セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

ホツマ出雲史徹底解剖!、根国→サホコ国をすり替え、天皇はスサノオの罪を嘘で封じ込めようとした?。

長野県長野市鬼無里日影『白髭神社』
坂上田村麿伝承が多い信州鬼無里でサルタヒコを祀る


2023,7,3

シリーズ2回目。こんな記事を書いていたらまたpv減らされそうですが。。。伊勢・出雲利権はほんと大きいですからね。宮下文書における根元の大神サルタヒコ子孫は、出雲族ではないか?。彼らはホントは何処から来たのか?、今回は前記事を深掘りしてゆく。

なんか…武蔵国がなかなか出てこないので、表題変えさせていただきました…(苦笑)。

m(_ _)m

 


~目次~

 

〈風神と武蔵①〉シナトベ=宮下文書版サルタヒコ説、出雲族『根の国』の根源か?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 




 

各文献『根の国』とは?

 

前記事では、『根の国』を知らない方もおられたようで、説明不足でした…。

通説、出雲国に非常に近いワードとされており、スサノオの神話との関係が指摘されている。これは宮下文書版『オリジナル出雲』を見つけるための大きなヒントになりそうだ。とりあえず、下地図の根の国とサホコ・チタル国の位置を、是非とも憶えておいてください。

(´(ェ)`)

 

 

▲通説では…。

古事記表記、根之堅洲國

日本書紀表記、根国・底根國

祝詞表記、根の国・底の国・底根の国

 

ニュアンス的には神話上の国とされる。主に地底の国との認識が強く、出雲国や黄泉平坂を入り口ともいわれる。その地底との境を黄泉比良坂という。そしてスサノオが根の国の主とされ、御子オオクニヌシが葦原中国の主とされる。故にスサノオ出雲神や、イザナギ・イザナミの黄泉の熊野神話に深く関係するのではないか?と思われている(後述)。

また延喜式祝詞『大祓詞』によると海底の国、速佐須良比売は『根国底之国に坐す』とされる。



▲ホツマツタヱ

根州、越根(こしね)ともいい若狭湾〜北陸〜北越の日本海側の事、通説よりもかなり具体的になってくる。

神代アワナギが北の津を中心に平定・開拓、その子クラキネ(イザナギの弟)が根の国・サホコチタル国に跨る日本海側広範囲を統治した。クラキネの娘の九頭竜モチコと、速佐須良姫ハヤコの根の姉妹を男神アマテルに嫁がせた。

ところがこの姉妹が弟スサノオとの不倫関係となり、豊の国『宇佐の宮』へ追放・幽閉されることになる。そう考えるとホツマでのこの浮気騒動の描写は、九頭竜の子・アメノホヒの遺伝子に、スサノオや信州出雲をチラつかせたい意図があったのかな?と思われる。一方で、高天原を追い出されたスサノオは、中国地方ヒカワ(氷川)に渡り、アシナツチ・テナツチの娘イナダヒメを娶った。スサノオと彼女との子供たちが、ホツマツタヱ版八王子となる。

その後、根の国の臣シラヒト・コクミ事件があり、根の国〜サホコ・チタル国に跨がる汚職事件に拡大。サホコ国では、速佐須良姫ハヤコがヤマタノオロチと変化して大暴れしていたという。これら一連の騒動・禍事をハタレ根とも呼ぶ。

これをたまたま通りがかったスサノオが平定、ヤマタノオロチがハヤコの変化した姿とは知らずに退治してしまう。『やくもたつ  いつもやえがき…』の唄を詠み、中国地方サホコ国を『出雲』と改名した。



〜根の国+サホコチタル、根の姉妹〜

▲根の国…………………九頭竜神(???)

▽サホコチタル国………八岐大蛇(イワナガヒメに転生)




  

▲宮下文書

宮下文書に、『根の国』は登場しない。

九頭竜神やアメノホヒは登場しない。

宮下文書版サルタヒコ・アメノウズメ夫妻を『根元の大神』という。

 

彼らの拠点・出雲国は、富士山の北『阿祖北』に位置しており、北越は出雲崎あたりから信濃川千曲川方面へ、信州出雲への玄関口であったと思われる。その信仰的中核はタジカラオやサルタヒコ妃アメノウズメらを祀る『戸隠五社』と思われる。宮下文書版スサノオ妃イナダヒメは、スサノオの世直し活動をサポートしていたタジカラオの娘にあたる。タジカラオ夫妻の諱をアシナツチ・テナツチという。

つまり世間が彼らを、ホツマ版アメノホヒを天津神系出雲族とする背景には、宮下文書版サルタヒコ子孫の存在が、あまりに富士朝高天原色が強すぎるからだと…。その名残として、根の国の信州出雲戸隠山に、ホツマ版アメノホヒの実母であり、根の姉妹であった『九頭竜神』が封じ込められたのだと思われる。

 











全国拡散されたサルタヒコ子孫は『出雲の人』。

前記事をおさらいすると…。

三輪本現代訳版サルタヒコ子孫の記述は3箇所(p161 ・p189・ p292)。p292寒川日記(作田彦命歴代後記)解説項によると。宮下文書版サルタヒコの末裔は代々、富士朝阿祖山太神宮神官・供物司長や農務首頭を継承していた。

 

垂仁天皇時代の67代?桜田彦命に三男いた。

 

▲長男で太神宮供物司長・舟田彦命は、当時計画されていた朝廷のアマテラス遷座の大プロジェクト、伊勢皇太神宮の供物司長に抜擢された。伊勢の都波岐宮を賜り、太神宮の古例に則り、供物の焚を捧げる職務にあった。後世に、倭田氏または山田氏を称して松木氏と改めた。通説の松木氏は、天牟羅雲命の子孫・度会氏の派生とされているので注意。



▲舟田彦命弟の野見彦命は、吉備津彦命の副将として出雲国平定(北越諸国平定)に従軍し、戦後は地元の北越の供物を任された。通説と宮下文書との共通点でもあるが、角力(相撲)で当麻蹴速に勝利し、野見宿彌を賜る。11代垂仁天皇に気に入られ大和国へ大躍進する運びとなる…。通説におけるアメノホヒ14世孫にあたる人物だ。

野見宿彌の御子・出雲彦命が垂仁天皇・菅原伏見陵に関与して、菅原宿彌を賜り菅原氏祖となった。因みに菅原というのは、富士朝高天原の寒川大神(クニサツチ夫妻)を祀っていた地名でもある…。



▲舟田彦命弟の田村彦命は、兄が伊勢へ転任・進出したことを受けて、阿祖山太神宮の供物司長へ任命され、以降の家系が代々富士朝供物司長を継承することになる。これが坂上田村麿・田村氏・伊達氏の祖となる。

ただp189によると、p161では『この命…』という主語が曖昧なために、弟の野見宿彌子の菅原宿彌の子孫が、伊勢松木家とも取れそうな記述になっているので注意。おそらくは原文に影響されているのたろう。因みに上系図はp292を参考にしている…。

 

wikipediaでも指摘されているように、通説でも出雲族は、『族』と呼べるような実態を持っていなかったともいわれる。その通説経緯(九州→出雲→播磨→大和)からみても、適切な呼び方ではないようだ。それを裏付けるかのように、宮下文書では単に『出雲の国に居る』『出雲の人』と抽象的な表記となる。この出雲は北越〜信州、すなわちホツマ版『根の国』を指していると思われる。さらに彼は北越からやって来たわけで、ここまでの出自に九州や中国地方出雲は一切関係ない。

※ただし、神代のサルタヒコ(作田毘古命または農佐毘古命)は、四方州々の『道祖神』であり、総農作の頭を任されていた為、当然その影響は全国的に残っていると思われる。

 

こうして、朝廷の大きな後ろ盾を得た仮称『出雲族』は、州々の重要な富士朝祭祀拠点を任され、大和国を起点として、諸国へ拡散していったと思われる。

ま...大和国から始まったと云っても問題ないかも(苦笑)。

彼らが影響を与えた神社を挙げれば…。伊勢神宮、中国地方出雲国一宮・熊野大社や杵築大社(現在の出雲大社)。また丹波一宮出雲大神宮は詳細不明ながら、出雲族祖と言われるタケヒラトリが配祀しているのは興味深い(別記事にて後述)。

神代〜江戸末期までの出雲国は、アメノホヒ子孫出雲国造家の関与が多かったといわれるが、出雲国意宇六社(熊野大社・六所神社・真名井神社・揖夜神社・八重垣神社・神魂神社)などはその影響が今も残る。しかしながら宮下文書の観点からいえば、彼らが出雲へやってきたのは少なくとも1〜2世紀以降となる。

そうなると…、11代垂仁時代の伊勢神宮創建以降か、12代景行時代のヤマトタケル東征以降か…。13代成務時代のエタモヒ武蔵国造就任の同時期の可能性もあるだろう。

日本人の史観が、かなり変わってきそうだ(´(ェ)`)。













東国を隠蔽するために、西国に利用されつづけたジレンマ。坂上田村麿と菅原道真。

 

ホツマツタヱ28文によると、アマテルからサルタヒコへの遺言があり。カカンノンデンに従い、神々と対話せよ。そして、国家のあるべき姿を指し示せ…と。神道におけるサルタヒコ子孫部族の、重要な立ち位置が垣間見れる…。

宮下文書版サルタヒコ子孫は富士朝祭祀のエキスパート。逆説的に考えれば、富士朝神の祟りを恐れて、鎮魂祭祀が必要な全国斎祀場で重宝された。日ユ同祖論など陰謀論的なターゲットにされるのは、このような闇の側面がチラつくからであろう。ただ歴代天皇側からすれば望んでいた事は単純で、祟り神を鎮めてもらえればいいのだ...。それ以上は望んでいない。それゆえ富士山の真相を明かすことは絶対に許されず、富士朝伝承の消失に拍車をかけた。いつしかこのジレンマが、彼らにとっては重荷に変わったのである。

 

西国天皇勢力にも、これまでにも富士朝回帰・擁護の波は数回あった。具体的には15代応神天皇・50代桓武天皇・56代清和天皇...。彼らは東西の畏敬の念を集めて崩御するも、政権直後に共通することは、前政権残党潰しの反作用が激しすぎる点なのだ。主に藤原ではない氏族が、この潮流・政治ゲームに翻弄されてきたような気がする。サルタヒコ子孫たちも例外ではない。。。

サルタヒコ子孫坂上田村麿は、807年(大同2年)前後に延暦噴火鎮魂祭を任され東奔西走するが、なぜか最後は素性を渡来系東漢氏として牽強附会されて死んだ。806年(大同元年)50代桓武天皇が謎の死を遂げると、跡継ぎである51代平城天皇は父の遺言に反して平城京に帰ろうとした。逃げた理由の一つが延暦噴火が終息しないことだろう。ましてや、山城国は富士山の見立て比叡山の麓であり、富士朝神カモサワヒメ(別雷命)のお膝元でもあった。東国には、田村麿が鎮火祭をした神社が沢山残っているのに、富士山噴火鎮魂のための全国行脚の歴史は何故か抹消されているのだ。

同じサルタヒコ子孫菅原道真も、この富士朝祭祀と西国天皇勢力の政治ゲームに巻き込まれ、せめぎ合いのなか、太宰府で薨去(憤死)したような気がする。そもそも、ここまでの一族が、西国天皇勢力に翻弄されつづけてきた悲運を嘆いたのではないか?と…。

富士朝客人勢力秦氏も同様な境遇にあり、サルタヒコ子孫が政治と信仰の間にたち、過酷な運命を背負わされてきたことが容易に想像できてしまう。誰よりも富士朝に精通し、信仰していた彼らこそが、人々の目から富士朝信仰を遠ざけ、隠匿させられてきたわけだ。その後ろめたさから、西国の人々は『火雷天神』や『天満大自在天神』のイメージを、菅原道真に投影させたのではないかと…。菅原道真の死後は、彼らの子孫の一部が東国に回帰して、『谷保天満宮』や『大生郷天満宮』を創建している点も興味深い。









本来の中国地方『出雲』とは?。

では、もともと中国地方出雲とはどんな場所だったのか?、宮下文書から掘り起こしてみよう…。

まず土地柄、大陸勢力との交流があったと思われる。ウガヤフキアエズ朝時代までの中国地方出雲は、アズミ族らを中心として、宇佐の宮を拠点としていたワダツミや、アズミ族祖と思われるタマノオヤ・イワナガヒメ夫妻を祭祀していた土地ではないかとみている。

神代からの地主神を推測すれば、宮下文書版タマノオヤ=阿祖山太神宮2代目大宮司=熊野神であり、これが出雲一宮熊野大社と符合する。ホツマツタヱ版イワナガヒメは、先述の『根の姉妹』の一柱、根の姉妹の妹・速佐須良姫命は、スサノオに退治されたヤマタノオロチの転生といわれる。この出雲熊野大社や杵築大社などは、後世から後付け的に出雲族が関与してきたと思われる。

 

ウガヤ朝51代の時代には、朝鮮半島から多くの白木人(新羅人?)が中国地方に漂着してきたようで、彼らの大きなコミュニティを形成していた。彼らは九州ウガヤ皇族につながる真佐勝彦命を奉じて、ウガヤフキアエズ52世孫皇子である海津彦五瀬王命を襲撃してきた。当然、皇弟の日高佐野王命(神武天皇)は東征せざる得なくなった。神武軍に呼応して、信州出雲から馳せ参じた別動隊、スサノオ55世孫出雲大神主命が白木人を撃破し、大活躍をみせた。

中国地方が『出雲』を名乗り始めたきっかけは、神武東征の論功行賞後ではないかとみている。上記スサノオ55世孫出雲大神主命が、戦後信州出雲から出雲・尾木(隠岐)の国造となり、国替えをした。その際に、信州出雲から地名『出雲』名称を持ち込んだのではないかと…。世間的にも出雲自体が、スサノオ部族のシンボルとなっていたと思われ、神武天皇もこれを快諾した可能性あり。

 

 

 

※そもそも出雲大社の前身『杵築大社』とは…、宮下文書における信州出雲『天獄』のこと。オオクニヌシ=阿祖山太神宮初代大宮司が、悪神スサノオを収監するために木と竹、木竹(きちく)のを作ったことに起因する。後に、改心したスサノオに宮を一任、諸国洲々の悪神を収監する施設となった。信州から拠点を移したスサノオ族らにより中国地方に移管?され、現在の出雲大社へとなったのだろう。

 

※※神代のオオクニヌシは中国地方との直接的関係はない。宮下文書における神武東征論功行賞で、オオクニヌシ54世孫小夫・丹馬但波命が、丹波国造となる。おそらくこれが、丹波一宮出雲大神宮のミホツヒメとオオクニヌシが合祀された理由。宮下文書における二柱は夫婦神ではない。wikipedia出雲大神宮によると、この丹波一宮は『元出雲』として、いつの頃からか中国地方出雲へ御霊分けされたと思われる。これが現在の出雲大社(杵築大社)の御祭神の大元と思われる。

 

※※※江戸時代まで、『出雲』といえば先述の丹波一宮出雲大神宮を意味していた。そう考えると本格的に出雲史が改竄されたのは明治以降の可能性も大きい。信州出雲の拠点と思われる、徳川幕府に庇護されていた戸隠山顕光寺は、長州明治政府に廃仏毀釈の名目で突如襲撃されている。

 

 

 

因みに、出雲一宮熊野大社から、伯耆国大山を結ぶと富士山へのドンピシャのレイラインとなる。天台宗大山寺の座主は、代々比叡山から派遣されていた。伯耆富士は富士朝信仰の名残り、大陸人が多く漂着している中国地方出雲とて、どう考えても元は富士山を遥拝していた同族であったのだ。これも朝日の方角を狙っているのだろうか?、レイライン的には夏至・冬至の朝日からはちょっとズレる。

 

 

 

↑上写真は、去年参拝した岐阜市下川手字宮『石切神社』もレイライン上だった(笑)。神社めぐりはこういうシンクロニシティがあって面白い。天孫降臨神として、ニニギとタマノオヤを祀る。付近にはイワナガヒメ『伊豆神社』やタジカラオ『手力雄神社』があり、岩戸山山麓には『岩戸神社』があり岩戸開きを彷彿させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

<まとめ>ホツマツタヱの改竄意図は『出雲の過去の過ち』?

 

中国地方出雲の痕跡は、信州出雲に起因している場合が多いのだ。例えば…中国地方出雲というのは、あくまで熊オッサンがつけた名前。『山陰出雲』と書いてもたいして遜色はないかもしれないが…、宮下文書に詳しい人ほど混同を招く可能性はある。何故なら、信州出雲の所在地を『阿祖北の山陰の奥谷』とも書いている。すなわち、山陰地方の語源は信州の可能性もある…という訳だ。こういうところに根の国とサホコチタル国、両地域をスリ変えようとしている思惑を強く感じる。

 

 

 

 

~戸隠・出雲大社レイライン~

  • 戸隠山(スサノオと浮気した九頭竜神が封印される)
  • 加賀一宮・白山比咩神社(宮下文書比定・白山毘女命=イザナミ由緒地)
  • 美保神社(出雲大神とは、信州出雲スサノオ娘ミホツヒメのこと)
  • 美保神社境外末社『沖之御前』(コトシロヌシが釣りをしていた)
  • 雲津諏訪神社(宮下文書比定・北中国守護司頭長をしていたタケミナカタ
  • 宇美神社(神武東征のフツノミタマ・出雲の縁切りの神社
  • 出雲大社(杵築大社)

 

 

 

 

 

 

結局、2世紀以降に西国天皇勢力がは中国地方出雲で何がしたかったのか?。

結論を言えば、信州出雲『根の国』と中国地方出雲『サホコ・チタル国』のすり替え作業であった。

 

〜根の国+サホコチタル、根の姉妹〜

▲根の国…………………九頭竜神(???)

▽サホコチタル国………八岐大蛇(イワナガヒメに転生)

 

この根の姉妹の対比関係も意味深に思えてくる。二つの地域に接点を持たせて、関連付けつつ、スリ替える目的なのか???。そしてフツノミタマを祀り、戸隠との縁切りをしたかったのかもしれない。スサノオにとって信州出雲とは、単なる浮気相手で『過去の過ち』であったと。

レイライン上には『加賀一宮・白山比咩神社』があり、イザナミがなんでスサノオの熊野神話に絡んで来るのか?わかってきたような気もする。ホツマ版熊野神話では、スサノオのいたずらによって、イザナミが焼け死ぬことになる。これは『罪』がテーマのレイラインなのかもしれない。

 

まとめると。

もともと宮下文書版・出雲は、罪人を寛大な心で改心させる『言向和平』の施設である。

ただ勝者の理論で言えば、12代景行天皇に制圧された東国富士朝勢力は『罪』と見做されたわけだ。逆に西国天皇勢力側にとっては、神殺し朝敵といわれるのを恐れて、歴史ごと封じ込めてしまったわけだ。それは真実を歪める『罪』に違いなかった。これが戸隠、すなわち西国天皇勢力の咎(トガ)を隠す場所の由来なのではないだろうかと…。

つまり勝者と敗者、善と悪で、雁字搦めにジャッジされているのが現在の信州出雲なのだろう。そしてこのジャッジが緩まるとき...。もっと言えば、人々がすべてを水に流して赦せる、ワンネスに近い時代となったとき。真相が一気にパンドラの箱のように暴かれることになる。

 

 

かもよ。。。(´(ェ)`)

 

 

これが岩戸開きになるのか?(´(ェ)`)。

 

 

 

 




 

 

 

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