2021,12,19
今年後半は、休日返上でブログを書いてきた…、まあ年末年始は休みまくってやろうと企んでいたのだが…。もうサボることすら許されないのだろうか(´(ェ)`)。
三毳山に行ったら、とんでもないことが判明してしまった。
まあ、以下の3つのレイラインを見てもらえばわかると思う。三毳山(みかもやま)はレイラインの巣窟であった。それぞれは阿祖山太神宮・阿祖山太神宮里宮寒川神社・江戸の三極と結ばれている
~目次~
①富士山三毳山(みかもやま)レイライン
- 小富士山山頂(福島県東白川郡棚倉町)
- 天狗党の墓(福島県東白川郡棚倉町)
- 下野一宮・二荒山神社(栃木県宇都宮市)
- 磐裂根裂神社(栃木市都賀町家中)
- 太平山神社奥宮(栃木市平井)
- 岩舟山高勝寺(栃木市岩舟静)
- 三鴨神社(栃木市岩舟下津原)
- 高平寺(円仁生誕地説あり)
- 三毳神社奥宮(栃木市藤岡町大田和)
- 富士山古墳(富士嶽神社・群馬県館林市花山)
- 上州三嶋神社(群馬県邑楽郡明和町)
- 行田八幡宮(八幡太郎義家による創建)
- 荊原三島神社(埼玉県鴻巣市荊原)
- 三島神社跡(外三島・埼玉県熊谷市新川)
- 玉泉寺(源範頼創建、僧月山による再興)
- 胄山神社(エタモヒを祀る・甲山古墳)
- 明見根元神社(山梨県富士吉田小明見)
- 山之神(阿祖山太神宮山守宮比定地)
- 富士御室浅間神社奥宮(旧本宮)
- 富士山
- 山宮浅間神社(静岡県富士宮市山宮)
- 静岡浅間神社付近・松平忠明墓(静岡市葵区)
- 飽波神社(瀬織津姫・アメノオシホミミ)
※つまり、阿祖山太神宮と富士山と山宮を繋いだレイライン。いずれも宮下氏族が関係しており、富士朝信仰の肝となる。そのレイライン上に三毳山と二荒山神社があったワケだ。
②寒川三毳山レイライン
- 山形県寒川江市内
- 小野寺小野口小野澤(807年八幡神を祀るも、その後村檜神社へ合祀)
- 三島神社(栃木市岩舟町三谷)
- 三毳神社奥宮(栃木市藤岡町大田和)
- 雷電神社総本社・白龍弁財天社(群馬県邑楽郡板倉)
- 不動ヶ岡不動尊總願寺(関東三大不動尊説?)
- 玉敷神社(エタモヒ創建?・久伊豆明神総社)
- 雷神社(別雷命正一位雷神宮?・埼玉県加須市中種足)
- 無量寿院(源頼朝創建・埼玉県北本市)
- 秋津神社(不動明王像・東京都東村山市)
- 武蔵国分寺跡(東京都国分寺市)
- 小野神社(瀬織津姫・東京都府中市住吉町)
- 小野神社(小野篁・東京都町田市小野路町)
- 相模一宮寒川神社(阿祖山太神宮里宮)
- 三嶋神社(神奈川県平塚市夕陽ケ丘・三島公園)
※前記事で紹介した下野三宮『村檜神社』に祀られている八幡神は、東へ2キロほどの小野口という場所で祀られていたを、807年(大同2年)に村檜神社へと合祀された。
さらに、このレイラインは小野氏の気配も見え隠れする。そもそも小野寺郷の由来は、円仁所縁の小野寺山『大慈寺』が小野氏の氏寺であり、小野小町の墓も存在する。これが武蔵国分寺跡や武蔵一宮論社『小野神社』(東京都府中市)を通り、小野篁を祀る『小野神社』(東京都町田市小野路)、相模一宮であり、宮下文書版の阿祖山太神宮里宮『寒川神社』へと到達する。何故か小野だらけなのだ...。
<神社めぐり>小野寺氏から見えてきた陸奥宮下氏族『葛西氏』、かつて蝦夷は貴種であった。 - セキホツ熊の謎を追え!
③江戸日光レイライン
- 日光大真名子山
- 満願寺出流観音(日光開山の勝道上人母方由来)
- 安蘇澤神社(藤原秀郷が別雷命を祀る)
- 京路戸山(小野寺地区・寒澤山神社跡)
- 山神宮(栃木市岩舟町小野寺)
- 三毳山(安蘇山)
- 三毳神社奥宮
- 三毳神社里宮
- 花岡城(藤岡城・平将門築城)
- 藤岡神社(旧名・六所神社)
- 久伊豆神社(埼玉県さいたま市岩槻区)
- 神田明神(平将門・オオクニヌシ・スクナビコナ)
- 兜神社(八幡太郎義家由来)
- 日本橋日枝神社(山王御旅所)
- 鐵砲洲稲荷神社(吉田神道に湊神社と名付けられる)
- 築地本願寺(移転地)
※久伊豆神社は埼玉県内に複数点在しているので注意。
日光三山は、男体山・女峰山・太郎山と正三角形を形成しており、その中心付近にあるのが『大真名子山』。レイライン上にはいずれも行ったことがある神社だらけ、或いは前回までに記事紹介している…。そして出流観音とは日光を開山した勝道上人の母方が、懐妊祈願をした場所であり、かつて『出流(いづる)』とは『伊豆留』と表記されていた。
…というか、信じて欲しいのだが、。…私はこれらパワースポットがレイラインを構成しているとは全く知らなかったのだ(苦笑)。気が赴くままにフラフラ神社めぐりをして、気が赴くままにつらつら記事にしてきた。そしたら、たまたまそれらがレイラインだった…気づいたのは今さっきだ。
ホントに。。。(´(ェ)`)
なんかもう、誰かに操られているのではないかと思う今日この頃…。
<緊急続報>将門レイラインの秘密判った!!。『寒澤山神社』を祀る日本列島の中心線だった。 - セキホツ熊の謎を追え!
スタートは三島神社。
レイラインを見つけたきっかけは、栃木市岩舟町小野寺地区のとなり、三谷『三島神社』へいった時のこと。
◯『三島神社』(栃木市岩舟町三谷)
〜御祭神〜
- 大山祇命
※熊野・御前・御霊・愛宕・猿田彦神社などを合祀。
神社に辿り着いたとき、地域の人々が集会をしているようだった。邪魔しないようにコッソリ参拝して、コッソリ帰るつもりだったのだが…。裏方の摂社をみていたら、近所?のおじさんが話しかけて来てくれた。
以下要約。
おじさん『裏の本殿も立派だろ』
熊『ええ、拝見させていただきました』
おじさん『このあたりは昔から水が豊かな土地で、伊豆から三島神を勧請したんだ。土地が豊かなもんだから幕府の検地を入れずに誤魔化しとおした(笑)』
熊『このあたりは小野寺の藤原秀郷子孫が多いのですか?』
おじさん『いや、古河あたり(下野国寒川郷野木神社南側)から来たそうだ』
おじさん『ここから見る三毳山が一番形がキレイだよ』
熊『ああそういえば!、本殿が三毳山向いてますね?』
おじさん『…。』
熊『三毳山と三島って関係あるんですか?』
おじさん『いや、ない…(即答)』
熊『…。』
以上がザックリした会話内容だったのだが…。とはいえ、やはり直感的に三毳山とカモサワヒメは関係あるんじゃないのかと心に引っかかっていた。なぜなら、周辺岩舟町下津原にも『三鴨(みかも)神社』があるからだ。御祭神はカモサワヒメ父神の鴨神、コトシロヌシ。その後、三毳山へ登頂して富士山を遥拝してきて実感することになる。
日月神示にて富士山ウシトラ34里に富士山があると記載していた。前記事では、岩舟町静の『富士山』を紹介したが、あれはあれで、富士山杓子山の『岩戸』を示したレイラインだと思っている。
今回気になるのが...奇しくも、この三毳山もウシトラ34里にあるのだ。そして別名が『安蘇(あそ)山』、宮下文書における富士山そのものを意味している言葉。このあたり読者の皆さんから見ればローカルな話題となりそうなのだが、宮下文書と富士朝研究にとってはかなり重要な地域だと断言しておく。詳細はまた別記事で紹介。
<日月神示>富士山からウシトラ三十四里、静なる『富士山』があった件。 - セキホツ熊の謎を追え!
藤岡神社の謎
帰りは六所神社(藤岡)〜花岡城(藤岡城)〜藤岡神社方面へと、フラフラ歩いた。この時点では、藤岡神社がまさかレイライン上にあるとは知らなかったのだ(笑)。時間があまったので、せっかくなら将門の城塞『花岡城』を勉強して帰ろうと思った次第だ。しかしこの藤岡神社はかなり意味深で、神額には六所神社と記載されていたのだ。地域にもよるが、六所神社とは総社を意味していることも多い。
◯『藤岡神社』(栃木市藤岡町藤岡)
〜御祭神〜
- 大日靈貴命
〜配神〜
伊弉諾命
- 伊弉冊命
- 月読命
- 天児屋根命
- 天宇受売命
〜境内社〜
- 稲荷神社
- 東照宮
また藤岡神社前にあった由緒によると、かつてタマノオヤも祀られていた痕跡がある。
鳥居前由緒による合祀祭神によると
〜主祭神〜
- 天照大御神
〜配神~
- 別天つ神
- 神世七代
- 月読命
- 建速須佐之男命
- 思金神
- 伊斯許理度売命(イシコリドメ)
- 玉祖命
- 天児屋根命
- 布刀玉命(フトダマ)
- 天宇受売命(アメノウズメ)
- 天手力男神
また本殿真裏には『常宝殿』なる神社がある。
古い本殿のすぐ裏に、新しい神明造りのお社があるのでかなりビックリした。奉納者石碑には昭和五十六年とされているのでかなり新しい、どこからか他地域の複数神社?が合祀されているようだ。この石碑では、どれが主祭神か配神かイマイチよくわからない表…、これは複数社からの合祀を意味しているのだろうか?。
〜主祭神?~
- 木花之佐久夜毘女
- 邇邇芸命
- 大山津見神
〜主祭神?~
- 火之迦具土神
〜配神?~
- 宇迦之御魂神
- 佐田彦神
- 大宮能売
- 四之神?
- 田中神
〜主祭神?〜
- 建御名方神
- 八坂刀売神
〜配神?~
- 事代主神
〜主祭神?〜
- 大国主命
〜主祭神?〜
- 徳川家康
- 源頼朝
- 豊臣秀吉
※日光東照宮神輿舎には源頼朝と豊臣秀吉が祀られている。おそらくは日光東照宮を意識した祭祀ではないかと。
これらの神々がこの神社に祀られているのかはわからない。申し訳ないが…結論としては、何もかも謎だらけの神社だった。
(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。