セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈神社めぐり〉美濃尾張『剣』のレイライン、日月神示オワリの十のヤマとは何なのか?





2022,10,22

尾張記事が、一巡して戻ってきたわけだ…。結局、あの祓戸四柱と瀬織津姫と檀林皇后が示していたレイラインとは、一体何だったのか?。ここまでの美濃尾張の妄想考察の総括をしてみる。

~目次~

 



〈レイラインの美学⑲〉瀬織津姫と武藤氏『石刀神社』、熱田霊剣の東西平定レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

<神社めぐり>熱田神宮・田光八幡社・高座結御子神社、日本武尊の長田王を探せ! - セキホツ熊の謎を追え!

 

『剣』がテーマのレイライン?

 

そもそもレイラインのカラクリが、人為的なものか、単なる偶然なのかは不明…。しかし、石刀(いわと)神社を基点として、さまざま、意味深な神々がズラリ並んでいるのは確かだ。

(´(ェ)`)



〜瀬織津姫熱田神宮レイライン〜

  • 本巣市~岐阜市に跨る外山地区
  • 天満神社(外山地区に3つ)
  • 八王子神社
  • 美濃大野城跡(外山氏拠点)
  • 黒野城跡(加藤氏拠点)
  • 野宮神社(檀林皇后・祓戸四柱)
  • 葛懸神社
  • 加納天満宮
  • 加納城跡(永井氏拠点)
  • 和泉屋社
  • 籠守勝手神社(瀬織津姫命)
  • 黒田城跡(山内首藤氏拠点)
  • 石刀神社(クニトコタチ・クニサツチ)
  • 馬寄城(武藤氏拠点)
  • 縣神社
  • 金山神社(金山毘古命)
  • 高座結御子神社(高倉下命)
  • 熱田神宮(草薙の剣・ヤマトタケル)
  • 氷上姉子神社(宮簀姫命)
  • 鳴海八幡宮(応神天皇・ニニギ・月読命)
  • 鷲津山長寿寺
  • 鷲津砦
  • 名古屋市緑区大高町殿山
  • 市原稲荷神社
  • 西尾城(足利氏拠点)
  • 幡頭神社(建稲種命の御遺体漂着伝承)
  • 三河湾・梶島

 




〜宮下文書版『草薙の剣』関係神〜

  • 熱田神宮相殿(スサノオ)
  • 金山神社(金山毘古命)
  • 石刀神社(タヂカラオ)

※因みに、石刀は『いわと』と読む。宮下文書版の美夜受媛の別名が岩戸媛という。



〜神剣〜

  • 熱田神宮(熱田大神=草薙の剣)
  • 高座結御子神社(高倉下命と布都御魂伝承)

 

剣とは、権力や法の象徴、スサノオ神剣による東西の平定がテーマとしてあるように思える。宮下文書の『四季島統治』『東西分治』をご存知の皆さんであれば…、熱田神宮の境内の構造を見てなんとなく納得できるのではないだろうか?。熱田神宮境内を南北に走る境内参道、東西にわかれる『東八百萬神社』『西八百萬神社』。拝殿にたどり着くまでに、この宮が何を言わんとしているのかは想像できた。

そして、レイライン上に位置する石刀神社、御祭神クニトコタチ・クニサツチ兄弟とタヂカラオ。金山神社の金山毘古命。長い歴史の中で、東西に分断されてきた黒歴史。草薙の剣とは、つまり東西パワーバランスを平定している『要石』であり、『境界線』なのではないかと…。タヂカラオも金山毘古命も、宮下文書版スサノオ三宝の御神宝に関係している。

後世、東国が衰退し、西国天皇勢力が一方的な権力を持つようになると、世間はスサノオと尾張本来の仲裁的な役割を忘れ、語り継ぐことすらやめてしまった様だ。東征後の東西分断されていた歴史を知らない現代の我々にとっては、平定や境界線の意味もわからない。

 

※熱田神宮摂社『一之御前神社』には、天照大神荒魂が祀られており、同社では草薙の剣=熱田大神アマテラスと解釈されている点も興味深い。

そもそも宮下文書版『八劍』『叢雲の剣』は、スサノオからアマテラスを経由して、阿祖太神宮へと奉納されたもの。

※※同じ富士朝由来の神剣、布都御魂をもたらした高倉下命を祀る『高座結御子神社』も、この  『剣』レイラインに絡んでくるのも面白い。




祓戸四柱と宗像三女神、同グループ説?

三種の神器で思い出したのが、祓戸四柱であった。このレイラインには、祓戸四柱が大きく関与しているようにも見える。

前記事のように、瀬織津姫と速開都姫は対を成す女神として描かれている。ホツマツタヱによると、アマテル内宮・瀬織津姫命は鏡を司る神。同じくアマテル妃・速開都姫命が剣を司る神。祓戸四神と『三種の神器』も深く関係してくる。

 

〜ホツマツタヱ8文〜

                     てくるまのうち

せおりつめ   あめのみかげに

あきつめは   ひのみかげさす

いふきぬし   くまのくすひと

まてにあり…

 

 

たれあぐる  きみやさかにの  (八尺瓊勾玉)

まかるたま  せおりはまふつ  (まふつの鏡)

やたかがみ  あきつくさなぎ  (草薙の剣)

やゑつるぎ  ときにいふきど

ゆえをとふ …



※瀬織津姫からイフキドヌシへ、ヤタ鏡が渡され、ハルナハハミチを改心させるシーン

※ホツマツタヱは、ヤマトタケル東征後に編纂されているため、叢雲神剣は草薙神剣と改称しているようだ。

 

このように、当初は三種の神器を司る神であり、祓戸四柱が単なる『お祓い』や『浄化』の神様とも思えないのだ。但し、宮下文書では、瀬織津姫や祓戸四柱と宗像三女神は登場せず、別神にすり替えられている可能性も否めない。このブログでは何度も述べてきたが…、神道の基本は富士朝祖霊信仰、つまり富士朝由来の神である可能性は高いと思う…(詳細は前記事参照)。



〜祓戸四柱〜

  • 瀬織津姫命=月桜田毘女命?
  • 速開都姫命=カモサワヒメ?
  • 気吹戸主=オオヤマツミ?
  • 速佐須良姫命=イワナガヒメ

 

※宮下文書オオヤマツミ系図では、女系の継承を強調して見える。

※※宮下文書版カモサワヒメ=三嶋神=寒川毘女命=別雷命、コトシロヌシ娘・オオヤマツミ妃・コノハナサクヤヒメ母

※※※岩手県早池峰山の伊豆権現三姉妹も同神?





ヤマトタケルが、最後に向かったのが『伊吹山(いぶきやま)』。祓戸四柱の気吹戸主と同名であった。宮下文書にはその理由の記載はないが、近江一宮『建部大社』HPによると、暴れていた山の神『大きな白いイノシシ』を退治するためという。

ホツマツタヱにおけるイフキドヌシ(イフキヌシ)は、ツキヨミの御子。これを宮下文書に比定させれば、月読命の子孫・オオヤマツミ系統が妥当ではないのかとみている。ただし宮下文書版ニニギ+スサノオのような、富士朝英雄譚も含まれているようだ。ホツマ版イフキドヌシはマフツの鏡を携え、落ちぶれたスサノオとともに、ハタレの根源である中国地方を討伐する。その論功行賞によって、琵琶湖東岸ヤマダ(滋賀県草津市山田町?)を賜った。その範囲は不明だが、同じ滋賀県内に『伊吹山』はある。

 

奇しくも、西国の東夷征討に反抗したのは、副宮司であり総元帥・阿祖彦王はオオヤマツミ72世孫であった。宮下文書における東国は、神都復旧(富士朝の再興)を企て、ヤマトタケルに討伐される。つまり西国天皇勢力は、オオヤマツミ子孫の報復を、極度に恐れていた可能性あり。

 

そして、宗像三女神の御正体も、富士朝神の誰か...と考えるのが妥当である。

佐賀県唐津市呼子町加部島『田島神社』には、宗像大社元宮説あり。田島神社との関係は不明だが、宮下文書における外寇親征の役の激戦地、附地見島の松浦の湊(肥後松浦)の裏山に官社を立てたとの記述もある。伊豆神を中心に、カモサワヒメの家族が戦死した場所であり、彼女(田心姫命?)を祀るに相応しい場所となる。この田島神社の現在の御祭神が、上記宗像三女神+オオヤマツミというコンビネーションなのだ。また前記事でも述べたとおり、地域によっては混同もみられる。

さらに対元寇氏族の武藤少弐氏は、発祥の武蔵国で、瀬織津姫命や富士朝を信仰していた形跡がある。大陸人からの防衛のために、大陸帰化人系の渡航安全の神々を祀るとは…とてもおもえない。

 

~宗像大社元宮説『田島神社』御祭神~

  • 市杵島姫命
  • 田心姫命
  • 湍津姫命
  • 大山祇神
  • 稚武王尊(14代仲哀天皇弟と解釈される)

〜宗像三女神〜

  • 湍津姫命=月桜田毘女命?
  • 田心姫命=カモサワヒメ?
  • 市杵島姫神=イワナガヒメ?

日光田心姫信仰と富士朝信仰、富士山鎮火の朝廷と空海の思惑とは。 - セキホツ熊の謎を追え!






岐阜県岐阜市外山2572『天満神社』





〈レイラインめぐり記事〉オワリの十のヤマ

これらを踏まえた上で、尾張・美濃国を神社めぐりをしてきた。今回はちょっと趣向を変えて、以降『外山地区・ぶらりレイライン巡りの旅』を紹介する。

勿論偶然なのかもしれないが。。。このレイラインの北は、岐阜県本巣市『外山(とやま)』地区を貫く。個人的には、日月神示328帖『オワリの十のヤマ』を思い出した。厳密に言えば尾張ではなく美濃国なのだが…。外山地区に何があるのか?知りたくなってしまったわけだ。結論から言うと、特にネタになるようなことは見つからなかったのだが…(苦笑)。のどかな田舎の風景と、苔むして味のある天満神社を満喫することができた。この記事で興味が出た方は行ってみてほしい。

 

〜『みのおわり』神社めぐり〜

  • 『加納天満宮』(岐阜県岐阜市加納天神町)
  • 『金神社』(岐阜県岐阜市金町)
  • 『野宮神社』(岐阜県岐阜市近島)
  • 『葛懸神社』(岐阜県岐阜市池ノ上町)
  • 『御嶽神社茅萱宮』(岐阜県岐阜市萱場南)
  • 『八幡神社』(岐阜県岐阜市北柿ケ瀬)
  • 『黒野城跡公園』(岐阜県岐阜市黒野城跡)
  • 『奈良尾神社』(岐阜県本巣市法林寺)
  • 『神明神社』(岐阜県本巣市曽井中島道下)
  • 『外山城跡』(岐阜県本巣市外山)
  • 『天満神社』(岐阜県本巣市外山483)
  • 『八王子神社』(岐阜県本巣市外山)
  • 『天満神社』(岐阜県岐阜市外山2572)

※外山地区は本巣市と岐阜市に跨がる。




~328帖~

直会も祭典の中ぞ

朝に夕に、日々の人民の食事は皆直会ぞ

日々の仕事も皆まつりぞ

息することこの世の始めのまつりぞ

まつれまつれと申してあろが

尾張の御用は始めの御用ぞ、

まつりの御用ぞ

オワリノ十のヤマに祀って呉れよ

世に告げて呉れよ、役員皆宮作れよ

宮とは人民の申す宮でなくても良いのだぞ

一の宮、二の宮、三の宮と次々に作って呉れよ

道場も幾ら作っても良いぞ

神の申した事、

なせば成るのだぞ

宮と道場作り神示読んでまつれまつれ、

まつり結構ぞ

奥山にはオホカムツミの神様も祀って呉れよ

守りは供えてから皆に下げて取らせよ

五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱

四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱

世の元ぞ

 

※最近気づいたのだが、この59柱のミタマ。宮下文書におけるウガヤ朝全51代+天皇欠史8代=全59柱になるなぁと…。欠史にされているミタマたちのリベンジなのではないかと…。

妄想…(´(ェ)`)





岐阜県本巣市外山483『天満神社』 
比較的新しい神社だが、味がある社殿。




スタートは12代景行天皇、長田氏族永井氏のゆかり地

今回『みのおわり』旅行の動機もズバリ、推測ご先祖さまの同族であった。一番驚いたことは、予約したホテルが、永井氏(富士朝宮伴氏族・長田氏)所縁の『加納城跡』城下町であったことだ。旅行前日に気づいたのだが、このレイライン上にドンピシャに宿泊予定のホテルがあった。ああ…これも間違いなく宇宙的シンクロニシティではないか?と。

<レイラインの美学⑯>坂上田村麿807年鎮火祭と、小野小町望郷の院内銀山レイライン - セキホツ熊の謎を追え!

私の母方祖母が永井姓。とある地方の大きな賀茂神社、門前町『葵町』の生まれ。宮下文書によると、この永井氏長田氏族も伊豆一宮・三嶋大社と縁が深い。また個人的には、下野国寒川郷『永井寺』の思い出もあり、なんとなく…他人とはおもえない氏族なのだ。また、石刀神社と武藤氏『馬寄城跡』の関係を紹介したが…。その他にも、私の母方祖先と同祖氏族?の、山内首藤氏『黒田城跡』、加藤氏『黒野城址』、それぞれかつての拠点がレイライン上に点在している。

(´(ェ)`)

◯『加納天満宮』(岐阜県岐阜市加納天神町)

〜御祭神〜

・菅原道真公

〜境内社〜

・津島神社

・稲荷神社




『加納天満宮』は、JR岐阜駅の南側すぐ近く。社伝によると、金華山や美濃三宮・伊奈波神社の南あたり、上加納にあった吉田郷に祭祀されていた。1445年(文安2年)、斎藤利永が沓井城を築城の際、その守護神として遷座した。このブログては何度も書いたが、『吉田』という地名は富士朝宮下氏族『吉田氏』が絡んでいる可能性がある。因みに、美濃国『山県氏』は、富士朝大山守皇子(宮下家)である第八王子香古坂海井彦子孫の可能性が高い。




◯『金神社』(岐阜県岐阜市金町)

〜御祭神〜

  • 金大神
  • 渟熨斗姫命(12代景行天皇の第六皇女)
  • 市隼雄命(五十瓊敷入彦命と渟熨斗姫命の御子)
  • 五十瓊敷入彦命(12代景行天皇の兄)
  • 日葉酢姫命(11代垂仁皇后、景行天皇や倭姫の母)

『金神社』の御祭神ラインナップは、前述の美濃三宮・伊奈波神社と共通点が多い。当社では渟熨斗姫命=金大神という説あり。

金神社wikipediaに注目すると、建御名方神の子・出早雄命4世孫に会知早雄命(えちはやおのみこと)がおり、別名を市速男命(いちはやおのみこと)というが、似ているが全くの別神であるとのこと。なんか余計なこと書いてあるなと思いつつ…、当ブログ前記事を読んだ方は、アレ…?と思うかもしれない。

何か引っかかる…。

そもそも宮下文書的に美濃尾張は、信州出雲由来の尾張スサノオ勢力や、美濃国不破を賜った金山毘古勢力の影響が、強かった地域のハズなのだ。土地柄、金大神が金山毘古命であってもおかしくはないが...、それを隠さなければならない理由があった。

ホツマツタヱ成立以降、スサノオは中国地方出雲の神でなくてはならなかったわけで、美濃尾張の信州出雲系神の痕跡の多くは、抹消されている可能性あり。さらには、12代景行天皇の皇后『八坂入姫命』との繋がりも深い土地である。

このあたり、怪しいなと…。

(´(ェ)`)

信州出雲の地に...タケミナカタと八坂刀売命とは一体どこから来たのか? - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

岐阜県本巣市法林寺『奈良尾神社』



 

席田郡の守部氏、『文殊山』

金神社から、短い区間バスで『野宮神社』『葛懸神社』へ、途中下車でフラフラ歩いて数社めぐり、最終的に本巣市役所前まで再びバスに乗る。そこから徒歩で『文殊山』を目指す。この奈良尾神社から南側の平野部が、かつての席田(むしろだ)郡に比定される。熊オッサンの母方推定ご先祖さま山内首藤氏は、美濃国席田郡の郡司・守部氏の後裔とされる(諸説あり)。

※ただし、『山内首藤氏系図』曰く、藤原資清は美濃国席田郡郡司・守部資信の養子となっている。守部氏は女系であった可能性があるのかなと…。



◯『奈良尾神社』(岐阜県本巣市法林寺)

〜御祭神〜

  • 大山咋命
  • 水波能売神
  • 天照大御神
  • 祭神不詳



岐阜県神社庁によると、本巣郡鎮座従三位桶尾明神。明治21年以降『奈良尾神社』を称する。日吉・貴船・神明社を合祀しており、『不詳一座』が起源となる御祭神であろう。謎の神様のヒントは、神社背後にそびえる文殊山にあるのではないかと…。この麓は、法林寺此奥古墳群となっている。

長野県鬼無里東京『加茂神社』の北側にも文殊堂があり。武蔵一宮小野神社祭神の本地垂迹文殊菩薩は、小野大神瀬織津姫命とみられる。また、埼玉県秩父郡小鹿野町伊豆沢にある『伊豆沢文殊堂』では、伊豆神か伊豆権現がテーマとなっているようだ。カモサワヒメまたはイワナガヒメの可能性もあるのかな…と。

つまり前述した、伊豆権現三姉妹のうちの一柱ではないかと?みていたのだが...。

 

本殿に向かって柏手を打ったら、本殿の底から狐(多分)が飛び出して、脱兎のごとく逃げていった。

ビックリした(´(ェ)`)




外山氏、明智光秀と同族だった。

『奈良尾神社』から、近くの樽見鉄道『織部駅』まで歩いたが…、予想通り電車が少ない。待ち時間をかねて、昼食。文殊山の麓、道の駅で特製パンとおにぎりを購入。

織部という地名は、戦国時代の茶道の人物、『古田織部』の生誕地伝説からつけられたという。列車は梶尾川の渓谷沿いに進み、車窓が楽しめる。そこから5駅先の『鍋原駅』で下車、徒歩で外山地区の天満神社へ向かう。駅のすぐ横は、還元水素水が1500メートル地下から自噴水してきたという、珍スポットだそうだ。何が凄いのか、よくわからないが…デカい看板が立っていた。

(´(ェ)`)

 

外山氏とは。土岐系図によると、美濃国本巣郡外山邑にて、清和源氏?土岐頼遠(鎌倉後期)から派生した氏族。なんの因果か…、まさか明智光秀の同族土岐氏が出てくるとは…。織田信長『高座結御子神社』と彼の家臣武藤氏族『石刀神社』の因縁を感じてしまう。

 

〜土岐頼遠の息子〜

  • 長男・外山光秋(遠江守)
  • 次男・外山直頼(近江守)
  • 4男・外山忠頼(四郎)美濃本巣大野城拠点

 

ご存知、戦国武将の明智光秀は、伊勢外宮の夏至の日没の方向に、丹波攻略拠点として『亀山城』を築城している。後世の大正時代に、クニトコタチやスサノオを崇拝する大元教が購入し、拠点としたわけだ。また吉田神道9代・卜部氏25代吉田兼見と親友であり、神道にもそれなりに精通していたのではないだろうか?。

ともかく土岐頼遠の四男、外山忠頼が、この地を治めていた。残念ながら今回、美濃本巣大野城跡には行けなかったのだが、レイライン上にあり、『山之神』の小さな石祠があるようだ。

※宮下氏族吉田氏と吉田神道の関係は不明、むしろ相反するとおもうのだが…。



 

岐阜県本巣市外山2572『天満神社』。
この日、どこに行っても、デカい太陽が追いかけてくる。





外山地区には、3つの『天満神社』が存在する。

 

この地域は加納天満宮といい、菅原道真公の信仰に厚いようだ。菅原道真公の祭祀的意味を考察すると…。宮下文書における富士朝高天原、寒川畔の『菅原』という地名には、寒川大神クニサツチ夫妻が祀られていた。後世にそれが、直接関係しているかは不明…。宮下文書版菅原道真公は、サルタヒコ子孫であり、富士朝神官家系の末裔となる。

 

◯『天満神社』(岐阜県本巣市外山483番地)

〜御祭神〜

  • 菅原道真公

〜摂社〜

  • 八幡社
  • 稲荷社
  • 住吉社
  • 愛宕社

 

※創建不詳。全体的に小さな山里にしては、整備が行き届いており、たいへん驚いた…。神社のみではなく、アチラコチラに獣よけネットを張り巡らせており、集落全体が整備されている。

 

◯『天満神社』(岐阜県本巣市外山川内分字深山1524番地)

天満神社 詳細

※郷誌によると、正徳年間(江戸時代1711年〜1716年)の創建。今回、熊オッサンは参拝していない。

 

◯『天満神社』(岐阜市外山字本谷2572番地)

〜御祭神〜

  • 菅原道真公

※創建は正徳年間 ?(江戸時代1711年〜1716年)







八王子神社の宗像三女神とオオヤマツミ

5月初旬ながら、日差しがギラギラの炎天下。最近、太陽がデカくなったような気がするのはオッサンだけだろうか?。しかも行く先々で、お社を頭上から、照らしている。それぞれの神社でひふみ祝詞を奏上してきた。

天満神社が多いなか、『八王子神社』を見つけたので参拝させて頂いた。

 

岐阜県神社庁HPと由緒書を要約すると、創建不詳。もともとは元大字泥淵(外山ボタ下)から遷座している。字瀬戸無格社多度神社(天彦根命)と、字明光無格社山神神社(大山祇神)を合祀したという。

ホツマツタヱ版瀬織津姫命の御子が、アメノオシホミミ。ホツマツタヱ版速開都姫命の御子かアマツヒコネ。宮下文書版イワナガヒメの御孫が、クマノクスヒコ。前述の熊オッサンの理屈でいえば、この八王子神社には、祓戸四神が鎮まっているのがわかる。






◯『八王子神社』(岐阜県本巣市外山1105番地)

〜御祭神〜

  • 天忍穂耳神
  • 天穂日命
  • 天津彦根命
  • 活津彦根命(由緒書には話津彦根と記載)
  • 熊野櫲樟日命(由緒書には熊野象日と記載)
  • 市杵島姫命
  • 田心姫命
  • 湍津姫命
  • 大山祇神(由緒書には記載なし)

※宮下文書にはアメノオシホミミとクマノクスヒコとオオヤマツミのみ登場。その他の御神霊は、かなりのすり替えがあると思われる。

※※宮下文書における八王子は、アメノオシホミミの代ではなく、次のニニギの代。つまり、この八王子は宮下文書比定とは全く違う。

<神社巡り>津島神社の牛頭天王と八王子権現の正体、等身大のスサノオとは? - セキホツ熊の謎を追え!




拝殿にて、ご挨拶とひふみ祝詞を奏上し、周辺を散策。どの神社に行っても、太陽がお社を真上から照らし出す時間帯であった。熊オッサンは写真のことはよく分からない、野生本能のおもむくままに激写メしている。最近のスマホは太陽に向けても、お手軽に強烈な太陽光が撮れてしまうようだ(因みに、昔使っていたフィルムのカメラは、太陽光に向けるとシャッターが切れなかったんだよ)。

ここ八王子神社で、熊オッサンはグリッドワーカーとして、光のアンカーをおっ立てたわけだが…(妄想)。どこに行ってもデカい太陽がついてくるので、パシャリと撮っておこうと。。。

『八王子神社』本殿

つか…なんじゃこれは???。

そ、そっ閉じ。。。お察し(´(ェ)`)

おそらくレンズの反射光が、奇妙な光の柱のような模様に写ってしまった…。よく見ると、ホログラムシールのように円の中に一つ星☆がはいっている。べつによくあることっスよ。。。それにしても、こんな幾何学模様が出るのか?。ま、写真からもおわかりだと思うが、光満ち満ちてホワイトアウトしそうな境内。光量が異常に多い日ではあった。

 

 






レイラインは『とやま』から『とのやま』へ…。

...余談はともかく。結局のところ、外山地区が日月神示『オワリの十のヤマ』と、どう関係があったのかは不明。

ただ興味深いことに、この次の日に参拝した『鳴海八幡神宮』(名古屋市緑区鳴海町)の近くに、大高町『殿山(とのやま)』という地名があるという。多少のズレはあるが、方角的には瀬織津姫熱田神宮レイラインは美濃国『とやま』と尾張国『とのやま』を結んでいることになる(笑)。周辺の鷲津山長寿寺は創建不詳、境内の鷲津砦跡は織田信長に築かれて、1560年『桶狭間の戦い』前哨戦が行われている。レイライン東西を隔てて、天下分け目の大事件や人物が多い点にも着目できそうだ。

さらにレイラインは南へ。江戸時代『忠臣蔵』などで有名な、清和源氏足利氏流・吉良氏の所領である三河国幡豆郡吉良荘に到達する。

 

 

 

◯『幡頭神社』(愛知県西尾市吉良町宮崎前留谷)

〜御祭神〜

  • 建稲種命(美夜受媛の兄)
  • 誉多別命(15代応神天皇)
  • 大物主命(宮下文書・尾張国祖神)

※本殿は国の重要文化財。

 

周囲には『吉田』の地名あり、ホノアカリ子孫宮簀姫の兄・建稲種命を祀る。ヤマトタケル東征中、命を落とした建稲種命の遺体が漂着したという伝承がある。

ただし宮下文書三輪本現代訳では、尊と随伴してのは美夜受媛(宮簀姫)の方であり、建稲種命は尾張国内に留まっていたようにも思えるのだが…。ヤマトタケルが、尾羽張中島の『建稲種命の館』に泊まった…としか書かれてない。ともあれ、この神社が、後世のホノアカリ子孫を称する尾張氏族にとって、重要であったことは伺い知れる。

その最南端は、『梶島』という小さな島。

 

この日だけで、美濃国を高低差アップダウン合計25キロを歩いた。

途中、立ち寄りたいところも結構あったが、熊オッサン的にはこれがもう体力の限界。。。

へとへと(´(ェ)`)

 

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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