2022,9,11
随分前の記事になるが…、津島神社を記事にしたいと述べたことを憶えているだろうか?。やっと念願かなって、今年5月に津島神社へ参拝することができた。尾張・熱田研究に於いても、信州・戸隠研究においても、この津島神社が重要なカギではないかとおもわれる。私にとっては、出雲大社より重要かもしれない。
というわけで今回は津島神社、記事が長〜いので二分割(次回)した。
(´(ェ)`)
~目次~
- 『日本総社』こと、津島神社。
- スサノオは朝鮮半島由来?
- スサノオは蛇を退治して、酒の肴としてふるまっていたオジサン?。
- スサノオ家族と出自。
- 誓約(うけひ)の子と牛頭八王子権現、舞台は信州?。
- スサノオの人柄?
〈神社めぐり〉真清田神社の秘密、大軍神司る尾張こそ『熱田霊剣』に相応しい?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈レイラインの美学⑲〉瀬織津姫と武藤氏『石刀神社』、熱田霊剣の東西平定レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
信州出雲の地に...タケミナカタと八坂刀売命とは一体どこから来たのか? - セキホツ熊の謎を追え!
『日本総社』こと、津島神社。
◯『津島神社』(愛知県津島市神明町)
〜主祭神〜
- 建速須佐之男命
〜相殿〜
- 大穴牟遅命
〜境内摂社〜
- 彌五郎殿社(大穴牟遅命、武内宿禰命)
- 八柱社または八王子社(五男三女御子神)
- 荒御魂社または毒蛇社(建速須佐之男命荒御魂)
- 和御魂社または蘇民社(建速須佐之男命和御魂)
- 居森社(建速須佐之男命幸御魂)
- 柏樹社(建速須佐之男命奇御魂)
〜境内末社〜
- 稲田社(櫛名田比売命)
- 疹社(建速須佐之男命和御魂)
- 大日孁社(大日孁貴命)
- 内宮(天照大神)
- 外宮(豊宇気比売命)
- 忍穂耳社(正哉吾勝々速日天忍穂耳命)
- 戸隠社(手力雄命)
- 熱田社(日本建命)
- 稲荷社(宇迦之御魂神)
- 多賀社(伊邪那岐命)
- 塵社 (聖神)
- 熊野社(伊邪那美命)
- 久斯社(少名毘古那神)
- 庭津日社(庭津日神)
- 龍田社(支那津比古命)
- 多度社(羽山戸神)
- 船付社(庭高津日神)
- 大社(大山咋命)
- 児之社(若年神)
- 米之社(宇迦之御魂神)
- 大歳社(大年神)
- 愛宕社(迦具土神)
- 橋守社・橋姫社(猿田彦命)
- 秋津比咩社(速秋津比売命)
- 滝之社(弥豆麻岐神)
- 大屋津姫社(大屋津比売命)
- 若宮社(尹良親王)
- 大国玉社(宇都志国玉命)
- 菅原社(菅原道真公)
- 照魂社(国事殉難者)
※宇都志国玉命はオオクニヌシと解釈されている。
〜境外末社〜
- 八剣社(須佐之男命荒御魂)
- 堤下社(須佐之男命奇御魂)
- 三寶荒神社(天知流迦流美豆比売命、奥津比売神、奥津比古神)
- 市神社(大市比売命、大歳神、宇迦之御魂神)
- 大土社(大土御祖神・大物主命・石神社)
- 山祇社(大山津見命)
まず通説から説明すると。
全国3000社ある津島神社と天王社の総本社。牛頭天王を主祭神とし、『津島牛頭天王社』を称してきた。
wikipediaを要約すると、欽明天皇元年(540年)の創建。延喜式神名帳には記載なし。
社伝によれば、スサノオが朝鮮半島からやってきて、荒魂は出雲国に鎮まる。和魂は津島に鎮まって、29代欽明天皇時代に神社として創建されたという。
のち、52代嵯峨天皇より正一位を賜り、『日本総社』と称された。平安時代は天然痘が大流行しており、嵯峨天皇や秦助正らが牛頭天王や祇園八坂神社を厄病除けとして広めた。ただ牛頭天王は、蘇民将来説話を経由して、あくまで天竺(インド)からやってきた神として広まっている。
南北朝時代には、社家の堀田氏が南朝方についており、忠臣堀田弥五郎正泰が祖神として『弥五郎神社』を創建、大己貴命と武内宿彌を祀る。河内四條畷にて、楠木正行らとともに戦死。荒御魂社のすぐ近く『若宮社』、富士朝と縁が深い南朝・尹良親王(96代後醍醐天皇の孫)が祀られているのもこの為であろう。
戦国時代、津島は『信長の台所』と称され、津島神社の神紋は『木瓜紋』であり織田家紋と同じ。信長は津島神社ちかくの勝幡城で誕生しているが、氏族はもともと越前国織田荘(現・福井県丹生郡越前町)の出身となる。もともと『劔神社』(福井県丹生郡越前町織田)の神官子孫とされ、神社共通の御神であるスサノオとの関係が気になるところ。宮下文書における『越国』は、信州スサノオ勢力にとっても縁がある土地だ。
※信長自身は諸説あるものの、自称藤姓であった。『加藤文書』によると、熱田神宮で藤原信長と称していた旨証言されている。
明治の神仏分離の折、仏教要素が強い牛頭天王はスサノオとして改められ、神社名称も『津島神社』に改められた。
スサノオは朝鮮半島由来?
宮下文書によると、日本人の祖タカミムスビ夫妻とその子・クニトコタチ、さらにその弟・クニサツチ。彼らはアジアの『天竺』から来て、富士山を目指したとされている。宮下文書研究家の岩間氏や加茂氏は、中央アジア人とか…、ユダヤ人とかシュメール人とか…、諸説はあるのだが。宮下文書三輪本と岩間本にも違いが著しく出てくるので注意、岩間本には岩間氏による独自調査が多く含まれていると見ている。
宮下文書岩間本・『開闢神代暦代記』p49によると、スサノオ(多加王)は、新羅記王4男の末子。三輪本現代訳ではタカミムスビから派生した別系統で、アマテラスやオオクニヌシから見ると『はとこ』にあたる。故に宮下文書論拠で言えば、津島神社Wikipediaの牛頭天王が天竺から来たのは、そう間違いではない。ただ、この朝鮮ルート系統の詳細は謎が点が多く…、スサノオ勢力が朝鮮半島に定住していたとしても、彼自身は二代目にして離脱したことになる。クニトコタチ・クニサツチ勢力から出遅れたが、この勢力のそもそもの最終目的地も、日本の富士山だった可能性もあるかな…と。
~新羅記王家族~
- 長男・賢勇最
- 次男・兵金泰
- 三男・清光玄
- 四男・多加王(太加王)
※岩間本記載の新羅記王もタカミムスビ子孫かは不明、三輪本には記載がない人物。
スサノオ勢力の従族で、叔父でもある『金劍清』は、その名の通り大陸人特有の三文字名称を語っており、スサノオ父方または母方が、朝鮮や大陸系遺伝子をもつと考えるのは自然。古代朝鮮半島『任那』勢力が日本人に近い存在だったのも頷ける話である。日本と朝鮮半島は、古代から一筋縄では語れない、複雑な関係にあったようだ。
スサノオは蛇を退治して、酒の肴としてふるまっていたオジサン?。
アマテラスが魅力的な女性だったのか…?。
それとも、富士山に出遅れたスサノオは、富士朝先達たちに焦っていたのか…?。
宮下文書岩間本p46によると…。スサノオは藪から棒に、神皇アマテラスに強引な求婚を迫ってしまい、富士朝勢力の不信を買ったようだ。頭脳明晰な指導者アマテラスと、大宮司オオクニヌシの策略にみごと嵌って、タヂカラオに捕縛されてしまう。その上サルタヒコらに一族郎党1300人を惨殺され、残ったわずかの親戚縁者は罪人として、信州出雲(比定地・戸隠神社付近)に配流されることが決定した。
そこでスサノオは反省の意を込めて、富士朝神タヂカラオと共同して八剣・玉・鏡をつくり、アマテラスへ献上する。アマテラスはスサノオの改心を心から喜んで、スサノオに全国悪神の監視役を命じることになる。宮下文書三輪本現代訳『神皇紀』p56によると、当初、スサノオは大きな蛇『大蛇』を退治して、酒の肴にみんなに振る舞っていた。アマテラスらはこれを喜び『四方の州々を巡行し、諸々の荒振神より鳥獣蟲に至るまで、尚も善神に害を加えるものは、皆これを退治することを職とした』という…。因みに、津島境内『荒御魂社』の別名が、奇しくも『毒蛇社』というのだそうだ。
これが後世に脚色され、完全SFファンタジー化され、大怪獣ヤマタノオロチになったのであろう。
(´(ェ)`)
※因みに、スサノオと同伴していた金劒清の子・劒刀知(諱・金山毘古命)は技術者だったようだ。手先が器用で、宝剣八本の御剣・八太羽鏡・宝司の御霊を作製指揮した。これが後世に伝わる『三品の御神宝』のオリジナルにあたる。この功績によりアマテラスから三野国を賜り、これが現在の美濃一宮『南宮大社』を拠点とすることになった。そもそも剣や刀の語源は、悪魔を切り払う武器という意味で、彼の名前に由来する。
スサノオ家族と出自。
こうしてスサノオは、富士朝派遣のお目付役で、ビジネスパートナーでもあるタヂカラオの娘、稲田毘女命を娶る。タジカラオは現在の『戸隠神社奥宮』の御祭神であり、津島神社境内にも『戸隠社』がある。
〜稲田毘女の両親〜
- 手名都知命(手力男命) 左臣蘇我大伴系統の息子
- 足名都知命 右臣藤原物部系統の娘
※日本書紀表記は脚摩乳・手摩乳
※※通説のテナヅチとは、タヂカラオのこと。
記紀におけるタクハタチヂヒメとミホツヒメは、タカミムスビの娘。しかし、宮下文書ではスサノオと稲田毘女命の実娘にあたる。即ち、遺伝子的には、記紀と宮下文書の記述は近いのかも…。朝鮮由来のスサノオファミリーであるが...、後世の人々からは、日本人の母体であるタカミムスビ遺伝子を強調させてきたのは興味深いことだ。
さらにスサノオは、天孫外祖父となる大出世をすることになる。タクハタチヂヒメが入内して、神皇の祖となったわけだ。これは記紀とは真逆の内容、スサノオはマイナスイメージから出発して、着々とアマテラスの信頼を勝ち得てきたのだ。
紀元前660頃の神武東征は、この白木人(新羅)が皇別神と結託して、泥沼の戦争に発展した。スサノオ子孫の中夫・出雲大神主命は北越から進軍して、新羅勢力の本拠点・中国地方出雲を撃破する大活躍をする。これが神武天皇に評価され、戦後の論功行賞では中国地方へ国替えをされている。信州出雲において、彼らの警察+裁判所の監視活動の実績評価もあったのだろう。同時に穿った見方をすれば、彼らが新羅出身という理由だけで同族同胞のように思われ、この地域の監視強化に利用されたという見方も出来るかもしれない...。皮肉なことに、中国地方は彼らにとって無縁の地であり、これが出雲スサノオ信仰が歴史的に翻弄され始めたスタートにもなる。
誓約(うけひ)の子と牛頭八王子権現、舞台は信州?。
前述のように、津島神社は『牛頭天王』『八王子権現』の総本社。一般的に、牛頭天王というのはスサノオの仏名であり、神仏習合要素が強いとされる。
諸説あるが、記紀系図ではアマテラスとの『誓約』という特殊な婚姻関係を持っている。例えば津島神社『八柱社』のように、神道におけるスサノオ誓約の八王子をあてる場合もあるが、『八坂神社』(京都市東山区祇園町)など神社によって多少ラインナップが異なるので注意。
〜記紀版八王子〜
- アメノオシホミミ
- アメノホヒ
- アマツヒコネ
- イクツヒコネ
- クマノクスヒ
- タキリビメ(田心姫神)
- イチキシマヒメ(中津島姫命)
- タキツヒメ(湍津姫神)
〜宮下文書版八王子〜
- ニニギ
- タマノオヤ
- 太八重美命(フトダマ妃)
- 天母岬毘女(アメノコヤネ妃)
※あと四柱は不明、ただ宮下文書三輪本では、皇子五人皇女三人と明記されている。
宮下文書でこの誓約について調べてみると、明白な回答が出てくる。そもそもスサノオはアマテラスと結婚しておらず…。アマテラスの養子アメノオシホミミと、スサノオの娘タクハタチヂヒメが婚姻関係にあった。有名な八王子を生んでいる神皇が、一世代ズレているわけだ。
宮下文書版八王子にはニニギとタマノオヤが登場する。その嫡男ニニギ(武雄毘古命)は不良少年?だったらしく、手を焼いたアマテラスが、外祖父であるスサノオに教育係を託した。その教育の場所・内容は不明だが、スサノオの実家・信州で合宿していたと考えるのが自然であろう。
神奈川県徐福研究会・宮下文書三輪本現代訳神皇紀p62
『武雄毘古命が祖佐男命の教育をうけるようになって一◯一千日(30年または5年半)経って、高天原小室沢の熱田都山の日向の宮に還ってきた(開闢記、皇系記)』
ニニギは立派に成人し『徳を修め、その知勇他を極めた』(三輪本現代訳p62)、富士朝にて皇位を継承している。スサノオはニニギが帰還した同時期、奇しくも『その時』死んだと記載されており、享年(433歳、または63歳)。個人的には、これが日本全国の牛頭八王子権現の根源とみている。
※前記事でも述べたが、宮下文書の年月計算法は諸説あるので注意。
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
◯戸隠五社『火之御子社』(長野県長野市戸隠)
〜御祭神〜
- 天鈿女命
- 高皇産霊命
- 栲幡千々姫命
- 天忍穂耳命
※神仏習合色が強い戸隠五社で、創建から神社を貫いた。
◯関八州総鎮護『伊豆山神社』(静岡県熱海市伊豆山)
〜御祭神〜
- 火牟須比命
- 天忍穂耳尊
- 拷幡千千姫尊
- 瓊瓊杵尊
※八王子ニニギの弟・タマノオヤの本貫地、その妃イワナガヒメの墓所(岩戸山こと日金山)。ごく最近、火牟須比命がまた復活したようだ。伊東市の松原八幡神社由緒書によると、伊豆周辺のホムスビ+火雷信仰は、相模国大山阿夫利神社の勧請の可能性あり。つまり、イワナガヒメの父神オオヤマツミなのかもしれない。
これを踏まえた上で、戸隠『火之御子社』の御祭神ラインナップを見ると、信州がいかにスサノオ色濃厚なのかがおわかりだろう。長野周辺神社はこんな感じで、一見スサノオとは無縁に見えても、宮下文書のとおり穿り返すと、スサノオ要素でいっぱいなのだ(苦笑)。戸隠五社『火之御子社』はスサノオ曽祖父のタカミムスビと、娘タクハタチヂヒメの婿がアメノオシホミミとなる。正真正銘、宮下文書版スサノオの系譜である。
後述するが、奇しくも宮下文書版八王子タマノオヤ・イワナガヒメの本貫地とみられる『伊豆山神社』の現在の御祭神でもある。
津島神社境内においては、タクハタチヂヒメ(雲津毘女命)のお姿が見られなかったのだが…、娘婿アメノオシホミミを祀る『忍穂耳社』と『八王子(八柱)社』が存在する。伊豆山神社ではいつもお世話になっており…、なにか私に訴えかける目線を感じてしまう。
。。。?(´(ェ)`)
個人的な妄想だが、このアメノオシホミミ・タクハタチヂヒメ夫婦は、現・神道体系に封じられているスサノオやタマノオヤ本貫地の代理人的な役割もあるのだろうか…。
スサノオの人柄?
オッサン小話で恐縮だが…(苦笑)。
2022年津島神社、午前11時11分頃、別にパパラッチや鉄道カメラマン的に神社に張り込んで、シャッターチャンスを待ち構えているわけではありません(苦笑)。広い境内回っていて…、『荒御魂社』(建速須佐之男命荒御魂)を探し当てて、参拝出来たのがこの時間だった。ま、この日は午前中に津島地区と、午後に熱田地区の神社巡りという、早朝から超過密スケジュールでヘトヘトだった。
この荒御魂社は、東側から本殿横顔を見つめ、その荒御魂社をさらに北側から見つめているお社がある。なんとも不思議な相関図的な配置。その時、なぜだかふわっと、伊豆山のタクハタチヂヒメのことが頭によぎった。
ん?…なんでだろうな?と…。そのお社を覗いてみると『稲田社』であった。最近、実に涙もろくなったのは、歳のせいだろうか?(苦笑)。この素人オッサンの涙のワケをわかってくれる人は、この国でもごく少数だろうな…と。逆に記事にして伝えなくてはならないと思った。
(´(ェ)`)
タクハタチヂヒメとミホツヒメは、スサノオと稲田毘女の実娘であるが、富士朝欠史と記紀による系譜大改竄の余波により、意図して隠されてきた節がある。親子散り散りに引き離されてきた、悲しい歴史をもつ。それを先程の、両親をなくし孤児であった過去を持つ、忍穂耳社のアメノオシホミミが、温かく見守っていたような気がした…。これがこの国の皇祖たちの相関関係なんだなと…。
荒御魂社と稲田社に、富士山の歴史を伝えられるように、がんばりますとご挨拶した。久しぶりに熱海伊豆山にも帰りたくなった。
(´(ェ)`)
記紀やホツマツタヱを読んで、スサノオが嫌いになった人は多いのではないだろうか?。斯くいう熊オッサンも、日本神話での母イザナミの悲痛な嘆きと死に、警戒心しか持てなかった(苦笑)。しかし歴史が歪曲されているメカニズムに気づき、神々がスケープゴートにされ、意図的に貶められ封印されている可能性を知って、その認識が180度かわった。
個人的妄想だが、彼ほどわかりやすい祭祀テーマを持った神はいないのではないか?と…。ネガティブをポジティブに変換し導く力、かつては嫌悪感をもっていたアマテラスも笑顔になり、頼られる存在となる。この逆境の時代にこそ必要な神様ではないか?と。
宮下文書には、スサノオおじさんの人柄が滲み出る逸話がまだ残っているんだなと。。。。
(´(ェ)`)
次回は津島神社の創建理由。