セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈神社めぐり〉ヒムカ国『速開都比売神社』、一ツ瀬川はニニギ・コノハナサクヤを見守る加茂山の見立て?

『速開都比売神社』境内、ピカピカに輝く大瀧。


2023,11,11

本日は11月11日に因んで、どうしてもご紹介したい祓戸四柱の神社があります。今回はこのブログでは何度かご紹介した、日向国『一ツ瀬川』沿いにある祓戸四柱の神社へ行ってきた。

…なんとか間に合った(´(ェ)`)。


~目次~

 

〈月桜田毘女解明〉日月がすれ違う『写し鏡』から、瀬織津姫命は生まれた?。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈加茂山解明①〉祓戸四柱浄化システム、阿祖山太神宮の宮守川の流れの見立か? - セキホツ熊の謎を追え!

〈神社めぐり〉霧島神宮から富士山レイライン方面へ縦断、高千穂峰ニニギ天孫降臨コース。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

ヒムカ国、一ツ瀬川の祓戸四柱。



前記事をおさらいすると。祓戸四柱とは、富士朝阿祖山太神宮の上流域の『加茂山』と、そこから流れる『宮守川』に見立てた、月水山の神々四柱に起因しているのではないかとご紹介した…。

世間的には『大祓詞』で有名な祓戸四柱。しかし『罪』『穢』『禍事』を祓う神々というよりは、加茂山の恵みを享受させてくれる、太神宮参拝者をサポートしてくれる神々ではないかと…。この四柱予想は当ブログ上で、ずいぶん前からしているのだが。はじめは、このような大胆予想をして大丈夫か?と思っていた。ただ不思議なことに…今日まで直感を信じることができた(苦笑)。実際に加茂山へ行ってみて、前記事の宮守川の仕組みの発見で確証を深めた。

※宮下文書こと富士古文書は、通説『偽書』と呼ばれているので注意。



〜宮下文書における祓戸四柱比定?〜

  • 瀬織津姫命≒月桜田毘女命?
  • 速開都姫命≒加茂澤毘女命?
  • 気吹戸主≒大山津見命(大山祇命)?
  • 速佐須良姫命=岩長毘女命(ホツマツタヱに転生したとされる)

◯月桜田毘女命、クニサツチ孫、ツクヨミ妃、オオヤマツミ母。

◯宮下文書版カモサワヒメ、クニサツチ曾孫、=別雷命=寒川毘女命=伊豆国三嶋神、コトシロヌシ娘、オオヤマツミ妃、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメ母。神名帳考証における相模一宮寒川神社の御祭神はナキサワメ。

◯オオヤマツミ。ツクヨミ息子、クニサツチ曾孫、太神宮初代副宮司、富士山はじめ諸国山々の統治者。幼名『白玉毘古命』。

◯岩長毘女命、阿祖山太神宮2代目大宮司タマノオヤ(ニニギの弟、八王子)の妃。クニサツチ玄孫、ウサミ母、クマノクスヒコ祖母。コノハナサクヤ姉。伊豆山伊豆大神。

 

 





~ヒムカから糸島へ、天孫降臨レイライン?。

この祓戸四柱の神社が、なぜだか日向国一ツ瀬川沿いに四柱揃って並んでいる。そしてレイラインを形成しているように見える。これら以前からご紹介してきたことなのだが...、今回あらためて参拝することになった。

 

まず九州王朝説があり、三嶋神を多く祀る福岡県『三潴町』を通り、邪馬台国説のある佐賀県『吉野ヶ里遺跡』、撞賢木厳之御魂向津媛命(アマテラス荒魂)を祀る『田手神社』を通る。最終的にレイラインは、高千穂峰とは別のニニギ天孫降臨伝承の残る糸島まで繋がる。

 

〜日向糸島レイライン〜

  • 日向国分寺跡
  • 丹裳小野伝承地
  • 日向惣社三宅神社(ニニギ天孫降臨供奉六十四神、タマノオヤほか)
  • 男狭穂塚古墳(ニニギ伝承)
  • 女狭穂塚古墳(コノハナサクヤ伝承)
  • 速川神社
  • 速開都比売神社
  • 伊吹度主神社
  • 銀鏡神社(イワナガヒメ)
  • 熊本・加茂別雷神社(別雷命)
  • 岩原古墳群
  • 三潴国(九州王朝都説・三島神社群)
  • 米多老松神社(米多浮立・三日月信仰)
  • 吉野ヶ里遺跡(邪馬台国説)
  • 田手神社(撞賢木厳之御魂向津媛命)
  • 細石神社(イワナガヒメ・コノハナサクヤ)
  • 糸島・若宮神社(苔牟須売神イワナガヒメ、コノハナサクヤ)
  • 対馬(宮下文書ニニギ『外寇征親の役』激戦地)

 





そもそもココ宮崎県西都市は、国分寺跡や国府跡があり、西都原古墳群があり、政治の中枢であったハズなのだ。当然、宮下文書版ウガヤフキアエズ朝のヒントが隠されているとみるのが自然だろう。宮下文書の視点から見れば、富士朝神皇の正統な継承者、51代続いたウガヤフキアエズ朝。そこからさらに発生したと思われる九州熊襲勢力、彼らの活動拠点の一つではないか?と…。

しかしながら結局は、12代景行時代ヤマトタケルが旧勢力の反発を鎮圧したと…。



あらためて西都市周辺の状況証拠を御紹介すると。

速開都比売神社の10km南西には『寒川』集落跡があり、有名な山の民『サンカ』の居住区であったという。推測するに、九州ウガヤ朝遷都時代に富士朝から渡り旧勢力となり、平野部の政治中枢から迫害されたオオヤマツミ信仰の拠点だったようだ。また下流域の石貫神社付近『西都原90号墳』は大山祇塚と呼ばれており、オオヤマツミの古墳であると称している。勿論、宮下文書論拠ではオオヤマツミは伊予愛媛で没しており、そんなわけがない。これらは後世の記紀成立後に、富士朝史や富士山から目を逸らすために、オオヤマツミファミリーの本拠点として神話ごと『オオヤマツミ国』を無理やり創作した可能性もありそうだ。

また、同地域一ツ瀬川沿いの宮崎県西都市南方『速川神社』には、玉子を奉納する習慣があるというが、宮下文書版オオヤマツミの幼名が『白玉毘古命』というのだ。さらに一ツ瀬ダムの支流を銀鏡(しろみ)地区といい、やはり玉子を彷彿とさせる。イワナガヒメとオオヤマツミを祀る『銀鏡(しろみ)神社』が存在する。

穏やかなエメラルドグリーンの『一ツ瀬川』の流れ。







祓戸四柱のもう一つの顔が見えてきた。

 

現代の祓戸四柱は、罪や穢を流す神々と定義されているが、瀬織津姫はその一つの側面に過ぎないと述べた…。ツクヨミ・オオヤマツミ女系遺伝子の流れを表す祓戸四柱は、その由来が大きく偏向されてきた節がある。

もともと古代から富士朝阿祖山太神宮の上流域に、加茂山に祀られた山神水神の四柱がいた。大自然の恩恵を阿祖山太神宮へ供給していた古代神であった。

 

  • 月桜田毘女命(ツクヨミ妃)
  • オオヤマツミ
  • カモサワヒメ
  • イワナガヒメ(太神宮2代目大宮司タマノオヤ妃)

 

室町時代1404年2月2日富士朝陥落時に、宮守川支流白糸川の龍が河原で、室町幕府側に宮下文書のかなりの部分が焚書させられた。加茂山に祀られた山神水神の四柱は、その燃え滓の『真相』を、寒川(桂川)→ 相模一宮寒川神社→相模湾へと祓い流すという役割が見え隠れする。つまり権力構造的に不都合な歴史を、風化・流下させる役割を、人間たちから背負わされてきたのだ。



つまり祓戸四柱を祀るということは…。

無論、人間の穢を祓う、日常的な役目もあるだろうと…。

ただその一方で、真相や歴史を管理、封じ込めの側面もあるのではないだろうかとみている。瀬織津姫命≒真相開示の女神とはこのことか。。。?

※このあたり別記事で考察してみたい。








『速開都比売神社』。

 

▼10時20分

西都バスセンター発村所行の始発バスに乗車、渓谷沿いの国道219号『ひむか神話街道』に沿って一ツ瀬川を登る。ヒムカというのは『日向国』の古い読み方。バス便は少ないので、事前にネットで調べておく事をオススメします。乗客は私を含めて4人、みなさん村所まで目指していたご様子。

 

▼10時48分頃

西都市街地から15kmほどで熊オッサンだけが、途中下車。元鎮(げんちん)バス停留所にて降車。バス停以外なにもない谷間。バスのコワモテの運転手さんが私をジッーとみて、『帰りはどうするんですか?』と尋ねてきた。

『バスはなさそうなので、西都まで歩いて帰ります』と説明。…やっぱり…動揺した様子。

 

また人に心配をかけてしまった。。。

(´(ェ)`)

 

『じゃあ、もし街道沿い進行方向に歩いていて、もしバスが通ったら、手を挙げて合図してください』とのこと。これが常時やっているサービスかは不明だが、そこは手慣れた様子で、的確な指示を頂いた。最近バス会社による廃路線のニュースなどが多いが…、やはり地域住民の生活を守るため、バス運転手さんも大変なんだなと痛感した。

田舎のバス停留所看板は、片側にしか設置されていないケースがあり。その場合は、看板がなくても対向車線側に待つ必要があり。都会の人には馴染みのないルールも多い。バス車内では宅急便の大きなコンテナがあり、どうやら山間部へ荷物も運んでいるようだ。みなさんも空港からレンタカーではなく、たまには地元の交通機関をつかってあげてくださいm(_ _)m。

コワモテ運転手さん…実は優しかった(´(ェ)`)。

 

一ツ瀬川は、渓谷ながら、天竜川的な激流ではなく、どこか琵琶湖の瀬田川のようなゆったりとのんびりした流れ。エメラルドグリーンに濁った不思議な川。渓谷に迫り出した岩々が見応えあり、紅葉になったらさぞかし綺麗であろう。

地名の元鎮の由来はよくわからなかったが…、やはり『ご鎮守』を意味するのではないだろうか?。元鎮バス停から川沿いに旧道を降りて500メートルに、神社駐車場あり。車が5台くらい停まって、神社入口でカップルとすれ違った。地元の若い人にも知られているようだ。駐車場近くに吊橋があり、渡ると『速開都比売神社』となる。




◯『速開都比売神社』(宮崎県西都市大字片内字湯之内)

〜御祭神〜

  • 速開都比売命

〜末社〜

  • 祓戸大神(祓戸四柱)
  • 伊勢大神(アマテラス?)
  • 猿田彦大神
  • 天細女大神



※ごく最近、1974年(昭和49年)に創建された宗教法人で、先代の霊夢により祀られ始めたという。由緒書きによると、速開都比売命は瀬織津姫命の姉神と解釈しており、境内には祓戸四柱の末社もある(どれかはわからなった)。

拝殿前の青い鳥居が特徴的。青い鳥居…葵紋…???。駐車場の案内看板など手作り感がある。滝まで行くには時間がかかるので、車は必ず鍵をかけてくださいとのこと…。





▼11時11分

なんと!本日の午前11時11分拝殿前はこの神社であった!!。参拝を終えて、ふと時計を見ると11時12分。

う、う、う、嘘だとお思いなら…。上記の道のりを、西都バスセンター発の始発バス10時20分に乗って、最寄りの『元鎮』バス停から歩いてみて。ちょうどこの時間になるんだってば。是非お試しあれ(バス便少ないのでご注意)。

 

ホント偶然なんだってば…(´(ェ)`)。

 

貧乏旅行者は分刻みのスケジュールなので、本数の少ない公共機関を利用して、わざわざこの時間を狙って、山奥を参拝するのは不可能。しかも、上記のように速開都姫命の御正体は、伊豆国三嶋神カモサワヒメだと見ており、ウチの両親ともどもご縁を感じ続けてきた神様。無人の拝殿前にて、いろいろ迷ったこと、辛かったこと、自分の無知さ、愚かさも思い出し、奇跡に感動して泣いてしまった。全部受け止めて、泣いたら…スッキリした。熊オッサンには霊能力がないので何ともいえないが…。もしかしたら『祓い』とか『穢れ』というのは、重荷になっていた自分自身なのかもしれない。

(´(ェ)`)

 



今回の九州の旅行期間中は、雲一つない秋晴れだった。そしてこの季節の、この時間帯に、お社奥にある御神体『大瀧』まで太陽光が差し込む。瀧は黄金に照らされて、輝いていた。すぐ対岸には『伊吹度主神社』があり、参拝させていただいた。※画像加工なし。



ほんとに…貴重なものを見せて頂いた。この神社に来るだけでも、ヒムカ国へ今回来た甲斐があった。

m(_ _)m



 

 

やはり、加茂山と宮守川の面影がある。

そこからさらに一ツ瀬川下流には、瀬織津姫ら祓戸四柱を祀る『速川神社』があり。さらに下流域には、イワナガヒメを祀る『穂北神社』。最後は桜川沿い『無戸室』と、オオヤマツミ娘コノハナサクヤヒメを祀る日向二宮『都萬神社』を参拝して終了。

やはり…これらはなんとなく、富士朝宮守川のイメージがある。

宮下文書版の富士朝加茂山から流れる宮守川の構造からみると、下流に宮守大神ニニギ・コノハナサクヤを祀り、『宮守川の真砂の小島の無戸室』が存在していた。同様に日向国では、一ツ瀬川下流にニニギ三宅神社、コノハナサクヤ都萬神社を配している。全体的に宮守川を彷彿とさせる。

中でも穂北神社は、伊豆国から流れた日向伊東氏に崇敬されたようで、なんで一ツ瀬中流域のこの位置に伊豆大神イワナガヒメを祀るのか?が興味深い。その伊東氏の影響なのか?、『逢初川』『稚児ヶ池』など、何処か伊豆国伊東や熱海を彷彿とさせるネーミングも気になった。

都萬神社ともにまた別記事でご紹介したい(予定)。

 






 

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※地図はクラフトマップ使用

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