セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈神社めぐり麻賀多神社①〉宮下文書✕日月神示で考えてみよう!、富士山と鳴門の仕組み、祓戸四柱ヒムカの関係性。

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日月神示が降りた『麻賀多神社』(千葉県成田市台方)


2020,9,27

このブログは歴史と神社のブログなので、スピリチュアル的な知識は極力抑えて考察している。

ただ…スピリチュアルにまるで興味がないわけではなく、とりわけ『日月神示』という日本一の預言書には興味はある。

日月神示は、ネット上に全訳があるので読んでみることをオススメする。正直95%意味不明であるが…、なんというか宮下文書と読み合わせた時に、思い当たる節があるという感覚を随所に受ける…。今回は少しディープに、日月神示の個人的妄想をお話してみたいと思う。

題して『宮下文書✕日月神示で考えてみよう!(笑)』



富士山と鳴門の仕組みって何?。

今回まず基本中の基本、『鳴門の仕組み』『富士の仕組み』をクローズアップしてみたい。

ネット上の考察をいくつか読むと、富士と鳴門の仕組というのは陰陽の対として語られていることが多い。

この記事は読んでいる方向けに説明するが、読んでない方に少し説明すると…。富士というのはエネルギーが天上に働く力、鳴門は地中へ働く力。富士というのは火の仕組で、鳴門というのは水の仕組なのだそうだ。火と水はいつも対であり、2つ合わせて『カ』・『ミ』という。

一般的には火は男神の象徴、水は女神の象徴であったが、今までは男神=太陽=陽・女神=水=陰のイメージが強調されてきたわけだ。これが男から女の時代へ変化していき、上下グレンとひっくり返り逆流するのではないか?。つまり女性の創造性が、開放される時代が来るのではないか?と推測されているようだ…。

物事の逆流、逆転現象に備えよ、これからは社会構造や創造性価値観も変わってゆくと…。

※あくまでこの解釈は、ネット上での記事を大まかにかけ合わせだけなのでご了承を。訳者によっては、当然違いがある。

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日月神示に潜む富士朝の影響力

ここからは私の妄想…。

そもそも、なんで千葉県成田市台方『麻賀多神社』に日月神示が降臨したか?、地理的に富士山と鳴門と麻賀多神社がどう関係しているのか?。ま…熱心な信者はもう気づいているかもしれないが、これが笑っちゃうほど単純明快であった(笑)。

 

〇『麻賀多(まかた)神社』(千葉県成田市台方)

周辺、同名神社が多いので注意、同名神社の総本社となる。

~御祭神~

・和久産巣日神

・稚日霊命(奥宮)

~境内社~

・天日津久神社

・大権現社

・祓戸社

・古峯神社

・三峯神社

・印旛国造神社ほか

神社詳細については後記事で説明するとして、ちょっとだけ説明すると…。

もともとは『真賀多真(まがたま)神社』といい、景行天皇御子ヤマトタケルが景行42年(112年)創建に関係しており、伊勢神を遥拝しつつ『鏡』を祀る神社であった。

15代応神天皇の時代には伊都許利命(いつこり)という人物が印旛国造となり、『玉』を合わせて祀る。即ち、御神体は『鏡』と『玉』の神社。

宮下文書によると、ヤマトタケル勢力は東征後のこの地域を『吾嬬の国』と称し、7代阿祖山太神宮宮守司長・福地記太夫を『吾嬬惣国の国造』に任命している。つまり、同地域は富士朝の配下にあったということだ。

 

 さらに…。なんとこの神社が、富士山と鳴門のレイライン上に存在している。

レイライン上には、富士朝宇宙湖(山中湖)、白糸の滝、鳴門から西へ日本の背骨『中央構造線』沿いに阿蘇方面へ、景行天皇と因縁深い熊本県『玉名』へ到達する。奇しくも前回紹介したばかりの奈良県磯城郡三宅町『石見鏡作神社』や、成田空港・中部国際空港・関西国際空港が結ばれているレイラインでもある(多少ズレあり)。

コレ…日月神示の筆記者・岡本天明さんはご存知だったのだろうか?。

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〜富士山鳴門レイライン〜

麻賀多神社(千葉県成田市台方)

・目黒不動尊瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)

・月読神社(神奈川県川崎市麻生区)

・天地社(神奈川県相模原市中央区)

・日月神社(神奈川県愛甲郡愛川町)

・塩川神社(神奈川県愛甲郡愛川町)

・長池天神社(山梨県南都留郡山中湖村)

富士三柱神社(静岡県富士宮市北山)

・田螺神社(愛知県豊田市和合町)八大龍王

・岡崎城(愛知県岡崎市)徳川家康生誕地・龍神伝説

・安祥城(愛知県安城市)三浦氏族和田親平の築城

・夜都伎神社(奈良県天理市乙木町)

・石見鏡作神社(奈良県磯城郡三宅町)イシコリドメ

・讃岐神社・巣山古墳(奈良県北葛城郡)竹取物語伝承

・壷井八幡宮ちかく専光寺源頼信・義家の墓

・美具久留御魂神社(大阪府富田林市宮町)

・脇浜戎大社(大阪府貝塚市)

・福良八幡神社(兵庫県南あわじ市福良甲)

鳴門海峡うず潮

・阿波井神社(徳島県鳴門市瀬戸町)

・大元神社(徳島県鳴門市瀬戸町)クニトコダチ

・大神峯神社(大分県別府市大字内成)

・梶原神社(大分県別府市大字内成)

・玉名大神宮(熊本県玉名市玉名)

・繁根木八幡宮(熊本県玉名市繁根木)

・疋野神社(熊本県玉名市立願寺)

名石神社(熊本県玉名郡長洲町上沖洲)

※多少ズレあり。

 

富士山鳴門レイライン上、一か所だけを紹介すると…。12代景行天皇とヒムカの政治背景が見えてくる。

〇『名石(めいし)神社』(熊本県玉名郡長洲町上沖洲)

~御祭神~

・景行天皇

・御刀媛尊(景行天皇の妃)

・豊国別尊(御刀媛の御子)

 

おそらくは女石のこと、日向御刀媛(ひむかのみはかしびめ)を祀る。

景行13年,12代景行天皇が九州遠征で襲(そ)の国を平定したときの妃で、日向国造の祖となった豊国別皇子を出産した。その後、景行天皇を追いかけこの長洲にやってくるが、天皇が旅立ったあとだと知って海に入水自殺、石となったとされる。

おそらくは、見捨てられたと感じたのだろうか…?。

古事記比定『日向之美波迦斯毘売』、実質は彼女も景行天皇の数いた女性のひとりでしかなかった。古事記によると景行天皇には80人の御子がおり、残っている御子21人と、残らなかった御子59人がいたと記載されている。この『残る』とは何か?意味深な記述だが…。歴史を顧みても、権力者の妃同士・子同士が互いに潰し合いになるのは良くある事。

宮下文書によると。日向の偶々賊ニ女(姉妹)を誘い、長女に父親を殺させた上で、その長女を誅殺したと記載されている。景行天皇(オオタラシヒコ)の男性優位社会の『女遊び』が各地で無用な戦乱を呼んだ可能性はある。このレイラインに、御刀媛尊が祀られているのも何か因縁めいている。その舞台がヒムカ(日向)であった。

こんなことをしていたら熊襲・蝦夷が不信感で蜂起するのも当たり前、実質これに東奔西走し応戦させられたのが、御子ヤマトタケルであったわけだ。

<レイラインの美学③>日月神示ヒムカの役割、瀬織津姫死亡説と天照大神と木花咲耶姫の本当の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

それにしてもここにもヒムカがでてきた…、やはり祓戸神と関係があるのだろうか?。

彼女たちへの景行天皇らの『罪』『穢』を葬りさりたかったのか?。ホツマツタヱの時代に登場した新しい女神『瀬織津姫』という存在に、『浄化』を求ていた可能性はある。

 

『三種の神器』は祓戸四柱がもっていた?。

このブログでは何度も語ってきた。一般的に祓戸四柱とは、穢れを水に流してくれるというお祓いの神様のことだが、この日月神示にもかなり絡んでくる。

 

日月神示(27帖)『この方は祓い戸の神とも現れるぞ…』

 

前記事のアズミ族・太陽信仰におけるレイライン上にも祀られ、日月神示にも登場し、『麻賀多神社』にも奥宮にも祀られていた。そして、個人的に『鳴門の仕組み』というのは祓戸四柱が関与しているのではないかとみる。

小野氏はイワナガヒメ末裔?。夏至レイライン多摩にて『タマ』を見守ってきた玉神八幡氏族の本懐とは。 - セキホツ熊の謎を追え!

タマノオヤ子孫による瀬織津姫信仰①、日前神宮と日祀部日奉氏はタマと太陽信仰を紐解くカギ。 - セキホツ熊の謎を追え!
琵琶湖〜瀬田川〜宇治川〜淀川〜淡路島〜鳴門うず潮。

 

 〜祓い穢れの推移〜

気吹戸主(琵琶湖の伊吹山)

瀬織津姫(佐久奈戸神社)

速開都姫(由良湊神社)

速佐須良姫

鳴門うず潮

 

今までの仕組みは、人々の創造性を『祓い』『穢』と称して、地中へ押し籠めてしまっていたわけだ。言い換えれば、創造性を闇に葬り去ることにより、ごく一部の支配者が被支配者を支配しやすいようにしていた。これが現在までの男性優位社会、拝金主義社会、権力一極集中型社会の構造なのではないかと。

では、お告げ通り、これが『上下グレンとひっくり返る』とどうであろう?。

 

祓戸四柱は宮下文書には登場しない。しかし最近…、単なる『穢』を祓う神ではないと思えてきたのだ。

人間のコンディションを整え(病を治す)、神やと出会える方向へ導く存在なのではないかと。人々の背中を押して、自分の持っている本来の可能性を気づかせてくれる神様、スピリチュアル的に言えば本来の自分を『気づき』『覚醒』を促す存在でもある。天皇や将軍から見れば、一般庶民を覚醒させる神など超危険な存在であろう。恐ろしさのあまり『お祓い』の神として祀りつつ神力を封じ込めてきたわけだ。また我々庶民をコントロールしやすいように可能性や創造性までも、渦潮の中に祓い込んできた。

 日月神示(5帖)

『…ヒムカとは神を迎える事ぞ

ヒムカはその使いぞ

ヒムカは神の使いだから

この道を早く開いてくれよ

ヒムカのお役は人の病を直して

神の方に向けさすお役ぞ…

 

『瀬織津姫』という存在には、アマテラスやイワナガヒメを始めとする富士朝女神たちが数々内包されているとみられ、富士朝の名代を務めているのではないかと。富士朝の象徴ツクヨミの存在は西国天皇勢力により抹消された。アマテラスもカモサワヒメもイワナガヒメも時代により隠さねばならなかった部分があったわけで、瀬織津姫が地域により様々な側面・顔があるのを思えば、それが一番合理的な考えだと思う(別記事参照のこと)。

宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!

『速開都姫』『速秋津姫』=カモサワヒメ(加茂澤毘女・別雷命・寒川毘女・泣澤女)、この根拠は少ない。ただ速開都姫=イヅノメ(伊豆能売)とする本居宣長説があり伊豆三嶋を彷彿とさせる。そもそも宮下文書で『秋津』とは、神武天皇が初めて日本国を『秋津洲』と号した。これを『早く開いた都』に准えるなら、当然富士朝高天原『天都』の代表的女神が浮上し、必然的に速開都比古はオオヤマツミ(寒川毘古命)となる。

静岡県豊橋市『浅間神社』は三社構造なのだが、それぞれオオヤマツミとコノハナサクヤとアキツヒメ(秋津姫命)を祀っている。これらまとめて富士王宮とも呼ばれ、周辺には雷神(大雷神)と縁が深い秦氏の痕跡があるという。

宮崎県西都市大字片内字湯之内『速開津比売神社』周辺の南西の山中に、寒川という地名が残されている。

伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議①。 - セキホツ熊の謎を追え!

全国300社以上の『賀茂神社』正体解明。富士朝ウガヤ朝・日本最大級の欠史鎮魂神社。 - セキホツ熊の謎を追え!

『速佐須良姫』は高確率で、イワナガヒメ。ホツマツタヱにてハヤサスラヒメ(ヤマタノオロチ・ハヤコ)=イワナガヒメ転生と明記されている。イワナガヒメの埋葬地である伊豆山日金山周辺にも『笹良ヶ台』という地名が残る。静岡県賀茂郡河津町笹原にある姫宮神社の御祭神は笹原姫命であり、式内社・佐々原比咩命神社比定、伊豆半島河津開闢の神とされる。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

 これら四柱が、物語として唯一登場しているのがホツマツタヱである。

 

・瀬織津姫=ホツマツタヱ8文『鏡』を司る神

・速開津姫=ホツマツタヱ8文『剣』を司る神

・速佐須良姫=ホツマツタヱ版イワナガヒメ転生

宮下文書比定、『玉』を司るタマノオヤの妃。

・伊吹戸主=ホツマツタヱ版ツクヨミ御子=宮下文書版ツクヨミ御子オオヤマツミ?

 

つまり祓戸四柱は『祓い』『穢れ』などではなく、富士朝の『三種の神器』をコンセプトとしているのが浮き彫りとなる…。

日月神示における鏡とは『内に動かす力』、剣とは『外に動かす力』、これは鳴門=内への力、富士=外への力と解釈できそうだ。内外のコントロールには玉が必要なのだが、現在の世の中はこの内と外の力に頼ってばかりいるらしい…。

ただし日月神示によると、玉は『今なくなっている』が、鏡と剣を祀ることによって生まれるという。身魂=玉、即ち我々人間の魂そのものが『玉』の可能性もあり、原石は日本人(外国人の姿の人もいる)が既にみんな持っているということ、この身魂は磨けば光るそうだ。

さらに、これら三女神をわたしの独断的イメージで比定してみると。

 

・瀬織津姫=月桜田姫?=オオヤマツミ母

・速開都姫=カモサワヒメ?=オオヤマツミ妃

・速佐須良姫=イワナガヒメ=オオヤマツミ娘

 

・鏡=母?

・剣=妻?

・玉=娘?

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これは結構面白い解釈だと思うのだが…、残念ながらまだ確証がない。個人的妄想である。

要約すると、母こそが人間の写し鏡であり、妻や家族を守るために剣で戦う、その精神は娘の世代に継がれる…。結果、オオヤマツミを取り巻く家族たちとなる…。まあいろいろ反論もあるだろうが、祓戸四柱とはやはり富士朝女神が繋ぐ創造性がテーマなのだと思う。日月神示における、『富士は晴れたり日本晴れ』という文言はこのあたりを暗示しているのかもしれない。

 

最後に『気吹戸主神』だが、御正体はオオヤマツミ=寒川毘古命?、またはその親族なのかな…?。う~ん正直、四柱中で特定が一番難しい神様である。

因みに、現在の『伊豆山神社』の主祭神、アメノオシホミミに冠される『正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊』の正哉とはなにか?。ホツマツタヱによるとアメノオシホミミは瀬織津姫の御子。宮下文書的に『正哉』とは本来オオヤマツミ別名『正哉山祇』の冠する言葉、この辺から宮下文書における富士朝系譜が抹消され、皇家系譜にすり替えられている感はある。

△ホツマツタヱ版・瀬織津姫の御子正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊』

▼宮下文書版・月桜田毘女の御子 正哉山祇』

 

①写真・麻賀多神社の祓戸社。f:id:sekihotu:20200927131446j:plain

②写真・麻賀多神社奥宮の祓戸社。
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~おわりに~

『麻賀多神社』には、台方社にも奥宮にも『祓戸社』があり、それぞれ四柱の重要性を示している。ここに来るまで私は、この四柱に常に導かれ勉強してきた感がある。

今回言いたいのは、祓戸四柱は『祓い』ではなく『創造性』の神ではないか?ということだ。わたしたちは、祓戸社へ接し方を間違えているのではないだろうか?、…取り違えしていないだろうか?。

日月神示131帖によると、取り違いと鼻高が一番コワいらしい…。

 

 

※次回は麻賀多神社に行ってきたので、『神社めぐり②』を紹介する。

〈神社めぐり麻賀多神社②〉日月神示に富士王朝の影、麻賀多神社神官『太田家』は応神天皇末裔?。 - セキホツ熊の謎を追え!

  

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※地図はクラフトマップ使用

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