2021,11,6
季節柄お日和も良くなり、神社めぐりを優先しておりますm(__)m。機会があれば全部紹介したいのですが…、今回はその中でも愛鷹山を紹介
(´(ェ)`)。
~目次~
愛鷹山とは。
愛鷹山は、伊豆国三島から富士山の中間域にある山塊。連峰となっており、北から以下のように連なる。
- 黒岳 1,087 m
- 越前岳 1,504.2 m
- 前岳 1,336 m
- 鋸岳 1,296 m
- 呼子岳 1,310 m
- 位牌岳 1,458 m
- 大岳 1,262 m
- 袴腰岳 1,248 m
- 愛鷹山 1,187.5 m
愛鷹山山頂には桃澤神社奥宮があり、交通アクセスからみても愛鷹山が一番登りやすい。
愛鷹山へのアプローチは平沼・柳沢・水神社方面からがある。桃澤神社奥宮を参拝するには柳沢口(ゴルフ場方面)に中宮があり、さらに東海道新幹線とのクロスポイントに里宮がある。おそらくは柳沢コース方面から登山するのが正当なのかもしれない。
今回は、水神社と長窪東照宮に興味があったので、水神社コースからアプローチしてみた。おそらくは登山素人にも優しい、一番ポピュラーなコースでもある。
◯『桃澤神社』(静岡県駿東郡長泉町元長窪)
〜祭神〜
- 建御名方神
- 愛鷹大神
※716年創建、式内社・桃澤神社論社。江戸期元禄年間に火災にて遷座。ただし、桃澤神社と愛鷹神社はもともとは別信仰だったようだ。
※愛鷹山周辺には桃澤神社が複数あるので注意。
宮下文書における日本人の発祥の地。
前記事通り、住留賀野(駿河)はタカミムスビ・クニサツチ親子が、3004日に及ぶ長期滞在をしていた場所。加茂喜三氏曰く『豊葦原』であり、愛鷹山(あしたかやま)の『アシ』にも関わりがありそうだ。ゆえに私には、愛鷹明神とクニサツチが重なって見えていたのだが…。それは加茂喜三氏も示唆していた。
クニサツチ夫妻=寒川大神、宮下文書によると、延暦火山を契機に現在の相模一宮にも遷座されているハズである。因みに寒川毘古命(オオヤマツミ)は男系曽孫に当たり、その妃カモサワヒメが寒川毘女命となる。
岩間本『開闢神代暦代記』p27によると、クニサツチは『高砂の爺婆又は、桃沢の老夫老婆と称えている』、つまり寒川大神と同神の可能性あり。全国『高砂(たかさご)』という地名や神社名は結構見受けられるが、関係ありか…。また、三輪本現代訳『神皇紀』p187によると、11代垂仁天皇時代、富士高天原阿祖谷の天神地祇の祭祀、詳細が決められた。
〜阿祖山太神宮・七霊廟〜
- 寒川大神(クニサツチ夫妻)
- 宮守大神(ニニギ夫妻)
- 山守大神(ツクヨミ夫妻・オオヤマツミ夫妻)
- 高燈大神(イザナギ夫妻)
- 麻呂山(天照皇太神)
- 高座大神(タカミムスビ夫妻)
- 根元野大神(サルタヒコ=道祖神)
〜四季大祭〜
- 春の桃沢祭り
- 夏の杜若祭り
- 秋の菊里祭り
- 冬の青木祭り
※神皇紀巻末地図によると、小座山と御祖代山の間、かつては池がありその東側を『桃澤』の表記あり。現代の比定地は難しいが、おそらくは忍野村付近なのかな…??、抽象的な略地図なのであまり自信はない。
愛鷹山周辺には桃澤神社が複数点在しており、桃澤明神が祀られている。御祭神はタケミナカタを主祭神として、三柱を祀るパターンで共通しているようだ。しかし分かりづらいことに、愛鷹明神と桃澤信仰は別々の信仰という情報もあり。となると現在祀られているのはクニサツチではないのかもしれない。
前記事で紹介した、『忍野八海浅間神社』では、天津日高日子番能邇々藝能尊が愛鷹大神として祀られている。富士山周辺に残る『かぐや姫』伝承によると、かぐや姫の『作竹の翁』(父?)が愛鷹権現、嫗(母?)が犬飼明神といわれている。
宮下文書研究家・加茂喜三氏によると、寒川神社と愛鷹明神の重複性を示唆している。また前記事でも紹介したように、この犬養氏は下総『寒川神社』(千葉市中央区寒川町)の神主家系でありレイラインでも結ばれる。そして、関八州を制覇した平将門の母春枝の家系と同族だという。相馬郡(現在の我孫子周辺)は古くは、相模一宮寒川神社の神領で平将門の活動拠点となるわけだ。
そして橘氏(県犬養三千代)・三宅氏も重なってくる。
ではその末裔は何処へ消えたのか...?。個人的には妙見信仰・九曜紋の千葉氏が一番怪しいと思っている。作竹≒佐竹氏も怪しいが...。残念ながら、この辺りはまだ調査中...(苦笑)。
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カモサワヒメの土地から再スタート。
最近歩くことの快感を覚えてしまい、なるべく徒歩で神社めぐりをしている。別にバイクが飽きたとか、壊れたとかではなく...。JR御殿場線『長泉なめり駅』から『元長窪・桃澤神社』、フラフラ歩いて『長窪東照宮』へ、実はこの東照宮も目的の一つであった。
◯長窪東照宮(静岡県駿東郡長泉町元長窪)
〜御祭神〜
・東照大権現(徳川家康)
宮下文書によると、神代にニニギと大喧嘩したコノハナサクヤヒメが、富士山火口で投身自殺を図り、同時に富士山が大噴火をするという大事件となる。溶岩流『神代満流尾』が噴火すると、この愛鷹山を迂回するように三島へと流れた。さながら、淋しい娘が母親カモサワヒメを探し求めるかのように到達した。現在もコノハナサクヤヒメ家族を祀る、伊豆二宮『浅間神社』(三嶋大社元摂社)には溶岩流先端部が露頭している。そんな土地になぜ徳川家康を祀るのだろうか?。
〜境内由緒書引用〜
『明治維新により幕府は解体し江戸(東京)から駿府(静岡)に移され祿高もこれまでの八百万石から七十万石になった。祿高が減少したことから家臣団は各地に分散して自活の道を求めた。徳川家はこの元長窪の地には78戸96戸籍が入植して愛鷹の開墾にあたった。そして明治3年(1870)父祖恩顧の徳川家を思い、久能山から東照宮を勧請し、ここに建立し、祭った』以上。
なんとも、皮肉なことに神代のスタート地点『愛鷹山』を開墾。まさに日本人の原点回帰したわけだ。しかしそれは、カモサワヒメを祀る三河国賀茂一族の末裔ともいわれる彼らの帰巣本能だったのだろうか?。一般的に徳川家は、清和源氏新田氏族末裔であるが、賀茂明神神領の三河国賀茂氏族末裔という説も有力である。それは彼の熱烈な『葵』信仰からも伺われ、日光東照宮も富士朝神カモサワヒメの影響が見え隠れするのだ。
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この駿河伊豆地域は富士朝色の強い地域であった。それが江戸時代、この愛鷹山麓地域には4つの馬の牧場が存在しており、その中には富士朝氏族もかなり紛れ込んでいたようだ。
吾妻鏡によると、狩野氏の伊豆国狩野荘内牧郷と呼ばれていた地域もある。一般的にこの狩野氏は、藤原南家工藤流の伊東氏同族とされる。しかし宮下文書においては大山守皇子6子榛原須留賀彦の子孫、富士朝宮下家派生氏族なのだ。小田原を治めていた藤原北家伊周流・大森氏も宮下家派生氏族であり、伊東氏も可能性ゼロではない…。
このように戦国時代、相模国後北条氏や甲斐国武田が崩壊すると、富士朝氏族の多くが徳川家臣となり合流していたのだろう。そんな彼らの末路、再びスタートの土地に選んだのがこの愛鷹山麓であった。
登山前の水神参拝。
◯『水神社』静岡県駿東郡長泉町元長窪
・水神明王
・八大龍王
※明治初頭創建。
東照宮からさらに歩き駅から8キロほど、ようやく愛鷹山登山口へ到着。
正式には日蓮宗愛鷹教会・愛鷹教会水神社という。神社なのに教会になっているお寺…???。最近こういう肩書にとらわれては、宗教の勉強はできないことを知った(笑)。河口浅間神社近くの『母の白滝神社』でも同じ、聖域に入る際、山神(火神)に参拝するために、水神に祓い清めて貰う習わしがあるようだ。郷に入りては、郷に従えである。
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境内左側には小さい瀧があり、不動明王像が安置されている。境内には御霊水が湧き出していて、美味しい。空ペットボトルに詰めて登山すると良いかも。
愛鷹山の山頂を目指す...。
いよいよ奥宮へ。
◯『桃澤神社(愛鷹明神)奥宮』(静岡県沼津市宮本)
〜祭神〜
建御名方神
〜配祀〜
・瓊瓊杵命
・木花開耶姫命
※現在の里宮は、この山頂をにあったのを勧請している。主祭神はタケミナカタのようだ。
歴史的に振り返れば、宮下氏族である大森氏や狩野氏がいたわけで、古来からの富士朝信仰があってもおかしくはない土地である。日本人のルーツを遡る意味ではたいへん意義深い。むしろ、現存する日本最古級の信仰ではないかと…。
こ、これは神門なのだろうか…拝殿なのだろうか…。関東山間部に多く見られる『トタン殿造流形式』なのだが、御神前にて高度な判断力が試されている。正直どうしたもんだか…。
神『主にはこれが何に見えるのじゃ?』
熊『トタン…です』
神『まだまだじゃな…』
熊『富士山と愛鷹山の歴史を伝えられますように、頑張ります』とご挨拶した。
しかし、なぜ諏訪神タケミナカタなのだろうか…。タケミナカタは富士朝のロイヤルガード的なポジションだ。鹿に跨がり、突破口を切り開く突撃隊長として大活躍したようだ。
そういえば、カモシカ?が多い…。
愛鷹山にはイノシシやカモシカが多いようで、登山口に注意書きあり『対害獣駆除のトラップにご注意』とのこと。因みにカモシカと鹿とは違うようだ。姿は見れなかったが、しばらく私の登山を監視していたようで、度々『ヒぃイン』という甲高い声がした。馬場平コースからの合流ポイントては芝生のように開けていたので休憩、ヨッコイショと手をかけ腰をかけたら、一面フンだらけだった(苦笑)。
やっちまった(´(ェ)`)。
カモシカ側の対人間用トラップである。
そもそも『もののけ姫』というジブリ映画に、『東の果にアカシシに跨った…勇壮なる蝦夷の一族あり』というセリフがある。主人公の名前はアシタカ。宮下文書における東夷とは、ヤマトタケル東征における富士朝から東のこと。必ずや東北だけの地名ではないようで、つまり富士朝を含んでいる。
宮崎駿監督は宮下文書関連の書物を参考にしていたのかな〜と、ぼんやり思った。
富士山は雲だらけで先端しか見えなくなっており、『俺はいっつも頑張っているのに。。。』と不満をいいたくなる…。しかし山頂で先客のトライアスロン青年が教えてくれたのだが、私が到達するタイミングで富士山の雲が、急にごっそり開けたそうだ(本当)。
『あれ〜、ついさっきまで何も見えなかったッスよね?』とのこと…。
。。。ちょっと嬉しかった。
※地図はクラフトマップ使用。