セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈宮下文書まとめ〉歴史改竄のスタートは、崇神天皇が三種神器を手に入れるため。

年末綺麗な夕焼けで思わずパシャッと。。。右下が富士山。

2023,1,8
年始なので…。なまけものの熊オッサンは記事を用意してません。

(´(ェ)`)

今頃は皆さんも初詣に行かれる方が多いと思います。今回は去年に宮下文書でわかってきた『神道』を、おさらいも兼ねて纏めてみました。オリジナル神道が本来どういうものであったのか?、宮下文書を紐解いてみよう。

あくまで素人オッサンの現在の見解のお話し。

 

~目次~

 

 

 

神道とは?

神道とはもともと祖霊信仰であった。

自らの遺伝子やルーツに感謝しつつ共に歩むことではないかと。そのためには当然正しい家系図が必要となり、嘘のない歴史=神道に繋がる。当然ながら、歴史は世界的に殆ど失われているので、当然現代の私達による祖霊信仰はさらにハードルが高くなると思われる(苦笑)。宮下文書をはじめとして、歴史改竄されたパズルのピースを見つけ出して修復していくしかなさそうだ。








言向和平

これが日本人の『和』の創始だったのではないか。和というのは保守的な馴れ合いや現状維持の言葉ではない(苦笑)。自然と神々との調和のこと、そのために臨機応変に環境に順応してゆくことではないだろうか?。

これは、言向和平の提唱者の一人であるタカ王(スサノオ)の願いが込められているのではないかとみている。スサノオは罪人であり更生者であり、その後の警察+裁判所機構?を任された人物でもあった。

宮下文書岩間本によると、彼は突如朝鮮半島から新天地を求めてやって来て、1300余の親族や家来を高天原へ連れ込んだ。さらには、はとこに当たるアマテラスに求婚を迫った。これに対して高天原のアマテラス・オオクニヌシ・サルタヒコらは侵略行為と判断し、セーフティガードを発動させ、彼の同族たちをほぼ皆殺しにしてしまった。

彼にとってこの悲しみは大きく、もう同じ過ちを繰り返したくないと思った事であろう。同族への弔いの気持ちもあったのだろう。アマテラスがスサノオを悪神成敗役に抜擢したのも、この罪悪感を感じていた部分もあるのではないかと…。

※古事記版スサノオも、アマテラスに高天原を奪いに来たと誤解されている。

 

スサノオは生きていくために考えた…。

良いヤツも悪いヤツもみんな死んだ。

あの時どうすれば、アマテラスたちと誤解なく分かり合えたのだろうかと(妄想)。

 

こうして彼は、悪神成敗のための判断の一つ一つに基準を定めた。法による善悪のジャッジというよりは、必ず天に問いかけて、個々人の調和にチャンスを投げかけていたのだろう。ハイヤーセルフ的な自主性と客観性の確認作業なのか?、調和には細心で柔軟な采配が必要なのではないかと…。何れにせよ、アマテラスとスサノオの新しい信頼関係の象徴にもなっていた。










天孫降臨の意義、『和』の転換期



宮下文書における『三品の大御宝』は、スサノオが言向和平を実践するための霊的装置であった。彼がアマテラスに命じられ、四方諸々の州国の悪神を裁くために利用してきたものだ。古事記では、ニニギが天孫降臨の折アマテラスから授けられた三種神器に比定される。

 

〜宮下文書における三品の大御宝〜

①対象者にを見せ、反省を促す。

(神々)に反省の審判を問う。

③執行人が玉の意思を確認し、で処罰を下す。


実はニニギの時代、高天原には一大事が起こっていた。大陸からの敵軍が玄界灘へ攻め込んで九州から四国方面へ上陸しようとしていたのだ。これを『外寇親征の役』といい、記紀における天孫降臨伝承に比定されると思われる。ニニギは阿祖山太神宮より三種神器を拝受して実戦投与しようとしていた。外祖父スサノオの更生教育を経て育ってられた彼にとっては、当然の成り行きだったのかもしれない…。

※宮下文書版タクハタチヂヒメはスサノオの実娘、ニニギにとっては外祖父にあたる。

 

しかし実際の戦場は想像を絶するものであった。宮下文書の描写は和平とはかけ離れた非情なもので、舟を焼き払い、逃げ場を失った敵兵を片っ端から皆殺しにするしかなかった。まず敵兵と話そうにも言葉が通じないだろう。味方が殺されて、その復讐心と怒りにかられ、和を講ずる暇などなかった。それどころかニニギやコノハナサクヤヒメが生還するためには、襲いかかる敵兵を薙ぎ払うことしか出来なかったのだ。

 

これが日本人にとっての『和』のターニングポイントだったのではないかと想像する。スサノオ爺さんに教育されてきた本来の『和』の意味が、根底から揺らいだ。以降の三種神器は、ニニギ以降の戦闘で太神宮から持ち出されることはなかったようだ。

※三輪本現代訳『神皇紀』によると、このあとニニギ弟タマノオヤが西征しており言向和平がなされた旨が述べられているが…。これは三種神器による平定ではなさそうだ。



10代崇神天皇時代には、三種神器は皇位継承権の象徴に成り果ててしまった。古来富士朝〜ウガヤ朝時代〜欠史八代までの神皇は、わざわざ富士朝阿祖山太神宮まで出向いて、和の象徴である三種神器の御前にて即位式を挙行していた。九州高千穂峰から富士山を目指す若き皇子が、航海中に命を落とすケースもあった。これは新しい神皇誕生のため…、富士朝御祖霊に認められるためのトライアルだったのかもしれない…。

単純に考えて、富士朝に三種神器があるということは、富士朝側に即位の拒否権が生じるということだ。それが富士山御祖霊の神詔に既決すると言われれば、天皇サイドは反論の余地もない。それどころか彼らの家臣たちの信頼を一気に失う可能性もある。

故に歴代天皇たちは、是が非でも三種神器を手元におきたくなったのであろう…。





 

歴史改竄の本当の理由、崇神天皇が三種神器を手中に収めるため。

では、いつ頃から歴史の嘘が始まったのか?。

宮下文書を紐解くと、アマテラス〜ウガヤ神皇〜大和国天皇勢力の欠史八代まで、彼らは純粋に富士朝御祖霊崇拝をしてきた形跡がある。すなわち富士朝を隠す理由が見当たらない。

宮下文書における10代崇神天皇御世に、三種神器は富士朝から持ち出された。それゆえ12代景行天皇以降は西国にて即位式が可能で、富士朝即位式はする必要性がなかった。さらに怪しいのが、この時代に富士朝ウガヤ朝を欠史にしたホツマツタヱが編纂されている点だろう。

 

では、なぜ歴史に嘘をつく必要があったのか?。

答えは明白だった…。歴代天皇が三種神器を手元におきたかったからだ。

崇神天皇は言った「先皇の努力によって勅令は隅々までゆきわたり、皇居を守る兵力も日増しに 強化され、権力と武力は漸く整ったかに思えるが、ただ残る一つの権威を示す斎祀の権が入手できないこのは遺憾である。」と。

〜加茂喜三氏『富士王朝の滅亡』p29引用〜

 

崇神年間5年3月3日、三種神器を富士朝より拝受する。手元に置くからにはその所在を明確にする必要がある。すでに10代崇神天皇は多くの天災人災に見舞われており、さらには背信行為を疑われていた。このときもし富士朝の存在を認めれば、災いの種を何故返還しないのか?という議論が生まれる。

結局ここから、10代崇神天皇がこの権力の象徴を手元に置いたことによって、以降の天皇はその出処『富士朝』を隠しつづけなければならない運命となった。

 

しかし、そもそも富士朝を隠蔽するということは、日本人のルーツそのものを封じる行為なわけだ。ここから天皇家は末代まで続くといわれる神々の祟りを畏れることになり、背徳感から穢と祓いの概念が生まれ、身の潔白を主張する歴史を辿ることになる。12代景行天皇は瀬田川上流の琵琶湖へ遷都し、祓いのための善神・瀬織津姫命らを守護としてきたわけだ。

こうして正史に政治の嘘が混じり、御祖霊に対する罪悪感が芽生え、穢や祓というネガティブからの浄化イメージが定着してしまった感がある。祓戸四柱による大祓詞や、天満・御霊信仰など祟り神に偏向されるのは、本来が歪められてきた証しなのかもしれない。しかし…そもそも神道とはこのような畏怖よりも、『和平』へと『言向』するの信仰であったはずなのだ...。







では逆に、歴代権力者はなぜ富士朝を完全消去できなかったのか?。

そもそも富士朝への攻撃は朝敵行為に当たるために、誰もが迂闊に手出しできなかった。まず神殺しは兵たちが怯えるだろうし、朝敵行為は家臣たちに示しがつかない。だからこそ、富士朝討伐のヤマトタケルは伊吹山の神に呪い殺されたと...信じられていた可能性もありそうだ。

 

ただし、富士朝と室町幕府の間には特別な因縁があったのは全く知られていない。

宮下文書研究家岩間尹氏によると、南北朝時代の北朝足利尊氏は、南朝残党軍の影の司令塔が57代阿祖山太神宮大宮司・富士三浦左京亮義勝であることを知る。さらにはこの三浦義勝が、足利直義の生真面目な正義心を翻弄してきたことを知る。その上で直義は、信頼していた実兄の尊氏を正義のために殺せと唆されていたのだ。

このように、足利将軍家が打倒富士朝の執念に駆られていたことが想像できる…。尊氏は是が非でも三浦義勝を見つけ出して、富士朝を潰せと子孫に遺言していたと…(妄想)。十一甲申年(1404年)4代将軍足利義持の時代、3回の討伐隊を富士朝を派兵し富士朝は陥落した。このときの神領没収は目代・千葉兼胤にやらせており、宮下文書の大半は焼却されている。

おそらくは『神殺し』の踏み絵を、富士朝と関係深い千葉氏族に踏ませたのだろう。

以降富士朝は歴史上から姿を消すことになる。奇しくも京都では吉田神道が台頭する。彼らは神殺しが末代まで祟られると、本気で信じていたことだろう…。

 

また後世の徳川家康と天海(三浦氏族蘆名氏?)のように、富士朝神道に精通しつつも、その恩恵を独占享受したい思惑もあったようだ。武蔵総社大國魂神社にて御祭神を誤魔化しつつ、深夜に例大祭『くらやみ祭』をやらせたのも富士山夏至レイライン信仰だろう。

 






歴史はなんで嘘になる?

 

人口増加に伴い利権は一気に複雑化した、それはさらなる中央集権体制を必要とした。天皇に権力が集中してゆく中、政治の嘘はどんどん肥大していった。三種神器が権力の象徴である限り、出処である富士朝権力を知られるわけにはいかなかった。そのうえで『朕こそが神であり、すべてであり、大元である』『だから朕を敬え』と…。天皇だけが神たる資格を独占し、現人神という発想がうまれた。

 

本来の八百万の神とか現人神というのは、我々の遺伝子提供者の御先祖のこと。もっといえば彼らの遺伝子を継ぐ私たちの事である。全国神社で祀られている神という存在は、いわば私達の行く末を見守る大おじいちゃん・大おばあちゃんの事なのだ。日月神示の神が、日本人は我が子同然といっているのはこのことだろう…。

 

神道=歴史・祖先・遺伝子そのもの。

 

なのに、統治者たちは嘘をつかなければ政治ができなかった。誰かが嘘をつかねば戦争を終結させることはできなかった。人々の生活に安定安心をもたらし、結束させることもなかった。平和の余暇から自由な発想が生まれ、文化を生み出すこともなかった。

これが人類の統治能力の限界、世の中が嘘だらけなのはある意味仕方がないことだった。まあ、社会の嘘にクローズアップするよりも、前向きに真相だけを追いかけようではないかと…。熊オッサンが、昨今の陰謀論に左右されなくなった理由である。

 

(´(ェ)`)

 

よく知られていることだが...歴史は勝者のもの。現在、世界中で語られる歴史教科書は、殆ど勝者のウソともいわれている。歴史は伝言ゲームみたいなもので、歴史上で誰かが嘘を言えば簡単に崩壊する。一箇所でも改竄されると、そこに新たな誰かの既得権益が生まれ修復は難しくなる。さらに既得権益に取り込まれた人は家族の営みもあるわけで、なかなか考えを変えられない。

真相=神道、史実を歪めれば当然神道も歪む。歴史を完璧な状態で維持していくことは人間にとってチャレンジでもありそうだ。最近思うに…。この神からの伝言ゲーム…、我々日本人は神に試されているのではないか???とも思える(苦笑)。

 

(´(ェ)`)