2023,11,5
前記事で熊オッサンは、『いつか高千穂峰にいけたらいいな〜』と述べていたわけだが…。今年は、5月京都・7月富士山・9月伊勢に行っているわけだ。そんなものは半分冗談で、内心では『金銭的にもスグできるわけないだろう』と…。とても言いづらいことだが、ブログ上の社交辞令みたいなものだった…。
m(_ _)m
~目次~
〈ヤッホー〉熊オッサン富士山登頂に成功!、日月の関係とはドラゴンヘッド移動日だった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈伊勢国巡り〉御船・牟弥乃・蚊野・狭田国生神社と800年延暦噴火以降の水神祭祀。 - セキホツ熊の謎を追え!
突然の休日。
その直後になんと、急に、平日祝日を跨いで5連休が舞い込んできた。熊オッサンの仕事柄、こんなビッグチャンスはもうないだろうと。平日休める→飛行機+ホテル代が半額になる→ウマくいく!。貧乏熊オッサンにはとてもウマ+ウマ=ウマウマなのだ!。もうやるなら今でしょと…、まさか今年中に行くとは思ってはなかったのだが…。
また、渡航規制なんか計画されたら当然飛行機は乗りづらくなるし…。後悔しないうちに…できることはやっておこうと。
というわけで、今回は高千穂峰へ行ってまいりました!(´(ェ)`)
〜神社巡り・鹿児島宮崎編〜
- 鹿児島空港(富士山高千穂峰レイライン上)
- 祓戸神社(祓戸四柱)
- 霧島神宮
- 山神社
- 高千穂河原(古宮跡)
- 高千穂峰付近(元宮)
- 高千穂峰(富士山高千穂峰レイライン上)
- 天孫降臨コース
- 高原町古墳(富士山高千穂峰レイライン上)
- 皇子原神社(狭野神社元宮)
- 狭野神社(富士山高千穂峰レイライン上)
- 猿田彦神社(霧島之大神)
- JR高原駅(富士山高千穂峰レイライン上)
- 神柱宮(ニニギ母神タクハタチヂヒメ)
- 青島神社(山幸海幸の伝承地の一つ)
- 木花神社(無戸室伝承地の一つ)
- 宮崎神宮
- 日向総社三宅神社(ニニギほか天孫降臨・供奉六十四神)
- 丹裳小野伝承地
- 日向国分寺跡
- 速開都比売神社
- 速川神社(祓戸四柱)
- 穂北神社(イワナガヒメ)
- 南方神社
- 西都原100号墳
- 児湯の池(富士山高千穂峰レイライン上)
- 童子丸神社(コノハナサクヤ三皇子)
- 石貫神社
- 無戸室(富士山高千穂峰レイライン上)
- 日向国府跡
- 日向二宮都萬神社(コノハナサクヤ)
※順序不同。今回漏れた場所は別記事でご紹介したいと思います(予定)。
天孫降臨コース、高千穂峰を富士山の方角へ縦断。
▼6時40分
日の出とともにホテルから霧島市国分へ、祓戸皇大神こと祓戸四柱が祀られている『祓戸神社』を参拝。今回は行かなかったが、1㎞ほど東に『大隅国分寺跡』がある。この時点でまだ月が出ていた。。。
JR日豊本線・国分駅前から、7時25分の『霧島いわさきホテル』行のバスに乗車、霧島神宮へ出発する。この便は平日のみ運行(11月現在)、ネット上情報が錯綜しているので事前によく調べたほうがいいかも。
◯『祓戸神社』(鹿児島県霧島市国分府中町)
〜御祭神〜
- 伊邪那岐尊
- 伊邪那美尊
- 瀬織津姫神
- 気吹主神
- 速秋津姫神
- 速佐順良姫神
〜合祀〜
- 菅原道真公
※鹿児島県神社庁ホームページによると、古くは源頼朝・島津忠久・丹後局・住吉大明神の四柱が祀られていた?という。
▼8時15分
霧島神宮到着、なんとこの日は旧暦9月19日にあたる11月2日『古例祭』であった。現在でも例祭は9月19日(大祭)とされているが、御祭神ニニギに縁のある旧暦11月2日に古例祭(中祭)として残しているという。どこか、御祭神に呼ばれてきたような感覚もする...。以前から是非とも参拝したかった『山神社』も参拝、どことなく富士朝大明見の『山神宮』を思い出す。
空を見上げると、まだ月が見ている…。
▼9時15分
霧島神宮前でタクシーで、いよいよ高千穂峰登山口『高千穂河原ビジターセンター』へ向かう。時間節約のため、ここだけはタクシーを使わざる得なかった。いわさきホテル方面からバスを乗り継いで来れるルートもあるらしいが、バス便は非常に少なく、2時間以上のタイムロスとなる。霧島神宮〜高千穂河原までは7km、歩いて2時間の急勾配だが、タクシー代はだいたい2500円くらい。
タクシードライバーさんは歴史にお詳しい方で、島津藩のことをいろいろ教えて頂いた。熊オッサンが高千穂峰に登ると打ち明けたら、なんか動揺したようで…。『え、登山なんですか?、這いつくばって登る山ですよ?』とのこと。こちらは、意外にも動揺されたことに動揺したが…。7月に富士山に登ってきたばかりだし、ストックは無いけど登山靴だし、大丈夫だろうと、このときは高を括っていた。
▼9時25分
古宮跡を通って登山開始。
嬉しいことに雲一つない秋晴れ。始めは石畳の参道を、紅葉を愛でながらのんびり歩いていたのだが。だんだん傾斜が急になってくる。ドライバーさんの言う通り、這いつくばって登る山。標高1500メートルで愛鷹山や相模国大山よりちょっと高いくらい。それでもなんとか登り切ると、でっかい御鉢が迎えてくれた。まだ月が辛うじてみえる…。
御鉢に沿って、緩やかな尾根道へ入り、霧島神宮元宮の小さな祠へ到着。10時半ころから…、噴煙らしきものがあがったので、桜島を認識することができた。噴煙は時間帯によるのかな。。。?
▼11時11分
なんと午前11時11分ちょっと過ぎに山頂到着。ま、奇跡というよりは、上記行程を時間どおり巡ってくればこの時間になる(苦笑)。お試しあれ。。。かつて坂本龍馬夫妻が新婚旅行でやってきたという『天の逆鉾』を拝謁。宮下文書視点から考えれば、なにか意味深な名前にもきこえる。つまり宮下文書と通説、富士山と高千穂峰のニニギの歴史が、逆さまに位置づけされている感を受ける。
『多くの御祖霊さまと、人々の魂が結ばれますように』
『コノハナサクヤさまとニニギさまが結ばれますように』
『多くの御魂がワンネスを勉強し、古い地球を卒業できますように』とお祈りした。
▼11時30分
山頂にて小休止。グラサンで、ピンクのど派手なポロシャツを着た神々しいおじいさんが、早めの昼食をとっていた。熊オッサンが『すいません、天孫降臨コース』ってこっちでいいんですよね?と聞くと。『うん…ホントいいコースですよ』とのこと。私に何か言いたそうだったが、さらにもう一度『いいコースですよ』と言った。
不思議なおじいさんだな...とおもいつつ、単独下山を開始。天孫降臨コースとは実に的を得ている。コースの命名については諸説あるだろうが、もう見てそのまんま。樹木のない細い尾根道コースはまるで天界のようで、まさに天孫降臨伝説のニニギの気持ちになって下山できる大絶景コースなのだ。熊オッサンはその存在を知ったときから、いつかこのコースを通りたいと思ってきた。
(´(ェ)`)
▼11時45分
で…道に迷った(´(ェ)`)
みなさん下写真の樹木のない尾根道に、どこに迷う要素があるんだ?と疑問に思うだろうが…。この先の岩場付近で道が途絶えている。岩場なので滑落の危険性もあり、迂闊に降りられない。こんなときは下手に降りない方が良いかなと…。できれば人を待った方が得策だろう…。よく下山のほうが怖いというが…。急斜面を上から見ると、道の先までは見通せないわけだ。なのに一度下ってしまえば、見落としたポイントまで戻るのに、登るだけの体力がさらに必要となる悪循環。体力を消耗しきった下山の遭難とは、このことか…。
ま、焦ってもしょうがないし、どうにかなるだろうと、誰かが通るのを待つことにした。見通しが良い分、誰かが来ればすぐにわかる。
それにしても絶景だな(´(ェ)`)
のんびり岩場で昼食、早朝に買ったコンビニのオニギリをモグモグ食べていた。この景色はいくら眺めても飽きない。しばらくすると、案の定、山頂方面からあの神々しいピンクのグラサンのおじいさんが一人で降りてきた。『あーやっぱり迷ったの?』と笑っていた。
天孫降臨コースに現れた道案内の神様?、まるでサルタヒコさまご降臨ではないか!と…。神話上のニニギさまもこのような心境だったのだろうか?(苦笑)。
おじいさんは登山歴50近くのベテランで、退職してからも退職金の一割で全国の山々を巡り歩いているという。もともとは身障者学校?の先生でらして、歩き方などをレクチャーされていたそうだ。登山にストックなんていらないと、あんなものはバランス感覚を崩すだけと力説していた。手を後方気味に降らずに垂らして、背筋を伸ばした歩行スタイルは、とても75歳には思えない。スタイルもよく非常に若々しいお方だった。その後、コースの2時間近くこの方にあれやこれやお説教されつつ下山した(苦笑)。登山のイロハをいろいろ勉強させていただいた、お陰で登山口駐車場まで迷うことはなかった。
熊オッサンは歴史が好きで、このあとの日程では、西都古墳群や速川神社方面を散策すると打ち明けた。『どうしよっかな…その日オレ、ヒマなんだよな〜』『よし、俺もヒマだからついて行く!』とのこと…。
え…(´(ェ)`)
ええええええええええええええ…(´(ェ)`)
今回の旅は、熊オッサンには確固たる目的があり、頭の切り替えがちょっと難しかった。今思えば...、このおじいさんと行動すれば、それはそれで新しい経験ができたかなともおもうが。流石に西都市『速開都比売神社』『速川神社』まで来させるのは遠いし、今回はこちらのペースで巡りたいので、『そんな悪いし、いいですよ』と丁重にお断りした。
m(_ _)m
▼14時00分
天孫降臨コース登山口駐車場にておじいさんとお別れ。おじいさんは125ccバイクで来たそうで、荷台にリアボックスがついていたために二人乗りが出来ないという。ま、熊オッサンは歩くことが好きだし、はじめからJR高原駅まで10㎞歩くつもりだったと打ち明けた。日頃から貧乏旅行と神社巡りを満喫するのが大好きなので、東京でもアスファルトで舗装された道を、5〜15km歩くことなんて朝飯前なのだが…(苦笑)。おじいさんははじめビックリしていたが、名残惜しんでくれたようで…餞別にハッカ飴と炭酸水をくれた。お別れをした。
▼14時40分
なだらかな林道を抜けて皇子原神社(狭野神社元宮)到着、高千穂峰に日が傾いていくのがわかる。1598年(慶長3年)まで、この場所に後述の『狭野神社』が鎮座していたという。現在は高原町古墳の南斜面広域が、天孫降臨伝承と神武天皇生誕地のテーマパークとなっている。残念ながらお社の千木が折れているので、あまり状況は良いとはいえないが…、御神気のようなものはなんとなく感じた。
◯『狭野神社』(宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田)
〜御祭神〜
- 神日本磐余彦天皇(神武天皇)
▼15時15分
次に、狭野神社に到着。
社伝曰く、狭野(さの)というのは初代神武天皇の幼名『狭野尊』から。宮下文書における神武天皇は崩御まで『日高佐野王』を称していた。
狭野神社は神武天皇の生誕地伝承があり、更には富士山高千穂峰レイラインの直上にある。個人的には宮下文書版ウガヤフキアエズ朝は、火山の影響もあり、転々としていたとみているが…。この地域は、その比定地の一つではないか?とみている。
神社はあまり知られていないようで、参拝者は殆どいなかった。ただ十六菊花紋章といい、どう見ても普通の神社ではない。さらに圧巻なのは巨木に取り囲まれていることだ。どことなく富士吉田市の『北口本宮富士浅間神社』を思い出してしまった。狭野神社に来るだけでもすごいパワースポットである。
そして写真を撮っていて気づいたのだが、ちょうど11月2日の夕日が、このレイラインに沿って沈んでゆくのも面白い。富士山の方角へ西日がずっと追いかけてくるような印象を受けた。狭野神社の二の鳥居付近にサルタヒコと霧島之大神を祀る猿田彦神社があり、霧島之大神というのはやはりニニギとおもわれる。ホツマツタヱ版サルタヒコはニニギ天孫降臨にて、先導の道案内神として祀られている。前記事通り、宮下文書でも同じく、サルタヒコとニニギ遠征の先導役であり、猿踊りでニニギを慰めようとした経緯がある。
おこがましくも…、さっきの神々しいピンクのポロシャツ+グラサンのおじいさんは、サルタヒコの化身なのではないか?と感じてしまったのは私だけであろうか…?(苦笑)。ニニギさまと、サルタヒコさまと、道中いろいろお世話になりましたとお礼を申し上げた。
(´(ェ)`)
▼16時30分
霧島バードラインこと国道223号を下って、JR吉都線・高原駅に到着。高原(たかはる)とは、通説におけるニニギがいた高天原に由来するといわれている。天孫降臨コース登山口から10km、参拝含めて2時間30分歩いた。
まとめ
いつの間にか登山ブログみたいになってしまったが(苦笑)。全行程中・歩行区間だけで合計7時間ちょっと、1日で合計20kmコース、ともかく膝はもうガクガク。
コースを纏めると、天孫降臨コースは登り登山者には迷うことはないと思いますが、登りをしらない下り登山者にとっては、一部わかりにくい場所があるようです。迷ったら安易に下らず、人を待つか、高千穂河原ビジターセンター方面へ戻った方が得策でしょう。
山をなめていました(´(ェ)`)
- 高千穂河原〜高千穂峰コース5.1km
- 高千穂峰〜天孫降臨コース登山口5.5km
- 天孫降臨コース登山口〜JR高原駅km10km
繰り返しになりますが。熊オッサンは貧乏旅行と神社めぐりが好きです…。汗だくで泥まみれになって寺社を巡るのは最高です(神社では、泥は祓った方がよろしいかと存じます)。ただ最近ではそういうことで、変わり者だとか、修行だとか、苦行だとか見られていることも感じております。
心配してくれる方がいることはありがたいことでもあり、それが期待に応えたい気持ちが芽生えて、良い思い出に繋がります。すべてコミコミで『旅』なのだと思います。今回はちょっと趣を変えて、神社と高千穂峰のピンクのおじいさんをご紹介しました。
ありがとうございました。おじいさん(´(ェ)`)。
※地図はクラフトマップ使用