セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈日月神示✕宮下文書〉ウシトラ34里の富士山が、天之岩戸を指している可能性。

 

f:id:sekihotu:20210904093827j:plain

杓子山の入り口付近、大明見『山神社(山之神)』。加工なし。


2021,9,4

前回は、栃木県岩舟地域における平将門子孫と藤原秀郷子孫を説明した。下野国という土地が、平将門子孫と藤原秀郷子孫が関係していることを、強調したかったわけだが…。結構、長引いてしまった(笑)。

さて今回はいよいよ、この栃木市岩舟静の『富士山』が一体どうしたのか?。

 

結論から言うと…。

たまたまなのかもしれないが…。

ホントにたまたまなのかもしれないが…。

ウシトラ34里のレイラインは、宮下文書比定の杓子山『岩窟』付近を指している可能性あり。

舞台は山梨県富士吉田市大明見へ移動、…あくまで妄想考察のお話となる。

〈日月神示✕宮下文書〉平将門子孫と藤原秀郷子孫、双方にある富士朝の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

<日月神示>富士山からウシトラ三十四里、静なる『富士山』があった件。 - セキホツ熊の謎を追え!

f:id:sekihotu:20210828134155p:plain


岩窟とはなにか?。

宮下文書における天之岩戸は、単に『岩窟』と記載されている場合もあり、御祖代山(おそらく杓子山のこと)の山奥に存在していると記載されている。

これに関しては、三輪本よりも岩間本のほうが、わかりやすいかもしれない。

 

宮下文書岩間尹氏著書『開闢神代歴代記』によると。タカミムスビ子孫で、アマテラスやオオクニヌシのはとこにあたる新羅記王四男多加王(スサノオ)は、眷属約1300人を率いて富士高天原に入麓。アマテラスを妻にし、瑞穂国(日本)を領奪せんと画策した。アマテラスがこれを拒絶すると、スサノオは非道・暴挙を繰り返し、さらに迫ったという。

聡明な主導者アマテラスは一計を案じ、阿祖山太神宮初代宮司オオクニヌシに内意を告げて、『深山の奥の岩戸』に隠れて、熱り冷めるまでひたすら待ち続けていたという。

その間に、兄オオクニヌシの弟サルタヒコが八千神を集め、スサノオの率い眷属1300人を皆殺し、オオクニヌシとタヂカラオがスサノオに改心を迫った。

 

スサノオが謝意を表すと、諸神は総勢大喜び、『万佐!』『万佐!』と叫びながら、天の岩戸に集まり取り囲んだ。サルタヒコは鳴木を叩き、ウズメは青葉の枝を持って踊る。アマテラスも事態の収束を諭し、諸神共々笑い興ぜられ岩戸(岩窟)から出てきた。タヂカラオが御手をとり、サルタヒコが神殿(阿祖山太神宮)まで案内した。

オオクニヌシらは、スサノオに誓約の証として大柏の葉に手形を押して、不ニ山から出ずる雲(噴煙?)の流れる方角『出雲』へ流罪に処された。オオクニヌシが元帥となり、スサノオを阿祖北の山陰(信州?)へ引率していったようだ。

その後のスサノオは、アマテラス政権に貢献し、北陸諸方の悪魔悪神を討滅したとある。またタヂカラオ=テナツチと共に『三種神器』を発案制作し、阿祖山太神宮に奉納するなど、アマテラスを大いに信頼させる人物となる。

※ただ、スサノオが、アマテラスとオオクニヌシの親類でなければ、どうなっていただろう…。

f:id:sekihotu:20201022221957p:plain

こうしてアマテラス養子アメノオシホミミと、スサノオ娘タクハタチヂヒメが結婚し、ニニギやタマノオヤら八王子を産む流れとなる。これは三輪本と符合し、記紀比定『誓約(うけい)の子』誕生の流れとなるのであろう。

記紀版の天之岩戸事件においても、原因はアマテラスとスサノオの不仲であったが、『誓約(うけい)』の概念がいまいち意味不明であった。一方の宮下文書版スサノオは、アマテラスに拒否され、序列をつけられ、落としどころとして『義弟』にされていた。つまり家臣・部下・友人でもなく、なぜ『義弟』なのかが重要であり、暗に、『...仲直りするけど、あなたとは永遠に結婚しません』という意味にも思える...。

 

※因みに、出雲に関して。三輪本現代訳『神皇紀』では、悪雲が流れ出る方角のことを『出雲』としている。

※因みに、岩間尹氏著書、『開闢神代歴代記』には、三輪本にはない記載部分も多い。これらが氏の独自解釈なのかは、原本を取材していない私にはなんとも言えないが…。ただ感触としては、独自解釈もそれなりにある気がしており、三輪本とのスリ合わせ作業が必須となる。

 

f:id:sekihotu:20210403170400j:plain

『杓』の意味と、杓子山。

次に岩窟がある『杓子山』の由来について。

宮下文書岩間本によると、富士朝の祖クニサツチが『杓』を使い、大好きな鶴と亀に餌付けをしつつ、

『吾が子孫天つ日嗣の大御位に即きまさむには、必ずこの杓を身に副え持つべし』

と伝承させた。同時に、これが日本古来の鶴亀伝承の発祥であり、武蔵総社『大國魂神社』境内・宮乃咩神社など、『ひしゃく』奉納する神事の真意もここにありそうだ。

さらには、『しゃくし』=『御社宮地(みしゃぐぅち)』ではないかと推測。本来は阿祖山太神宮の社地であり、奥宮的存在となる。これが長野県諏訪湖周辺などで見られる、『ミシャグチ』信仰に関係しているのではないかとみる(詳細は下リンクより↓)。

『諏訪大社』正体解明?。追放されたのはタケミナカタではない、神武天皇御子・手研耳命であった。 - セキホツ熊の謎を追え!

宮下文書三輪本現代訳『神皇紀』によると。

10代崇神天皇の時代には、アマテラスの御神霊を中室『麻呂山』から大和国笠縫『天照皇太神宮』へ勧請する一方、阿祖山太神宮東の高峰にアマテラスを祀り『御祖代山』と称した。いまのところ自信がないが…、これが杓子山とみている。

前述したように、クニサツチの『杓』と祖の子孫『子』という言葉自体に、『御祖代』の意味を持たせているのかもしれない。

 

さらに宮下文書岩間本においては、15代応神天皇の御世に武内宿禰を勅使として、12代景行天皇行宮『麻呂の宮(麻呂山)』へ、御祖代山からアマテラス御神霊を御移している。このようにアマテラス御神霊は、歴史上あちらこちら移動されているので、現状どうなっているかは不明。やはり現在の本拠点は『伊勢神宮内宮』なのだろうか?。ただ、いまも杓子山頂には、御祭神不明『御祖代山杓子宮』(上写真)と記された謎の石祠が残されているようだ。



ウシトラ≒不吉、誰が決めたのか?。

ここで『丑寅の方角』の意味を考えてみよう。前記事で紹介した『ウシトラ34里』レイラインをみてみると。

 

A:静岡浅間神社〜御門神社レイライン

B:富士山〜浅間神社(岩舟静)レイライン

f:id:sekihotu:20210828134155p:plain

AとBレイラインはおおよそ、三輪本現代訳『神皇紀』巻末地図の『岩窟』推定地を掠めているのだ。さらに、レイライン上の『神部神社』『静・浅間神社』…天之岩戸イベントの役者は揃っているようにも見える。

 

・神部神社『オオクニヌシ』

・静・静浅間神社『アマテラス』

・静・八浅間神社境内の八角柱石祠『サルタヒコ』『ウズメ』

・御岳山綾広の滝『祓戸四柱』

 

岩戸…。

ウシトラ…。

コノハナサクヤヒメ…。

日月神示曰く『世のはじめからの仕組み…』。

これってもしかして…、日月神示の言っている事と被るんじゃないの???…と思うのだが(大妄想)。どうだろうか?。

前記事の富士浅間大社からの北東のレイラインは結構知られているようだが、杓子山にも阿祖山太神宮も微妙にズレていた。

…まさか、『岩窟』に近いとは思わなかったが。

f:id:sekihotu:20210904093720p:plain

宮下文書伝承のあった富士山北東本宮小室浅間神社(大明見小室浅間神社)も、富士山からみて北東(丑寅)にあることから、北東=鬼門=不吉ということを強調されているように思う。これが現代の世間一般的な、謎多き富士朝への見方なのだろう。

しかし富士朝の歴史は実に約5000〜6000年、中国風水誕生以前から存在しているワケだし、そもそも風水には北東が『不吉』なんて意味合いなかった。現代人が丑寅=不吉として捉えていることに、首を傾げる。

逆説的に言えば、富士神や火雷神の祟りを恐れていた西国勢力からみれば、当然のごとく北東≒不吉となる。宮下文書東国勢力はそれを裏付けるごとく、何度も何度も西国勢力に反抗してきた。西国人らはことごとく、それを潰してきたのだから、御祖代神の『祟り』を恐れて当然なわけだ。

しかし富士山は、西国人からみれば不吉でも、東国人からみれば神聖なる存在であった。不吉な方角だからあっちを見るなというだろうか...?、むしろ権力者たちに忌み嫌われる方角だからこそ、被支配層たち、労働者・生活困窮者・大多数の人々の真相がある様な気もする...。ヒエラルキー社会の恩恵を受けられるのはごく僅か、権力構造を考えれば一般大衆への嘘は見えてくる。

 

※レイラインに関して。いつも迷うことだが、富士山頂上(お鉢)は780メートルとなって広く、基準を何処に置くかでレイラインの誤差も大きくなる。そういう場合、富士山火口から多少離れるが、レイライン上の各拠点の平均値に合わせている。あくまで、これらは大まかなレイラインなので御了承を。



杓子山にある岩窟の座標。

富士古文書(宮下文書)の古地図には、おおよその場所が指定されているものの、具体的な記載はなし。日本全国には岩戸遺跡がたくさんあるが、宮下文書版の岩窟は、とくに祠や史跡指定されているわけでもないようだ…。

 

前述した、神奈川徐福研究会の『神皇紀』(三輪本現代訳)の巻末略地図によると、御祖代山への尾根道を登り、山頂の少し手前、北斜面に存在するという。

富士古文書原本を取材した加茂喜三氏曰く、具体的には、『阿太都山の東辺で杓子山と鳥居地峠を結ぶ線を底辺とした正三角形の頂点をなすあたりの山中』『不動ノ湯の北側』とのこと。

そうなると、杓子山山頂から結構西にズレたあたりになる。

『不動の湯』とは、阿祖山太神宮を復興させた源頼朝にも縁がある『硯水不動尊』のこと。太神宮跡地の一番の近い寺院で、何かと富士朝所縁の重要ポイントに源頼朝が絡んでくるのは興味深い。

 

そこで…加茂氏の述べた通り、グーグルマップ上で正三角形を作成してみた。加茂先生に対して言い難いことだが、これはちょっと…的外れというか…(汗)、硯水不動尊の北側には至らなかった。頂点は尾根道を通り過ぎ、麻呂山を超えて『武藤造園』さんあたりになってしまうので注意。これはいくら何でも、行き過ぎか。

f:id:sekihotu:20210904093708p:plain

まあ前記事通り、富士吉田市には『武藤さん』がホントに多いんだなあ…と実感。

 

※阿太都山(阿田都山)とは、宮下文書においては阿祖山太神宮の所在地であり、富士朝のシンボルの一つである。これも正直いうと、概要がよくわからず…、ただ単体としての山ではないような気がしている。瀬戸山の東〜杓子山山頂までの尾根道、大明見小室浅間・古宮〜硯水不動尊の北裏山で、そのまま杓子山へと登れる。つまり杓子山の西裾野山域???。

因みに、宮下文書版コノハナサクヤヒメの諱が、『阿田都毘女尊』という。

 

富士朝があったとされる大明見付近は、噴火により土地や川の形状が変わっており、古地図の古名がことごとく変更されている。私自身、かれこれ10回以上行っているが、所詮は余所者。古地図の特定は土地勘がないと解明は難しいだろう。

当初、北尾根道上の岩肌にある『明見根元神社奥宮』こそが、岩窟比定地ではないかとも思っていた。しかし、前述した宮下文書三輪本現代訳の巻末地図によると、太神宮から御祖代山へ向かう手前になければおかしいのかなと…。根元奥宮では山頂分岐『北』尾根道へ行き過ぎ。前述のとおり、あくまで今のところ総合的に考えると、岩窟は硯水不動尊の北裏山、且つ、杓子山西尾根道の北斜面なのだ(今後、認識が変わる可能性あり)。

なお『明見根元神社奥宮』は非常にわかりにくいところにあり、一応ハイキングコースに指定されているらしいが、そもそも道を辿れない程の悪路。前回は見つけることができず諦めた。グーグルマップの写真を見るに、どうやら私が『道がねー』と、オタオタ立ち往生していた崖の下にあった?ようなのだが…(笑)、木の葉の落ちた季節のほうが見つけやすいのかもしれない。

もし行かれる方は、万全の装備で複数人で行かれることを推奨する。登山客もいなくて、北の急斜面なので薄暗く、かなり寂しい場所なのでホント注意。聖域なので、冷やかしで行くならやめて欲しい。

(´(ェ)`)。

終わりに、...いってみた。

ならば…ちょうどよい場所はどこか?。

下写真のように杓子山頂〜西尾根道の尾根コース付近(硯水不動尊の北側)、さらに尾根の北斜面、範囲的にはやはり、AレイラインとBレイラインの中間位ではないだろうかと。

f:id:sekihotu:20210403172931j:plain

 

A:静岡浅間神社〜御門神社レイライン

B:富士山〜浅間神社(岩舟静)レイライン

f:id:sekihotu:20210904093720p:plain

 

これで、だいたいレイラインの座標の目星は付いたのだが…。

まあ...、行ってみるかと...なるわけだ。

そこで、杓子山に登ってきた。因み杓子山領域への登山は三回目となる…。

『岩窟』は、現代地図には特に表記されていないし、考古学者や霊能力者でない素人オッサンに特定できるものとは思ってはないただ、その場の雰囲気だけでも感じられればいいなあ…と。日本創世記の指導者アマテラスという御神霊は、どんな方であったのだろうか?。古代縄文へ思いを馳せてみた…(熊)。

今回は一応、加茂氏説のいうように『不動滝』の北側から登り、上地図の『尾根コース』に入るアプローチで歩いてみた…。

 

残念ながらというか、やはりというか、岩窟と思しき洞窟・お社・石祠のようなものは発見できなかった。

今回、感想をいえば。これは当たり前な事かもしれないが、コースを離れて山中を捜索するのは危険だと痛感した。滑落、落石の可能性あり。とくに北斜面は急斜面がありすぎる…。山は安易に沢に降りると、再度登ることは体力的に不可能になる。これらは登山ルールの基本であり、絶対のタブーなのだ。仮に道に迷っても、安易に沢には降りず、その場に留り救援を求めたほうが良い。神を拝みに行って、命を落とすことほど不幸なことはないと思う。諦めるのも人生。

f:id:sekihotu:20210904094331j:plain

 

今回はあくまで『ウシトラ34里』レイラインのすぐ近くに、岩窟が存在している可能性があるコトを強調しておく。なにか判ったら記事にしたい。

この山はとても見晴らしもいいし、ハイキングには打って付け。ただどうか日本屈指の聖地であることもお忘れなきよう…m(__)m。

 

※Googleマップの『山神社』コメ欄によると、山神社は2021年5月頃から再建中?との書き込みもあり。私は確認していないが、しばらくは参拝出来ない可能性もあり。

※因みに山神社の隣に、太神宮を称する新興宗教施設があるがスルーしておk。
宮下文書の土地に、竹内文書の神様を祀る謎の施設...、観光客を混同させたいのだろうか?。三輪本現代訳と岩間本を読めば簡単にわかるレベルなので、是非ご自身で確認してみて欲しい。

 

 

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

 

www.sekihotu.com

 

www.sekihotu.com



※地図はクラフトマップ使用

www.craftmap.box-i.net