セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<緊急続報>将門レイラインの秘密判った!!。『寒澤山神社』を祀る日本列島の中心線だった。

 

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佐野市賀茂別雷神社境内『集合殿』、中央赤いお社に向かって左隣が『寒澤山神社』。


2021,11,21

昨日神社めぐりにいった関係で、今週は記事が間に合いませんm(__)m。

その代わりと言ってはなんだが、スゴイ事実が判明したので急遽記事とした。

~目次~

 

 

以前紹介した将門レイラインを覚えているだろうか?。

〜『将門・中心点レイライン』〜

  • 『西御門神社』(千葉県佐倉市西御門)祭神不明?妙見石碑・千葉氏屋敷。
  • 『麻賀多神社』(千葉県佐倉市大篠塚)稚産霊命。日月神示関連とは別社。
  • 『日秀将門神社』(千葉県我孫子市日秀)平将門公。
  • 『相馬惣代八幡宮』(茨城県取手市寺田)将門生誕地・生母の県犬養氏領地?
  • 『戸頭神社』(茨城県取手市戸頭)同上異説あり。
  • 『別雷神社』(茨城県常総市菅生町)賀茂別雷命。
  • 『一言主神社』(茨城県常総市大塚戸町)一言主命。
  • 『菅生沼天神山公園』(茨城県坂東市神田山)越前守胤貞と白妙姫伝承。
  • 『延命院胴塚』(茨城県坂東市神田山)将門胴塚。
  • 『一言神社』(茨城県坂東市岩井)将門と老翁、石井ノ井戸伝承。
  • 『延命寺』(茨城県坂東市岩井)1445年、千葉氏庶流・相馬氏創建。
  • 『国王神社』(茨城県坂東市岩井)将門終焉の地、鎮魂社?。
  • 『日月神社』(茨城県古河市東牛谷)藤原秀郷本陣伝承あり。
  • 『御門神社』(栃木県栃木市岩舟町静)平将門公・田心姫命。
  • 『小野寺城跡』(栃木県栃木市岩舟町小野寺)自称・藤原秀郷庶流小野寺氏。
  • 『賀茂別雷神社』(栃木県佐野市多田町)賀茂別雷命。
  • 『三騎神社』(栃木県佐野市船越町)瀬織津姫命。

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※将門レイラインは濃いブルー線のこと。水色のレイラインは今回無関係なので注意。

賀茂『七瀬祓い』と寒川『七郷めぐり』の類似性、やはり隠されていたのは別雷神カモサワヒメ? - セキホツ熊の謎を追え!

 

結論から言うとこのレイライン、日本列島の中心点を通るのだ。

これが栃木県佐野市作原・逢来ログビレッジにある『日本列島中心の地碑』。詳細はまだ調べていないのだが、『旗(はた)川』の上流、『逢来山』『逢来城跡』の麓となる。一番近い神社は作原『宇都宮神社』で、二荒山神を祀る。

秦(はた)・逢来・まさに富士朝の影響力が強く残っている地域となる。

 

本日例祭日に、寒澤山さまとご先祖さまのお導き???。偶然の発見。

事の発端は昨日、多田『賀茂別雷神社』に神社めぐりをしていた時のこと。

鳥居前に『寒澤山神社例祭』なる看板が立てられていた。『さ、寒澤山って…まさにあの御神霊ではないか???』と、どうやら当社で明日…、いや11月第三日曜日の本日…、境内社の例祭があるようなのだ。

 

◯『賀茂別雷神社』(栃木県佐野市多田町)

〜御祭神〜

・賀茂別雷命

※669年(天智8年)『この地に雷神祀れば、富貴安静となる』旨の御神託があり、菊沢山中腹に創建。因みに近く山越町にも『加茂別雷神社』あり、こちらは延暦噴火後の807年創建で、藤原秀郷も崇敬していた。

 

~宮下文書カモサワヒメ~

加茂澤毘女=別雷命=寒川毘女命=三嶋神。

※オオヤマツミ妃

※コノハナサクヤ・イワナガヒメ母

※コトシロヌシ・タカテルヒメ娘

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境内奥宮への参道には、何故か『寒澤山神社参道』とある。。。

そこで宮司様?禰宜様?らしき方に、境内社『寒澤山神社』の詳細をお伺いしてみた。拝殿すぐ横の御朱印受付のカウンターにて、ネコちゃんをナデナデしながら『うちの職員のタマちゃんです〜』と、にこやかに対応していただいた(笑)。

ニャンコかわいいニヤー(´(ェ)`)

以下、会話内容をザックリ記した。

 

熊『さむさわやまと読むんですか?』

宮司様『私達はさぶさわさんとよんでおります。』

熊『奥宮入口に寒澤山神社参道と書かれていますが?、現在の奥宮のことを指すのですか?』

宮司様『くわしくは判ってません…、現在でもこのお山(菊沢山)のどこかに祠があるといわれてますが…』

 

熊『寒澤山神社の御祭神はどなたでしょうか?』

宮司様『オオヤマツミさまと言われております』

熊『奥宮は別雷さま?(下写真↓)』

宮司様『はい』

熊『奥宮までの参道途中に一つ石祠がありますよね?』

宮司様『あれは、氏子○○さんに関係した祠です』

 

宮司様『寒澤山神社は、100年位前私の祖父が、あちらの山にあった祠をこちらに遷座させたといいます。現在は拝殿となりの集合殿にお祀りしております』

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と宮司様が指さした方向が…、なんと下野国小野寺…わたしの母方推定先祖『秀郷流小野寺氏』の土地だった。つまり、賀茂別雷神社のある多田集落と、小野寺集落とのちょうど間にある『京路戸山』(栃木県栃木市岩舟町小野寺)の山頂に祠があったというのだ。この山はもともとこちらの神社領であり、地元信仰・伝承も残っている霊山であった。そしてさらに驚くことに、前記事『将門レイライン』がドンピシャで通る。…グーグルマップにて確認すると、将門『国王神社』から佐野市『日本列島中心の地石碑』を通り、その上に京路戸山、我がオカン祖先の小野寺城がある…。

オカン…?((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル。

※因みに、以前紹介した『スサノオ重心点レイライン』は、あくまで本州のみの質量的な均衡点。今回の場合は日本列島の長さの中心点『将門中心点レイライン』とでも呼称しようかな...と。

<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにやら巨大拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

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地元『田沼町史』によると、京路戸山には昔からの大蛇に纏わる伝説があり、キノコ採りや、小野寺へと抜ける多田村の人たちを大蛇が襲っていたという。現在は祠すらないのだが…。山頂には『参拝方法』なる意味深の書類が一枚掲示されており、大日如来・豊受大神・サルタヒコという神仏習合祭祀に利用している謎の宗教団体?はいるようだ…(詳細不明)。

一方で小野寺側では、小野寺氏が崇敬した下野三宮『村檜神社』が存在し、八幡神・熊野大神・日枝大神を祀っている。オオヤマクイは秦氏の氏神で、宮下文書研究者・鈴木貞一氏によるとオオヤマツミと同神。小野寺氏の祖である藤原秀郷が居城『唐沢山城』の鬼門として崇敬していたという。もともとは唐沢山天神沢に『朝日森天満宮』があり、火雷天神こと菅原道真公を祀っていたという。そんな唐沢山の現在の地名は『富士町』、浅間神を祀る土壌はあったとみている。やはりこの一体が富士朝秦氏色を放っているのだ。

前記事にも述べているが。平将門にも…、それを征伐した藤原秀郷にも…、どちらにも富士朝色が強く出てくる…これは何を意味するのだろうか?。余程の事情がありそうだ。

私の場合、推定祖先が父方武藤少弐氏・母方小野寺氏となるわけだが...、どちらも表向きはこの藤原秀郷なる人物が起点となる。自分のルーツを知る上では最重要人物となりそうだ。ただ秀郷自体は、藤原北家ではなく上野国や下野国の豪族という説も多く、となると延暦噴火で拡散された富士朝氏族の末裔の可能性もあるのかな...と(期待半分)。

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神社からみて左から二番目の、低いけど特徴的な突起が『京路戸山』。
山麓をソーラーパネルで覆われている。

蓬莱山の先に何があるのか?、神社めぐりをしてみた。

藤原秀郷は下野国に数多く神社を創建している。旗川は将門レイラインに沿って蓬莱山へ伸びてゆき、その流域にも興味深い神社群を残している。アメノコヤネと瀬織津姫の『三騎神社』もそのうちの一社という。

こうしちゃいられないと…。

日本列島の中心地になにがあるのか?、推定ご先祖様がどんな神社を創建してきたのか?、この目で確かめてみたいという衝動に駆られた。今日は『旗川』の源流域『蓬莱山』まで、行けるとこまで行ってみようと…。

ただこの日はあいにく徒歩で神社めぐりをしていたので、交通手段は限られてくる。途中、以前からどうしても行きたかった『丸嶽山神社』『安蘇澤神社』を参拝し、とりあえず葛生駅まで歩いてタクシーで『三騎神社』まで行くことにした(だいたい2800円位)。

 

◯『三騎神社』(栃木県佐野市船越町)

〜御祭神〜

・天津兒屋根命

〜配祀〜

・大己貴命

・大日霊貴命

・軻遇突智命

・大山祇命

・菅原道真公

・瀬織津姫命

・水速玉命?

・水速貴命?

・大雷命

・火産霊命

・白山姫命

※942年藤原秀郷創建。旗川を挟んで『水月院』なるお寺あり、関係性は不明。

※下写真↓。

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※そのほかにも街道沿い5社ほど参拝した。

 

前記事にて紹介したが、Wikipedia藤原秀郷によると春日神や鹿島神を祀る神社が少数ゆえに、藤原氏族ではないのではないか…?との説を紹介している。実際、下野国地域を回ってみるとそんなことはなく、むしろアメノコヤネ系神社だらけである…。

ただ面白いことに、『春日神』として祀る神社は殆ど無い。つまりアメノコヤネ藤原系統とタケミカヅチ・フツヌシ蘇我系統が別系統であることを見抜いており別々に祭祀する。非常に富士朝神道体系に精通した氏族であったようだ。勿論、中にはこの二系統を同社で祀ることもあるが、『春日神』とは称していない。wikipedia藤原秀郷でも指摘されているように、二荒山神社・宇都宮神社などの地元信仰を重要視していることがわかる。

白岩町『宇都宮神社』は、『宇都宮大明神』『白岩大明神』といい将門レイライン上に境外社『根本山神社』をもつ。途中『大神宮』(栃木県佐野市長谷場)なる小さな神社があったが…気になるのだが。

今回はここで力尽きた…。

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2005年から田沼町は佐野市に合併され、現在の表記的には田沼町作原町→佐野市作原町が正しい。

また来よう。。。(熊)

後おそらく上流へ5キロくらい歩けば日本列島の中心石碑にたどり着けただろ…、毎回毎回寄り道が多くなる...(苦笑)。もう熊オッサンくたくたで、さらに往路も全部歩くわけだから体力温存せねばならなかった。それと日没が早く真っ暗...山中こんな街灯もない道を歩けるわけがない。幸いにもきれいな満月が足元を照らしてくれて、帰りは市街地まで全部歩き通した。

この地域は意味深な神社が多く『神社めぐり』記事でも取り上げたい...。平将門についても近く纏めたいと思っているのだが...。さらにはこの藤原秀郷や小野寺氏族についても興味がでてきた。奇しくも本日は『寒澤山神社・例祭日』。この日のうちになんとしても記事に仕上げたいという、...なにか使命感みたいなものがあった。

宮司様とネコちゃんありがとうございました。オオヤマツミ様・カモサワヒメ様、将門様、秀郷様…様々な存在の方々に感謝申し上げますm(__)m。

 

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