『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その② 八幡神の正体ついに判明か? - セキホツ熊の謎を追え!
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2019,2,28
八幡(やわた)とはなんだ?
…そう質問されて15代応神天皇と答えれば…間違いはない。
しかし、ここでは他の可能性について考えてみたい。あくまで可能性である(笑)。
八幡神の始まりは29代欽明天皇の代、豊後国宇佐神宮に顕示したという。
しかし私は富士王朝由来の気がしてならないのだ。
・宮下文書によると富士朝の統治者クニサツチには、イザナギを含む皇子5神皇女3神がいた。
・また、『宇佐の宮』が登場するのは初代ウガヤ王の代。エビス(オオワダツミ)の曾孫・豊玉男命に『八子』がいた。この長男の宇佐豊武命が『八旗(やわた)』を祀り八幡大神宮と称した。神武東征後に住吉三神を祀り『祖古津八ツ幡』と称される。
・ホツマツタヱによるとアマテル誕生の記念に『八豊幡(ヤトヨ)』を立てたという。その孫ニニギもニハリの宮(筑波)で飾り付けに利用している。
・鎌倉中期の『承久記』によると、八幡神はアマテラスに次ぐ皇室の守護神であり皇祖神という位置付けらしい。
これら古文書は応神天皇=八幡神と定義するとは書いてない。そして記紀には八幡神は登場しない。
以上を踏まえて、私の妄想をお話しする(笑)。
八幡=八王子権現である。
牛頭天王と八王子権現。
一般的に『八王子権現』というのはアマテラスかスサノオに関係する『八人の王子』のことだが、これも文献や伝承ごとに違い研究者たちを惑わせている。ただし共通しているのはアマテラスとスサノオの『縁』であり、記紀では『誓約』と呼んでいる。考えてみればどの文献でも、アマテラスとスサノオは不仲を乗り越えた調停であったということは不思議にも共通しているのだ。
三輪氏翻訳本アマテラスとスサノオは再従兄に当たり、六等親となる。一方、宮下文書岩間翻訳本によると、朝鮮半島から日本侵略をしようとしていたスサノオはアマテラスに求婚を迫る。アマテラスはそれに嫌悪感を抱き岩戸に隠れたというのだ。その後、スサノオはタジカラオやオオクニヌシにより捕縛され、アマテラスに忠誠を誓うのだ。但し、この記述は岩間本のみの記載であり、三輪氏翻訳本にはない記述なので注意。
しかし八幡の『幡』とは、あくまで機織りの語意で、私は八幡と八王子権現の関係性を追っている。というのも『幡』という字が気になって仕方ないからだ。
宮下文書において『幡』の字が最も相応しい神は𣑥幡毘女(萬機秋津毘女)、タクハタチヂヒメは織機の製造方法を四方州国に伝授した功績があり。アメノオシホミミとの間に八王子(皇子5人・皇女3人)を残している。
宮下文書の大きな特徴は彼女がスサノオの娘であることだろう。つまりスサノオの血が入った孫らがニニギ、タマノオヤ、太八重美命、天母岬毘女(4子以外不明)となり、いずれも彼らの子孫は歴史上重要人物となる。
そして『八幡』に似た意味不明の言葉『八雲』、タクハタチヂヒメの幼名が『雲津毘女』というのだ…。
鈴鹿御前の正体?。タクハタチヂヒメ。
少し話が逸れるが、のちのち重要なことになるので…。
征夷大将軍・坂上田村麿の英雄譚に由来する『鈴鹿御前』の正体は瀬織津姫との説がある。しかし、残念ながら瀬織津姫=ホツマツタヱが作り出した架空神であると私は判断している。そしてホツマツタヱでは鈴鹿峠に埋葬されたのはタクハタチヂヒメとする(ススカの神)。なぜホツマツタヱ記述をホツマツタヱ架空神で隠蔽しているのか?。疑問であった。
しかしこうして見ると、征夷大将軍に崇敬されている八幡信仰と鈴鹿信仰の重なる点がある気がしてならない。もしかしたら瀬織津姫にタクハタチヂヒメの要素が内包されているのかもしれない。
元祖エイトマン・スサノオ
話を戻して。
宮下文書には『8』の意味合いまでは書いていない。ホツマツタヱでは『10』達成できる人間の限界が『8』。転じて10(ヒト)=宇宙という。
スサノオは別名『八佐加毘古命(ヤサカヒコ)』、妃・稲田毘女は『八佐加毘女』、スサノオの制作した『八本の御剣(室雲の剣)』や『八太羽鏡(ヤタハノカガミ)』も八に因んでいる。スサノオは『8』が大好きなのだ。もしかしたら自分の娘に八子を産むようにリクエストしたのかもしれない(笑)。ただもともとクニサツチにも八王子おり、この『8』という数字の特異な信仰がすでに根底にあったとみるべきだ。
宮下文書の独自の記述がある。アメノオシホミミとタクハタチヂヒメ八王子の一柱ニニギが実はかなりの不良少年だったというのだ。この辺、好青年であるホツマツタエとは真逆の性格である。そこで祖父スサノオに出雲(阿祖北)に連れていってもらい、ニニギを教育させたという。これは他の八王子弟妹も波及された可能性もあり、これが『八王子権現』と『スサノオ(牛頭天王)』の由来になったのではないかとみる。
東京都八王子市ホームページにの街の由来が説明されている。牛頭天王が八王子を連れており、地名の由来は八王子城周辺の『梶原八幡宮』による。社伝によると、鎌倉時代『鶴岡八幡宮』正還座の際に『古神体』を梶原平三影が譲り受けたのが始まり、比売大神もしっかり祀られている。16世紀半ばには北条氏が『八王子筋』と呼んでいた。因みに八王子市は『機織り』の街である。市内には八王子城址『八王子神社』や小野氏由来『八幡八雲神社』がある。やはり八王子と八幡と八雲には接点がある。
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八王子とは、かつてはアマテラスと対立していたスサノオが、アマテラスの子孫を指導者に育て上げた。そこに意味を持たせているのではないか?
そして気になるのは、どの古文書でもこの構成要因・男女5:3を堅持している。考えてみればクニサツチも八王子おり、雛人形の三人官女と五人囃子である。この構成要員は何か重要な意味が隠されているのだろうか?。
※因みに何度も書くが、宮下文書では出雲=阿祖北の山陰『出雲谷』、信州方面ではないかと思っている。個人的には長野県長野市富田の『皇足穂神社』や同市内豊野の『伊豆毛(いずも)神社』が怪しいと思っている。近くには戸隠山、飯縄山、皆神山がある。
※因みに宮下文書におけるアメノオシホミミは、アマテラスの未婚養子。
※因みに宮下文書表記ではタマオヤあるいはアメノタマオヤ、一般的にはタマノオヤ(玉祖命)として知られる。クマノクスヒコは一般的にクマノクスビ。本ブログでは便宜上タマノオヤとクマノクスビで統一させていただく。
②に続く。
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