セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

賀茂『七瀬祓い』と寒川『七郷めぐり』の類似性、やはり隠されていたのは別雷神カモサワヒメ?

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正一位雀大明神『雀神社』(茨城県古河市)。
雀=鎮め(しずめ)という、東国鎮護の意味合いあり。鴨神コトシロヌシ配祀。


2021,10,2

本ブログは宮下文書をベースに考察しております。一般論とはかなり違うのでご注意を。

前記事より下野国寒川を特集しているが、今回は『七郷めぐり』とここまでの補足記事となる。寒川郷とは、渡良瀬川・思川・巴波川の合流地点、渡良瀬川下流部には赤麻沼・石川沼・赤渋沼・前原沼、さらに板倉沼などがあり、洪水か多発する大水郷地帯であった。現在は、ダム湖『渡良瀬遊水地』となっている。

~目次~

 

富士朝+応神合体計画、待望の菟道稚郎子皇子をなき者にしたのは仁徳天皇と武内宿禰だった??。 - セキホツ熊の謎を追え!

幻しの宇治天皇『菟道稚郎子』と坂上田村麿による祭祀、そして瀬織津姫登場!?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

坂上田村麿は寒川で何をしていた?。

『七郷めぐり』概要を簡単に説明すると。

野木神社の複数子社は、おおよそ平安期の天暦年間頃までに揃って創建され(創建不明社もあり)、鎌倉期建仁年間に『七郷めぐり』が開始された。

野木神社親神(菟道稚郎子命?)が年一度、それぞれの地域に住まう『娘』を巡るという。順序不明だが、そのなかでも古御門神社が、七郷における一番末娘とのことで、『おいで』『おかえり』の往来で特別に2回立ち寄られていたとのこと。現在は七郷めぐりに代わり、各社ごとの祭りがある。野木神社(栃木県)では『提灯もみ祭り』として提灯をぶつけ合ったり、茨城県境の街JR古河駅前通りをパレードしたりしてYou Tubeでも見れる。

 

〜神領寒川郡七郷〜

・迫間田『古御門神社』菟道稚郎子命

・寒川『野木神社』菟道稚郎子命

・中里『中里神社』菟道稚郎子命

・鏡『鏡神社』菟道稚郎子命

・小袋『宇治神社』菟道稚郎子命

・井岡『獅子神社』菟道稚郎子命

・網戸『網戸神社』田心姫命

・下河原田『河原田神社』天御中主命・国常立命

 

あくまで個人的な妄想で言わせていただければ、男女の関係の祭りというよりは、火水の仕組みではないかと…。七郷『娘』たちを水に見立てて、巡回しているようにも見える。

・網戸神社 =水神・女神イメージ

・河原田神社=火神・男神イメージ

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栃木県小山市鏡『鏡神社』、菟道稚郎子・イシコリドメを祀る。雷神社あり。

では...なぜ、富士朝神官色の強い家系坂上田村麿が、富士朝色の強い寒川郷『野木神社』で、富士朝氏族待望の菟道稚郎子を祀ったのか?。やはり、平安期延暦年間の時期的に考えれば、富士山噴火鎮魂が妥当ではないか?と。

諸説あるが、宮下文書やホツマツタヱにおける『蝦夷』『東夷』『ホツマ〜ヒタカミ』というのは、西国天皇勢力からみて富士山起点の以東の事とみている。宮下文書版オトタチバナヒメの入水自殺事件も、本人曰く『東北神鎮魂』を大きな目的としていた。この時期、富士山噴火の祟りを鎮める為には、蝦夷広範囲の鎮魂をも視野に入れた鎮魂祭が必要だったハズだ。

そして鎮火祭に必要なのは、強力な水神祭祀。ヒントは、この寒川地域が関東圏屈指の水郷地帯であること、当然古来からの強力な水神を祀る地域であったはずだ(後述)。

 

前記事でも述べたが、800年延暦噴火後の田村麿の足跡は、802年迄のアテルイ討伐ではなく、富士山噴火と東北神鎮魂の活動が主体であったと思われる。下野国府があったという栃木県栃木市田村』では、8〜9世紀頃の政庁跡『溝』遺構に、木製人形と『鎮火祭』と書かれた木簡が出土されているという。

水神は火神を導く特性をもっており、『富士山本宮浅間大社』(静岡県富士宮市)では湧玉池に水神を祀ることで、富士噴火を鎮魂しようとしていた経緯もある。延喜式『鎮火祭祝詞』では『水神匏、埴山姫、川菜を持ちて鎮め奉れ…』とあり。これらが下野国政庁の国家的祭祀であれば、やはり年代的に延暦・貞観の富士山噴火鎮魂も兼ねていておかしくはない。つか…関東圏の社会情勢的に、富士噴火を無視できる時期ではない。これらの天災を完全無視して語り継がれる、現代の関東史自体がおかしいのだ。

推測するに、おそらくは富士朝サルタヒコ供物神官家系の坂上田村麿は、50代桓武天皇から富士噴火鎮魂祭祀を命じられた。それゆえに、鎮火祭に必要な強力な水神を東国にて探していたのではないだろうか?。桓武天皇にも、出雲族サルタヒコ子孫野見宿禰子孫『土師氏』の血筋が四分の一入っており、葛井親王と田村麿の娘・春子の女系遺伝子が清和源氏となる流れとなる。

そして古代寒川には強力な水神が守護していたのであろう、それは一体誰だったのであろうか…。

『七瀬祓い』と『七郷めぐり』の類似性。

実はこの七郷めぐり、『七瀬祓い』の一種ではないだろうか…?と思うのだ。

『七瀬祓い』は起源は不明。平安時代以降の朝廷の公事で、天皇の災禍を人形に込めて、七人の勅使の手で加茂七瀬(河合、一条、土御門、近衛、中御門、大炊御門、二条)などで流した御祓。鎌倉幕府もこれに習い、源頼朝が崇敬していた三嶋大社勧請の『森戸神社』などで執り行われた(江嶋龍穴、固瀬、金洗沢、由比浜、狎河、六連、杜戸の七瀬)。

ここで思い出していただきたいのが…、宮下文書においてカモサワヒメは、オオヤマツミ妃で、コトシロヌシ娘、コノハナサクヤヒメ母。さらに別雷命=三嶋神=寒川毘女命。おそらくは大雷神、ナキサワメ、伊豆能女、速開都姫、瀬織津姫の一部?。

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宮下文書系図・月桜田毘女・加茂澤毘女・石長毘女の水神の流れ。

前記事の岩間本『開闢神代暦代紀』によると、富士朝には段階的に水葬が存在していた。つまり『七瀬祓い』というのは、カモサワヒメ・賀茂神に深い繋がりがあるのかな?と…。

高鴨神社HPによると、延喜式では夏越の人形配流を壱岐・対馬上下・伊豆にて行うと定められていたという。また同時に、これら三国には三国卜部を朝廷に出仕させている。みなさん、この3つの地域に聞き覚えがないだろうか?。

これら宮下文書版ニニギ『外寇親征の役』の壱岐・対馬にて、コトシロヌシ家族ら悉く戦死した死闘の地と重複するのだ。とくに壱岐島は神社数150社で、島内の神社密度は世界一という説もあり、その多くが墓所だったとの説もある。鎌倉期元寇には、19歳だった壱岐守護代・少弐資時が奮闘の末あえなく戦死、まさに海外情勢やこの国の行く末をいち早く占う最前線であった。

加茂喜三氏論によると、戦地から富士朝帰還できたコトシロヌシは、死んだ娘カモサワヒメのため伊豆国『三嶋大社』創建、諡・別雷命として祀った。私の祖先を含めて一部の対元寇氏族が、三嶋神を祀っていたのも頷ける話だ。人形流しが、これら因縁の地に起因しているのならば、戦没供養的な意味合いもあったのかもしれない。

人形流しは、『高鴨神社』(奈良県御所市)や『久伊豆神社』(埼玉県越谷市)のほか、『三嶋大社』(静岡県三島市大宮)でも6月30日夏越大祓式として執り行われる。武蔵総社『大国魂神社』(東京都府中市)境内水神社にも人形流しがあり、これが境内水神として『賀茂別雷命』が祀られているのも偶然ではないと…。少なくとも広義に水神祭祀と思われる。

ただ、もはや全国的なイベント事になっているので(苦笑)、各地域どこまでが伝承なのかは不明…。

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中里・鏡地区の寒川古墳群、多くは田畑に削られ、
この『毘沙門山古墳』は貴重な存在。

このように『七郷めぐり』は、表向き菟道稚郎子の鎮魂ではあるが、暗に富士鎮火祭や寒川神カモサワヒメ祭祀『七瀬祓い』も兼ねている可能性あり。古来からの富士朝信仰地盤は、周辺の雷電神社が物語っている。

ココで紹介したいのが、思川流域の間々田八幡宮』のHP、境内合祀社『雷電神社』の説明として『火と水の力を司る神』と紹介されている。正にその通りだとおもう私も日頃思っているが富士朝古代信仰、火・水(かみ)の仕組みを表している(別記事参照↓)

<富士朝めぐり②>西国天皇勢力に奪われた太陽神、そもそも富士高天原は『火』と『水』の楽園だった。 - セキホツ熊の謎を追え!

一見して地名だけ『寒川』?、寒川信仰の痕跡など微塵も無いように見える…。ただ視点を少し変えるだけで、寒川神カモサワヒメの気配に気づけるはずだ。富士朝の隠されたパラドックスを知るにはとてもよいケースかと、地元の方々にはなんとか気づいてほしいものだと…。

コミカド神社の類似点。

そもそも今回、私が七郷の菟道稚郎子の神社を調べてみようと思ったのは、岩舟町静の『御門神社』と『古御門神社』が、ただ単に、神社名が被ってるというきっかけだった(笑)。

 

◯『古御門(コミカド)神社』(栃木県小山市迫間田)

〜御祭神〜

・菟道稚郎子命

 

◯『御門(ミカド)神社』(栃木県栃木市岩舟町静)

〜御祭神〜

・平将門公

〜相殿〜

・菊理姫命

・田心姫命

・大雷命

・猿田彦命

・菅原道真公

 

上2社を比較してみると。

一番わかりやすく菟道稚郎子と平将門の共通点を探せば、『ミカド』として期待されていた人物ではないだろうか?…。菟道稚郎子は16代宇治天皇になるはずの人物で、平将門も新皇を目指して朝敵となった。どちらも道半ばで、不幸な結末を迎えた人物でもある。

そしてもう一つの2社共通点は、なんと下野国寒川地区を超えて、岩舟地区『御門神社』にも田心姫命が祀られているのだ。宗像三女神『田心姫命』、確かによく全国八幡神社にて、応神天皇と祀られている御祭神ではある。なぜ田心姫命なのだろうか?。

確かに、水神というのは地域性がある。とくに北関東には瀬織津姫系神社が少ない代わりに、雷電神社があちこちにあるわけだ。全国的に宗像三女神を祀るのは珍しくはないが、田心姫命を特に強調するのは、水神の地域性と見るべきだろうか…。

 

また前記事にて紹介したが、一言主『一言主神社』や平将門『国王神社』などと、…なんとなくだがレイラインとなっている。これらは野木神社と古御門神社の中間付近を通り、導かれるように瀬織津姫系神社『荷渡神社』や『三騎神社』へ。そして皇海山・八海山方面へ。なんと当ブログ主の推定母方祖先?の居城である、岩舟町小野寺『小野寺城』も通る...、えぇ何なんだこのレイライン...???。将門・妙見・千葉氏・一言主・カモサワヒメ...、なんか怖くなってきた(震え声)。

~将門レイライン~

  • 『西御門神社』(千葉県佐倉市西御門)祭神不明?妙見石碑・千葉氏屋敷。
  • 『麻賀多神社』(千葉県佐倉市大篠塚)稚産霊命。日月神示関連とは別社。
  • 『日秀将門神社』(千葉県我孫子市日秀)平将門公。
  • 『相馬惣代八幡宮』(茨城県取手市寺田)将門生誕地・生母の県犬養氏領地?
  • 『戸頭神社』(茨城県取手市戸頭)同上異説あり。
  • 『別雷神社』(茨城県常総市菅生町)賀茂別雷命。
  • 『一言主神社』(茨城県常総市大塚戸町)一言主命。
  • 『菅生沼天神山公園』(茨城県坂東市神田山)越前守胤貞と白妙姫伝承。
  • 『延命院胴塚』(茨城県坂東市神田山)将門胴塚。
  • 『一言神社』(茨城県坂東市岩井)将門と老翁、石井ノ井戸伝承。
  • 『延命寺』(茨城県坂東市岩井)1445年、千葉氏庶流・相馬氏創建。
  • 『国王神社』(茨城県坂東市岩井)将門終焉の地、鎮魂社?。
  • 『日月神社』(茨城県古河市東牛谷)藤原秀郷本陣伝承あり。
  • 『御門神社』(栃木県栃木市岩舟町静)平将門公・田心姫命。
  • 『小野寺城跡』(栃木県栃木市岩舟町小野寺)自称・藤原秀郷庶流小野寺氏。
  • 『賀茂別雷神社』(栃木県佐野市多田町)賀茂別雷命。
  • 『三騎神社』(栃木県佐野市船越町)瀬織津姫命。

※菅生沼の白妙姫伝承に登場する胤貞は、出自不明。しかし通字『胤』からすると、千葉氏関係氏族の可能性あり。白妙姫伝承は『日本昔ばなし』でも放送されて、You Tubeでもみれる。 

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『古御門神社』(栃木県小山市迫間田)

ま…残念ながらこれ以上はわからなかった(笑)。

因みに第三のミカド神社。千葉県成田市名古屋にある『小御門(コミカド)神社』には、南朝96代後醍醐天皇の側近、贈太政大臣藤原師賢(文貞公)が祀られていおり、彼は出家させられ、下総国の千葉貞胤の屋敷で拘禁されて病死したようだ。ヤマトタケルや源頼朝が渡った房総半島も、富士朝色がとても強い地域。宮下文書における後醍醐天皇は、富士朝・三浦義勝と同盟関係にあり。千葉氏も三浦氏族と縁戚関係あり、室町時代には富士朝を討伐し、富士古文書一部を『龍の河原』にて焼却した氏族である。しかし、そもそもは富士朝との関係が深い氏族だったと睨んでいる...。

シチュエーション的に、やはり富士朝信仰と無縁ではなさそうだ。

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※地図はクラフトマップ使用

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