セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈宗像三女⑤〉肥前天山と天河弁財天レイラインに垣間見る、弁財天は三女神?。

瀬織津姫命=弁財天説がある静岡県清水区折戸『瀬織戸神社』。
隣の住宅街から富士山が垣間見れる。


2023,1,22

前記事で紹介した肥前国天山。

吉野の天河大弁財天社元宮説があるのだが、ソースがよくわからなかった。今回は、この2社の接点を探してみようかと思う。どちらもアメノミナカヌシと宗像三女神の神社、熊オッサンのご先祖さま探しにも重要な神社であることもわかった...。

(´(ェ)`)

~目次~

〈宗像三女①〉宗像三女神イトウ『善知鳥』は祓い神?、玄界灘に伊豆神がいる理由 - セキホツ熊の謎を追え!

〈宗像三女②〉天孫ニニギと親族三女神の関係、失ったコノハナサクヤの身代わり説?。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈宗像三女③〉宗像三女神イトウ、やはり伊都国はイワナガヒメを祀る国だった。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈宗像三女④〉イツクシマ・イチキシマの正体。対馬国は伊豆の痕跡でいっぱい。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

天河大弁財天社とは。

まず天河大弁財天社から見てみよう。

南北朝時代に南朝の拠点があり。弁財天は芸能の神、芸能界やスピリチュアル界隈では有名な神社、古来から著名人の参拝がつづいたようだ。 内田康夫作『天河伝説殺人事件』のモデル神社ともなったことでも有名。



◯天河大弁財天社(奈良県吉野郡天川村坪内)

〜御祭神〜

  • 市杵島姫命(弁財天)

〜配祀〜

  • 熊野坐大神
  • 吉野坐大神
  • 南朝四代天皇の御霊(後醍醐天皇、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇)
  • 天之御中主神からの百柱

 

〜山の神(韋駄天社)〜

  • 大山津見神

井頭神社(韋駄天社)〜

  • 経津主神 ほか八柱大神

 

〜奥宮弥山神社〜

  • 天之御中主神
  • 高御産巣日神
  • 神産巣日神
  • 伊邪那岐命
  • 伊邪那美命
  • 天照大御神
  • 建速須佐之男命
  • 月読命
  • 他百柱の大神

※本社よりも少し離れた弥山にある。




周辺を大きな聖地としてみれば、弁財天社〜弥山〜大峰山が大きなトライアングルを形成している。大峰山は蔵王権現を本尊とする修験道有の名拠点、広義に尾根沿い吉野川河岸までを『金峰山』という。

前記事で紹介したが。1232年(寛喜3年)対元寇氏族・武藤少弐氏が、武蔵一宮小野神社または武蔵総社大國魂神社の瀬織津姫命(小野大神)を勧請して、三所之宮『人見稲荷神社』を創建。ここより富士山や高千穂峰方面へと『夏至レイライン』を発しており、興味深いことにこれが天河大弁財天社の三角形域貫通している。

熊オッサンのご先祖の可能性もある(後述)。

 


さらに、天河地域にも熱海伊豆山同様に役小角と空海にも、前記事で紹介した『いつき』の三女神と関係が見え隠れしている…。役小角は、カモサワヒメを祭祀してきた賀茂氏族の末裔であり、六甲山にて瀬織津姫を崇敬しており、熱海日金山『伊豆山神社』にも修行していたようだ。

空海生誕地の讃岐国は、賀茂神社神領が多く彼の生母は玉依御前を称する。高野山の開山に先立って3年間吉野大峯山で修行した弥山(みせん)があり、天河大弁財天社に彼の遺品が奉納されているという。また本ブログでご紹介した『空海レイライン』も、宮島弥山(厳島神社)がこの吉野弥山に繋がっていることが確認できる。

 

〜『空海の生涯』レイライン〜

  • 天河大弁財天社(空海の修行地)
  • 高野山奥の院(空海開山)
  • 日前神宮・国懸神宮
  • 鳴門の渦潮
  • 熊手八幡宮(空海生誕地、八幡神転生伝承)
  • 伊予一宮大山祇神社(三島大明神)
  • 安芸一宮厳島神社(宮島弥山、空海開山説あり)
  • 宗像大社・沖津宮(田心姫命)
  • 対馬元一宮・厳原八幡宮(清水山)

 

 

※空海の所縁地を結ぶとレイラインになる。

 






 

 

弁財天=三女神???

天河大弁財天wikipediaによると。創建は672年『壬申の乱』の折、天武天皇と役行者が戦勝祈願として伊勢神宮内宮の女神を天の安河の日輪弁財天として分霊?したとされる。伊勢内宮の女神といえば…、アマテラス荒魂(瀬織津姫命)を思い当たる方も多いと思う。となると、静岡県清水区折戸『瀬織戸神社』由緒書などでみられる弁財天≒瀬織津姫命説と重なってくるわけだ。インターネットでも天河大弁財天社の御祭神が瀬織津姫命だと信じている方々が多く見受けられる。

熊オッサン的には、否定も肯定もしないのだが…。というのも、もしかして弁財天の本地垂迹説って市杵島姫命だけではなく三女神『三柱』そのもの?と思い始めている。





〜熊オッサンの予想、『いつき』三女神?〜

  • 瀬織津姫命=湍津姫命=月桜田毘女命(月)
  • 速開都姫命=田心姫命=加茂沢毘女命(伊豆)
  • 速佐須良姫命=市杵島姫命=磐長姫命(伊豆)

 

※宮下文書版カモサワヒメ=別雷命=三嶋神=寒川毘女命のこと。コトシロヌシ実娘、オオヤマツミ妃、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの実母。

※※ホツマツタヱ版イワナガヒメ=ヤマタノオロチ悪神化=速佐須良姫命の転生。

 

<宮下文書系図>

 

 

前記事でも述べたが…。宗像三女神は個々に複数名を持っており、宗像大社を構成する三女神三宮も試行錯誤・変更の形跡がある。つまり…誰が誰に比定されるのかは、もはや厳密に言い当てる事が不可能のようにも思える。

そして天河大弁財天社や天山神社が創建された頃は神式も多かった。以降の8世紀後半から9世紀前半にかけて、諸国で神仏習合を示すようになった。神式が不明瞭な状況下で仏式に返還が行われたわけで、弁財天となった三女神は曖昧に拍車をかけた。権力者サイドから見れば、神仏習合は御神霊のご利益を確保しつつ、御神名と富士朝の撹乱が目的なわけだ。もはや富士朝神三女神は誰だか分からなくなってしまった。

今言えることは、三嶋神カモサワヒメ=田心姫命、伊豆大神イワナガヒメ=速佐須良姫命である可能性はかなり高いと言えそうだが…。

 

この三女神の本地垂迹説が、弁財天・文殊菩薩・伊豆権現・早池峰山三姉妹となるのではないかな?と…。武蔵一宮『小野神社』の小野大神本地垂迹説が文殊菩薩であり、武蔵総社大國魂神社にも一宮小野大神として祀られていた。因みに大國魂神社には多摩川沿いに別宮があり、その名も伊豆美神社(東京都狛江市中和泉)だ。三峰神社〜大國魂神社〜穴守稲荷への多摩川レイライン上に存在する。境内には富士朝と南朝関係氏族、井伊直弼公敬慕碑あり。現在この伊豆美神社は河川の氾濫により遷座された歴史あり、もともとの神社跡には現在もミズハノメの祠が存在する。

 

伊豆権現と遠野三姉妹伝説で知られる早池峰山遠野地域の『倭文神社』神額は、文殊社と記されている。現在の御祭神・瀬織津姫命が祀られ始めたのは、明治時代の廃仏毀釈以降という。また肥前一宮・與止日女神社のすぐ近くに文殊菩薩を本尊とする『乙文殊宮』がある点も興味深い。なぜこうも伊豆と文殊菩薩は関係深いのだろうか?。

三人寄れば文殊の知恵…???。

埼玉県秩父郡小鹿野伊豆沢『伊豆澤・文殊堂』

 

京都府京都市右京区梅ケ畑菖蒲谷『菖蒲谷池三嶋神社』由緒書によると、ここではコノハナサクヤヒメの姉神として三嶋大弁財天尊を祀っており、どこか三嶋神カモサワヒメや伊豆神イワナガヒメを彷彿とさせる。鎌倉期82代後鳥羽上皇が霊夢をみてこの地に祀ったとのこと。後鳥羽上皇といえば、大阪府三島郡『水無瀬神宮』を離宮としており、三島の地にて三嶋神を崇敬していたのではないだろうか?。このように、弁財天≒三嶋神カモサワヒメという可能性も考慮に入れておくべきかなと...。








肥前国にある、天河大弁財天元宮説とは?。

 

では…前記事で紹介した、天河大弁財天≒肥前三宮『天山神社』元宮説は一体どうなっているのだろうか?。結論から言うと、天河大弁財天社の創建のほうが、肥前一宮『天山神社』より創建が若干早い。

 

神社ブログ『まにまに』さんによると、以前ご自身が記事で紹介した『佐賀県天河大弁財天社元宮説』は根拠がない都市伝説の可能性があると…お詫びと訂正記事をアップしている。関係者官位にご迷惑をかけたとのこと…。

この元宮説を天河大弁財天社の神職の方に伝えたとのことで、神職さん側はかなりびっくりしたご様子で否定されたとのこと。

個人的にも、ネット上で改めて肥前天山と吉野天河大辨財天社の関係を探ってみたが、やはりというか…、これは吉野サイドの由緒では公認すらされていないお話のようだ。そもそも情報ソースがよくわからず、肥前地元口伝レベルのお話なのかな?とも思うのだが…。本ブログもよく調べないで記載したことをお詫びさせていただきます。

申し訳ございませんでしたm(__)m。

しかし言い訳というわけではないのだが、このウワサに一石投じることができるレイラインを偶然みつけた。やはり両社はアメノミナカヌシと宗像三女神の聖地、さらにレイライン的にはどうしても無関係とは思えないのだ…。

 

〜天之御中主と三女神レイライン〜

  • 天之真名井神社(三重県大王町、八王子神)
  • 天之真名井神社(三重県志摩町、八王子神)
  • 八ヶ竃八幡神社(平家ゆかりの地)
  • 天河大弁財天社奥宮・弥山神社
  • 伊豫稲荷神社
  • 大嶽山神宮寺(天台宗)
  • 金剛山長安寺(天台宗)
  • 妙見宮(大分県豊後高田市森)
  • 宇佐神宮
  • 宇佐神宮境内社北辰神社 (造化三神)
  • 天忍穂耳神社
  • 七夕神社(媛社神社)
  • 吉野ヶ里遺跡北側
  • 造化大明神(與止日女神社上宮)
  • 肥前三宮天山神社下社(厳木)

※五男三女の八王子神には宗像三女神が含まれる。

※妙見社と北辰社は、全国にある北辰妙見尊星王アメノミナカヌシ系神社。

 

 

 

このレイラインが示す意味はわからないのだが、ホツマツタヱ版・宗像三女神イトウの発祥地『宇佐神宮』を介して、天山と天河が繋がっているようにも見える。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

現実問題として、富士山と九州が西国神道の上流であることが世間的に忘れられている傾向はあると思う。宮下文書は、神社関係者も歴史学者も全く知られておらず、神道的ミッシングリンクとなっている。例えば肥前一宮『與止日女(よどひめ)神社』にも、京都市伏見区淀川淀城跡『與杼神社』の元宮説はある。

また石清水八幡宮も同様。一般的には宇佐神宮の勧請といわれているが…、対馬一宮論社『厳原八幡宮神社』の清水山に起源を持つという説もある。

さらには奈良県奈良市東九条町『元石清水八幡宮』も石清水元宮を主張している。この社の近くにはイワナガヒメを祀る大将軍神社で、これら検証の余地は十分あるはずだ。

 




天山とは何なのか?。

以前、大和国畝傍山と愛媛国天山との関係性を述べたが…。それとは別のお話となるので注意。

佐賀県唐津市厳木町などに跨る標高1046mの霊山、山頂から500m八合目南中腹に上宮がある。また山麓に下社三社が点在しており、これら単なる式内社論社などではなく冬至の朝日の方角?に東西レイラインを形成している。西端下社のある厳木町は『きゅうらぎ』と読むがいつきとも読めそうで、ネット上では安芸一宮『厳島神社』から飛来してきたと解釈する方もおられるようだ。厳木町の天山神社下社の側を流れる厳木川の上流部を天川川というようだ。

 

 

前記事で紹介した、雷山~細石神社~金印発見場所のレイライン(下地図)と比較すると、実は天山山頂もこの線上にあったことが判明した(苦笑)。少しレイラインの傾斜が緩みズレが生じるが、祭祀的レイラインとしてはこちらが本命だったのかなと思う。そこに宮崎県西臼杵郡高千穂町『高千穂峡眞名井の滝』からのレイラインがクロスされているようだ。

ま、去年末この記事を作成していた時点で、この天山も雷山もご先祖様とズブズブの関係だったことは知る由もなかったのだが...。

ホントだってば…(´(ェ)`)

 

 

 

 

◯『天山神社(上宮)』 (佐賀県小城市小城町畑田) 

〜御祭神〜

  • 多紀都昆賣命
  • 市寸島昆賣命
  • 多紀理昆賣命

※創始は天御中主神

上宮は、701年創始はアメノミナカヌシを祀る聖地であったが、直後702年に仏式弁財天にあたる神式『三神』を祀ることになった。上宮は天山池のなかに御島(みしま)をつくり三神の祠を建て『蓬莱島』と称した、後世ポピュラーな弁財天祭祀スタイルの先駆けにも見える。




◯『天山神社(下社)』 (佐賀県小城市小城町岩蔵)

〜御祭神〜

  • 多紀理姫命
  • 市寸島姫命
  • 多紀都姫命

〜境内社〜

  • 天照皇太神宮

 

 

肥前古蹟集によると。

701年(大宝1年)前述のように、創始はアメノミナカヌシを祀った。

702年(大宝2年)10月15日に、参議・藤原安弘が弁財天が天山岳に飛来してきたのを目撃し、上宮とした。本山烏帽子ケ岳に影向され、現在の中宮とした。

※藤原安弘=藤原不比等の子・房前の説あり。



小城郡誌によると。

702年(大宝2年)10月15日、藤原安弘が42代文武天皇の命により、天山池の中に蓬莱島を造営し、天山神の上宮の祠を建てた。

下宮を靈貴山(一名烏帽子嶽という)に造営、これは桑鶴集落内(小城町川内分校付近)で巨石を御神体とする烏帽子嶽下宮、現在の『中宮』ではないかと思われる。1002年(長保4年)藤原康家は、上記中宮を現在地に遷座し下社として再興した。

※因みに、天山山頂からこの岩蔵下社のレイライン上に、かつての肥前千葉氏の居城(現在の千葉公園)がある。鎌倉幕府・源頼朝より肥前小城郡地頭を賜る、妙見アメノミナカヌシを祀る下総千葉氏族の支流であった。同じく西遷御家人であった武藤少弐氏と強い結びつきをもっていた。





◯『天山神社(下社)』(佐賀県小城市小城町晴気)

〜御祭神〜

  • 天御中主命
  • 宇賀御魂神
  • 天照皇太神
  • 多紀理比売命
  • 市木島比売命
  • 多岐都比売命



晴気天山神社は1002年(長保4年)、藤原康家により再興、県の重要文化財として、平安時代後期の作である木造日光・月光菩薩立像がある。

 

上記の小城郡地頭となった肥前千葉氏が崇敬していた。江戸時代は初代藩主鍋島勝茂が神殿を改築、以降歴代鍋島藩主が神殿修築、神門奉献などをしている。

1600年(慶長5年)柳川合戦の折に、佐賀藩主鍋島勝茂が天山社に戦勝祈願、戦勝後に大名行列でお礼の参拝を行ったという。以降大名行列の姿で参詣する『締元の行事』を年間祭事とした。

※因みに、上宮~中宮~高千穂峡眞名井の滝へのレイライン上に、武藤少弐氏の崇敬していた與賀神社があり。後世その男系遺伝子をもつ(諸説あり)鍋島氏拠点の鍋島城が建てられた。


 

 

◯『天山神社(下社)』(佐賀県唐津市厳木町広瀬)

〜御祭神〜

  • 天御中主命
  • 倉稲魂神
  • 湍津姫命
  • 市杵島姫命
  • 田心姫命

 

〜境内社〜

  • 八幡神社
  • 天満神社
  • 八坂神社
  • 稲荷神社
  • 矢武佐社(武甕槌命 經津主命)

 

現在の天山神社系列の中では珍しく、上宮に祀られていたと思われるアメノミナカヌシを祀る。これは天河大弁財天社奥宮の弥山神社との共通項となりそうだ。

 

当社由緒書を要約すると、41代持統天皇(40代天武天皇の皇后)時代に異国人たちが鎮西対馬に来泊して異国風俗を拡めていた。そして参議・藤原安弘(房前)が派遣されこれを排除、その功績として肥前国晴気の里を賜ることになった。士民は安弘を慕って天山麓に住むようになり、庶民擁護と五穀豊穣を祈り天之御中主を祀り始めた。

 

 

 

 

 

 

宮下文書の時代背景から見えてくるもの。

天河大弁財天社と天山神社の創建時代はほぼ同じ、672年『壬申の乱』以降の40代天武天皇→41代持統天皇→42代文武天皇の因縁時代となる。歴史改竄の謎解きをすると高確率で40代天武天皇に行きつくのは興味深い…。記紀編纂の指令をだした張本人であり、対馬国におけるニニギ『外寇親征の役』由来の富士朝神道を改竄して、封じ込める立場にもあった。その皇后であった41代持統天皇は、幼い孫42代文武天皇が即位するまでの女帝であり、この祭祀的意図に先帝の意向が出てきてもおかしくはない。

と考えると…、天河大弁財天社と肥前天山神社が関係していてもそうおかしくはない。




藤原安弘=藤原不比等の子・房前?が出てくるのも興味深い。房前の子孫が藤原北家を誕生させ、後世最も繁栄する系統である。因みにWikipedia房前によると、房前は709年東海・東山両道巡察使とされ、蝦夷討伐をしていることになっている。そんな彼にも『蓬莱の国』の富士朝神道の概要くらいは理解できていたであろうか...?。

前記事でも紹介したが、宮下文書によると665年(天智4年)藤原鎌足の息子『中臣藤原物部麿』なる人物が、富士朝へ入麓して富士古文書を修繕した旨が書かれている。古史古伝研究家・佐治芳彦氏はこれを藤原不比等ではないかと見ており、仮にそうなれば西国祭祀への影響が大きいのではないか。

<驚愕>蘇我蝦夷が自殺前に燃やしたものは、宮下文書コピー本だった?。 - セキホツ熊の謎を追え!

大宝元年(701年)不比等は県犬養氏の橘三千代と再婚する。県犬養氏は屯倉の伴造氏族で、橘三千代は県犬養東人の娘。橘氏は梅宮大社でオオヤマツミを崇敬しており、富士朝客人勢力秦氏系と関係が深そうだ。藤原不比等の死没は720年…、肥前天山神社創建に不比等の祭祀的意向が出てきてもおかしくはない。





そして南北朝時代、宇多源氏子孫が山城国長岡から鍋島の地にて鍋島氏を称する。室町時代に鍋島経直の娘が少弐教頼の子を男系養子を迎える(仮冒説あり)。鍋島氏は天山上宮と高千穂峡のレイライン上に『鍋島城』を居城とし、『與賀神社』も崇敬していた。

熊オッサンの推定ご先祖様となる...(´(ェ)`)。

さらに上記とは別に、この天山下宮レイライン上に熊オッサン本家の拠点があったらしいのだが…これは詳細不明。

お断りしておくと。ウチにはしっかりした家系図があるわけでもなく、素人オッサンがWikipedia等で調べた情報となる。思い込みの可能性大。ただ体感的にここまで不思議な偶然が続くと、案外とネット情報も当っているのではないかと思ってしまう(苦笑)。

これもシンクロニシティ…?(´(ェ)`)

 

皆さんもご先祖様探ししてみてはいかが?。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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