2022,8,14
素桜神社由緒書によると、スサノオが立ち寄ったこの地に桜を植えたという。これが現在では『神代桜』とよばれる巨木となり、周辺地域の人々から愛されている。
◯『素桜神社』(長野県長野市泉平)
〜御祭神~
- 八坂刀売命
※スサノオがこの地で休憩していたときのこと。手に持っていた木枝を地面に刺した、これが現代に残る神代桜の由来といわれる。明治時代には謡曲『素桜』が誕生した。
『前略…長野の住人が桜見物に来ると一人の里女が「この桜は昔、神が植えたもので神代桜と呼ばれ、たぐい少ない木なので素桜とも言う。御祭神は八坂刀売命」と教える。男が桜の下でまどろんでいると、里女は花の精となって現れ、桜を賛美して舞い、明け方、春霞とともに消えて行く』(神社入口、謡曲史跡保存会由緒書より)。
~目次~
八坂刀売命、スサノオ子孫とタケミナカタ子孫の融合説
通説の八坂刀売命とは記紀には記載がなく、スサノオと直接的関係はない。諸説あるが出自は不詳、タケミナカタの母神ヌナカワヒメ同様に、安曇野に進出してきたワダツミ系ともいわれる。諏訪神タケミナカタ妃であり諏訪大社の御祭神で、のちに伊豆早雄命(出速雄命)を生んだ。
しかし『八坂』といえば、やはり『八』という数字に執着した宮下文書版スサノオを彷彿とさせる。それは至極自然なことであり、個人的にはスサノオ妃・稲田毘女(諡・八佐加毘女命)ではないか?と感じてきたことだ。そして今回神社めぐりをして感じたのが、善光寺七社の殆どに、このタケミナカタと八坂刀売命のどちらかが御祭神として絡んでいる。しかし何故…こんなにもスサノオ勢力に、タケミナカタ勢力が絡んでくるのだろうか?と不思議に思っていた。
~諏訪神タケミナカタ家族~
▲タケミナカタ…父親
▲八坂刀売命…母親
◆出速雄命…スサノオ???
※宮下文書におけるスサノオとタケミナカタは全く別系統神。タケミナカタは祖家子孫(蘇我系統)なので注意。
そして…伊豆毛神社由緒書から何となく見えてきた。伊豆毛神社由緒書によると、この出速雄命とはスサノオの別名なのだそうだで、これは現在の皆神山熊野神社の御祭神で繋がる。だけど…これはどういうことなのか???。つまり八坂刀売命とはスサノオの母親ということなのか?。はたまたタケミナカタがスサノオの父親なのか?(苦笑)。
◯伊豆毛神社(長野県長野市豊野町)
〜御祭神~
- 素盞嗚命(出速雄命)
- 大国主命(大己貴命)
◯皆神神社こと熊野出速雄神社(長野県長野市松代町)
〜御祭神〜
- 出速雄命(いずはやおのみこと)
- 伊邪那岐尊
- 伊邪那美尊
- 速玉男命
- 予母都事解之男命
※出速雄命は宮下文書には登場せず、ただスサノオ・タケミナカタ共通子孫とも考える。どこかで、両勢力の婚姻関係があったのか(妄想)
地久間(千曲川)を制していたのはタケミナカタ勢力だった。
こう考えてはどうだろうか?。
このタケミナカタ+八坂刀売命の婚姻関係は、信州におけるスサノオ勢力とタケミナカタ勢力の変遷なのだ。言い換えれば、諏訪勢力と、宮下文書版信州出雲の交わり、統合関係を象徴しての祭祀ではないかと。ある意味前記事に書いた、大和国におけるオオクニヌシと田心姫命、ミワ勢力とカモ勢力の関係に似ているのかもしれない。
神代〜ウガヤ朝時代、もともとこの地域は、信州出雲スサノオ勢力の影響力が強かった。
〜初代ウガヤ朝論功行賞〜
- 同じく建御玉命と命の御子、建勇王命に父祖権建御名方命の後をついで同地区(本州北部と中部地区)の守護司頭長の職。
〜神奈川県徐福研究会宮下文書現代訳『神皇紀』76ページ〜
〜神武東征論功行賞〜
- 中夫・諏訪建勇命を日高、志奈野(科野)、住和(諏訪)国造とした。
- 建御名方命五十三世の孫である。
- 中夫・出雲大神主命を出雲、尾木(隠岐)の国造とした。祖佐男命五十五世の孫である。
- 諏訪彦命を小国住和の国造とした。建御名方命五十五の孫である。
- 水宇知男命を小国志奈野国造とした。建御名方命の御子建御玉命五十四世の孫である。
- 伊奈武男を小国地久間(千曲川流域のことか?)の国造とした。建御玉命の御子建勇王命五十三世の孫である。
〜神奈川県徐福研究会宮下文書現代訳『神皇紀』130ページ〜
神武東征の論功行賞後、信州は諏訪タケミナカタ勢力が勢いを増し、スサノオ勢力の地久間(千曲川?)地域を淘汰してゆく。信州出雲は、前もってウガヤ朝時代に里宮・尾羽張津島『日本総社』へと移管したようにも見えるのだ。前記事どおり、スサノオ宗家のグループは、神武東征で北越から参陣しており、オオクニヌシ子孫と大物主子孫らと共に中国地方白木人本陣を撃破した。その論功行賞において中国地方出雲を賜り、大きな『国替え』しているようにも見えるのだ。
〈まとめ〉宮下文書における天津神と国津神の正体、『国譲り』とは一体何か?。 - セキホツ熊の謎を追え!
では、取り残された信州出雲(推定戸隠?)の祖霊祭祀はどうなったかといえば、当然タケミナカタ勢力へと移管されたであろう。
前記事でも紹介したが、タケミナカタの兄弟神?に御穂須須美命(みほすすみ)がいる。安曇野ㇴナカワヒメの御子であり、タケミナカタともミホツヒメとも同神とも言われ、地域によっては意図的に曖昧にされている節がある。宮下文書版ミホツヒメはスサノオの娘とされており、個人的にはやはりミホツヒメのことを指しているのではないかと見ている。
結局、これら信州における独特な神系は、これら複雑な歴史背景を示唆しているのだろう。加えて、宇度志日金拆命(信濃三宮穂高神社・穂高見命と同神といわれる)を祀る氷鉋斗賣神社(長野市稲里町)もあり、安曇野アズミ族の気配もチラつくのだ。宮下文書では、安曇野におけるアズミ族の動向が記載されておらず、イマイチ把握できないのだが……。信州という広大な土地を、このスサノオ・タケミナカタ勢力が開拓してきたのはほぼ間違いない。
信州におけるスサノオの痕跡は、全く語られていないようにも見える。
しかし視点を変えるだけで、あちらこちらで噴出しているようにも見える(苦笑)。
いくら西国天皇勢力から睨まれようが、神道の真髄が地元の祖霊信仰という特性故に、それを残さなければいけないという地元の人々の気概もあるのだろう。
ダイダラボッチ疑惑(注意)
まあちょっと、ゆるり小話を…実話です。
(´(ェ)`)
前記事でも紹介したが、戸隠神社からのバスがあまりに窮屈だったため、途中下車したわけだが。たまたま、降りたのが『飯綱高原』というバス停で、大座法師池の目の前であった。そこからバードライン側道を南下して飯綱東地区に入り、『素桜神社』と『皇足穂命神社』までフラフラ散策することにした。おそらくはバードラインの旧道なのであろう、車も通行人も本当にゼロ、林道のような趣であった。途中曲がりカーブでどう見ても、真っ黒に日焼けした路上にオッサンがぶっ倒れて横たわっているので、ココは酔っ払いの街・新宿歌舞伎町かと焦ったのだが。。。どうやら雑草駆除か、道路工事の地元作業員三人が休憩してるようで、事件性はなかった(苦笑)。
作業員『よくこの道がわかったな?』
熊『スマホで調べました』
作業員『なんだ。。。』
熊『ははは。。。』
作業員『どこまで行くの?』
熊『飯綱神社里宮(皇足穂命神社)まで』
作業員『???』
作業員『大座法師池から、歩いてきたの?』
熊『あ...。名前は知りませんけど、さっきでっかい池がありましたね』
作業員『大座法師池は昔、巨人ダイダラボッチが掘ったんだよ』
熊『ええ、本当ですか』
作業員『ああ、それを掘った土投げて出来たのが皆神山だよ』
熊『。。。』
このときすべてが繋がった。
なるほど、皆神山と戸隠には宗教的接点があるのか!!?
作業員『皆神山・戸隠はすごいぞ』
作業員『岩戸伝説があるぞ』
作業員『世界最古のピラミッドで、ufo出るからな』
熊『ええ、本当ですか』
作業員『ああ、よくみえるらしいよ、あそこはufo交信場だから』
作業員『皆神山に出速雄神社ってあるだろう?』
作業員『あれは、ufo呼べば速く来るという意味だから』
熊『。。。』
なんかソースが…雑誌『ムー』とか読んでいそうなオカルトネタだったわけだが、対抗して宮下文書ネタを話したら喜んでもらえたのかもしれない。それにしても何故か、だんだん信憑性が下がってきたのはなぜだろう(苦笑)。別に私は昼間から呑んでませんからね...、ただ気さくなオジサンたちとの会話は面白かった。
帰りの北陸新幹線に乗りながら、皆神山と戸隠とダイダラボッチとの関係を、ネットでググって調べてみた。確かに、戸隠山にはダイダラボッチが住んでいて、大座法師池を創成したという伝承があるようだが。残念ながら、それが皆神山という確証には至らなかった(苦笑)。
信憑性も、事件性もないよ(´(ェ)`)