セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

秦氏が祀る山背国『日火水』レイライン、火雷神・別雷神弓矢の仕組み。

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上写真は東京都千代田区永田町『山王日枝神社』。富士朝関係氏族末裔の太田道願・天海・徳川家康は江戸城鎮守にオオヤマクイを祀った。

…本当なら京都の写真を載せたいところだが、旅費がないス。

 

2021,2,6

山背国『京都』の秦氏

 

山背国(山城国)の歴史は秦氏と共に始まったと言われる。

山背国の『山』という文字も、宮下文書版富士朝神『別雷神(カモサワヒメ)』を祀る地として、富士朝を准えたと思われ、さらにこの国には秦氏の氏神『オオヤマクイ』という、宮下文書未登場の神が祀られているのだ。平安時代以降、山背国では『東の厳神、西の猛霊』として並び称されていく。

断言しておくが、この神を語らなければ富士朝解明はありえない。



まず、おさらいから。

宮下文書的に賀茂上下2社を簡単に説明すると

▲『賀茂別雷神社』 富士朝妃カモサワヒメを祀る

△『賀茂御祖神社』 ウガヤ朝妃タマヨリヒメを祀る

賀茂川と高野川の合流ポイントにあり、総じて女神『水神』の特性を集めたとみている。

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宮下文書版秦氏は、孝霊天皇時代(BC217)老若男女500余人が来日、その後富士高天原(現在の山梨県富士吉田市周辺)の中室・大室に定住したとある。残念ながらその後の足取りは記載されていないものの、西国に拡散されたと思われる。現在も京都『賀茂川』や、『桂川』などに富士高天原(山梨県富士吉田市大明見)の地名を感じる事が出来る。

彼らは大陸からの先進的知識があった。さらに富士古文書漢訳と富士朝口伝を取材編集し纏めるという、先住民信仰に精通していた稀有な存在であった。貴族のように政治に執着し閉じこもることなく、山背の地を開墾し、地域産業を興し、大陸からの技術知識を取り込み、日本産業文化の下支えになって、6世紀には日本最大級の氏族となり、官職や陰陽道でも活躍する。

また開発面では、松尾大社荘園としても、丹波国桑田荘お隣丹波国も秦氏が開拓を任されている。ご存知のとおり、宮下文書版クニトコダチ夫妻『豊受大神』とミホツヒメ『出雲大神』の聖地『桑田の宮』であり、松尾大社の神使が『亀』であることもクニトコダチを意識しているとみる。丹波(タニハ)はアメノヒボコ勢力との接点でもあり、タジマモリの出身地。この要所に秦氏を住まわせた理由は、やはり皇祖豊受大神の宗教改革に着手していたのではないかと…。西国天皇勢力はクニトコダチやカモサワヒメ、古代神の祟りを恐れて、渡来系秦氏による宗教改革に着手させた。

見返りはおそらく、開拓権と定住権だった。

更に。10代崇神天皇以降は、富士山『火』信仰からの脱却時期と重なり、『日』の信仰促進を図る天皇勢力は彼らを利用して、八幡信仰・稲荷信仰・木嶋坐天照御魂神社など、新しい神道を模索させていたのではないかとみている。

秦氏は富士朝信仰の知識を彼らなり昇華させ、大陸先進技術を融合させ、天皇や民衆に代わり神々の祟りを請け負い、国が民衆にやるべきことを代行していたとも言える。

ただ皮肉なことに、紀元前3世紀富士山に憧れて渡来してきた彼ら自身が、富士山『火』信仰を終焉させたことにもなる…。

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ホツマ版ヤマクイとオコロ

ホツマツタヱには、アメノヒボコやその子孫タジマモリの記載はあるが、なぜか秦氏の記載がない。ここにアメノヒボコ勢力と同一視された経緯が見え隠れするのだが、何よりも富士朝との深い関係を隠蔽したかったのではないかとみる。

 ホツマツタヱ(21文)には、オコロ(土竜)オコロノカミという存在が登場する。オコロとは火を吐き、モグラの霊に取り憑かれた化け物のような人たちのこと。火とは富士朝『火』信仰を擬えているのだろう。オコロ兄弟はイクシマ・タルシマと名付けられ、宮の土の清浄を保つ『イカスリ(坐摩)』の役を命じられる。また宮の高殿の中柱を支え、竈・門・井戸・庭を守る、これが宮造りの基礎であり、以降の神殿造りの標準化・体系化とされることになり、後の陰陽道『土公神』にも繋がるようだ。

つまりは、オコロこそが秦氏ではないかとも思える…。

 またホツマツタヱ版『別雷命』はニニギである。ニハリの宮をニニギとオコロが建築している最中にウツロヰという雷神が現れ、ニニギはその雷鳴に向かって『矢』を放ち落雷の祟りを祓うという件となる。こうしてニニギは、『ヰヅ大神』と呼ばれるようになる。

 

これを私なりに解釈すると…。

…つまり、太陽信仰版ニニギ(天皇勢力)とオコロ(秦氏)が『宗教改革』をはじめ、土地を浄化し、フトマニやホツマ(富士朝)の古い慣例を取り入れて、宮造りマニュアルを作成した。そこに古来からの雷神ウツロヰが邪魔をしてきたので、ニニギがこれを制して別雷命伊豆大神となった…ということだ。現在も『伊豆山神社』(静岡県熱海市伊豆山)には、このニニギが伊豆大神荒魂・雷電童子として祀られており、カモサワヒメとイワナガヒメが、太陽信仰版ニニギにすり替えられた過程が読み解けてくるわけだ。

オコロは、カモサワヒメ(宮下文書版別雷命)の信仰を背景にした『人ならざる民』ということになり、西国天皇勢力に使役された過酷な境遇の歴史までもが浮き彫りとなる。

 ※但し、この21文エピソードには、イクシマタルシマや艮の金神などの神々が、ゴチャ混ぜ状態なので解析は慎重を要す。

※宮下文書版イクシマ・タルシマは、ニニギに従軍して戦死した伊豆勢力と見ている。やはり伊豆の歴史改竄が目的ではないかと(妄想)。

※筑波国『金村別雷神社』(茨城県つくば市上郷)には、別雷命が祀られている。境内には松尾大明神も祀られている。

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またホツマ版ヤマクイ(大山咋命)の活躍を通じても、秦氏の活動を読み解くことはできそうだ。ホツマツタヱ(24文)によると、ニニギの命令により山背を開墾し、その残土を大日山(富士山)に見立て日似山(比叡山)を誕生させたという。無論、人間が比叡山を作ったなんてことはファンタジーであろうが、秦氏の信仰・活動内容と一致してくる。さらには、ヤマクイはシノ宮(滋賀県大津市)に活動拠点を置いていたようで、まさに秦氏の活動ルートとも一致する。

またホツマ版タマヨリヒメが、両親を亡くしたあと、弓矢となった別雷神御子を産み隠棲していたという高野川流域(比叡山の西麓)へ、ヤマクイがウガヤフキアエズフキアエズの勅使として派遣されている。このあたりも賀茂明神の土台づくりとして、秦氏が暗躍していたのではないかと思わせる記述である。

つまり、ヤマクイ神話を辿れば、富士朝秦氏の活動内容がわかるのではないか?…。




弓矢のレイライン?。

 この『賀茂大明神』を挟んでいるのが、松尾大社と日吉大社のオオヤマクイである。

▲『松尾大社』(京都市西京区嵐山宮町)

△『日吉大社』(滋賀県大津市坂本)

二社は、共通祭神としてオオヤマクイを祀るだけではなく、八王子山と松尾山(別雷山)の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、類似点が多い。古事記によると、『大山咋神。亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ』とある。

『ホツマツタヱ』『本朝月令』『山城国風土記』は諸説違いはあるものの、これら弓矢に准えている点は共通しており、それはまるで丹塗矢で射抜いた様にドンピシャでレイライン形成している点も無視できない。このレイラインは既にネット上多数紹介されているので、巷説では既に認識されていることだろう。本ブログではこれを宮下文書的な視点で考察してみようと思う…。

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日の出マップによると、大体5/30頃と7/15頃の朝日の方角を指しているようだ。この弓とは、秦氏の祖先『弓月君』のことでもあろうが、事質このレイラインを示しているのではないかと…(妄想)。

そしておそらく、富士朝古代信仰『火』『水』の仕組みを内包しているのではないかと妄想している。

 

〜日吉・松尾磐座レイライン〜

・九住連山(大分県竹田市久住)12代景行天皇行宮。

・首塚大明神(京都市西京区)酒呑童子、安倍晴明伝承

・松尾大社磐座(京都市西京区嵐山宮町)

・梅宮大社(京都市右京区梅津)

・木嶋坐天照御魂神社(京都市右京区太秦森ヶ東町)

・北野天満宮御旅所(京都市中京区西ノ京)

・晴明神社(京都市上京区晴明町)安倍晴明伝承

・賀茂御祖神社(京都区左京区下鴨)

・賀茂波爾神社(京都市左京区高野上竹屋町)

・比叡山(京都区左京区一乗寺井出ヶ谷・将門岩近く)

・日吉大社金大巌(滋賀県大津市坂本・八王子山)

・矢放神社(滋賀県野州市)藤原不比等創建?

・大嶋神社・奥津嶋神社(滋賀県近江八幡市)

・彦留神社(滋賀県彦根市)

・比婆神社・日枝神社(滋賀県彦根市男鬼町)山の神

・劍神社(岐阜県加茂郡白川町)

・大山白山神社(岐阜県加茂郡白川町)

・加子母白山神社(岐阜県中津川加子母)

・八ヶ岳冷山(長野県茅野市北山蓼科)

・上野一宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮)

・上野二宮赤城神社(群馬県前橋市二宮町)

・花園神社・月山(茨城県北茨城)

 



以降レイライン上神社を南から紹介↓。

◯松尾大社(京都府京都市西京区嵐山宮町)

〜御祭神〜

・大山咋神

・中津島姫命( 市杵島姫命と解釈されている)

〜境外摂社〜

・月読神社(京都市西京区松室山添町)

特筆すべきは、『松尾大社』境外摂社には『月読神社』もある。日本書紀版秦氏の祖先『弓月君』で15代応神天皇時代に帰化したというが、弓月を逆さに『月弓』と読むとツキユミ≒ツキヨミ???。(妄想)。



◯梅宮大社(京都市右京区梅津)

〜御祭神〜

・酒解神(大山祇神と解釈される)

・大若子神(瓊々杵尊と解釈される)

・小若子神( 彦火火出見尊と解釈される)

・酒解子神( 木花咲耶姫命と解釈される)

 橘氏氏神で神紋か橘。飛鳥時代末期、県犬養三千代が『橘姓』を賜り、四姓こと『源平藤原橘』の一勢力で、藤原不比等の後妻となる。前記事でも述べたが、県犬養氏は平将門の外祖父で、安曇系統阿曇氏とも伴造6氏族の一つである。

前記事でも書いたが、藤原不比等は春日大社創建の際、富士朝に来朝していた可能性あり。やはり橘氏は、タチバナを冠する富士朝秦氏に近い存在ではないだろうか?。

 春日大社に蘇我氏の影、史実確認のため藤原不比等は富士朝を訪れていた?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

◯木嶋坐天照御魂神社(京都市右京区太秦森ケ東町)

〜御祭神〜

・天之御中主神

・大国魂神

・穂々出見命

・鵜茅葺不合命

・瓊々杵尊

秦氏の在地系祭祀とされる。大和国・摂津国・丹波国・播磨国・対馬国などに天照御魂神・天照神・天照玉神を祀る関係社が見られるものの、天照大神とは別神のようだ。個人的には、秦氏太陽信仰のアーキタイプではないかとみる。

また、『吾妻鏡』において後鳥羽上皇側についた三浦義澄の末子、『三浦胤義』父子が西山木嶋で自決したという。宮下文書では、三浦氏は賀茂次郎子孫であり、富士朝関係氏族。

 

◯賀茂御祖神社(京都市左京区下鴨)

〜御祭神〜

・東殿 玉依姫命 (別雷命の母と解釈される)

・西殿 賀茂建角身命 (別雷命の祖父と解釈される)

通称『下鴨神社』

<レイラインの美学⑭>ウガヤ朝とタマヨリヒメをニニギが繋ぐ、欠史鎮魂のための『賀茂レイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!



◯日吉大社(滋賀県大津市坂本)

西本宮・大己貴神(大物主とも解釈されている)

東本宮・大山咋神

〜摂社〜

牛尾宮・大山咋神荒魂 

樹下宮・鴨玉依姫命

三宮宮・鴨玉依姫命荒魂 

宇佐宮・田心姫神

白山宮・白山姫神

宮下文書版オオナムチはオオクニヌシ。全国3800余の『日吉神社』の総本宮で、オオクニヌシ(大物主の場合あり)とオオヤマクイの並祀で知られるが、富士朝・阿祖山太神宮の初代守護司長はオオクニヌシ、副司長オオヤマツミ。やはり松尾大社同様に富士朝の気配を強く感じる。

 

◯八ヶ岳・冷山・御射鹿池

前記事通り、長野県山梨県境『八ヶ岳』は富士朝にとっても、諏訪大社にとっても重要な山岳信仰があり、オオヤマツミ版『八王子』とも関係が在りそうだ。『冷山』は諸説あり、『つめたやま』『つべたやま』とか『レイザン』とか様々読まれるようだが、単に『ヒエ(冷)』とも読めるし…(笑)、『日枝』とか『比叡山』と関係がありそう???。

 

◯上野一宮・貫前神社

レイラインは最終的に『貫前神社』へ到達する。もともと上野国は富士朝影響下であり、のちの清和源氏新田氏(徳川家康の祖先?)も富士朝と婚姻関係がある。当社別当寺院として創建したのが天台宗の寺院である光明寺、天台宗は天海とも日吉大社とも縁が深い。

貫前神社本殿には謎の神『姫大神』が祀られ、本殿屋根の妻の部分には『雷神小窓』という、雷神が描かれた小窓がある。摂社の日枝神社にはオオヤマツミ他17柱が祀られて、月読社もあり、過去ウケモチも祀られていたという説あり?。

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◯また、賀茂別雷(上賀茂)神社から比叡山へのレイラインは、秋分の日頃の朝日のレイライン。アメノヒボコ伝承の滋賀県蒲生郡竜王町『苗村神社』を通り、三嶋大社伊豆山本宮社へ到達する。このあたりもアメノヒボコ勢力と秦氏勢力の関連性が問われそうだ。

◯因みに前記事で述べたアメノヒボコの拠点、但馬一宮・出石神社は、賀茂別雷神社からみて夏至頃の夕日の方角にあたる。宮下文書研究家の鈴木貞一氏は、魏志倭人伝『投馬国』を但馬、『伊都国』を出石(伊豆志)としている。宮下文書によると、この周辺に現在も残る伊豆半島由来と思われる狩野姓は、そもそも富士朝由来の可能性あり、大山守皇子6子で駿河国造・榛原須留賀彦が狩野氏祖とある。後世一般的には、藤原南家伊東氏の同族とされているので、なにかしら富士朝と関係があるのかもしれない。

つまり源頼朝の前妻八重姫(伊東祐親の娘)の婚姻関係も、富士朝がどこかで絡んでいたのか???。

 

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オオヤマクイと比叡山

山背国秦氏は、賀茂神社を代々奉斎する賀茂県主とも縁戚関係となり、賀茂明神祭祀にも関与していく。彼らの活動経緯が富士朝を経由している事を考えれば、秦氏による賀茂神祭祀はごく自然な成り行きであり、松尾山は『別雷山』とも呼ばれている。

前記事でも触れたがこの賀茂氏や地祇神というのは、実態が見えないほど改竄されている。ホツマツタヱ編集者とされる、鴨王こと天日方奇日方命(クシミカタマ)は、宮下文書では速玉緖命の第2子『速玉山田命』または『中臣道臣命』、つまり藤原氏の祖先。もうメチャクチャに改竄されているわけだ。

ではそもそも、山背国賀茂明神を創建牽引してきたのは誰なのか?…と問えば、やはり富士朝関係者だったのではないだろうか?とみる。宮下文書には残念ながら賀茂神社創建については記載がないが、『新撰姓氏録』の山城国神別巻では賀茂建角身命=八咫烏とされており、宮下文書における八咫烏とは、神武天皇東征時に必勝祈願の返答に富士朝が遣わした神獣だ。

ただあくまで一般的には、賀茂氏祖を祀ると言われているので注意。上系図の通り、『山城国風土記』逸文では、賀茂建角身命の子の玉依日売が川上から流れてきた丹塗矢(火雷神)により懐妊、賀茂別雷命を産んだという。

賀茂別雷命も、世間的には男神イメージであり伝承・文献によりかなり違う。

 

この『矢』の伝承に絡んでくるのが火雷神だ。

別記事でも触れるが、『火雷神』は後世平安期に平将門が外祖父富士朝傀儡・安曇族犬養氏と結託して、対朝廷の旗印として崇敬していた謎の神である。現在も、比叡山山頂には平将門が京都を見下ろしたという伝承がある『将門岩』があり、京都を牛耳る西国天皇勢力に対抗意識を燃やして、八幡大菩薩の御告げにより西国から関東を脱却させようとした。『本朝月令』所引の『秦氏本系帳』によると、この矢は松尾大明神のことだとする。

後世、富士朝氏族と思われる?太田道願が江戸城築城の際、この平将門とオオヤマクイを江戸城鎮守として祀り、それを天海と徳川家康が継承している。つまりオオヤマクイ=火雷神とは断言出来ないまでも、限りなく両者は『火』こと『富士山』に近い存在なのが想像できる。

 

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『沼津日枝神社』(静岡県沼津市平町)

比叡山の祟りを富士山で鎮める意味とは?。

最後に、比叡山と富士山の繋がりとは何なのか?述べたい。

◯沼津日枝神社(静岡県沼津市平町)

・大山咋神

・大名牟遅神

・大歳神(古事記やホツマ版オオヤマクイの父神)

駿河地域は平安時代大岡庄と称され、関白藤原師通の領地だった。

嘉保2年(1095)、賀茂次郎義綱(源義綱)が延暦寺の僧を殺害する事件があり、これに絡み関白藤原師通は延暦寺の僧らの呪詛により他界したと噂された。これを畏れた師通の母は、彼の大岡庄に日吉大社を御霊分し『沼津日枝神社』を創建した。しかし、何故わざわざ富士山麓に比叡山の神を祀るのか?。

ただ注意すべきは、宮下文書版源義綱の子孫が三浦氏であり、富士朝宮下家に婿入りしているわけで、あちらこちらでスケープゴートに利用されている人物でもある。なにか裏がありそうな話ではある。

さらに興味深いのが、後世江戸時代慶長12年(1607年)、徳川家康に比叡山探題執行を命ぜられ、織田信長に焼き討ちされた延暦寺再興した天台宗・天海の正体も、賀茂次郎義綱の子孫、なんと三浦氏族蘆名氏なのだ。後記事でも述べるが、新田氏族松平家や井伊氏は富士朝または南朝とのつながりが深い。

 

このように本来、富士山の『見立て』であったハズの比叡山が、信仰的にもいかに富士山に近い存在なのかお判りであろう。比叡山延暦寺の歴史自体が、その時々に僧兵による軍事要塞化し、政治体制に反抗的な姿勢をとった理由も見えてきそうだ。同時に、西国山背国京都にとっても、東国武蔵国江戸にとってもこのオオヤマクイというシステムの巨大さが見えてくる。

なんか陰謀論みたくなって来たな…(熊笑)。

 

 終わりに…。

奇しくも、近年1992年5月2日ホツマツタヱ の 40アヤが御輿蔵から発見されたのが『日吉神社』(滋賀県高島市安曇川町西万木)。安曇族の地『安曇川』で、御祭神はなんとニニギ。

現代まで、ホツマ版別雷神ことニニギ様が守っていたのかな?と思う。ホツマツタヱが解禁されなければ、私は氏神カモサワヒメという存在すら気づかなかったわけだ。いつも伊豆山に行くときは、雷電社にお礼をしている。 

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雷電童子こと伊豆大神荒魂を祀る。伊豆山神社境内『雷電社』(静岡県熱海市伊豆山)

 

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※地図はクラフトマップ使用。
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