セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<日月神示>富士山からウシトラ三十四里、静なる『富士山』があった件。

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平将門の末裔の地にて『火』『水』『雷』を祀る、栃木市岩舟静『愛宕神社』。


2021,8,15

今回はまた日月神示について。

一応お断りしておくと、日月神示は興味はあっても素人です。宮下文書(富士古文書)の側面から何とか解けないか…と、いろいろ試行錯誤しつつ、自らの経験をどなたかと共有できれば幸いと考えている。長い目でみていただけると幸いです。

(´(ェ)`)/

 さて今回は、この日月神示の中に、『ウシトラ三十四里にコノハナサクヤヒメを祀れ』という一文がでており、これが大きな鍵となっているようだ。果たしてこれ、一体何を指しているのだろうか?、ネット上でも様々言われているようだが…。

〈神社めぐり麻賀多神社①〉宮下文書✕日月神示で考えてみよう!、富士山と鳴門の仕組み、祓戸四柱ヒムカの関係性。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈神社めぐり麻賀多神社②〉日月神示に富士王朝の影、麻賀多神社神官『太田家』は応神天皇末裔?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

富士山三十里四里コノハナサクヤ様祀れ。

~日月神示より~

◯2帖

扶桑東にコノハナサクヤ様祀れよ。

◯5帖

富士とは神の山のことぞ、神の山をみな富士と言うのぞ。

◯21帖

富士から三十里四里離れた所に、祀ってくれよ。

富士にも祀ってくれよ。

富士はいよいよ動くから、それが済むまで三十里離れた所に祀ってくれよ。

富士は神の山ぞ、いつ噴くかわからんぞ。

神は噴かんつもりでもいよいよとなれば噴かねばならんことあるから

それまで離れた場所に祀ってくれよ。

◯27帖

元の仕組みは富士ぞ。

次の仕組みはウシトラ三十里四里

次の仕組みの山へ行って開いてくれよ

三柱と七柱揃ったら山にいけよ。

今はわかるまいがやがて結構なことになるのだから。

行って神を祀って開いてくれよ。

細かく知らせてやりたいなれどそれでは臣民の手柄なくなるから

臣民は神の子だから子に手柄させて親から御礼申すぞ。

行けばなにもかも良くなる昔からの仕組みしてあるから。

何事も物差しで測ったようにいくぞ。

天地唸るぞ、上下ひっくり返るぞ。

 


※三十里四里はおおよそ、34里≒133.527 キロメートル。

※この記述は、昭和19年以降の太平洋戦争中〜戦後、当時岡本天明らのグループ(臣民?)により、既に仕組みがなされているという見方もできる。その場合、岡本氏らにより、活動内容の詳細は意図して伏せられているのかもしれない。

※『富士山』という地名は、全国かなりある。

※日月神示の内容を知らない方は、『日月神示 全文』とネット検索すると出てくる。

 

『富士山のウシトラの方角』に興味を持った理由は…。

下記の、静岡浅間神社〜浅間大社〜富士山へのレイラインをみつけたとき、これってもしかして、『ウシトラの方角』なのではないかと…?漠然と考えていた。レイラインは武蔵御岳山〜前玉神社〜板倉雷電総社を通り、富士山から135キロほど離れた『御門(みかど)神社』(栃木市岩船町静)へ到達する。

 

〜富士山北東レイライン〜

・静岡浅間神社(静岡県静岡市葵区)

・富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)

・富士山(山梨県静岡県境)

・御祖代山杓子宮(山梨県富士吉田市大明見)前記事参照

・綾広の滝(東京都青梅市養沢)祓戸四柱

・武蔵御岳山(東京都青梅市御岳山)

・惣岳山(青渭神社奥宮付近)

・石尊山(埼玉県入間郡毛呂山町)

・出雲伊波比神社(埼玉県入間郡毛呂山町)前記事参照

・前玉神社(埼玉県行田市埼玉)

・常世岐姫神社(埼玉県行田市渡柳)前記事参照

・雷電神社総本宮(群馬県邑楽郡板倉町)

・御門神社(栃木県栃木市岩舟町静)

・大神神社(栃木県栃木市惣社町)下野国総社・国府

※多少ズレあり。

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富士山のウシトラの方角に何があるのか?。

丑寅レイラインを簡単に、南西から北東へ紹介...。

◯『静岡浅間神社』(静岡県静岡市葵区)

〜御祭神〜

神部神社・大己貴命

浅間神社・木之花咲耶姫命

大歳神社・大歳御祖命

 

静岡浅間神社は、複合的に大きく3つの神社から構成されている。中でも『神部神社』というのは、どうやら富士朝由来の信仰らしいのだ。

宮下文書によると、800年延暦噴火の際、山宮先現神社(山宮浅間神社)が埋没、甲斐国山梨郡と八代郡の中山に避難させ、神部山と称した。これが富士山北本宮神部山浅間神社とされる。現在の静岡浅間神社における神部神社祭祀は、これを踏襲した存在ではないだろうかと見ている…(妄想)。ただこの比定社については、神奈川県徐福研究会著の宮下文書現代訳『神皇紀』においても、論争があるようで詳細は分からず。

 次にオオナムチを祀る意味を考えてみよう。アマテラスにより創建された富士朝『阿祖山太神宮』の初代守護司長(二代目がタマノオヤ)。しかし、オオナムチとエビスは職業指導者的役回りが多く、政治主導者アマテラスの手足となり全国を飛び回っていた。これがオオナムチ=オオクニヌシが全国に信仰されている理由。あまりに多忙すぎて、二代目タマノオヤのように、大宮司的な役割は少なかったようにも思える。


また駿河国は、富士朝客人勢力であった『秦氏』との繋がりが深い地域でもある。母方に宮下家派生井手氏の血筋をもつ楠木正成(称・本姓橘氏)も、この周辺に居住していたとみる。個人的には、橘氏も京都市右京区梅津『梅宮大社』にて酒解神(オオヤマツミと解釈される)を氏神としており、平将門の母方・県犬養氏にも関係する東国氏族なのではないかとみている。

楠木正成は本姓橘氏、母方は宮下家派生の富士朝神官・井出氏だった!!。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

◯『富士山本宮浅間大社』(静岡県富士宮市)

宮下文書におけるオオヤマツミの生誕地であり、西古農里原家司眞『白玉池畔』の比定地。800年富士山の延暦火山以降、噴火を湧玉池の水神で鎮めようとした神社。つまり古代富士先住民からの『火』『水』信仰がベースとなっているようだ。

一般的には、和邇部豊麿を祖とする富士氏が、代々大宮司を継承していた事になっている。しかし宮下文書では、800年延暦火山の折に阿祖山太神宮の副司に福地又八良宗晴がおり、山宮浅間神社の宮司を兼ねていたようだが、山宮は噴火で埋没したという。宗晴の次男、大宮麿が和邇部豊麿の婿養子となり、富士又八郎と称した。つまり富士氏は実質、隼総別皇子子孫・福地家の男系となる。元摂社とされる静岡県富士宮市朝日町『富地神社』はその名残りであろう。

前記事で、この福地又八良宗晴は宮下家を祖とする旨を書いたが...、訂正させていただく。宮下家祖・大山守皇子の弟『隼総別皇子』の家系で、代々副司と山宮阿祖山神社を継承し、福地又八郎を称した。

こちらの不注意で、文脈から副司の系譜がうまく辿れなかった...ごめんなさい

m(__)m。

富士氏は下野国でも登場するのだが...、別氏族のようだ(調査中)。

室町幕府は見えない敵の富士朝に攪乱されていた、尹良親王『田貫の長者』の真相。 - セキホツ熊の謎を追え!



◯『出雲伊波比神社』(埼玉県入間郡毛呂山町)

前記事で登場した神社。ヤマトタケル東征の折、大伴武日が景行天皇より賜った比々羅木(ヒイラギ)の鉾を祀った神社。後世成務天皇時代に武蔵国造エタモヒが、アメノホヒを祀ったとのこと。ここにきて、ヤマトタケルが何故『毛呂』を重視していたのかが見えてきた。翌亨祿元年(1528)には、藤原鎌足の後裔を称する毛呂顕繁が再建。毛呂氏』は戦国末期に石尊山山麓に『長栄寺』を開山している。後述する下野国『茂呂氏』とは別氏族なのだが...、面白い偶然ではある。石尊大権現については後述する。

<神社めぐり>出雲伊波比神社と出雲祝神社の謎、そして武蔵一宮小野神社との意外な繋がり。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

◯『前玉神社』(埼玉県行田市埼玉)

〜御祭神〜

・前玉彦命

・前玉比売命

 

前玉(さきたま)と読み、埼玉(さいたま)の語源という説あり。古代武蔵国において、この前玉(さきたま)が中心的役割を担っていたのであろう。

前玉命とは、武蔵周辺の初代統治者。右臣藤原物部系統アメノコヤネの子、あるいは孫?大物主命の四子となる。宮下文書版ニニギ政権の時代、スクナビコナと大物主命は、軍事参謀のような存在とみている。『外寇親征の役』のときには、コトシロヌシを含めたこの三柱はニニギの絶大な信頼を得ていた。

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか? - セキホツ熊の謎を追え!

『外寇親征の役』後の論功行賞では、前玉命は東大原野守護司頭長に任命され、実質的には上総〜武蔵国付近の大平原の統治者となった。神武東征論功行賞では、上富佐・下富佐國造に前玉命53世玉前雄命が就任。一方で『大日本国一宮記』によると、上総一宮『玉前神社』の本来の御祭神は『前玉命』という記載があるという。下のニニギ勅定十七軍神配置図からも、妥当である事がお判りであろう。

ここに古代神・前玉命が、しかも夫婦で祀られている事自体に奇跡を感じいる。これ、宮下文書証明の一つになるのではないかと…。

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時代は移り変わり4世紀(応神天皇40年)、応神天皇御子・大山守皇子が、異母弟の16代仁徳天皇に反旗を翻したとき。前玉命の後胤・武總彦男ら35将が、関東各地兵を富士朝に集結させていた。これを知った西国天皇勢力・仁徳天皇は、皇弟・菟道稚郎子皇子の軍を差し向け、これを福地川(富士川)にて応戦させている。結果は菟道稚郎子皇子側の勝利、仁徳軍は大山守皇子と思われる偽の溺死者を回収し、大和国奈良山に埋葬した。その間、ホンモノの大山守皇子は相模国『大山』、後世の大山阿夫利神社に退避しており、以降は宮下記太夫明仁...『宮下家』を称した。さらには神仏習合して甲斐国や関八州広範囲に伝播し、石尊大権現となったようだ。栃木県足利市田中の下野・富士山城『男浅間神社』があり、物見台跡には石尊宮の石祠があるという。

~15代応神天皇御子・東西対決~

  • 16代仁徳天皇
  • 菟道稚郎子皇子???
  • 大山守皇子(富士朝宮下家祖)
  • 隼総別皇子(富士朝福地氏?・富士氏婿養子)
  • 根鳥皇子 (富士朝太田氏・伴氏祖)

 

話が逸れるが...。

実はこの菟道稚郎子皇子、宮下文書訳の三輪本と岩間本とで、内容がかなりの食い違いを見せている。いずれ別記事で触れたい。

 

 

◯『雷電神社総本宮』(群馬県邑楽郡板倉町)

〜御祭神〜

・火雷大神

・大雷大神

・別雷大神

 

前述下通り、この『毛野国』も富士朝勢力の強い土地柄であった。15代応神天皇の御子大山守皇子の九子・大原毛野陸彦が毛野陸国国造となる。2代富士朝宮下源太夫明政の第二王子、吉田ニ摩古彦は都賀・塩谷の諸氏祖となる。

その後世、聖徳太子や坂上田村麿に所縁があり、古来から水郷地帯の聖地として確立していた。また現代の行政的視点で見ても、茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県の接続点であり、千葉県境も近い、とくに利根川と渡良瀬川ちかく日本最大の渡良瀬遊水池の治水信仰もありそうだ。渡良瀬遊水池にはかつての御鎮守と思われる『雷電神社跡』があり、小山の地の寒川郡の信仰も消されてしまった感がある。...この地域は明治22年まで寒川郡とよばれていたのだ。

前述の菟道稚郎子皇子は、栃木県下都賀郡野木町野木『野木神社』と小山市迫間田『古御門神社』(後述)の御祭神でもある。野木神社が寒川郡七郷の総鎮守で、それを勧請したのが古御門神社、状況的に相模国寒川の地『前鳥神社』と奇妙な一致ではある。

そもそも小山氏は、富士朝副司・根鳥皇子子孫・太田氏族の末裔が小山氏政光で、八田宗綱の娘(源頼朝の乳母の寒河尼)を娶り、鎌倉幕府に協力したとみる。宮下文書では源頼朝こそが富士朝『阿祖山太神宮』を再興した張本人であり、下野国・武蔵・相模・関八州...、さらには桓武平氏・清和源氏らが、いかに東国富士朝影響下で融合されたかが見えてくるはず。

 

ここで雷神を補足しておくと ...、やはり相模国大山と石尊大権現を語ることになる。

北関東に多い雷神信仰というのは、ホムスビ・オオヤマツミ・オオヤマクイ系の信仰なのではないかと見ている。その原型は賀茂別雷神社由来の葵(あふひ)=阿夫利(あふり)、別雷命カモサワヒメ隠蔽に端を発した隠語のような解釈だったのではないだろうか...。相模国大山も賀茂別雷神社も、どちらも秦氏の影響力が強い。

ヤマトタケル東征時、足柄峠にて雷神に導かれたという伝承があり、後世平安期に平将門がホムスビと大雷神を『二岡神社』に集約させた。これが伊豆『雷電信仰』や『火雷天神』の根源なのではないか?とみており、二岡神社は宮下家派生の大森氏に守護されてきた。地理的には富士朝家基都と三嶋大社のちょうど中間地点であり、オオヤマツミと別雷命カモサワヒメ(三嶋神)の『火』『水』両極をイメージしていたのであろう。

こうしてみると、富士朝の影響力が強い東国で、火と雷の融合『火雷天神』を旗頭として奉じた、平将門のバックボーンも自ずと見えてくるわけだ。


この雷神や阿夫利系の三神は地域や神社により、微妙に違うので注意。

  • 火雷神=オオヤマツミ(オオヤマクイ)、または富士山御祖神?
  • 大雷神=別雷神?
  • タカオカミ=トヨタマヒメ???。

〜『大山阿夫利神社』(神奈川県伊勢原市大山)〜

  • オオヤマツミ(寒川毘古命)
  • タカオカミ
  • 大雷神

〜『山梨岡神社』(山梨県笛吹市春日居町)〜

  • オオヤマツミ(寒川毘古命)
  • タカオカミ
  • 別雷神(カモサワヒメ・寒川毘女命)

〜雷電神社総本宮の御祭神予測(妄想)〜

  • 火雷大神=ホムスビ、オオヤマツミまたは富士朝御祖神?
  • 大雷大神=別雷命カモサワヒメ?
  • 別雷大神=ホツマ版ニニギ???

<富士朝めぐり②>西国天皇勢力に奪われた太陽神、そもそも富士高天原は『火』と『水』の楽園だった。 - セキホツ熊の謎を追え!

秦氏が祀る山背国『日火水』レイライン、火雷神・別雷神弓矢の仕組み。 - セキホツ熊の謎を追え!

火雷天神の正体はオオヤマクイ?菅原道真?、富士朝伴氏と大宰府憤死の秘密。 - セキホツ熊の謎を追え!

武内宿禰子孫が祀る『真王神社』の真相、オオヤマクイとミシマミゾクイとは。 - セキホツ熊の謎を追え!

一般的に知られている『賀茂別雷命』は記紀には登場せず、諸説ありすぎる謎の神であるが...。雷電神社総本宮で興味深いのが、『雷童子』の像があることか(下写真↓)。これは、伊豆山の雷電童子と同じ伝承なのだろうか?。雷電童子とはニニギに比定され、いわゆるホツマツタヱ版の別雷命のことである。

またホツマツタヱでは、山背国貴船社に閉じ籠るトヨタマヒメを、ニニギが『桂』と『葵(あふひ)』を例えて諭し、ヒコホホデミと復縁することができた。このトヨタマヒメこそがタカオカミ(高龗神)・タカミノカミ(淤加美神)ではないかという説がある。

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平将門を祀る、『御門神社』(栃木県栃木市岩舟町静)。

たまたま見つけた『門』から、『静』なる富士山。 

レイライン紹介の最後は、富士山からウシトラ34里にある『御門神社』だ。

◯『御門(みかど)神社』(栃木県栃木市岩舟町静)

〜御祭神〜

・平将門公

〜相殿〜

・菊理姫命

・田心姫命

・大雷命

・猿田彦命

菅原道真公

※宮下文書には田心姫命をはじめ、宗像三女神は登場せず、キクリヒメはコノハナサクヤヒメの幼名『菊里毘女命』のことであろう。 

 

 旧名『将門院』、平将門の野洲の合戦の折に創建されたとのこと。昭和初期まで『将門神社』と称しており、現在でも拝殿入り口に大きな神額として残されている。藤原秀郷の子孫が将門の祟りを恐れて創建したとの説もあり。この土地の小山氏家臣?の針谷氏は、平将門の子孫との説もあり(後述)。関東以外の方には、あまり馴染みがないかもしれないが、将門は関東圏ではかなりの信仰を残しており、現在でも関八州や東京の守護神と語られている。

また前述した寒川郡総鎮守『野木神社』から勧請されたという、小山市迫間田『古御門神社』とはどういう関係なのだろうか?。この将門由来の神社は、『国王神社』や『古御門神社』とも朧気ながらレイラインが引け、この『御門神社』がクロスポイントともなりそうだ。

 

〜将門賀茂神レイライン〜

日秀将門神社(千葉県我孫子市日秀)2kmズレ

別雷神社(茨城県常総市菅生)

一言主神社(茨城県常総市大塚戸町)

一言神社(茨城県坂東市岩井)

国王神社(茨城県坂東市岩井)

古御門神社(栃木県小山市迫間田)2kmズレ

荷渡神社(栃木県栃木市岩舟町)瀬織津姫

御門神社(栃木県栃木市岩舟町静)

愛宕神社(栃木県栃木市岩舟町静)

浅間神社(栃木県栃木市岩舟町静)

村檜神社(栃木県栃木市岩舟町)

賀茂別雷神社奥宮(栃木県佐野市多田町)

三騎神社(栃木県佐野市船越町)瀬織津姫

十二山根本神社(群馬県みどり市東町)

皇海山(群馬県沼田市利根町)

八海山神社(新潟県南魚沼市山口)

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平将門と賀茂神のレイライン?。

 

まあ...。オオヤマツミの御子コノハナサクヤを祀る神社なんて関東には沢山あるし、日月神示と将門は関係あるのかな?と...。朧気な記憶で申し訳ないが、日月神示の何処かに『門』の神様という記載はあった気がするが…。

結局は富士山ウシトラの方角に、岩舟の『静』という集落があり、たまたま将門神社があったので、興味津々やって来たのだが…。動機が薄いというか、説得力に欠けるというか、とてもブログ記事にはならないなと...(苦笑)。

 

いや…待てよ。ウシトラ34里であれば...、単純に、このあたりにコノハナサクヤヒメを祀る神社はないのかな~と…、スマホで検索で探してみると…。

あった!。

なんと御門神社から北へ、栃木市岩舟静『愛宕神社』を挟んで、1.5キロメートルほどのところに、『浅間神社』があったのだ。

あれか...???

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 というかこの山...なんと『富士山』というのだ(笑)。

さらにこの浅間神社、あるものを指し示していた...。

次回に続く...(下リンクあり↓)。

〈日月神示✕宮下文書〉平将門子孫と藤原秀郷子孫、双方にある富士朝の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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