セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

自称新八幡こと豊臣秀吉、自己顕示欲が暴露した八幡神と淀姫の関係?。

清和源氏発祥の宮を称する京都市南区『六孫王神社』。
源経基・天照皇大御神・八幡大神を祀る。


2023,3,26

前記事続き。今回は豊臣秀吉と淀殿がテーマ。

前記事では、八幡神とヨドヒメの関係に迫り、男山石清水八幡宮とその麓に近い與杼神社は呼応関係にあるのではないか?と妄想考察した。

今回は、新八幡を称した豊臣秀吉と、與杼神社対岸『淀古城』を与えられた淀殿に暴露された関係?…。さらに『日前宮比叡山レイライン』を軸に深掘りしてゆく!。

 

〜日前宮・比叡山レイライン(追加あり)

  • 清水寺(新潟県佐渡市石名)
  • 熊野神社(新潟県佐渡市石名)
  • 御禮智神社(新潟県佐渡市北田野浦  国常立尊)
  • 鉛練比古神社奥宮(滋賀県長浜市余呉町)
  • 鉛練比古神社(アメノヒボコ伝承)
  • 須賀神社(滋賀県長浜市西浅井町)
  • 鎌足神社(滋賀県高島市新旭町)
  • 阿曇比羅夫の墓(滋賀県高島市新旭町)
  • 安曇川河口付近
  • 国狭槌神社(滋賀県高島市安曇川町)
  • 比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本本町)
  • 月吉大明神(京都市左京区一乗寺)
  • 熊野若王子神社(京都市左京区若王子町)
  • 日向大神宮(京都市山科区)
  • 将軍塚青龍殿(桓武天皇由縁)
  • 清水寺(京都市東山区)
  • 豊国神社(京都市東山区400mズレ)
  • 新日吉神宮(京都市東山区)
  • 智積院(京都市東山区)
  • 新熊野神社(京都市東山区)
  • 式内社真幡寸神社跡(若宮宮)
  • 城南宮(京都市伏見区)
  • 真幡寸神社(城南宮境内)
  • 淀古城跡(秀吉が淀殿に築城)
  • 與杼神社御旅所(京都市伏見区淀大下津町)
  • 石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)
  • 和氣神社(京都府八幡市西山和気)宇佐神宮と関係深い和気氏
  • 交野天神社(大阪府枚方市楠葉丘)
  • 片埜神社(大阪府枚方市牧野阪)
  • 意賀美神社(大阪府枚方市上之町)
  • 八剱神社(大阪市城東区)
  • 大阪城豊国神社(大阪城内1.3kmズレ)
  • 生国魂神社旧社地(詳細不明)
  • 玉造稲荷神社(かつて比売社を称していた)
  • 三光神社(大阪市天王寺区玉造元町
  • 比売古曽神社(アカルヒメ伝承、1.3kmズレ)
  • 久保神社(大阪市天王寺区勝山・熊野大神相殿)
  • 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺)
  • 安倍晴明神社(大阪市阿倍野区)
  • 安倍晴明生誕地伝承
  • 帝塚山古墳(大伴金村伝承あり)
  • 住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)
  • 開口神社(住吉大社・奥の院)
  • 岸城神社(岸和田だんじり祭り)
  • 金熊寺(泉南市    役小角伝承)
  • 日前神宮・国懸神宮(和歌山市秋月)
  • 玉津島神社(和歌山市和歌浦中)
  • 鹽竈神社(祓戸大神四座)
  • 和歌浦天満宮(和歌山市和歌浦西)
  • 紀州東照宮(和歌山市和歌浦西)

 

前記事では見落としておりました…(´(ェ)`)。

『豊国神社』『大阪城豊国神社』『淀古城跡』『玉造稲荷』も、当レイラインを語る上では重要拠点と思われる。大阪城には645年『大化の改新』後から平城京に移るまでの間、首都だった難波宮跡があり。かつてはイクシマ・タルシマを祀る生国魂神社旧社地や仁徳天皇高津宮跡もあったとされる(諸説あり)。

 

~目次~

 

八幡・熊野神解明、比叡山・石清水八幡宮・日前宮レイラインを結ぶタマノオヤ家族神。 - セキホツ熊の謎を追え!

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

新八幡を称した豊臣秀吉と淀殿の真意とは?。




1591年(天正19年)朝鮮出兵の折、豊臣秀吉は『山上八幡神社』(奈良県奈良市山陵町)にて戦勝祈願をしている。神功皇后らによる三韓征伐に肖ろうとしていたのかもしれないが、結果は秀吉の死去により撤収。

秀吉は自らの死後に際して、奈良東大寺大仏殿鎮護の手向山八幡宮に倣い、自身を『新八幡』として祀るように遺言していたという。これは八幡神を信仰していたというよりは、簡単に戦勝させてくれなかった現状の八幡神に不満を寄せていたとも取れそうだが…(苦笑)。なんにせよ豊臣秀吉の大胆不敵さ、自己顕示欲が目につく。

秀吉は、京の方広寺(現在の京都市東山区)に大仏建立を発願していた。その寺領に当初は大仏鎮守としての名目で神社を建造していたが、その真意は自らを新八幡として祀る『新八幡社』創建であった。しかし、107代後陽成天皇により新八幡としての神格化は叶わず、代わりに豊葦原中国の統治者として『豊国乃大明神』を賜り、豊国社として祀る。江戸時代が始まるまで、吉田神道の9代当主吉田兼見らによって主宰されていた。



▲新八幡→✕

▲豊国乃大明神→◯




豊葦原中国というのは、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界で、後世の記紀により創作された表記。宮下文書版・豊阿始原瑞穂国とは、天つ日嗣地神五神(アマテラス~ウガヤフキアエズ)の時代区分を指し、特定の地域を指すものではないようにみえる

素人オッサンが察するに、豊国というのはやはり、単に八幡神の聖地たる宇佐神宮の所在地を示しているのではないかと…?。さらに言えば、その側室の淀殿とはヨドヒメ(別名トヨヒメ)を暗示しているのではないかと…。

秀吉と淀殿はカップル、なら八幡神と淀姫はカップルなのか?、という火水の仮図式が浮上してくるわけだ。…。

(´(ェ)`)

 

〜火水のしくみから察すると〜

▲秀吉    →新八幡

▲淀殿    →ヨドヒメ・トヨヒメ(八幡妃神?)

 

古来から八幡大神は、その出処の富士朝を隠すために謎の存在でなければならなかった。西国天皇勢力が富士朝と断絶の道を選ぶ一方、その御正体は阿祖山太神宮2代目大宮司であった可能性が大きい。

しかしながら、秀吉が淀殿を妃と言い回ることで、石清水八幡宮の淀川対岸に祀られている八幡神とヨドヒメの呼応関係を、自動的にバラしていることになってしまう。続く徳川政権が富士朝の神々の恩恵を独占する上でも、史実は隠しておくほうが得策であった。

お妃さまの御正体がバレれば…、そりゃ八幡さまの御正体もバレるのだろう…。

(´(ェ)`)

 

彼らがこれらレイラインの存在を意識していたのかは不明であるが…。つまるところ日前宮~比叡山のレイラインは、関西圏における覇権を示すものなのだろう。そのライン上に旧勢力の寺社があることは家康にとっても面白くなかった。家康は108代水尾天皇の勅許を得て豊国大明神の神号を剥奪、この豊国社を廃絶した。さらに天皇と豊臣家の接近を恐れて、京都所司代を置き天皇の動きを監視した。背景には、ライン上の比叡山再興した天台宗天海vs.吉田神道豊国社とのパワーバランスもあったのかもしれない…。

神号剥奪された豊臣秀吉の御霊は、国泰院殿雲山俊龍大居士という仏式に改められ、大仏殿裏の五輪石塔に遷された。しかし徳川政権が滅びると、明治天皇勅命により『豊国神社』が再建され、主祭神・豊臣秀吉として祀られている。

 

〜タマノオヤ親子3代〜

  • タマノオヤ(天太眞祖命)
  • ウサミ(宇佐見命)
  • クマノクスヒコ(久眞野久住毘古命)

 

…さて、以前から述べていたように、熊オッサンは基本的にはタマノオヤが八幡神だと思っている。ただ、ヨドヒメ(別名トヨヒメ)が八幡妃の位置づけならば、やはり彼女こそがウサミ妃・小幡毘女命なのではないだろうかと…。自ずとウサミ=八幡神の可能性も高いと思われる…。知れば知るほどウサミが八幡神である可能性を捨てきれないのだ。

また前記事で述べたとおり、八幡と熊野の共通項『三つ巴紋』のように、タマノオヤ親子3代揃って八幡神・熊野神である可能性も捨てきれない…。

あくまで推論ですけど…(´(ェ)`)

玉祖命と応神天皇のシンクロニシティ②、 天比理刀咩命・淀姫・豊姫はウサミ妃?。 - セキホツ熊の謎を追え!





石清水八幡宮と與杼神社

 

859年(貞観元年)南都大安寺行教(空海の弟子)は宇佐神宮の神託を受け、860年(貞観2年)に清和天皇勅令にて石清水寺境内に石清水八幡宮を創建した。以降河内国を拠点としていた清和源氏や武将たちの崇敬が続き、徳川家康も早期から祈願所としていた。

因みに富士朝大宮司・宮下家祖が15代応神天皇の大山守皇子。根本的に応神天皇を八幡として奉祀する背景には、富士朝や秦氏への配慮があると思われる。

 

◯『石清水八幡宮』(京都府八幡市八幡高坊)

〜八幡大神(八幡三所大神)〜

  • 誉田別命(15代応神天皇)
  • 比咩大神
  • 息長帯姫命

※中世以降は勧請元の宇佐神宮に代り、伊勢神宮と並ぶ『二所宗廟』と称される。



〜源頼義三子の元服場所〜

  • 八幡太郎義家(石清水八幡宮)
  • 賀茂次郎義綱(賀茂別雷神社)
  • 新羅三郎義光(三井寺新羅善神堂)


もともと当地は、富士朝客人勢力秦氏と太いパイプをもっていた武内宿禰の子孫・紀氏の所領で、石清水八幡宮別当職に関与していた。初代神主には行教の甥・紀御豊が任じられ、その曽孫・良常以後は別当職を紀氏が世襲していた。

そして興味深いことに、賀茂別雷神社宮司も紀氏であった。宮下文書三輪本現代訳p213によると。当時の加茂明神(山城一宮・賀茂別雷神社)の宮司は紀長貫で、紀貫之の曾孫にあたる。そもそも紀貫之長男・武貫が、父の咎めに触れて加茂明神館に寄寓されていた、そののち加茂明神宮司の一女・菊枝を娶り、紀常之を産みそのまま宮司の職を継いでいた。常之の子・長貫が、清和源氏賀茂次郎義綱の家将となった。すなわち八幡太郎義家と賀茂次郎義綱の清和源氏元服式の背後には、このような紀氏の親類コネクションが見え隠れしている。

この賀茂次郎の子が源義明で相模国に逃亡し三浦氏族に婿入りする、その子の三浦義顕の息子が源甚吾重成で宮下家に婿入りする。阿祖山太神宮大宮司49代宮下源太夫義仁を継承した。東国富士朝氏族を結束させ、同じ清和源氏の源頼朝をバックアップして富士朝再興を成し遂げた。

つまり武内宿禰子孫紀氏は、鎌倉幕府と富士朝再興の影の貢献者なのだ。

そして紀氏の源流を遡れば、当レイライン上の日前神宮・国懸神宮(和歌山市秋月)で生誕していた武内宿禰に行きつくのは偶然なのだろうか?。その武内宿禰と紀氏のシンクロニシティ、彼らはこのレイラインの守護者だったのかもしれない…。






◯『與杼(よど)神社』(京都市伏見区淀本町)

〜御祭神〜

  • 豊玉姫命(ヨドヒメと解釈されている)
  • 高皇産霊神
  • 速秋津姫命(祓戸四柱)

 

諸説あるがwikipediaによると、応和年間に肥前一宮・與止日女神社から淀大明神を勧請し創建した。ただ文献によっては、応和年間以前に存在していた可能性もあると指摘されている。

当社は石清水八幡宮の男山麓、桂川・宇治川・木津川のほぼ合流点にあり、ここから大阪湾までは淀川と呼ばれる。旧社地の桂川対岸には淀古城があった。1589年豊臣秀吉が浅井茶々の産所として築城させ、以降彼女は淀殿を称した。1607年(慶長12年)には、淀古城で生誕した豊臣秀頼の命により、與杼神社の本殿と拝殿が再建された。因みに淀殿の出自が近江浅井氏、当レイラインが上浅井氏所領西浅井郡須賀神社付近(琵琶湖北部)を貫通しているのは興味深い。



江戸時代1623年に、松平定綱によって淀古城500m南に『淀城』が築城された。1637〜1639年、山城淀藩主永井尚政により改修されている。富士朝宮伴家系長田氏末裔永井氏は、カモサワヒメ(宮下文書版別雷命)を崇敬した氏族で、古河藩などカモサワヒメ由来の土地に配属されていたようだ。徳川家康と天海は、富士朝神の御正体を知りつつ隠蔽し、その恩恵を独占していたという策士ぷりである。

明治時代1902年、桂川の河川敷拡幅工事のため淀城本丸跡に遷座。現在旧社地は御旅所となっている。



この淀川、與杼神社を起点に大阪湾へと流れる川の語源は…、実はよくわかっていない。というか…どうにも曖昧にされている節がある。正確な当社の創建時期はわかっていない。ただ自然な歴史の流れを考えれば、淀川上流の当社御祭神ヨドヒメに由来する可能性が一番高いと思っている。

肥前一宮與止日女神社のヨドヒメ別名は、『川上さま』や『河上大明神』とも呼ばれている。彼女が淀川上流男山付近に奉祀されるのはごく自然な成り行きだろう。

(´(ェ)`)



2002年から地域の市民活動にて、淀水路に植えられたカワヅザクラは伊豆半島発祥。原木は静岡県賀茂郡河津町に由来する。奇しくも…、前記事で紹介した伊東祐親は、ウサミ本貫地であるイトウの宮『葛見神社』を崇敬しており、河津姓も称していた。

…面白い偶然である(´(ェ)`)。

※因みに、京都府京都市伏見区『御香宮神社』には河上大明神が相殿されており、これはヨドヒメではなかろうかとみている。創建不明の式内社・御諸神社論社で、筑紫国香椎宮から神功皇后を勧請し、56代清和天皇から『御香宮』の名を賜ったという。

 

 





城南宮と眞幡寸神社

平安遷都に合わせ、国常立尊・八千矛神・息長帯日売尊を祀り創建された。京都御所の裏鬼門を守ることから、方除け厄除けとしても信仰されるようになった。

しかし、もともとこの地に祀られていたのは、延喜式における山城国紀伊郡式内社の真幡寸神社二座に比定『真幡寸神社』であったという。神紋は『三葉葵』。この地域の『紀伊郡』地名からもわかるように、もともとは紀氏(紀朝臣)の拠点の一つであった。

旧社地は当レイライン近く700メートル東北の鳥羽真幡木里。現在の竹田真幡気町『若宮宮(若宮八幡宮)』。現在は城南宮境内にて摂社として再建されている。

 

◯『城南宮』(京都市伏見区中島鳥羽離宮町)

〜御祭神〜

  • 国常立尊
  • 八千矛神(大国主命と解釈されている)
  • 息長帯日売命(神功皇后)

〜配祀〜

  • 天忍穗耳尊
  • 彦火瓊瓊杵尊
  • 天照大御神
  • 品陀和氣尊
  • 別雷神
  • 大山咋神
  • 久度神(竈神とも言われている)
  • 宇氣毛智神
  • 天兒屋命



◯真幡寸神社(城南宮境内摂社) 

〜御祭神〜

  • 真幡寸大神(応神天皇)

 

真幡寸神社は、203年(神功皇后摂政3年)神功皇后の三韓征伐の船上に立てた旗に、神功皇后・八千戈神(大国主神)を合祀して創建された。

平安遷都に創建され、816年(弘仁7年)官社に列する延喜式内社。山城國紀伊郡 眞幡寸神社二座・眞幡寸大神として品陀和氣尊、ほか一座に『鴨別雷神の別也』とある。

ああ…なるほど、三葉葵紋の理由はこの辺にもありそうだ。

(´(ェ)`)

 

しかし当初は、鳥羽真幡木里付近に創建されたハズだが…。wikipedia城南宮の情報によると室町期までに一旦藤森(藤森神社)に移された?とされる。それをさらに現在地城南宮に遷座させ取り込み、1968年境内の摂社真幡寸神として造営された。ネット情報が交錯しているようで、ちょっと自信がないが…。

※因みに藤森神社には、別雷命や武内宿禰、15代応神天皇が揃って祀られている。



この地にも、日前宮からきた武内宿禰子孫である紀氏と、武内宿禰と交流が深い富士朝客人勢力秦氏の影響力の融合が垣間見える。

宮下文書における武内宿禰は、富士朝へ入麓して徐福に弟子入りしている(ただ…年代的におかしいので徐福の子か孫に弟子入りしていたと思われる)。15代応神天皇御子・大山守皇子は、徐福の子孫であると明記されており、応神天皇や神功皇后にもその遺伝子的影響があった可能性あり。

もともと山城国は、平安遷都以前(おそらくは11代垂仁天皇時代か?)から秦氏が開拓してきた地域で、当社も秦氏の氏神ではないかと考えられている。50代桓武天皇は平城京仏教勢力からの脱却のため、富士朝神道回帰の側面も見せており、平安京造営に際しても秦氏の人材を積極的に採用した。やはりというか、結局のところ関西圏で富士朝信仰を延命させていたのは、この秦氏族と紀氏なのではないかと…。









稚日女命と玉津島姫、そして比売大神

 

BC12年(垂仁18年)、11代垂仁天皇勅令にて玉造稲荷神社が創建された。当初はなんと…『比売社』と称していた。

587年(用明2年)丁未の乱にて、蘇我氏と物部氏が争った折に、蘇我派についた聖徳太子が玉作岡にて布陣し、戦勝を祈願した。戦勝後に観音堂を建てた。

玉造とは鎮座地の地名によるもので、主に玉神タマノオヤを信仰し、勾玉などを作っていた古代玉作部の居住地であった。すなわち、仮にタマノオヤファミリーが祀られていてもおかしくはない地域だろう…。




◯玉造稲荷神社(大阪府大阪市中央区玉造)

〜主祭神 〜

  • 宇迦之御魂大神

〜相殿神 -〜

  • 下照姫命
  • 稚日女命
  • 月読命
  • 軻偶突智命

※比売社(旧称)または豊津稲荷社(旧称)

 

〜摂社〜

  • 胞衣塚大明神(豊臣秀頼の胞衣)

 

1576年(天正4年)戦火により焼失するも、1603年(慶長8年)に豊臣秀頼公により再建される。大坂城三の丸に当たる当地に、秀頼の胞衣が埋められ祀られていたという。 1615年(慶長20年)大坂夏の陣にて社殿が再び焼失するも、続く徳川時代も大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。

境内には豊臣秀頼像がある。








レイライン周辺でちらつく玉津島姫命や比売神…、誰なのか?。

 

中世、当レイライン上の住吉大社御祭神にもバラつきがみられ、『廿二社本縁』によると筒男三神・玉津島明神(衣通姫)と記載されている。『二十二社註式』では天照大神・宇佐明神・筒男三神・神功皇后とする説を挙げている。さらに、玉造稲荷神社の御祭神が比売神であった可能性もありそうなわけで、摂津国には大きな女神信仰が見え隠れしていそうだ…。

 

◯高津宮摂社『比売許曽神社』(大阪府大阪市東成区東小橋)

〜御祭神〜

  • 下照比売命(比売語曽神)

〜配祀〜

  • 速素盞嗚命
  • 味耜高彦根命
  • 大小橋命
  • 大鷦鷯命
  • 橘豊日命

 

玉造稲荷と共通する御祭神がシタテルヒメ。

宮下文書におけるシタテルヒメとは大国主命の娘、ウガヤフキアエズ朝建国のために戦死した健磐龍命(阿曾武命の諡)の母親。ニニギ外寇親征の役の際には皇后コノハナサクヤヒメに仕えており、彼女の死後に残された三皇子を、叔母タカテルヒメとともに養育した重要神。

ホツマツタヱでは、これを何故かアマテラス姉ヒルコ(ワカヒルメまたはワカヒメ)と混同させている。はっきり言ってめちゃくちゃである。

 

〜ホツマツタヱ・ヒルコの別名〜

  • シタテルヒメ(比売許曽神社と玉造稲荷神社の御祭神)
  • タカテルヒメ
  • ワカヒルメ(玉津島神社と玉造稲荷神社の御祭神)
  • ワカヒメ

シタテルヒメと瀬織津姫ホノコは協力してキシイ(紀伊国)を襲った稲虫(害虫)を祓った。そして興味深いことに、当レイライン上にある和歌山県和歌山市和歌浦中『玉津島神社』にて死去する。ワカヒメはワカ歌が好きで和歌山語源ともいわれる。後世にこのワカヒメが和歌の神として衣通姫尊に置き換えられたのではないか?と見ている。今熊オッサンの心の中では、『玉津島神社』とかいう最強ヴォルテックスが急浮上している訳だが。。。考えてみればこの和歌山県日前宮あたりは、南海トラフと連動する中央構造線でもあるのだ。

ただ残念ながら、宮下文書版シタテルヒメがこの地で祀られ、ヒルコにすり替えられたその理由が…全く見えてこない(苦笑)。なにか分かり次第ご紹介する。

※熊野速玉大社~熊野本宮大社~出雲一宮・熊野大社のレイライン上に、『玉津島神社』がある。





ところで…違う女神の可能性もご紹介する。

記紀によると、新羅から来たアカルヒメ(阿加流比売神)が、難波の比売碁曽の社に坐すと記されている。『日本書紀』垂仁天皇時代に、意富加羅国(朝鮮半島南部)の王子のツヌガアラシトが、白石から生まれたアカルヒメに求婚する。すると彼女は日本へと逃げてしまい、ツヌガアラシトはそれを追いかけてきたという。アカルヒメは摂津及び大分県姫島に至って『比売語曽社』の神となったと伝えられる。見た限りでは、アカルヒメとは朝鮮半島出身か?伝承では、新羅由来のツヌガアラシトとアメノヒボコが混同されているようだ。これが話をさらにややこしくしている(苦笑)。

 

地図上見ていただければわかるが、大分県姫島『比売語曽社』は、豊国宇佐神宮の目と鼻の先である。そしてなんと、比売語曽神の可能性の一つとして宇佐神宮の比売大神(宗像三女神イトウ)の名が挙げられているのだ。

※摂津国住吉郡には『比売許曽神社』の論社とされる赤留比売命神社(三十歩神社)がある。

 

〜比売語曽神の可能性(諸説あり)〜

  • 天津彦根命の娘の比売許曽命(息長大姫刀自命)
  • ツヌガアラシト妃
  • 新羅王子アメノヒボコ妃
  • 新羅王波沙寝錦の妃
  • 下照姫命
  • 辛国息長大姫大目命
  • 真野の長者の娘の玉依姫(般若姫)
  • 宇佐神宮の比売大神(ホツマ版・宗像三女神イトウ)

 

レイライン上『鉛錬日古神社』にはアメノヒボコが祀られる。つまり当レイラインはアカルヒメとアメノヒボコのラインともいえる。

当ブログではアメノヒボコ勢力の一部を、富士朝客人勢力秦氏の付会とみており、各地の勢力範囲的には重複性がみられる。三宅(みやけ)=宮下(みやけ)、宮下文書によると宮下家祖大山守皇子は、徐福遺伝子が入っていると明記される。宮下文書的にはアメノヒボコの記載はあるが、国内に定住したとは一切書かれていない。個人的におもうのは、アカルヒメとは秦氏族に祭祀を任された御神霊のことではないかと…。

このブログでは何度も強調してきたが、西国天皇勢力は富士朝勢力を隠すために大陸渡来人・帰化人を利用する傾向がある。そもそも…なんで朝鮮半島の新羅勢力がこんなに出てくるのだろうか?。これは528年『磐井の乱』において、古八幡を信仰していた筑紫君磐井とアズミ族が新羅側に加担したことに起因するのではないかとも思える。

宮下文書研究社鈴木貞一氏によると、宮下文書版アズミ族祖・宇都志日金命は、タマノオヤの子孫の可能性が高い。さらに熊オッサン的には、ヨドヒメ(トヨヒメ)は、もともと比売大神イトウの前に宇佐神宮に祀られていた、タマノオヤファミリーの一柱なのではないか?とご紹介した。

そして…いつの頃からか、西国天皇勢力の都合の悪い富士朝神や富士朝関連氏族を、大陸勢力として見做すことが定着してしまったようだ。宮下文書を読めば、その傾向は簡単にバレます。

(´(ェ)`)








現時点での熊オッサンの妄想をまとめると…。

このレイラインは熊野神・八幡神・比売神の気配を多く感じる。

摂津国周辺にて難波宮を拠点としていた神功皇后、15代応神天皇、16代仁徳天皇あたりが、豊国宇佐神宮から比売神ヨドヒメ(トヨヒメ)を勧請していたのではないだろうか?。

その後世に、彼女の処遇に困ってしまった権力者たちが、色々な名前をつけて誤魔化している印象を受ける。後世にこの比売神が、ツヌガアラシト妃やアメノヒボコ妃として付会された可能性もあるだろう。

 

この女神信仰に肖ったのが、安土桃山時代の豊臣秀吉だったのだろう。今言えることはこの地でヨドヒメまたはトヨヒメを祀り始めたのはかなり古そうだということ…。



 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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