2024,1,2
あけましておめでとうございます〜本年もよろしくお願いいたします。
年始は年末旅行の影響でちょっとドタバタしておりますので、神社めぐり記事を。
m(__)m
去年12月、房総半島(千葉県)を電車とレンタサイクルを駆使して、貧乏旅行をしてきました。これでやっと…関八州一宮を制覇しました。前記事でも述べたように、富士朝麻呂山から発する冬至のレイラインが、ちょうどこの房総半島に到達する。この房総半島自体が、富士朝色が色濃く残っていた。
つか車ないねん…(´(ェ)`)
バイク寒いねん…(´(ェ)`)
最近知ったのだが。全国各地の観光協会が、観光振興策としてレンタサイクルをやっているようだ。値段はピンキリだが、電動アシスト自転車なんかもある。これらを活用すると神社巡りも、グッと行動範囲が広がります。
~目次~
〈富士朝めぐり④〉高座神社宮下親類権現講と、高座山~神座山の冬至朝日レイライン - セキホツ熊の謎を追え!
〈加茂山解明③ 〉トヨタマヒメの加茂山の悲劇と、賀茂建角身のタケダの共通点。 - セキホツ熊の謎を追え!
宮下氏族吉田家『真浦氏』とは。
宮下文書三輪本現代訳神皇紀p251によると、2代目宮下源太夫明政の御子で、不佐国造に、吉田五男摩古彦がいた。そのさらに子孫から、宮本・西瑳・和田・真浦氏が派生した。
まず宮本という地名はいっぱいあるので、特定はちょっと難しい。那古寺や川名の北の南房総市富浦市に『宮本城址』がのこっているが…。
西瑳氏は、匝瑳(そうさ)市の語源ではないだろうかと…。西瑳のは不佐国の『サ』と同義のようだ。通説では物部匝瑳連とされている。811年(弘仁2年)に蝦夷征討があり、その後陸奥国に置かれた鎮守将軍が物部系匝瑳氏であった。かなりの名門で、匝瑳宿禰を賜っている。ただ平安中期からは平常兼子孫に仮冒した可能性あり。結局のところ、坂東平氏というのは富士朝関連氏族の仮冒が多いと見るべき。そうでなければ平氏が頼朝の伊豆挙兵に応じるハズがないのだ。
同じように、鎌倉幕府を支え富士朝再興に尽力した宮下文書版和田氏は、桓武系平氏ではなく宮下氏族となる。
千葉県南房総市和田町真浦には『真浦(モウラ)神社』が残っている。またホツマツタヱ版オオヤマツミ系統にも、瀬織津姫ホノコの甥っ子で、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの父神マウラが登場している。かなりの名家だった可能性あり。
それ以外にも、宮下氏族にも興津氏がいる。勝浦や白浜は江戸時代に紀州南紀の漁師の漁場として名付けられた。興味深い伝承がアチラコチラにある。
◯『真浦神社』(千葉県南房総市和田町真浦)
~御祭神~
- 天照大神
- 須佐之男命
- 表筒男神
※因みに、安房国出身の日蓮宗日蓮上聖人の出自はよくわかっていないのだが。。。wikipediaによると、荘園領家の保護を受けた家系でそれなりの身分だったとされる。出生地は安房国長狭郡東条郷片海、比定地は諸説あり。安房小湊という説もある。
日蓮は立正安国論のなかで、鎌倉幕府の怠惰を批判、蒙古襲来や内乱によって日本は滅びると、予言をことごとく的中させた人物として有名。周囲から危険視され、讒言により伊豆国伊東や佐渡へ流罪となった時期もあった。
この佐渡国佐渡流罪の関係地に『真浦霊跡』(新潟県佐渡ヶ島)があり、『真浦の浜』があるという。偶然かもしれないが、ちょっと興味深い。
鴨川シーワールドの語源???
房総半島屈指のリゾート地に『鴨川シーワールド』がある。あれ?そういえば…千葉県鴨川市の語源はなんだろうと。やはりカモ信仰ではないのかと。
よく見てみると鴨川市加茂川の上流域に『加茂神社』の文字を見つけた。富士朝加茂山研究者としては調べてみる価値はありそう。急遽、途中下車の旅をしてみた。JR安房鴨川駅前に観光協会があり、2時間500円のレンタサイクルをやっていた。
観光協会『どこまでいくんですか?』
熊『加茂神社へ…』
観光協会『…?』
熊『加茂川の上流にあるんです』
観光協会『…はあ』
てっきりこの加茂川河畔の加茂信仰が、鴨川の語源かと思っていたのだが。地元観光協会は認識していなかったのか…?。それとも全く関心がないのか?。ただ単に熊オッサンの勘違いなのか?。
とにかく行ってみればわかるだろうと…(苦笑)。いろいろ思いを巡らせつつ、駅から往復15kmほど、自転車をシャカシャカ走らせた。
◯『加茂神社』(千葉県鴨川市成川)
〜御祭神〜
- 賀茂別雷大神
- 倉稲魂命
- 大山祇命
- 大山咋命
加茂川の由来は、38代天智天皇の皇子・大友皇子の関係者が、大里 (だいり)という場所にいた。川は京都鴨川に似ているという理由からつけられた。やはり語源はカモ信仰にあるようだ...。加茂川へ向かう参道には大鳥居があり、そのすぐ隣に天台宗『方広寺』がある。京都東山区の鴨川沿い『方広寺』と関係ありそうな…。距離的には、伏見区竹田の式内真幡寸神社の跡にも近いよな…。残念ながら詳細不明。
因みに10kmほど南西、千葉県南房総市加茂『勝栄山日運寺』にも『賀茂神社』がある。もともとは真言宗または天台宗ともいわれるが、安房鴨川出身の日蓮に感銘を受けて、日蓮宗に改めたという。
加茂神社創建は不明。京都市の上賀茂神社御祭神を勧請したという。成川村の産土神であり村社。この地名の主基(すき)から主基加茂神社(すきかもじんじゃ)ともいう。スキというのは変わった名前だが、どこかアジスキタカヒコネを彷彿とさせる…。『賀茂之本地』によるとアジスキタカヒコネ=別雷命という説もある。宮下文書論拠では、別雷神カモサワヒメ・オオヤマツミ夫妻が祀られている、珍しい神社となる。
また、近くに『吉保八幡神社』という、こちらも堂々たる古社がある。
前記事では、石清水八幡宮=富士朝阿祖山太神宮、賀茂神社=富士朝加茂山の見立てであり、呼応関係にあるのではないかと述べた。となると、加茂川沿いの主基加茂神社と吉保八幡神社ともなにか関係があるのかもしれない。今回は制限時間2時間のスケジュールが差し迫っていた為に、『吉保八幡神社』参拝は断念した。ちょっと無理すれば行けたかもしれないが…、自転車の運転が危ないし、差し迫っている状態で神社巡りしたくなかったのもある…。バイクだったらいけただろう。
※因みに前記事で、賀茂と鴨を間違えて記載してしまいました。訂正してお詫びします。
ゴメンナサイm(_ _)m。
▲賀茂別雷神社=上賀茂神社
▲賀茂御祖神社=下鴨神社
カモの表記が違うのでご注意。ただその理由はハッキリとしていない。どちらも古来から賀茂社に由来しており、中世まではどちらも『賀茂』と表記されていた。その後、下鴨神社の通称が、定着してしまったのではないかと見られている。
カモ★チャリのルーツは?。
自転車に戻って頭を抱える。年甲斐もなくこんな自転車に乗って来たのかよと(苦笑)。ちょっと地元中学生たちに後ろ指さされるレベルかなと。乗る前に全方位確認すべきだった。
果たして、旅人の哀愁漂う『カモ★チャリ』のルーツやいかに…???。
しらん。。。(´(ェ)`)