒメに転生した。前述通り、宮下文書版イワナガヒメは八幡神?タマノオヤの妃神。ヤマタ=ヤワタ(八幡)???。死後、熱海日金山(伊豆山)に埋葬され、諡『伊豆大神』となる。母神カモサワヒメ同様に伊豆の神だ。

やはり伊豆…。私にとっても因縁の地であり、神々である(苦笑)。

 

八龍さまおるし…。

境内狛犬もちょっと風変わりだし…。

チーターみたいなデカイ白猫おるし…。

あまりにも衝撃的なことが次から次へと続き…ついつい境内の雷神さまにご挨拶するのを忘れてしまった(苦笑)。義経や将門ファンさんには、ちょっと抵抗を感じる神社かもしれない。

いやー、気まぐれでやってきた下野国寒川巡りだが、振り返るとホントに楽しかった。

ヒーヒー言いながら天を仰ぎ、汗だく泥まみれで終日25キロ歩いたけど…。神社巡りは、その土地を這いつくばって体感して回るのも楽しい(熊)。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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