2023,5,3
先々月の春分の日、高座神社と明見根元神社を参拝してきた。どちらも阿祖山太神宮に関係している重要な神社と思われる。ただ北東本宮小室浅間神社の本宮から、離れた入り組んだ場所にあり、毎回時間がなくて断念していた。今年の雪解けになったら是非とも参拝させていただこうと思っていた…。
~目次~
- 高座山(たかざすさん)に対する疑問。
- なんか。。。隣の山に高座神社があった(苦笑)
- 鎌倉時代に何があった?。
- 宮下文書における杓子山と高座山と神座山との連携関係。
- 宮下文書を存続させるには、こうするしかなかった?。
高座山(たかざすさん)に対する疑問。
宮下文書三輪本現代訳神皇記p71によると、
高座山祭祀の歴史はクニサツチ時代に始まる。両親であるタカミムスビ・カミムスビが桜山宇宙峰に祀られていた。
ヒコホホデミ時代、この山を(記載が曖昧だが、桜山宇宙峰からの遷座した山?の可能性もある)高座山と称した。
10代崇神時代。崇神天皇が吉備彦命に命じ、西の高峰にカミムスビを祭り神座山と称した。東の高峰のアマテラスが隠れていた岩窟のある山を、御祖代山と称した(おそらく杓子山のこと)。その南の高峰にタカミムスビを祭り、高座山とした。この北の高峰に鎮座するサルタヒコを祀る…。上の記述を見る限り、少なくとも高座山は2箇所以上あるとも思えてくる…。
現在、杓子山から鳥居地峠への南尾根にある山のことを、地図上では『高座山』と呼んでいるようだ。『かやの』『かやかりやま』と呼ばれ、萱(かや)の産地となっている。意図的に火入れし育成環境を整えたうえで、萱を栽培する。高座山の南斜面に樹木が一切ないハゲ山なのはこのため。これを休耕期間中にはトレイルランや、パラグライダーの離陸場として利用しているようだ。
このハゲ山のおかげで富士山の絶景を拝めるので、ハイキングにはオススメだが…。果たしてこれが古代からの聖地かときかれると、ちょっと自信がない(苦笑)。
例えば…萱育成のためにとはいえ、霊山を半分ハゲ山にするのかな?…と。そんなこと地元の人々の信仰心が許すのかな?。もっと言えば、宮下文書における高座山は、何処か別の場所なのではないだろうか?…と様々な疑念が湧いてくるわけだ。
結論を言えば、Googleマップ上の富士吉田市内の『高座山』には何もなかった。神社も祠も磐座もなかった…。
(´(ェ)`)
なんか。。。隣の山に高座神社があった(苦笑)
ある日Googleマップを眺めていたら…。
高座山鳥居地峠から西隣の山頂付近に、『高座神社』という表記を見つけた。どうやら熊オッサンは、高座山を隣山と間違えていたのか?。
いやそんなことはない…。何故かは不明だが、高座山の隣の山に『高座神社』があるのだ。この山の名称は不明。前述の『神座山』はピラミッドと称されるほどの美しい稜線だが、この山も独立した円錐形の姿が目立つ。
とにかく気になるところは、可能な限り行ってみるのが当ブログのスタンス。…もちろん旅費の許す限り(苦笑)。
山頂の神社までは林道が整備されていた。ただ急勾配で狭いため対向車が来たらヤバいかも。熊オッサンはバイクで登ったのだが、途中でカモシカ2頭と路上で睨めっこになって…、膠着状態が40秒ほどつづいた…。カモシカの放心状態がようやく溶けたのか、おたおたガードレールをよじ登ってツルっとコケて、おたおた逃げていった。
ハアハア(*´Д`)
熊オッサンのバイク…、青木ヶ原樹海にて鹿を低速で追い越そうとしたら、急ターンして横タックルを喰らったことがある。
もう、トラウマもんスよ(´(ェ)`)。
※野生の鹿は何をするかわからないので近寄らないほうがよいそうです…。カモシカは鹿よりは温厚ですが要注意とのこと…。
◯『高座神社』(山梨県富士吉田市大明見)
〜御祭神〜
- 伊弉諾尊
- 国狭槌尊
- 素盞嗚尊
※詳細不明。境内にある宮下家親類権現講の石碑によると、熊野神社を合祀しており、伊弉諾尊や素盞嗚尊は『熊野神』としての位置づけなのかもしれない。
高座神社へ到着。山頂には小さい石祠と小さい拝殿あり。平成元年8月9日の石碑あり。あっさりと宮下家親類講と記載されているが…、熊野神社を合祀して760年を記念して建てられた模様。つまり単純計算でも、鎌倉中期1229年(安貞2年〜寛喜元年)には存在していたことになる古社だった。
前述のように、宮下文書によると高座山の御祭神はタカミムスビのハズだが…、高座神社には御子クニサツチが祀られていた。さらに宮下文書版イザナギはクニサツチの御子にあたる。クニサツチは富士朝の重要神、そもそもの始まりの象徴とも解釈できる。
※因みに宮下文書版スサノオは、イザナギの実子ではない。アマテラスやツクヨミとはも実兄弟ではなく、三輪本版タカミムスビから派生した朝鮮半島の遠縁(アマテラスやオオクニヌシのはとこ)となる。宮下文書版岩戸事件でアマテラスに求婚を迫っていたが、アマテラスに忠義を示すため義弟の誓約関係を結んだ。これが記紀における誓約(うけい)の関係と思われる。
鎌倉時代に何があった?。
さて、高座神社石碑における1229年に富士朝に何があったのか?。
通説では。1225年北条政子が69歳で死去し、富士朝を復興した将軍家頼朝嫡流が3代で途絶えた時代。
宮下文書1229年を振り返ると。先の1213年和田合戦後から十数年和田義盛の新平兵衛尉朝盛(義盛次男、通説では孫で承久の乱に後鳥羽上皇についていた)ら親族が富士谷に潜んでいたという。
1228年。宮下文書によると、たまたま親鸞上人が阿祖谷に入麓しており、彼らを弟子として入道させた記述がある。鎌倉氏族末裔の梶原刑部亮朝景と梶原七郎景氏も富士朝へ逃れていたようで、詳細は不明ながら入道して、『草庵に入る』と記されている(三輪本現代訳p230)。
宮下文書における鎌倉氏族の出自は不明だが…、富士朝と縁が深いのは明白だ。上記の冬至レイライン上の明見神社(鎌倉神社)は富士朝副司家系古屋氏の屋敷があったようなのだが、何故か...御祭神は鎌倉権正景道という。この子孫と思われる権正氏は、大明見三十六屋敷に居住している点も興味深い。あくまで状況証拠的に言えば、二所明神・古屋氏族と鎌倉氏族は関係が深かったのではないか?とみている。
そして現在、富士吉田市周辺の梶原さんや武藤さんは、この影響もあるのではないか?と思われる。また次回『明見根元神社』で、面白いことがわかったのでご紹介する。
宮下文書における杓子山と高座山と神座山との連携関係。
熊オッサンは既に、杓子山の山頂『御祖代山杓子宮』、そして神座山の麓『檜峰神社』へ聖地めぐりをしているわけだが…。杓子山には確かに『御祖代山杓子宮』と表記されている小さな祠があった。宮下文書から推測するにアマテラスが祀られていると思われる。『檜峰神社』には、造化三神の二柱であるタカミムスビ・カミムスビが揃って祀られていた。
(´(ェ)`)
〜宮下文書による三山〜
▲御祖代山=アマテラス
▲神座山=カミムスビ
▲高座山=タカミムスビ
▲御祖代山=杓子山頂の祠(富士吉田市)
▲神座山=神座山と檜峰神社(笛吹市内)
▲高座山…どこなのか???
前記事でも何度かご紹介したが、宮下文書によると10代崇神天皇時代より、御祖代山・高座山・神座山は富士朝祭祀上の重要ポイントとなっている。奇しくも、安房一宮『安房神社』と『洲埼神社』と『阿祖山太神宮古宮』が、山梨県韮崎市『日本列島のヘソ』方向へきれいに並んでレイラインとなっているのだ。
〜安房乗鞍レイライン(冬至の朝日)〜
- 安房一宮安房神社
- 安房一宮洲埼神社
- 高座山
- 大明見山之神
- 明見神社(鎌倉神社)
- 阿祖山太神宮古宮
- 富士山下宮小室浅間神社
- 新倉富士浅間神社
- 神座山
- 日本列島のヘソ(韮崎市大草町上條東割)
- 武田八幡宮
- 乗鞍大権現(日抱太陽信仰と五十猛命信仰と伊太祈曽神社群)
これは春分の日から32度ほど南の斜角なので、どうやら阿祖山太神宮古宮からみて冬至の朝日のレイラインのようだ。丹生川沿いの五十猛命に関係する太陽信仰は、富士朝アマテラスと関係ありそうだ。
※因みに阿祖山太神宮古宮から夏至の朝日の方角へは、吉田氏が宮家の埼玉県さいたま市浦和区『調(つき)神社』や、同市内緑区『氷川女體神社』、延長線に『伊勢神宮外宮』、和歌山県田辺市龍神村『安倍晴明神社』がある。
※※因みに阿祖山太神宮古宮の近くに、不二阿祖山太神宮なる新興宗教団体がおりますが、宮下文書の富士朝とは無関係です。熊オッサンとも無関係です。
◯『御祖代山杓子宮』(山梨県富士吉田市大明見)
〜御祭神〜
- 不明
※杓子山山頂の祠、宮下文書によるとおそらくアマテラスか?。
◯『檜峰神社』(笛吹市御坂町上黒駒)
〜御祭神〜
- 高皇産霊尊
- 大己貴神
- 神皇産霊尊
- 少彦名神
神座山山麓にてタカミムスビ・カミムスビ夫妻を祀る。三代実録によると貞観10年に従五位下を賜るとある。宮下文書では神座山の御祭神・カミムスビのはずだが…、高座山にて祀っていたハズのタカミムスビも祭神となっている。
宮下文書を存続させるには、こうするしかなかった?。
高座神社で国狭槌尊の文字を目にしたときは、思わず涙してしまった。宮下家親類講の文字を読んだとき、色々考えさせられた。この神を語り継ぐために一体どれだけの命が失われたことか?。ただ、残念ながら…宮下文書を読んでいない方にとっては、ただの石祠である。この感動を皆さんにどう伝えるべきか?宮下文書オタクの素人オッサンは日々悩んでいる(苦笑)。
かつては神道の発祥地、日本の宗廟だったはずの阿祖山太神宮・古宮は今はひっそりとして、地元の宮下家親族と、一部…熊オッサンみたいな神社マニアが参拝している状況になっている。
時代に翻弄されてきた宮下家は、宮下文書を『目が潰れる書物』と家族にも見せることはなかった。支配者からご先祖さまを剥奪されないようにするには、そうせざる得なかった。富士山の御祖霊信仰はアンダーグラウンドに潜ませて、それを未来の日本人の判断に委ねた。いつの日かきっと、わかってくれる人がでてくると…。代々使命を全うして死んでいった。
その価値がみんなにわかるときまで…
(´(ェ)`)
ゴールデンウイーク前後、しばらくお休みさせていただきますm(__)m
※地図はクラフトマップ使用。