2022,9,4
今回は尾張の神社めぐり形式で、レイライン周辺を数カ所を一気にご紹介しようかと思っていたのだが…。尾張一宮真清田神社が謎だらけなので、一つの記事になってしまった。
尾張恐るべし…(´(ェ)`)
~目次~
- 真清田神社とは。
- 尾張は大物主命の子孫、藤原・物部の本貫地。
- 尾張ホノアカリ勢力登場
- 熱田神宮と真清田神社の尾張氏の違い。
- 大物主命はどこに消えたのか?。
- 『三明神社』ってなんだ?(まとめ)
- 大軍神司る尾張にこそ、『熱田霊剣』は相応しい(妄想)。
〈レイラインの美学⑲〉瀬織津姫と武藤氏『石刀神社』、熱田霊剣の東西平定レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
真清田神社とは。
wikipedia真清田神社によると、中世以降の文献に基づく祭神変遷あり、クニトコタチ説やオオクニヌシ説があったという。室町期〜江戸時代まではクニトコタチが祀られていた。江戸期以降はホノアカリが祀られ、明治以降に天照大御神・月夜見神・大己貴神・大竜王神が合祀された。
現在の社伝によると、神武天皇時代33年3月3日にホノアカリ子孫尾張氏が、大和国葛城山麓地方の高尾張邑からやって来て、祭祀し始めたという。
◯『真清田神社』(愛知県一宮市真清田)
〜御祭神〜
- 天火明命
〜摂社〜
- 三明神社(本宮荒魂)
- 服織神社(萬幡豊秋津師比売命)
〜末社〜
- 神明社(天照大神、品陀和気命)
- 天神社(天神七代、伊弉冉命、速玉男神、事解男神、訶遇突智神、市杵島姫神)
- 犬飼社(犬飼神、住吉三神、神功皇后、猿田彦命、真神田曽根連、菊理姫命)
- 愛鷹社(愛鷹神、祓戸四柱、木花咲屋姫神)
- 愛宕社
- 須佐之男社
- 秋葉社
- 厳島社
- 八龍社
- 稲荷社
- 三八稲荷社
※昭和40年ホノアカリ母神として、萬幡豊秋津師比売命を祀る、服織神社が創建されている。
※※因みに静岡県内にて伝承されている富士山縁起の『かぐや姫』では、翁と嫗が、鷹と犬を飼っており、愛鷹・犬飼と呼ばれる。翁は愛鷹明神なり、媼は犬飼明神なり…。
尾張は大物主命の子孫、藤原・物部の本貫地。
宮下文書比定『真清田の宮』は、神代ホノアカリが誕生する以前からあった。宮下文書版ホノアカリの祖父にあたるニニギ、その総軍司令長をしていた武知男命(諱・大物主命)の拠点であった。
〜ニニギ朝左右大神(三輪本現代訳p62)〜
▲左守大神・天太種王命(天太玉命の嫡子)
▲右守大神・大政守命(天兒屋根命の嫡子)
大物主命は右守大神の家系、大政守命の子か孫とみられる。アメノコヤネの孫か?曾孫孫か?…にあたり、弟がイシコリドメ(男神)にあたる。
現代訳p163を系図化すると、天兒屋根命→大政守命→武頭守主命→大物主命となる。しかし、アメノコヤネ阿祖山太神宮副司などを在任中に、彼の孫が総軍司令長についており、世代的に違和感を感じてしまう。アメノコヤネが長寿だったと解釈すべきか…?。
※参考までに補足すると、ホツマツタヱ版アメノコヤネとサルタヒコは、背丈も2〜3メートルとか…超人的な長寿として描かれていた…。現在の年齢感覚では計り知れない部分もありそうだ。ただし、宮下文書の年齢の計算法には諸説あるようなので注意。
(´(ェ)`)
宮下文書におけるニニギ『外寇親征の役』にて、大物主命を総軍司令長とし、フツヌシ・タケミカヅチ・玉柱屋命・タケミナカタの四軍神を軍大将とする。大物主命のサポート役(役職名不明)として、スクナビコナとコトシロヌシの兄弟神が従った。これは富士朝を拠点にすると、大陸勢力の九州侵攻に対する初動対応が、どうしても遅れる為である。ゆえに軍事拠点を段階的に、列島の中央・尾張に構えた模様。この後また、大陸勢力の襲来があり、タマノオヤやヒコホホデミによる防衛戦(二次外寇戦)へ突入。それが富士朝が神都遷都を決意させるきっかけとなる(ウガヤフキアエズ朝の誕生)。
アメノコヤネは、コノハナサクヤヒメ死亡後に三皇子を救出した功績により、ニニギの絶大な信頼を得る。娘・石割毘女をヒコホホデミの後妻として娶らせるなど、右守大神勢力として大出世している。
外寇親征に辛くも勝利したニニギは、論功行賞として、フトダマの子孫一族の家名『祖家(そが)』を賜り、天下の大政を司る家とした。これが後世の蘇我大伴系統となる。
また、アメノコヤネの子孫一族を『武部(もののべ)』と名づけ、武士軍事を司る家とした。その曾孫が大物主命。後世の藤原物部系統となる。
〜宮下文書版・大物主命ファミリー〜
- 玉柱屋命(西中国守護司頭長)
- 顕国玉命(西中国守護司頭長)
- 豊城入毘古命(東大原野守護司頭長)
- 前玉命(東大原野守護司頭長)
- 五十猛命(津久島・行島・佐渡島守護)
基本的に、現代全国各地の祖神とされているのは、このニニギ時代の論功行賞による軍神17柱をベースとしているようだ。例えば、上野国祖神・豊城入彦命は一般的には崇神皇子とされるが、別神となる。故に現在の上野国に複数ある『赤城神社』系で祀られている豊城入彦命。彼はこのニニギ時代の右守大神勢力と見るべきであろう。
宮下文書には、10代崇神天皇の皇子・豊城入彦命は『豊城命』と記され、当時富士朝の影響下にあった関東圏を支配したとは書かれていない。東国が神代から開拓されていた事実を、西国が消そうとしてきた意図も見え隠れする。
話が逸れたが…。
そのあと、尾張の大物主命子孫らがどうなったのか?…、後の足取りは不明。ただ推測するに、ウガヤフキアエズ時代は武部を司る右守大神嫡流・天津高倉命として、ウガヤフキアエズ遷都(高千穂峰周辺?)に随伴したのではないだろうかとみている。この53世孫が速玉山田命(鴨王こと天日方奇日方命、またの名をクシミカタマ)となり、後世の藤原物部系統の流れとなる。宮下文書系図は、記紀とは比較にならないぐらいメチャクチャなので注意。
<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!
<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!
尾張ホノアカリ勢力登場
初代ウガヤ時代、大物主命と入れ替わるように、富士朝から尾張へ赴任してきたのが、ウガヤフキアエズ弟神、宮下文書表記『天別天之火明命』である。
宮下文書版ホノアカリはヒコホホデミの子、ウガヤフキアエズの弟。ヒコホホデミの命により尾治田(尾羽張)国造となり、大物主命のいた眞清田の宮に留まる。父ヒコホホデミには複数の妃がいたようで、兄ウガヤフキアエズとは異母兄弟。母親はサルタヒコ玄孫・言勝彦命の娘、佐奈木毘女命で、ホノアカリとともに尾張に移住してきた。
〜ヒコホホデミ4子(順番は諸説あり)〜
- 鵜茅葺不合尊(初代)…豊玉姫命の子
- 三穂武男命…豊玉姫命の子
- 天別天之火明命…佐奈木毘女命の子
- 阿田都彦命…不明・石割毘女命か?
※二子と三子は入れ替わりの可能性あり。
その後ホノアカリは尾張に渡り、アメノコヤネの子・大政守命の三女・富身美毘女命を娶り、七子を生む。尾張を自らの七子に分割統治させた。こうして見ると、後世の尾張勢力は右守大神の女系遺伝子(藤原物部系統)を持っていたことになる。
真清田境内にある服織神社の御祭神・タクハタチヂヒメは、通説ホノアカリの母神とされているが、宮下文書論拠では曾祖母となるので注意。また別記事でも触れるが、尾張一宮と信州戸隠にタクハタチヂヒメを祀るのは、違う意味で重要になりそうだ。
▽記紀版ホノアカリは、ニニギ兄とされ、アメノオシホミミとタクハタチヂヒメ(萬幡豊秋津師比売命)の御子とされる。
▲宮下文書ホノアカリは、ヒコホホデミの子、ニニギの孫、アメノオシホミミとタクハタチヂヒメの曾孫にあたる。
一方で、『先代旧事本紀』における天火明命は、穂積臣や物部連の祖・ニギハヤヒと同神と解釈されている。前記事で紹介してきたように宮下文書では物部系統とニギハヤヒは関係ないし、そもそも登場しない。宮下文書版物部系統の本貫地が尾張、さらに祖神が大物主命となるため、単にホノアカリ=尾張として混同されているのかな?…とも思うが(妄想)。
また平安時代1114年(永久2年)に、熱田神宮の尾張氏が、代々熱田神宮の大宮司職を、霊夢の託宣と称して、藤原南家・季範に譲るという事件がおこる。表向きは、国司代官の藤原氏と大宮司家尾張氏の婚姻関係を持つことによって、尾張国司と和解が可能となったというが…。以降、熱田大宮司は藤原南家藤原氏・千秋家が代々継承。結局、尾張氏は大宮司副官・権宮司となる。この藤原季範の娘が由良御前であり、源義朝に嫁ぎ源頼朝を出産する。
藤原南家に大宮司を譲る、この尾張のドタバタ劇も背景的に考えれば、尾張祖神と藤原祖神としての大物主命がチラついていたのではないかと…?。
いずれにしても尾張全体が、藤原氏物部氏族の遺伝子の濃い地域ともいえる。
熱田神宮と真清田神社の尾張氏の違い。
また別記事でも考察するつもりだが…。
時代は変わって114年?(景行年間)、宮下文書版ヤマトタケルの妃とされる美夜受媛(通説・宮簀媛命のこと)が懐妊、ヤマトタケルと死別後翌年5月5日に『長田王』を出産する。彼が熱田神宮初代宮守司長であり、尾羽張姓と源大夫の官名を賜る。これが後世続くヤマトタケル子孫の新生『尾張氏』。…これってもしかして、古事記登場のヤマトタケル御子近江勢力・『息長田別王命』と関係あるのかな?と(妄想)。
また、美夜受媛命の兄・建稲種命が継いだ、ホノアカリ系旧尾張氏嫡流は、『一の宮』姓に改め、真清田の宮守司長に任命された。残念ながら詳細は不明。しかし、ヤマトタケル男系『尾張氏』とホノアカリ男系『尾張氏』、混同されているのは明白だろう。
▲尾張氏…ヤマトタケル御子『長田王』子孫
▲一の宮氏…ホノアカリ氏嫡流子孫
大物主命はどこに消えたのか?。
では、尾張の先達・大物主命祭祀は何処に消えたのか?。…確信は持てないが、どうやら僅かだが、一宮の地に残っているようだ。
◯『大神神社』(愛知県一宮市花池)
〜御祭神〜
- 大物主神
尾張国一宮を自称する。
延喜式・尾張国中島郡の大神神社・名神大に比定され、奈良時代には真清田神社とともに並んで一宮と呼ばれていたようだ。神社の奉斎者が、三輪氏説とホノアカリ子孫説とに分かれ、近世まで『三明神』『三宮明神』と称されていたという(後述)。
ただ、この地域では、三輪神オオクニヌシのシルエットでしか、尾張祖の大物主命は語られていないことになる。
◯『三輪神社』(愛知県名古屋市中区大須)
〜御祭神〜
- 大物主大神
- 徳川義宜
元亀年間、牧長清(織田信長妹婿)の創建。江戸時代の尾張藩主の崇敬社、以降の明治時代に、16代藩主・徳川義宜を合祀。
◯『国玉神社(八剱社合殿)』(愛知県名古屋市中川区万場)
〜御祭神〜
- 大物主大神
- 天照大御神
- 草薙剣御霊
- 日本武尊
※御祭神については諸説あり。大国主命・大物主命・大国玉神。『神祇志料』『特選神名牒』によると大物主神。
『尾張志』によると、尾張大国霊神社より勧請したという。しかし、現在の御祭神が大物主命というのは…どういうことなのだろうか?。単に、現代よくある大和国における三輪神の混同とも思えるが…。前記事で紹介してきた、通説なオオクニヌシ≒大国玉神同神説や、オオクニヌシ≒大物主命同神説…。結果的に言えば、大和天皇勢力は、富士朝の開拓史を誤魔化したいがために、この三柱をどうしても同化したかったようだ。大和国の先達・尾張の神道体系や歴史を誤魔化す思惑も見え隠れしている。
尾張御祖神・大物主命の御神霊は、国内をたらい回しにされている現状も見えてくる。
なんとも…切ない話だ(´(ェ)`)。
『三明神社』ってなんだ?(まとめ)
最後に、尾張を調べていると、重要な神社には『三明』という名称が絡んでくる気がする。三明とは三明神を祀る意味らしく、愛知県内に多い。御祭神もまちまち。読み方も『さんみょう』『さんめい』とまちまちだ。
- 一宮真清田神社摂社『三明神社』は本宮荒魂を祀り、第一別宮として重要視されている。往古『三明印珠宮』と呼ばれ、神仏習合要素が強いという。前記事では、大物主命ではないか?と推測したわけだが…。ちょっと慎重にならざるえない(苦笑)。
- 前記事の一宮市『石刀神社』は、古来から石刀社と呼ばれていたが、江戸期の名称が『三明神社』とされた。これは、伊勢神宮・神戸の関係で伊勢神宮分社を合祀した経歴のためで、おそらくはクニトコタチ(豊受大御神)を含んだ三柱?のことであろう。
- 前述『石刀神社』と御祭神が合致しているのが、愛知県小牧市林北『三明神社』。尾張二宮大縣神社から東南へ3キロほど、尾張国春日部郡鎮座の式内社、尾張二宮『大縣神社』の別宮であったという。御祭神は国常立命で、配祀として豊斟渟尊と国狹槌尊を祀る。真清田神社や石刀神社の『三明』の由来も、丹波真井原に祀られていたクニトコタチ、その息子トヨクムヌ…、東西二大皇祖クニサツチの影が強いのではないか?と…。
- 愛知県丹羽郡大口町大御堂『三明神社』は、日本武尊、大己貴命、国狭槌命を祀る。
- ところが、愛知県一宮市花池『大神神社』でも、近世まで『三明神』『三宮明神』と呼ばれていた。現在の御祭神が大物主命という…。ということは、三明神=大物主命の可能性もあるということか…?。三明は固定された御祭神ではないのか…?。
大軍神司る尾張にこそ、『熱田霊剣』は相応しい(妄想)。
まとめると。。。尾張は富士朝軍神の大拠点であった。
この地は、国内外ともに、数多ある勢力が衝突してきた歴史があり、富士朝とウガヤ朝を繋ぎ止め調整してきた歴史もある。大和国を先行開拓して神武朝を導いた歴史もある。西国天皇勢力は富士朝黒歴史を消そうと企ててきたし、東国勢力はそれこそが黒歴史だと猛反発してきた。その血塗られてきた過去の上に、日本一の霊剣が、まるで鞘に収まり祀られる姿として浮き上がってくるのだ。
現在の尾張には『石刀神社』があり、東西統治『四季島統治』の象徴神・クニトコタチとクニサツチが祀られている。ニニギに軍事を任された大物主命子孫の地…。そして日本総社『津島』のスサノオの面影の地…。東西調停役であったヤマトタケルの子孫たちの地…。彼らに因縁めいたものを感じるのは私だけだろうか。
尾張の霊剣とは、東西軍神たちによる大平定ではないだろうか?。
(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。