2022,10,30
前記事で紹介した熱田神宮『剣』のレイライン、重大な見落としをしていた。
前記事で紹介した、貧乏オッサンが地べた這いずり回って、ヘコヘコ歩いてきた外山地区…。実は、熊オッサンの祖先守部氏族のさらに祖先、『神大根王』の旧領地だった可能性が出てきた…(笑)。
ご先祖さまの土地だったでござる…(´(ェ)`)
毎回念を押しますが…、あくまで可能性のお話。家系図研究はプロでも難しい世界。ただ素人オッサンのご先祖さま研究に、またしてもシンクロニシティが発生したようで…。前記事の武蔵国人見稲荷といい、下野国小野寺郷といい、一体どうなってんだ?この世は。
(´(ェ)`)
~目次~
〈レイラインの美学⑲〉瀬織津姫と武藤氏『石刀神社』、熱田霊剣の東西平定レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈神社めぐり〉美濃尾張『剣』のレイライン、日月神示オワリの十のヤマとは何なのか? - セキホツ熊の謎を追え!
<神社めぐり>熱田神宮・田光八幡社・高座結御子神社、日本武尊の長田王を探せ! - セキホツ熊の謎を追え!
本巣市『外山』とはどういう土地なのか?。
結論から言うと、かつての美濃国中心地は、現在の岐阜市・本巣郡あたりであった。
古事記記載の三野國本巣國造長幡部連の祖の拠点、また和名類聚抄記載の本巣郷美濃とはこの付近に比定され、主郷国造の居住地にされた。記紀においては、天皇家ゆかりの豪族に治められていた。そして外山地区とは、その目と鼻の先だ。
古事記景行天皇記では、大根王(別名を八瓜入日子王という)は、本巣国造・三野前国造の祖。同じ古事記開化天皇記では三野国之本巣国造・長幡部連の祖(日本書紀景行天皇紀では、神骨を美濃国造となっている)。先代旧事本紀国造本紀では、9代開化天皇時代に八瓜命が三野前国造を賜る。
支配地域の詳細は不明だが、かなり広範囲に痕跡はある。岐阜県岐阜市岩田西『伊波乃西神社』は父・日子坐王陵墓説があり、部族の影響力があったのではないかと。美濃加茂市に鎮座する『縣主神社』の御祭神が日子坐王(彦坐王)となる。
美濃加茂市や美濃太田という地名からすると、山背国鴨県主、または秦氏や富士朝氏族の影がチラつく。
◯『神王神社』岐阜県本巣市見延字東市場
〜御祭神〜
- 神王大神(神大根王と解釈される)
◯『長幡部神社』(埼玉県児玉郡上里町長浜)
〜御祭神〜
- 天羽槌雄命
- 埴山姫命
※本来の祭神は、姫大神・大根王の説あり。
※※武蔵国での長幡部には『機織』や『織姫』が関係しており、富士朝に機織り技術を持込んだ、秦氏族を感じてしまうのだが…。美濃国本巣織部出身の茶人・古田織部は出自不詳とされるが、機織りと関係ないだろうか?。
〜神大根王とは〜
父:日子坐王(ひこいますのみこ)
母:息長水依比売
※息長氏は近江の豪族で、神功皇后を生んだ家系。
※前記事でも紹介したが、9代開化天皇の3皇子日子坐王は宮下文書には一切登場せず。宮下文書視点からも不自然なところが多いので、実在していたとしても、左右大神系(藤原系統や蘇我系統)の附会がかなり混入しているとみられる。例えば、宮下文書版11代垂仁皇后の狭穂姫命は日子坐王の娘ではなく、右臣藤原物部系統・武部伊莒命の7女であり、日葉酢媛命の実姉にあたる。
※※日子坐王は、『古事記』では甲斐国造、本巣国造、多遅摩国造の祖とされる。因みに、ホツマ版オトタチバナはタジマモリの実娘なのだが。。。怪しい。
※系図は通説とホツマツタヱを組み合わせたもの、宮下文書未記載の人物が多い。
大碓命の実在性
神大根王の娘の兄比売(えひめ)・弟比売(おとひめ)姉妹が、景行天皇の皇子・大碓命の妃となる。兄比売とは押黒之兄日子王を産み、美濃の国の宇泥須和気の祖となる。弟比売とは押黒弟日子王を産み、さらにその御子が牟宜都守となり、身毛津君や守君の祖になった。こうしてみると、後世の席田郡司の守部氏族は、女系祖先の旧領地であった本巣周辺『席田郡』を領していたことがわかる。但し、『山内首藤氏系図』によると、藤原資清が守部資信の養子となっており、守部氏女系へシフトした可能性がありそうだ。
※この守部氏大碓命子孫説は、熱田神宮の神官である守部彦正が782年(延暦元年)創建した、『田光八幡社』での伝承。通説の守部宿禰は、尾張氏と同祖、ホノアカリ子孫といわれているので注意。
ここで疑問なのは、そもそも大碓命って実在していたのだろうかと…。
大碓命は、ヤマトタケル(小碓命)の双子の兄として知られる。ホツマツタヱ版・大碓命は、本来父親である12代景行天皇が妻にしようとした美濃の美女、兄・弟トオコ姫(姉妹遠子または、兄遠子、弟遠子)を横恋慕して妻としていた。当然ながら、景行天皇の逆鱗に触れ、以降の都の立ち入りを禁じられている。
また、蝦夷征伐も、本来はヤマトタケルではなく、こちらの大碓命が命じられそうになって、トンズラしたという。…かなりいい加減な皇子にみえるのだが、田光八幡社由緒が指摘しているように、温厚な性格ともいう。最終的には、美濃の国守(牟宜都国造)に落ち着くが、これも年代的に矛盾があるとの指摘あり。
さらに古事記では、幼い小碓命が、会食に姿を見せない大碓命を殺害してしまうというショッキングな描写もあり。もしこれが真実だとすると、前述した国造の話は全て嘘になるわけで、矛盾が噴出してくるわけだ。
因みに、宮下文書には一切登場せず。宮下文書の描写を見るに、ヤマトタケルは亡くした妻をずっと気にかけている情熱家で…、兄を甚ぶり殺す冷酷な人物ともおもえないのだが…。そもそも大碓命が小碓命の双子で…、妃が兄・弟トオコ姫、または姉妹遠子…、なんだか兄弟姉妹テーマを強調しすぎていないか?、逆に怪しい(苦笑)。大碓命の実在性はかなり低いと思われる。
個人的には…、史上から忽然と消された、宮下文書版ヤマトタケルの御子・長田王子孫を隠すための附会なのではないかとみている(妄想)。前記事で通説ヤマトタケル御子『息長田別王』が怪しいといったのは、このあたりが理由だ。彼の遺伝子は26代継体天皇の母方にも繋がる。古事記版の宮簀媛命は、ヤマトタケルとの最後のひと時まで生理中だったという。故に、子はなかったハズと。こんなプライベートなことまで強調して、後世に書き残すのも、不自然な話である…。
宮下文書版熱田神宮を創建した長田王の存在は、そこまで隠さなければならなかった血統だったのでは?。おそらくは皇別神子孫として、皇位継承権の復活を主張する人々に担ぎ上げられる可能性あり。東国勢力からも有望視された故に、かえって西国勢力から危険視されてしまったのではないかと…(妄想)。
美濃はやはり、カモサワヒメ奉斎の地であった。
神大根王、かなり大それた名前にも見えるのだが...。
wikipedia神大根王によると、『神』=『鴨』の大根を指すとの説がある。鴨君彦坐王(日子坐王)は妃に山代之荏名津比売(山代県主祖の長溝命の女)を娶り、その子・神大根王が美濃国造となった。西南濃地方開拓者たちは、この鴨氏の祖神・神『別雷命』を祭祀していたという。
〜美濃国カモサワヒメ信仰〜
- 『加茂神社』岐阜県本巣郡北方町加茂
- 『加毛神社』岐阜県安八郡輪之内町下大榑
- 文殊山『奈良尾神社』も関係ありか?
※宮下文書版カモサワヒメ=三嶋神=寒川毘女命=別雷命、コトシロヌシ娘、オオヤマツミ妃、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの母。
つまりこの地は、賀茂別雷命と縁が深い土地なのではないかと?。前記事で紹介したが、文殊菩薩の本地垂迹も、伊豆神と関係ありそうだ。やっぱり…文殊山といい、長田氏族永井氏といい…。
(´(ェ)`)
熊オッサン、ご先祖さまをスルーしていた?。
今、旅の記憶をたどると…。
樽見鉄道『鍋原駅』から外山城へと至る手前に『白山神社』『高坂神社』『金福寺』があった。しかしこのとき熊オッサンは、あろうことか神大根王という御人を知らなかったので…、見事目前をスルーしてしまった…orz。
言い訳を言わせていただくと。この『金福寺』入口に差し掛かったとき、足にマメが出来はじめて、歩道の端に避難して、絆創膏とテーピングをした。底が硬いワークブーツを履いてきたことを反省しつつ、ふと見上げると路端のモミジの下に、交通安全のお地蔵さんが…。なんか妙に気になったので、ご挨拶をして撮影してきた。こういう石祠やお地蔵さんは、帰宅後に由緒等を調べたりする資料になるので、記録の為にも撮ってある。
ここでスマホの地図を確認。このお地蔵から右側の私道100メートルほど入った処に、小さなお社があったのは認識していた。しかし『神社はあるけど、知らない御祭神だから…』『剣レイラインからも結構離れているから…』と、通り過ぎてしまったわけである。その後、マメが痛みだす可能性もあり、寄り道を極力控えるため先を急いだ。今でも明確に覚えている。
アレだったか…orz。
◯『白山神社』(岐阜県本巣市金原)
〜御祭神〜
- 伊弉冊命
- 伊弉諾命
- 菊理姫命
- 長幡部連・水穂五百依比売
※宮下文書比定の白山比女尊とは、イザナミのこと。菊里毘女尊とは、コノハナサクヤヒメ(諱・阿田都毘女尊)のこと。
※※水穂五百依比売は、前述の高坂神社と共通の御祭神。宮下文書には登場せず、父は日子坐王、母は息長水頼比売。
◯『高坂神社』(岐阜県本巣市金原字高坂)
〜御祭神〜
- 神大根王
- 日子坐命(神大根王の父)
- 息永依比売(神大根王の母)
- 表邪都比売(袁祁都比売命のことか?)
- 美知能宇斯王(神大根王の兄弟)
- 水穂之真若王(神大根王の兄弟)
- 水穂五百依比売(神大根王の姉妹)
- 御井津比売(神大根王の姉妹)
- 山代之大筒木真若王(神大根王の異母兄弟)
- 比古意須王(神大根王の異母兄弟)
- 伊理泥王(神大根王の異母兄弟)
岐阜県神社庁ホームページの由緒を要約すると、景行天皇四年、神大根主の娘・兄比賣と弟比賣の姉妹が本社を勧請したという。
古い言い伝えでは、本社は本國帳内では有名な神社で、正六位上高坂大明神金原村とあり。古事記によると、神大根主は、三野本巣國造、長隣◯連之祖(おそらくは長幡連のこと?)。もともとの本社の地は、根尾山の中腹の神大根王の小陵?という説あり、社殿は旭光(日の出)に向き、大樹が生い茂げ、境内を覆っていた。傍らには大巌石があり、高さ六尺有余幅六尺長九尺で、岩下に神大根王を埋葬したという。以下略…。
鎮座地の根尾山がどこなのかは不明。現在の石祠は衰退し、再興のために、里に遷座されているようだ。
グーグルマップのレビューによると、高坂神社の入口には、電流タイプ?の防獣ネットが張られて中に入れない模様。地元の方々も大変だろうが、熊や猪にとっては監獄のような里山である。そもそも地元農家の私道の奥なので、作を乗り越えて、無理に侵入しないようにお願い致します。
m(_ _)m
この付近は防獣ネットが徹底的に張られているので、メインストリート『淡墨街道』『里山かおり街道』から離れて散策しない方が良いかと。
熊オッサンの神社めぐりは、後悔つづき?
以前、山梨県塩山のタマノオヤ『玉諸神社』や、下野国寒川郷『永井寺』をスルーしていた時の後悔に似ている。ご先祖さまも、さぞかしビックリしたことであろう(苦笑)。過去には、胸騒ぎと、後ろ髪ひかれる寺社が結構あるんですよ。
ああ…もっと、勉強しておけばよかったとは思う。ただ現地に行ってからこそ、今の知識を得ている部分もあるので、なんとも言えない。特に田光八幡社の由緒を知らなければ、大碓命や神大根王命を調べることもなかったのだから…。またいつか行けたらいいな…とは思う。
楽しい貧乏旅行だった(´(ェ)`)。
※岐阜県本巣市外山地区・八王子神社
前記事以降、PV数がゴッソリ激減しまして。記事が不評なのやら。。。それとも、前記事が衝撃的で、規制がかかっているのやら。。。
みなさんのご想像にお任せします(´(ェ)`)
まあ…こうなるのは予期していたので、このブログは当初からアフィリエイトもSNS活動もしてません。マイペースかつ、シンプルにやろうと思っています。結局、宮下文書を扱うタブーというのは、お金儲けできないシステムなんでしょうね。これからも素人オッサンが細々活動していくしかありませんし、このブログが消滅しても、またどこかで必ず立ち上げます。今後ブログが見つけにくくなる恐れもあるので、ドメインとブログ名と巫女アルバイト小野さんイラスト、いつか目印となるので是非憶えていおいてくださいm(__)m。
来週は、私用でお休みさせていただきますm(__)m。
※地図はクラフトマップ使用。